2015年09月19日

打倒・韓国27

韓国、台湾の近代化において日本がもっとも貢献した事業のひとつに、科学的土地調査がある。朝鮮総督府が土地制度と租税制度確立のために行った「土地調査事業」は、近代朝鮮半島史上でもっとも特記すべき画期的な事業だとも言われている。
黄 文雄

身分制度もそうだが、土地調査も、韓国人では、出来なかったことである。

1910年から1918年にかけて、朝鮮総督府は、200万円の予算を組んで、全土の土地調査を実施した。
総督府に、土地調査局が開設されたのは、併合直前の明治43年、1910年3月である。

整理するべきことは、土地所有者、価格、地形、地貌、坪数、地図作成などである。

朝鮮の土地面積の単位は、結負、と呼ばれ、それが課税単位となっていた。
「結」とは、新羅時代からの用語である。

一等地の「一結」は約一町歩、六等地は、約四町歩となっていて、土地の大小ではなく、租税の金額によって、決められていた。
ただ、この生産性も、一定のものではない。
形式的には、20年ごとに土地の再計算をすることになっていたが、実際は、ほとんど行われていなかった。

どの時代でも、田畑の統計がなされていたように見えるが、実際には、いい加減なものだった。

李朝時代の初期、145万5492結あった農地は、1902年には、98万8417結と減っている。

1769年の調査では、朝鮮全土の結数は、141万1948結。
そのうち、税を負担しているのは、わずかに、80万843結のみである。

1894年の公簿に記録されている結数は、140万3171結であり、そのうちの課税結数は、75万9979結のみである。
つまり、約半数が、脱税地となっていた。
それを、隠結、隠れた田という。

隠結には、税金を逃れていたもの以外に、地主が実際に納税していたが、地方官僚の横領などにより、税が消えていた土地もある。
また、地方官僚と地主が結託して、国税を食い物にしていたのである。

結局、結数は、時代と共に、少なくなっていた。
同時に、国税も減るのである。
これが、朝鮮半島の庶民に対する、苛斂誅求の歴史的背景となっている。

現在も、この構図は、変わらないのだろう。
大統領はじめ、その側近が、不正収入や、賄賂で、逮捕される国である。

この、朝鮮の、どうしようもない状態を救ったのが、日本の、朝鮮総督府である。
総督府の、全国土地調査によって、その隠結が、一掃された。
そして、結負制が廃止され、町反・坪制に代わった。

調査開始時には、272万余町歩と算出されていた耕地面積が、調査の結果、土地所有者は、187万余人、総面積は、487万余町歩と、倍近くに増大したのである。

勿論、これまで、甘い汁を吸っていた者たちは、困るわけで、総督府の調査に対する、不服申し立てが出てくる。
1920年までに受理した、不服申し立ては、2万148件に達した。

これらの障害を受けながらも、この近代的土地調査は公正な土地・租税制度を確立することになり、隠し田を一掃し、伝統的な土地紛争に終止符を打った。また、五万分の一の地形縮図をも完成させることができたのである。これは、近代社会の社会的基盤を建設するのに大きく貢献した画期的な事業だったのだ。
黄 文雄

自分たちでは、何も出来なかったというより、支配階級によって、庶民は、いつまでも苛斂誅求の生活を強いられていたのである。

まさしく、日本が、解放したのである。

朝鮮人は、近代化を進めることなど、出来なかった。
日本が、行ったればこそ、近代化を為し遂げたのである。

朝鮮の土地制度は、新羅時代から、存在していた。
唐の王土王民制度にならったもので、すべての土地を公有地として、世襲は認めなかった。
やがて、その制度も、実質的には、崩壊し、豪族、官僚の私有地と化した。

李朝時代になり、太祖が田制改革を断行し、高麗時代になり、すでに私有地化された、私田を再び、公田制にしようとしたが、すでに私田の甘みを知っていた群臣に反対され、結局、私田収租権の世襲を、後任せざるを得なかった。

1591年、公田から、宮房田というものができて、王族の子孫にも、農地が支給された。
李朝末期になると、規則が弛み、収租地は、有力豪族、官吏の私有地となり、公田の名を借りた、民田の略奪、公田を奪っての私有地化など、傍若無人な行為も横行する。

更に、土地境界の紛争、文書偽造などもあり、土地制度と、租税制度は、大きく混乱するのである。

儒教の国というが・・・
何一つ、儒教の徳のようなものが、見当たらないのである。

知れば知るほど、呆れる状態の、朝鮮であった。

土地調査と地権の確立は、近代国家には欠かせない一大条件である。日本では400年前に、すでに太閤検地による土地調査と地税改正が行われていた。その後も、1873年の地租改正、1880年、明治13年の地租修正などにより、近代的な土地制度が確立されていった。
黄 文雄

黄氏の、説では、台湾でも、日本が領有した、1895年、明治28年に地租免除、1898年、明治31年から六年間に渡り、大規模な土地調査が行われ、韓国と同様に、農地の約半数が、隠し田であったことが、発覚し、調査により、耕地が倍増したという。

こうして、韓国も、台湾も、日本により、近代的な土地制度を、確立したのである。

もし、そのままだったら・・・
今も、果たして、真っ当な、耕作地が存在したか、どうか。

遅れていたのである。
何から何まで、遅れていた。
そして、日本が存在しなければ、どうなっていたのか、解らない。







posted by 天山 at 06:49| 打倒・韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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