2015年08月27日

玉砕62

弓兵団インパール戦記から

昼間、英軍機は間断なく飛来し、わが部隊を捜索するためか上空を旋回する。そのため炊飯には、とくに神経をつかった。部隊の行動は、すべて隠密に夜間に移動行軍し、朝から夕方までは休養をとる。
三月八日の夕刻をまって、ふたたびアポークワの英印軍を包囲攻撃すべく出発した。一千名をこえる敵部隊との知らせに、対等の兵力だと思うと身がひきしまる。時計はないが、乾期の夜の冷気を肌で感じ取り、おおよその時間もはかれるようになった。
暗黒につつまれた山野、草原の中を一列になり、長い隊列が南十字星に向ってすすむ。

これは、昭和18年のことである。
兵隊とは、命令によって、動く。従って、その命令が、どのようなものであっても、拒否は、出来ない。
これも、不可抗力である。

戦争に参加することも、敗戦近くになると、駆り出された。
それも、不可抗力である。
その時代に生まれ合わせたという、運命をどのように考えるのか・・・
戦争で、死ぬという、運命を持って、人は生まれるものだろうか。

戦記を読むと、そこでは、簡単に人が死ぬ。
そして、それを見る兵士たちである。
それが、度重なり、人の死に、鈍磨してくる。
さらには、我が身の上にも、その死が見えてくる時、人は、どのように、その死を受容れられるのだろうか。

戦争とは、自分が死ぬか、相手、敵が死ぬか・・・である。
人間とは、実に恐ろしい生き物といえる。

たおれているのは、軽機をかかえて突撃した鈴木林蔵上等兵だ。私のすぐ後ろを駆けていたが、私が、右にとんだときに、おそらく敵弾を受けたのだ。身代わりなってくれたような気がした。あのとき直進していたら自分がやられたはずだ。
鈴木上等兵は軍旗祭で優勝し、中隊会食の人気者である。
鈴木の腹からは、血が流れでて止まらない。
「苦しい。痛いよう」
「鈴木、しっかりしてな」
「戦友の情けだあ、はやくっ、はやく楽にしてくれ・・・」
「傷は浅い。しっかりしろ。鈴木」
上竹伍長が声をかけると、
「だますなっ」
声に力が入ったが、つづけてでた言葉は小声になり、
「おれには分る。楽にしてくれ、頼むから・・・」
と弱々しくなり、最後の声をふりしぼっての絶叫だった。
傷口をふさいで応急手当をしたが、包帯をとおした血は大量に草の上に流れ出した。小隊の戦友に抱かれ、手をにぎられて静かになったと思ったら、ぐったりと息をひきとった。

第一中隊主力の方も混戦だった。この交戦で木川田種三軍曹と、温厚な富永厳一軍曹が戦死した。佐藤軍曹はインド兵と組討になり、助けにかけこんだ同年兵の坪井兵長が、暗闇のため敵と味方の判別がつかず、
「上かっ、下かっ」と声でたしかめ、
「下だあっ」という声をたよりに、上になっていた敵兵を短剣で刺した。坪井は軽機の射手のため、短剣は持っていなかったが、まことに沈着な行動だった。

敵は、山林深く逃げ込んだのか、物音ひとつ聞えない。三月八日の夜はふけた。一夜に二回の日本軍の突撃により、英軍の戦線は混乱した。
中隊では三名の遺体の担架をつくり、戦友がかついで部隊は引き返し、アポークワではなくドンランに向った。

私がこの戦闘で疑問に感じたことは、日本軍が夜間の攻撃にさいし、銃弾を一発も撃たせずに突撃させることだった。
夜間であっても、軽機を前面にだして撃たせ、もちろん他の火器も前面では一斉射撃をおこない、あるいは一部を射撃させ、その間に他の兵力を迂回させて突入させる方が、敵に多くの損害をあたえることができるではないか。
この戦闘では、手榴弾も浴びせずじまいだった。
夜間は、日本軍は撃ってこないとなれば、敵はゆうゆうと何の恐れもなく、こちらの突撃まで射撃をつづけることができる。そして突撃がかかると、後方にいっせいに逃げる。これでは、損害を出すのは日本兵だけではないか。
そればかりか、撃ちもしない重い軽機を持たせ、短剣だけの射手にも突撃させるのだから、犠牲者がふえてあまり戦果があがらない。
勇ましいからというなら、戦国武士のように名乗りでもあげ、一人ごとに斬り込んだらよいであろう。
昭和の陸戦も、日露戦争当時とかわらぬ戦法で、みるみる兵力をむだに消耗して、兵隊は不利を承知で、命令のまま無念の涙にたえ、戦死していった。

戦記を読むと、斬り込み隊という名称が度々出てくる。
この、斬り込み隊とは、特攻攻撃と同じである。
バンザイ攻撃とも、言う。

殺してくれと、敵の前に姿を晒すようなものである。
何故、そのような、無謀な攻撃をするのか・・・
未だに、解らない。

近代の戦争には、全く、どうかしているとしか、思えないのだ。
だが、それを日本軍、日本兵士たちにやらせたという・・・

戦死者三名をだしたわが中隊は、戦場整理のためドンランに残り、他中隊は夜のあいだにアポークワへ向った。
三月九日の早朝、戦死者の中隊葬をおこない、その後、われわれは山砲隊護衛の任務についた。各小隊ごとに配置についたころ、ジャングルの木の間からは、まぶしいほどの陽の光がさしてきた。
昨夜の敵は、アポークワを守備していた第十バルッフ連隊の第八大隊約一千名の部隊であった。それがどこへ雲がくれしたのか、移動しているのか、いずれにしてもこの付近の平地林内にいることはたしかだ。

アポークワに急進したわが部隊主力は、急遽、反転して南から追撃にうつった。
大隊から、命令が伝達された。
「昨夜来の英印軍はアポークワを脱出せる部隊である。これを包囲撃滅する」というものである。

わが中隊百数十名は配備につき、山砲二門も砲口を南に向けて決戦の態勢にうつった。一門は南に面し、水無川の開墾地を前にしてそなえ、他の一門は私たちとともに二百メートルほど左方に布陣した。そこは雨期には川となるが、乾期のいまは砂地の道路となって、正面の山林内をほぼ直進している。

いよいよ、総攻撃が始まる。
まだ、日本軍は、戦況有利な状態だった。
だが、それは、いつまでも、続かない。
英軍が、戦力を益々と増強させてくるのである。




posted by 天山 at 05:50| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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