2015年08月21日

打倒・韓国19

醜い韓国人、朴氏の、記述を続ける。

韓国人は、韓国が第二次世界大戦に独立を回復してから、日本に対して、日本が韓国を略奪したことを許すことができない、という怒りを向けてきた。このような心情は十分に理解できることである。しかし、日本へ向けての非難を裏返してみれば、あの時期に日本が韓国を統治しないでいられたはずだ、という前提がなければならない。

しかし当時の韓国のほんとうの悲劇は、今日からあの時代まで遡って、歴史に「イフ」を設定することができないことである。あのときの韓国はまったく無力だった。東アジアにおいて真空状態をつくりだしていたのだ。李朝末期は、まるで朽ちた枯れ木だった。南に日本があり、北にはロシアと清という二つの強大な帝国が控えていた。もし、日本が韓国を統治することがなかったとしても、韓国は独立を保ちえなかったことだろう。
韓国は、日本が統治するまでは、中国の属国であって、独立国ではなかった。

どうだろう。
韓国人が、素直にそれを、認めている。

日本が、統治することがなくても、独立を保ち得なかった・・・
つまり、清、あるいは、ロシアの属国になっていた。

日本は1875年、明治8年、二十二年前にペリー提督が浦賀に来航して日本に開国を強いたのにならって、軍艦雲楊号を江華島沖に送り、江華島の守備兵が発砲したために交戦し、江華島事件が起きた。日本はこの機をとらえて、まだ朝鮮と称していた韓国に開国を強要し、翌年、両国間に修好条約を締結した。

この修好条約の第一条は、朝鮮は「自主の邦」と規定して、独立国として扱っているが、これはそれまでの中国を中心とした秩序を破るものであった。日本が韓国を独立国として扱ったのは、韓国を中国の影響下から切り離して、韓国に親日政権をつくることを狙ったからであった。

この段階では、日本は朝鮮半島を支配下に置くことは考えていなかった。まだ日本には、そのような力がなかったのだ。朝鮮半島は、日本にとって日本の脇腹に突きつけられた短刀であったから、何よりも朝鮮半島の無害化をはかったものだった。19世紀末期は帝国主義の全盛期であったから、日本は朝鮮半島がその帝国主義勢力の前進基地となることを恐れたのだ。

結局、その当時の、帝国主義という、観念を朝鮮人は、知ることがなかったのである。
その意識は、皆無である。

つまり、世界知らずだったのだ。

続けて、朴氏の書いたものを、私なりに、簡略化して書く。

ロシア、ヨーロッパ諸国、アメリカも、1882年以降、次々と、朝鮮との修好通商条約を締結して、進出する。
日本にとっては、それは、安全を脅かすものとなった。

そこで、日本は、朝鮮が他国の支配下に入ることがないように、韓国の近代化を促がし、それを積極的に助けて、韓国をしっかりとした、独立国に育てようとした。

ところが、清も、日本、欧米諸国が朝鮮に進出を図っていることに、警戒心を強め、韓国に対して、干渉を始めた。

この頃、多数の日本商人が韓国に渡り、日本製品を流入したが、多くの韓国人は、秀吉の朝鮮侵略の記憶を蘇らせて、反日感情が広まる。
日本への嫌悪感と共に、日本が、韓国の開化派を支援していたことに対する、保守派の不満が結び付いた。

1882年、高宗19年、ソウルで、旧式軍隊が、反乱を起こした。
時の政権は、開化派によって動かされ、開化政策を採用していたが、前年に、近代的軍隊である、別技軍を新設して、日本人教官を招聘し、教練を始めていた。

反乱の引き金は、高官が旧式軍隊に給与として、支払われていた米をピンハネしたことに対する、兵士たちの怒りが爆発したものである。

また、別技軍が、装備、待遇の面で、優遇されていたことに対する、怒りでもあった。

旧式軍隊は、官庁、時の首相、ミン氏の一族、日本公使館を襲撃し、王宮に乱入して、高官を虐殺する。

この反乱は、大院君が陰で操ったものだ。
そこで、政権が倒れ、大院君が政権を握る。

日本は、軍艦三隻と三千人の兵士を仁川に派遣する。
アメリカも、軍艦を覇権した。
そして、清も、宗主国として、属邦を保護するという名目で、軍艦三隻と、四千五百人の兵を派遣した。

反乱は、清軍によって、鎮圧された。
大院君は、清軍に捕らえられ、天津に拉致される。
更に、その一派は、投獄された。

ミン政権が復活し、清の保護の下におかれた。
そして、清軍をそのままソウルに駐留させ、政府に顧問を送り、韓国の内政に細部に渡り干渉する。

その後の歴史は、1885年、韓露密約事件が起きる。
宮廷が、密かにロシアに折衝して、ロシアが軍事教官を派遣するのと、引き換えに、ロシア海軍に、永興湾の使用を許すというものだった。

ミン政権が、清の宗主権強化政策に反発して、ロシアを使い、バランスをとろうとしたものである。

ところが、清側にそれが、知れて、交渉が打ち切られた。

更に、イギリスが、ロシアの進出に対抗するため、巨文島を占領する。
これらが、日本に深刻な打撃を与える。

また、1891年、ロシアはシベリア鉄道の建設に着手する。
日本は、益々、警戒を強めた。

当時の韓国は、それぞれの各派が、様々な思惑から、清、ロシア、日本をはじめとして、外国勢力と結び、勢力争いに明け暮れていた。

李朝朝鮮時代もそうだが・・・
朝鮮人は、身内でも、争いが絶えないのである。

次ぎに続ける。





posted by 天山 at 06:07| 打倒・韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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