2015年08月19日

打倒・韓国17

歴史的事実である。
1895年、日本が日清戦争に勝利したことにより、朝鮮が独立したのである。

1896年、朝鮮独立協会が作られ、「独立新聞」まで発行し、朝鮮人の自主独立を啓蒙することが出来たことも、日本が、勝利したお陰である。

清の属国としての、迎恩門と、慕華館を取り壊して、独立門と独立館を建てることができたのも、日本のお陰である。

さて、1899年、1907年の二回、帝政ロシア最後の皇帝ニコライ二世の提唱により、オランダのハーグにおいて、万国平和会議が開かれた。
この会議の目的は、第一次世界大戦前の緊張した国際情勢を、緩和しようとして行われた。

李朝国王である、高宗は、1907年の、この会議に、三名の密使を派遣して、1905年の第二次日韓協約、つまり、日韓保護条約の無効を訴えるという、事件が起こった。

この、日韓協協約とは、三次にわたり、韓国に対する日本の保護、監督を強化すると、定めた条約である。

日清戦争後、下関条約により、韓国は清国から独立したが、その後も、朝鮮半島を巡る日露の紛争は絶えなかった。これが、日露戦争の一因でもある。

そして、1904年の日露戦争中の第一次、1905年の、日露戦争後の第二次、1907年の、第三次と、三回に渡り、日韓協約が結ばれたのである。

第二次協約を経て、大韓帝国は、日本の保護国となり、1905年、日本はソウルに、統監府を設置して、朝鮮の内政、外交を指導、監督することになった。

これに対して、国王の高宗は、ハーグの平和会議に密使を送り、列強の力を借りて、日本を牽制しようとしたのである。

ところが・・・ここが問題である。

当時の韓国は、まだ国家として認められていなかったのである。
つまり、外交権が無いという理由で、会議への出席を拒まれた。

さらに、密使が来たことにより、日本からの誤解を恐れたロシアは、即座に、駐露日本公使であった、本野一郎の元に使者を送り、ロシアは、この密使事件と関わりないと、弁明している。

伊藤博文は、このような陰謀策を裏で企んでいた、韓国政府に対して怒り、高宗に謁見して、電報の写しを見せて、
「かくの如き陰険な手段を以って日本保護権を拒否せんとするよりは、むしろ日本に対し堂々と宣戦を布告せらるるは捷径なるにしかず」
と、言った。
捷径とは、早道という意味である。

今、現在の韓国も、同じようなことをしている。
これが、韓国の精神なのであろう。

堂々と、宣戦布告せよ・・・ということだ。

韓国は日本人がつくった、著者の、黄 文雄氏が、深谷博治著の、明治日本の対韓政策、という文の一部を引用している。
少し整理して、書く。

韓国の新補は多いに日本の望むところであって、韓国はその国力を発展せしむるため、自由の行動をしてよろしいけれども、ただ、ここにただ一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携すべしということ、これである。・・・
日本は何を苦しんで韓国を亡ぼすであろうか。自分は実に日韓の親睦を厚くするについては、自分の赤誠を貢献しようとしている。しかも、日清・日露の両大戦役の間、韓国は一体何をなしたか。陰謀の外に何をしたか。戦争中は傍観しただけではないか。諸君は、日本が、にわかに来たって、韓国を亡ぼすならんと思うのは、果たして何に基づくのか聞きたいものである。
日本は韓国の陰謀を杜絶するため、韓国の外交権を日本に譲れというた。だが、日本は韓国を合邦する必要はない。合邦は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも、日本の指導監督がなければ、健全な自治を遂げ難い。これが今回の新協約を結んだ所以なのである。

上記、本来、日本は、韓国との合邦を望んでいないことが分る。
厄介なことだったのである。

しかし、韓国のために、自分自身では、独立国家としての、自治が出来ない、ゆえに、日本が指導、監督するというものである。

伊藤博文も、日韓併合には、反対していたのである。
最後になり、止む無しとして、受け入れた。

それは、日本の自衛のためであり、朝鮮民族の安寧のためである。
これは、当時の日本人の、一般的な、考え方であった。

伊藤博文は、こう述べている。
朝鮮の独立というものを最初に認めたのは、個人としては自分がはじめてであり、国家として見とめたのは日本が初めてである。

更に、韓国の官吏に対して、
韓国人の何ぴとが自らその独立を主張したであろうか。かつまた、韓国人の何ぴとが自ら韓国の独立を承認したであろうか。あるならば聞きたい。韓国人は、3、4000年来、固有の独立を有するように言っているが、自分はこれを承認できない。
との、問い掛けである。

そして、今、現在も、その問いは、続いているのである。
誰が、韓国を独立国として、対したのか・・・

世界で、最初に、韓国の独立を承認したのは、日本なのである。
これが、史実であり、事実である。

韓国人の、シンシアリー氏が、言う。
それから、韓国が夢にまで見た「皇帝」という言葉を手にすることができたのは、大韓帝国が誕生してからです。いろいろありましたが、朝鮮が大韓帝国になって皇帝を名乗ることができるようになったもっとも大きな事件は、日清戦争、下関条約です。中国との間に独立国を必要とした日本の意向あってのものではありましたが、下関条約で朝鮮の独立が認められたのです。

このように、しっかりと、歴史的事実を見ている、韓国人がいるということ。

しかも、言うまでもなく、列強の間で自分の立ち位置を完全に見失った大韓帝国は、あっけなく終わり、その日本に併合されることになります。
とも、言うのである。

要するに、国家という、近代の観念を知らぬということだ。
国家というものが、如何なるものか、知らないのである。

だから、日本の指導と、監督が必要だったのだ。






posted by 天山 at 06:14| 打倒・韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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