2015年08月17日

玉砕59

将来のことより、私たちは今日明日のことが心配なのに。しかし残念なことに、私たちはサゴについては何も知らなかった。それで椰子から簡単に澱粉が採れるものと思い込み、それを食糧にして自活できるものと考えてしまった。
しかし、サゴ澱粉はサゴ椰子を切り倒し、その幹をくだいて澱粉をとるので、これは今の我々の体力では容易なことではない。まして澱粉の含み具合を、木を倒す前に知ることなど、まったく無知であった。
「ヤカチの地区での自活は承知しました。ところで、私の隊の吉森大尉ら水行隊は無事イドレに着いていますか」
「皆無事で通信の任務についている」
「連隊長は」
「ソロンを出発している。イドレに向ったらしいが、その後はわからない」
私たちの尋ねることはもうない。
「まずヤカチに出発し、その後の行動については別命を待ちます」
と応えた。参謀は軽くうなずいただけである。

私たちは、マラリアと下痢に悩まされながら、空腹に耐えつつ、やっとここまで来た。昨日までの何日かは、夜明けのない密林を、手さぐりで、野たれ死にを覚悟しながらの行軍だった。
今は何よりも食糧のある所へ、薬のある所へ出たい。この衰弱の身体を少しでも回復に向けねば自活どころではない。イドレも食糧が十分でないというが、そこは軍司令部のいる所だ、皆無ということもなかろう。イドレを夢にまで見て来た私は、参謀指示を受けても、やはり心はイドレに引かれた。

何故にサゴ椰子の温室の中で自活しろと言うのだろう。しかもこの体力の我々に。この参謀宿舎に来るにも杖を持たねばならないような我々に!
私はムミを出発した日にぶっかったマングローブの湿地帯のことを思い出していた。そこを通り抜けるのに四時間以上もかかった。「参謀殿は、密林や湿地のおそろしさを知らないのですか」と、口に出かかった言葉をやっと抑え、
「別命を待てというのですか」
ともう一度たずねた。私の語気の荒さに気づいたのか、参謀も重い口調で、
「そうだ。別命を待て」
と繰り返した。

恨むらくはこの一言である。この一言こそは、いつまでも参謀指示として私たちの胸に残り、遂に百四十八名中、百三十一名の死没者を出し、他の部隊もまた同じ状況下におかれたのである。だが上官の命令を至上のものとしてきた軍隊である。しかも作戦の最高計画者である高級参謀の指示である。返す言葉がない。
伊藤大尉と私が帰りかけた時、一人の将兵が川を渡って来た。手には杖、無帽で素足、兵隊の帯剣を腰にして、肩に天幕を細長くたたんで掛けている。
私たちの耳に、参謀に報告しているその人の声が聞えてきた。
「第二海上輸送隊長の北村中尉です」
「・・・やられたのか」
「はい申し訳ありません。舟艇は敵の水雷艇に出会い沈めてしまいました」
「兵は」
「その時の銃撃でほとんどやられました。助かった八名を連れて陸行して来ましたが、最後の二名も今朝死にました」
と言って、北村中尉は両手で顔を覆っている。
「泣くな。東部ニューギニアでは、揚陸までに八割が海没、残った者も戦と病気で倒れ、全滅した部隊が多い。君は一人だけでも残ってくれた」
恐らく参謀は自分に言い聞かせているのだろう。低いその声がきこえている。私はもう振り返る気にもならなかった。伊藤大尉も無言のまま、私の前を天幕へ歩き始めた。

戦争は、何も、戦闘ばかりを言うのではない。
威勢の良いものでもない。
実に、惨めで悲しい物語である。

だが、現代の戦争は、もう昔の戦争の様と違う。
ハイテク戦争の形相である。
無人機攻撃・・・
戦地にいずとも、相手を攻撃出来る戦争の様。

更に、戦争も、様々な分析が出来上がり・・・
情報戦争から、経済戦争に至り、そして、武器を使用する戦争というもの。

70年前の戦争・・・
今とは、全く違う形相だ。

ただ言えることは、戦争は、大量殺人であるということ。
そして、殺人が、肯定されることだ。

ヤカチ河左岸のここは、河に沿って五十メートルぐらいの幅がマングローブで、その奥がサゴ地帯になっている。そして少し下流の対岸にヤカチ集落が見える。私たちは、このヤカチ集落の見える所を選んで設営した。
自活の単位を十二、十三名にし、それに応じて天幕も張った。河岸には、水浴や水汲みの足場も作り、また天幕の中からでも、河が見通せるように木を取払った。こうしてサゴ椰子の伐採にかかり、自活の第一歩をふみ出したのが、八月二十一日だった。しかしこれは予想外の難事業だった。

一日のサゴの塊を叩いても、飯盒の蓋に半分もとれない。これでは一日の作業を支える食糧にもならないし、我々の腹をもちろん満足させてはくれない。また一日がかりで倒した椰子に、澱粉の入っていないこともある。すぐに次を倒さねば、他には何一つない。この一体は湿地のジャングルで、一本の野草さえないのである。サゴ自活は全く必死の仕事になった。
健康な者でも、杖を手に歩いているのだから、まず七十歳前後の老人の体力で、裸の姿は骨と皮ばかり、そんな私たちが作業に当っている。

患者となるとなおさらで、まったく死神の姿だった。その患者だって、戦友が作業に出たあと、水を汲んだり、薪を集めたりしなければならない。この人たちが、細くさしこんでいる日光の下に立って、褌一つで杖を両手に日光浴をしている姿のなんと痛々しいこと。

天幕で待っているこの人たちを思って、決心の力を出すのだが、体力にはやはり限界がある。どうしても椰子を続けて倒せない。しぜん、サゴの塊を木屑のままで喰うようになってしまった。

しかし、兵士たちは、限界を通り越して、死を待つ状態になる。
若者が、死を待つ心境・・・

もうマラリアの薬もほとんどない。熱が出てもそのままで、悲惨は日毎に激しくなっている。とうとうこのままでは、全滅を覚悟しなければならなくなった。今日は隣の幕舎の者と椰子を倒しに出ることになっている。ここの分隊長は、また発熱で寝込んでいる。

戦うどころの、話ではない。
生きるために、ジャングルの中で、食べ物を探す日々。
この戦記を読んで、少しでも、当時の兵隊の有様を、追悼したいと思った。

次第に弱り、心で行く兵士たち・・・
つまり、餓死である。
戦地での、餓死も、玉砕である。
実に、あはれ、である。


posted by 天山 at 06:03| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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