2015年08月12日

玉砕56

若者たちが、毎日、死というものを、目の前に見る、戦争というもの。
戦争反対を言うが、では、戦争をしないためにはと、考える癖をつけなければならない。

斜に構えた者が、戦争も、国際社会の一つの解決法だなどという。
その通り、国際社会の一つの解決法である。
それでは、戦争をしないで、日本は、70年を経ている。
何故か・・・

何故、日本は、戦争をしないで来られたのか・・・

「あれは君の乗った船だったのか」
あの漁船には、私の隊の予備の暗号書を積み込んでおいた。乗ったのは軍司令部から30名ほど、私の隊から四名だったが、助かったのは、この根本兵長ら二人だけだった。

この二人も、海に飛び込んで二日間、海水と潮風日光をじかに浴びていたのだから、首から上は赤く火傷のようにただれている。
もちろん他の人々は、ほとんど船上で銃撃を受けて死んでしまった。やっと海に飛び込んだ人たちも、水雷艇からの狙い撃ちで死んでしまったという。でもよくまあ助かったものだ。しかも意識を失っているままでいる所へ、船が通り合わすなんて!
私は、この遭難の二人のことから、つくづく人の運命というものを考えさせられた。

私も運のいい男である。シンガポールにいた頃、私の後任者が内地を船で出た。ところがその船が途中でやられ、後任者はとうとう来なかった。もしその人が来ていたら、私は内地への途中で死んでいたはずだ。乗船を予定していた船は海南島沖で沈められた。
その後、私はこのニューギニアに来て、ヌンボル島へ渡ったのだが、私の脱出が最後で、ヌンボルは玉砕している。また、マノクワリに帰った私は、暗号業務の連絡で、マニラに飛ぶ予定だったのに、無理に希望して私に代わって行った者がこれまた、戦死した。

「人の生死はまったく運だ。いや生まれた時に、もうそれが決まっているのかもしれない」
そして、これからイドレに着くまでの私の上にも、この運命のままに生死の瀬戸際を渡る瞬間が繰り替えされていった。
人には、それぞれしなければならない事があって、それを終えねば死ねないのかもしれない。もしそれが人生なら、死ぬ時が、人生有終の花のかおる時である。そして我々をその終着駅に導くものが運命であり、我々はその運命の波間に浮いているに過ぎないのではなかろうか。
さて、それはともかく今の私たちは、ただ命令のままに歩く他はない。

生きていれば・・・
生きているから、考えることができる。

運命・・・
戦争を体験する運命が、与えられた、人生だったのか・・・
誰にも、それは、分らない。
それにしても、辛い、苦しい、時代の運命を受けたものである。

戦争に生きる運命を、呪った多くの兵士もいるだろう。

お国のために、戦うという、時代。
その時代を、振り返り、追悼する、私というもの。
恥ずかしいことであると、思う。

死ぬ、という、追体験は、出来ない。
武士は、今日が死ぬ日と定めて、生きる、という。
それは、実に、美しい生き方である。

何故なら、人は、必ず死ぬからである。

今日が、死ぬ日という、もののあはれ、である。

戦記は、絶望の行軍に入る。

二日間の休養で、マラリアもどうにか落ち着いた。落伍していた者も二名が追いついてくれた。これからもまたじめじめした密林の行軍だろう。私たちは、よく乾いた山頂の空気を、胸一ぱい吸い込んで出発した。
谷間へ下りてみると、先日の二人のインド人のそばに、また一人が倒れている。
「水なら上の谷間にもあるのに、どうしてここまで下りて来たのだろう」
「やはり、友引、なんだろう」
上の集落には、患者のインド兵が数十名もいる。彼らもあのままでは同じ姿になる。それにしても彼らは救援に来てくれると思っているのだろうか。それともイドレまでもう二日だから、と安心しているのだろうか。この頃から私たちが死体と呼んでいた言葉が、いつの間にか仏と呼ぶようになっていた。

その死体、仏も、毎日、毎日見ることになる。
そして、それに対する、感覚も麻痺してゆく。

さて希望をかけた日が明けた。幸いに発熱患者は一人もいない。しかし、平時の一食を一日分の食糧にして、しかも行軍しているのだから、体力の衰えはどうすることもできない。もうほとんどの者が杖を手にしている。私もそうだった。だが、神は必ずしも弱者の味方ではない。いや、かえって酷な運命をさえ与えるものだ。この日の私たちにも、この運命の厳しさを避けることができなかった。
露営の天幕をたたんで、三時間ほど歩いた時、天幕に出会った。中に海上輸送隊の藤井大尉がいた。
「やあ久しぶりだな。元気か」
「それより大変だぞ、道が全然わからん。大体この道はでたらめだ。イドレへ着くかどうか怪しいものだ」
「まさか」
彼はとんでもないことを言い出した。私は驚いて、二の句が告げない。
「本当だよ、この先にも先発の部隊がたくさんいる」
「そんな馬鹿な」
私と伊藤大尉は、半信半疑で先へ行ってみた。やはりそうだった。そこには一日前に出発させた田中曹長が座り込んでいた。
「この先に、独立有線中隊の高田隊、二葉隊もいますが、どうしましょう」
高田隊、二葉隊は、ワサリを私たちより三日も前に通っている。もうイドレに着いていることばかり思っていた。一体どうしたというのだろう。すぐに、高田大尉、二葉大尉のところへ急いだ。ところが、
「君の来るのを待っていた。これからどうしょう」
と思案にくれていた。これを聞いた私は、身体中の力が抜けてしまった。

密林の中を、さ迷うというアクシデント・・・

ムミからの死没者や落伍者の合計は、もう二百名を越えている。予定どおりの行軍でこの有様だ。今もし進路を間違えたら、その結果はどうだろう。今まで見てきた落伍者や、死没者を思うと、私たちの動揺は当然だ。
「でたらめだ。無責任きわまる転進計画だ」
「しかも転進の責任者は誰一人この行軍に参加していない」

私たちは今更ながらジャングルの恐ろしさを知った。視界をふさがれたジャングルの中では地図さえ役に立たないのである。
「これから先は、磁石とお日さんだけが頼りだ。それでヤカチ本流を目指して歩く。落伍したら最後だぞ。元気を出してくれよ」
今までは、落伍者が出ても、イドレに着いたら迎えに帰るという気持ちがあった。だがもうそれどころではない。残っている米は二日分だから、これをなんとか十日分にするように言い渡した。今まで平時の一食を一日分にしていたが、今日からはその一食分を四日分にして、しかも行軍するのだ。





posted by 天山 at 06:27| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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