2015年08月05日

打倒・韓国12

朴氏の、記述を続ける。

1910年の日韓併合の十三年前に、朝鮮という国号は、大韓帝国に変えられた。朝鮮という国号は、李朝の太祖・李成桂が高麗王朝を1392年に倒して、高麗から朝鮮に改められたときから始まっている。

朝鮮王朝も、高麗王朝と同じように中国皇帝に臣従した。韓国人の精神と伝統文化を歪めてしまったのは、何よりも中国文化である。韓国は、おそるべき中国文化によって完全に毒されてしまった。韓国は大陸から突き出した半島で、地政学的にきわめて不利な位置にあったために、圧倒的に強大だった中国の影響力から逃れようがなかった。

と、いうことだが・・・
本当に、中国文化に毒され続けたのか。
これは、検証することである。

例えば、ベトナムは、同じように、中国の支配を受けたが、韓国のようではなかった。
ベトナムは、常に、対決していたのである。

中国の文化を取り入れた部分もあるが、ベトナム独自の誇り高い精神が存在する。

朝鮮国王は、中国の皇帝と臣従関係を結び、実質的には形式上だけだったが、中国皇帝が、朝鮮国王の任命権である叙任権を持っていた。明もその後の清も、韓国を属国として内政にまで干渉する権利を持っていたが、現実には、韓国の内政に容喙することはほとんどなかった。アジアにおいて中国の皇帝のみが、中国を中心とした中華秩序のもとで、皇帝という称号を用いることができた。朝鮮は国王であった。

確かに、中国は、そのように勝手に考えていたようであるが・・・
それは、あくまで、勝手な妄想である。
世界の中心・・・どのように考えても、自由である。

歴代の中国王朝は、対外関係を中国が世界の中心であって、中国皇帝が全世界を支配しているという中華思想に基づく世界観によって律していた。そこでは、外国と対等な国交はありえなかった。

この、中華思想というもの・・・
ここでは、多く触れないが、とてつもなく、極めて悪質な思想である。

勿論、日清戦争で、それが、明確に崩壊したが・・・
今も、中国は、中華思想に、縛られているようである。

日本人は、19世紀までの中国を中心としたアジアの実情について、驚くほど無知である。日本人は、まったく中国を理解していない。これは日本が歴史を通じて中国の政治、軍事的な影響下になく、完全に中国文化圏の外側にあったことを示している。

確かに、日本人の知識人たちは、完全に、中国を良く誤解していた。
中国に対する、憧れは、甚だしいものがあった。
知らないからだ。

実際、中国に渡り、中国を見聞した者たちが、ようやく、自分たちの誤解に気づいた。
考えていた中国とは、異質のものだったのだ。
論語や、中国の思想などの、教養から、中国を理想の国のように考えていた人たち。
ところが、中国には、論語の世界はおろか、道徳なるものも無い。

中国人は、嘘つき、ドロボーのような連中だった。
ここで言う中国人とは、漢民族のことを言う。

チベット、ウイグル、南モンゴルや、台湾の人たちのことではない。

朝鮮王朝は「帝」と「皇」のどちらも名乗ることができなかった。中国皇帝が使用する紫色は使えなかったし、皇帝の冠に類似したものをかぶることもできなかった。中国人使節がソウルに来るときには、使節は、中国皇帝の名代であったから、朝鮮国王よりも格が高かったので、国王は、王宮の外まで出て、恭しく迎えなければならなかった。中国皇帝は朝鮮国王に対して勅令を発し、朝鮮国王は、皇帝に対して定期的に報告書を出した。

李朝が国号の朝鮮を大韓に改めて、初めて内外に独立国家であることを宣布したのは、李成桂が李朝を建ててから五百年後の1897年のことである。これは、韓国の歴史で記念すべき日だ。このときの国王の高宗は、李成桂から数えて27代目であった。朝鮮国王は、はじめて大韓帝国皇帝を名乗ることができた。

それでは、朝鮮の千年属国の様子を俯瞰して見る。

史実を見れば、中国は前11世紀に始まる周の時代から、周辺の国と冊封関係を取っていた。つまり、朝鮮半島も、その例外ではない。

更に、中国との宗属関係が決定的になったのは、七世紀の統一新羅の時代である。
新羅は、唐の後押しで、三国を統一することが、出来た。
当然ながら、新羅は、属国として、唐に忠誠を誓った。

以後、半島の王朝交代などにより、多少の強弱はあるが、朝鮮は、中国歴代王朝の属国に甘んじ続けたのである。

面白いのは、この属国関係は、中華帝国が、一方的に強要したものばかりではない。
朝鮮が、権威権力を含めた政権確立と、政治安定のために、中華帝国による、冊封を必要とした。つまり、みずから進んで、属国になったのである。

千年属国の国は、ウソでも何でもない。事実である。

朝鮮歴代王朝の、尊中華主義は、大変な感覚だった。
事大主義そのものであり、属国願望が徹底してあった。
ときには、中華帝国が、迷惑に思うほど、その願望が強かったのである。

その一つの例を上げると、宋の時代、北方の契丹人や女真人に、脅かされて、莫大な貢物を契丹族の遼王朝と女真族の金王朝に、贈っていた。
国防のために、金で安全を買っていた。
そんな時でも、935年に新羅を亡ぼして、統一国家を建てた、高麗朝の朝貢使は、朝貢と冊封を要請したのである。

宋は、北方の強敵に誤解されまいかと、高麗の朝貢に、難色を示したほどである。

そして、李朝朝鮮の始祖である、李成桂は、1392年に、高麗朝の王位を簒奪し、国号を朝鮮と改めて、明王朝により、冊封された。

やがて、明が、満州人の清に亡ぼされる。
李朝朝鮮の朱子学者などは、明と清の抗争中も、変らず、明への忠誠を守り、清の討伐を企てた。
だが、清の八旗軍により、徹底的に蹂躙され、完全に清の属国になった李朝朝鮮は、今度は、何と、明に矛を向けて、明人を虐殺するという。

実に、呆れる民族である。
また、何とも、憐れである。



posted by 天山 at 06:09| 打倒・韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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