2015年07月20日

玉砕49

ある区間、私たちは山脚道を行軍した。その途中にあった小屋という小屋には、ほとんどといっていいほど被服をまとった白骨が側に水筒などをおいて横たわっていた。病気のせいで部隊と一緒に行動ができずに残った者が、そのまま死んでしまったものと思われた。それにしても作戦前の行軍で、患者の死体の収容もできぬようでは、この先いったいどんなことになってしまうのかと思いやられた。

こういう記述は、多々ある。
そして、この白骨化した兵士たちの、遺骨は、今は、どうなっているのか。
放置されたままである。
自然と化している。

帰還していない、兵士の遺骨は、120万柱といわれる。
敗戦後、それらの兵士の死を忘れて生きてきた、日本人である。
だが、そして、それらの兵士の霊位に守られて、日本は、豊かにあるという。
悲惨である。

私が第四十一師団司令部の一員として、ニューギニア中部北岸のアイタペに上陸した米軍を攻撃すべく、アイタペの東方を流れる通称坂東川から隔てること僅かに六キロの戦闘指令所に到着した時には、すでに私たちの所有している米は一升前後であった。しかも次ぎの補給はいつあるのか、また果たして補給があるのかどうかすらわからぬ状態だったのである。

そして、そこでの、総攻撃・・・
その様は、省略する。
何処の戦地でも、総攻撃があった。

日本軍が、バンザイ攻撃という、実に、愚かな攻撃態勢を取ったことを、付け加えておく。それは、ただ、死ぬために、敵の前に、踊り出すような攻撃である。

そして、もう一つは、斬り込み隊である。
それは、特攻に似る。
死ぬことを覚悟で、斬り込むのである。

やっと静まったと思ったら、一人おいて隣に寝ていた井上大尉が、間にいる関中尉に、
「おい、関中尉、やられた」
といい、うーんと唸る声が聞えた。冗談かなと思いながらもふと見ると大尉の背中に血がにじんでいる。これは大変と軍医を呼んだが、暗夜のジャングル内だし、地面がぬかっていて行動が思うにまかせない。井上大尉の当番兵も肩をやられている。
隣の下士官室では、端から寝ていた井上曹長が、うんともすんともいわずに即死していた。衛兵隊長中尉も肩をやられたらしく、腕を吊ってやってきた。経理部の方では腹部をやられた下士官が、苦しさのあまり一晩中「殺してくれ」と叫んでいる。よほど苦しかったと見えて、時どき「うわーっ」と猛獣のような声を張り上げている。
砲撃後の不気味な静けさ、暗夜である。聞えるのはこの下士官の断末魔の叫び声と、時どき苦しそうにうめく負傷者の声だけである。師団長の宿舎の柱も砲弾の破片で飛ばされて、その毛布の中からさえ砲弾の破片が出てきた。

こういう状況化で、兵士たちは、次第に、理性を失って行く。
更には、精神に異常をきたす者も出る。

そんな日々が、永遠に続くように思われてくるのだ。
耐えられないだろう。

いよいよ攻撃開始という日の数日前に、軍司令部が作戦指導のため私たちの戦闘指令所に姿を現した。世が世なれば自動車で乗りつけるところなのに、軍司令官といえども兵隊の軍靴に脚絆、それに尻当てをして杖をついての徒歩である。その際、私たち部付き将校にも土産として「ほまれ」を何本かずつ頂戴した。久しぶりの煙草であった。・・・

しかし、米軍の有様が、次第に変化する。
そこで、作戦変更が続く。
この頃になると、日本軍は、ただ米軍に翻弄されるようになるのだ。

「ポーン、ポーン、ポーン」
と軽い連続発射音が聞えたと思ったら、今度はいきなり、
「ぐわーんー」
と、なぐられたような気がしたと同時に指令所が一大修羅場と化してしまった。砲弾が指令所に命中したのだ。
一部の兵隊は、とても宿舎にいたたまれなかったのであろう。それかといって適当な退避場もなく、やむなく川の中に入って岸辺に身を寄せて小さくなっていた。それらの兵が大声で盛んに参謀長の当番の名を呼んでいるが、返事がない。どうも参謀長宿舎の付近がやられたらしいというので、真っ暗闇の中を軍医が飛んで行った。

暗闇の中で、兵士たちの死体が転がる有様。
これも、まだ序の口である。

戦闘指令所はその日のうちに山の手方面新予定地に向うことになっていたので、参謀長以下の遺品、遺骸の整理を私に命じてから、司令部は早朝に出発してしまった。私は遺骸の親指を参謀長の軍刀で切断して、遺骸を鄭重に埋葬し、遺品の軍刀や拳銃、時計等をその親指とともに持って戦闘指令所の後を追った。

指を斬り、埋葬する。
まだ余裕がある。

いよいよ渡河点まで来たので、荷物をおき、伝令と警戒兵二名を連れて渡河しようとしたら、上空を敵の観測機がのろのろと飛んで見張っているので、そのままそこで昼食を食べながらそれが飛び去るのを待った。やっと飛び去ったので急いで対岸に渡ったところ、そこには膨れあがって、うじ虫が一杯たかっている屍が数体悪臭を放って倒れていた。渡河するところを観測機に見つけられ砲弾でやられたものであろう。

そういう風景に、何の感情も湧かなくなるという、戦場である。
兵士の死体は、当たり前の光景になってゆく。

明らかに、戦況が不利でも、最初は、攻撃という大義があった。
しかし、そのうちに、退避、敗走という事態になってゆく。

その、退避、敗走が、ジャングルの中で、次第に、何処を何処へ向うのかも、分らなくなる。
ただ、敵の攻撃に、逃げ惑うだけの、兵隊になる。

戦争の状況を俯瞰することと、このような戦記を読むことと・・・
併せて行うことで、戦争の形相に近づこうとするが・・・

更に、その現場に佇む。
しかし、体験することは、出来ない。
それらをトータルにして、経験するしかない。

個人の戦記を読むと、玉砕、という言葉が、実に、虚しく響くのである。


posted by 天山 at 06:01| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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