2015年07月15日

玉砕46

何故、パラオ近海だったのか・・・

それは、油槽船不足からきていた。
給油のために、始終連行しなければならない油槽船の数が、足りなくなっていて、当時、水上部隊の行動範囲は、約1000浬に制限されていた。

従来の空母部隊である、第三艦隊を発展解消して編制された「第一機動艦隊」の待機地点は、フィリピン南西部の、タウイタウイ島だった。

ここから、1000浬というと、決戦海面は、最大限パラオ近海にならざるを得ない。
この時点で、すでに海軍としては、陸軍と呼応して、マリアナを固守するという、意思を放棄していたともいえるが、海軍としては、その伝統的戦術思想でもある、海上決戦を、今度は、パラオ近海に求めようとしていたのである。

さて、昭和18年8月15日、連合艦隊司令部は、益々顕著になってきた、連合軍の本格的反攻に対処する、第三段作戦を発令したが、その防衛ラインは、あくまで、中西部カロリン諸島、トラック諸島を根拠地とするものである。

その上で、南東方面は、ラバウルを中心とする、基地航空部隊で防備し、マーシャル方面は、機動部隊を中核にする、水上部隊で、適宜、米機動部隊の進攻を迎え撃つという、構想である。

大本営においては、ヨーロッパの戦況、つまり、イタリア降伏と、我が国を改めて、検討した結果、連合艦隊の言う、ラバウルを中心とする戦域および、マーシャル方面の維持を諦め、防御ラインを、マリアナ、カロリン、西ニューギニア、バンダ海の線に、縮小しようとした。

九月末、決定した、絶対国防圏である。

この、大本営の防御ラインの戦備が整うまで、連合艦隊は、極力、南東方面の敵をくい止めようとした。

矢張り、米軍は、北部ソロモンと、ダンピール海峡から、ラバウルに対する攻撃の輪を縮めてきた。

古賀連合艦隊長官は、大本営の言う、絶対国防圏の戦力整備に協力しようと、敵の輸送の遮断を企画する。

そのために、従来マーシャル方面の邀撃に備えていた、第一航空戦隊に所属する、空母機を基地に揚げ、南東方面の戦線に、投入しようとした。

これは、故山本五十六の「い」号作戦に倣ったもので、「ろ」号作戦と呼称された。

この連合艦隊の作戦命令に基づいて、第三艦隊司令長官小澤治三郎中将は、第一航空戦隊の、空母翔鶴、瑞鶴、瑞鳳所属の、二式艦偵六機、ゼロ戦82機、99式艦爆45機、97式艦攻40機、計173機、搭乗員728名を率いて、11月1日、トラックからラバウルに進出した。

その他の空母は、トラックに残る。

同日、古賀長官は、「ろ」号作戦に備えるために、第二艦隊長官栗田健男中将が指揮する、遊撃隊に対しても、ラバウルへの進出を命じた。

10月31日、早朝、ブーゲンヴィル島沖中西部の洋上に、敵輸送船の北上を発見する。
翌日、タナキロ付近に上陸してきたことが分った。
この新たな局面を重視した、古賀長官は、水上部隊まで動員して、敵の上陸作戦を阻止しようとする。

その後、一週間ほど、過激な空戦が展開されることになる。

敵上陸の第一日、延べ120機の攻撃隊が、ラバウル基地を飛び立ち、現場の上空に殺到したが、同日夜から、翌日2日の早朝にかけて、海上においても、戦闘が起こった。
これを、ブーゲンヴィル島沖海戦、という。

それは、第一次から、第三次まで続く。

さて、先に連合艦隊長官の命令を受けた、栗田第二艦隊長官は、11月3日、トラックを発し、5日、ラバウルに到着した。

ラバウルに到着した当日の午前、早くも、敵空母部隊の猛撃にさらされた。
ラバウル基地にあった、ゼロ戦70余機の反撃にも関わらず、五隻の巡洋艦、駆逐艦一隻が、傷つき、他部隊に属する、軽巡阿賀野、駆逐艦一隻も、被害を受けた。

更に、320名以上の戦死傷者が出た。

ラバウルにあった、南東方面艦隊司令官草鹿中将は、先任指揮官であったが、栗田艦隊の損害に驚き、トラックに引き揚げを命じた。

ラバウルも、敵の制空権が伸長しており、艦船を進出させることが、不可能になったのである。

結果的に、「ろ」号作戦発動以来、連日のように、航空機の消耗が続き、特に、11月11日の損害は、甚大であった。
10日間で、三分の一にも満たない数に激減する、損害である。

その上、飛行隊長、飛行分隊長クラスの戦死者が、12名にも達した。

この惨状を知り、古賀長官も、作戦の失敗を認めざるを得ない。
翌日、12日、「ろ」号作戦の終結を宣言したのである。

そして、ラバウルは、孤立した。

米軍は、二飛行場を完成し、堅固な橋頭堡を築いたのである。
11月いっぱいに、タロキナ湾に入った、米軍輸送船は、170隻、輸送物資50トン、陸軍一個師団、及び海兵一個師団と推定され、ラバウルの孤立化は、いよいよ鮮明になった。

「ろ」号作戦の実施は、他の戦局にも、大きな影響を与えた。
マーシャル方面における、水上部隊の兵力を、弱体化させた。
11月末の、米軍のギルバート諸島来襲に対しても、島上所在の各兵力と、一部潜水艦をもって、対抗する以下に、手がなく、善戦むなしく、同諸島の守備隊は、全滅した。
玉砕である。

南東方面に固執する「ろ」号作戦を含めた、この間の、大本営海軍部、連合艦隊の作戦指導は、搭乗員不足に拍車をかけ、陸軍兵力の、マリアナ方面に対する輸送配備を、いちじるしく遅らせるなどの、弊害を生み、後の「あ」号作戦に、大きな影響を与えたのである。

マリアナ沖海戦の前に、ニューギニア戦線を戦った兵士たちの、手記を紹介することにする。


posted by 天山 at 06:19| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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