2015年07月14日

玉砕45

トラックが、空襲と艦砲射撃にさらされたということは、中央にも、大きな衝撃を与えた。

その結果、2月21日、東條首相が陸相のまま参謀総長を兼任し、嶋田繁太郎海相もまた軍令部総長に、新補されるという前代未聞の人事が行われた。

そして、トラックを完璧なまで叩かれた、古賀連合艦隊長官は、今後、敵はマリアナ諸島に来ることを予想し、サイパンを中心に防衛する決心を固めた。
もうすでに、防衛戦なのである。

マーシャルを失い、トラックが潰滅され、太平洋における、防衛は、小笠原、マリアナ、カロリン諸島のラインのみ残され、古賀長官は、この線における、決戦を強調した。

この、依然として、連合艦隊が決戦思想を棄てることができないのは、兵力が底を突いてしまい、すでに後が無いからである。

大本営も、古賀長官の意見に同調し、サイパンを根拠地とする、中部太平洋艦隊の新設を計画する。
陸軍も、中部太平洋方面防備を担当する、第三十一群を編制した。

この間、前年七月以来、決戦用の兵力として、編制、内地において、訓練を続けていた角田中将の、第一航空艦隊に対して、古賀長官は、マリアナ進出を命じた。
角田は、サイパンの隣の島、テニアン島に飛んだ。

ところが、着いた翌日の、22日、米空母部隊が、マリアナに接近との報が入る。
角田中将は、すぐさま対応し、兵力不足の上、夜間であるにも関わらず、未明攻撃を命じた。

結果、それは、失敗である。
搭乗員と航空機を、一夜にして、94機も、失うことになった。

そして、翌日、述べ約350機をもって、大挙した米機は、疾風のように、テニアンをはじめ、マリアナの各基地を襲撃したのである。

2月25日、古賀長官は、旗艦武蔵に乗り、パラオに移り、次期作戦に備えようとした。

しかし、3月28日、偵察機が、ニューギニアのウエワク北方250浬の洋上を、西進中の敵機動部隊を発見した。

同時に、大本営海軍部から、
アドミラルティ諸島北方に、大輸送船団あり、
との、情報が与えられる。

パラオに対する、襲撃を予感した古賀長官は、29日、主力部隊の泊地からの退避を命じた。はたして、30,31日、パラオは、敵機に襲われ、駆逐艦14隻、船舶15隻が、撃沈された。

古賀長官は、その直後、フィリピン、ミンダナオ島に移ることを決心する。
そこで、サイパンから、二式大型飛行艇三機が、呼び寄せられたが、一機が遅れたため、二機に、古賀長官および幕僚14名が、分乗して、3月31日夜パラオを飛び立った。

ところが、到着予定時刻の午前零時半を過ぎても、二機は、ダバオに現れなかった。

小型と予想された低気圧は、意外に大きく、古賀長官は、雷雲の巻き込まれて、暗夜の海に墜落し、そのまま、沈んだという。
その後の、捜索でも、機体の一片すら発見できなかった。

二番機の、参謀長以下を乗せたものは、低気圧を迂回して、セブ島東海岸の沖合いに、不時着した。

古賀長官の、死は、日本海軍の前途に、不吉な暗雲を投げかけた。

大本営も、連合艦隊も、さしあたり、マリアナ方面における決戦方針を、踏襲するしか、策はなかった。

米軍のマリアナ諸島上陸作戦は、3月11日、インパール作戦が実施される、四日前に、決定した。
当初の計画では、マリアナ上陸は、10月に予定されていた。
約四ヶ月も、短縮されたわけだが、その理由の一つは、先のマーシャル攻略、ヤルート、マリアナ等に対する、空襲の結果、日本軍の基地航空部隊の戦力が、意外に弱いことが分ったからである。

そして、もう一つは、B29長距離爆撃機の実用化である。
ここで、有名なB29が登場する。

マリアナ攻略作戦は、こうして決定し、サイパン上陸予定日に、そのB29をもって、いったん、中国基地を経由させ、日本本土、九州を空襲する計画が立てられた。

日本側からすれば、米側の四ヶ月近い攻勢の短縮が、致命傷となったのである。

日本軍は、マーシャル諸島を手中にした米軍が、次ぎにマリアナを狙うということは、予測しないではなかった。
予測はしていたが、大本営海軍部において、今すぐの来攻はないだろうと、見ていた。

敵の主反抗線をニューギニアから、フィリピンの線だと、判断していた。また、サイパン島の、防御に自信を持っていたためだといわれる。

しかし、大本営には、確信がなかった。その裏づけも。
その大きな原因は、メンバーのうち、誰一人として、現場を確認した者が、いなかったのである。

現場を知らぬ者の、戯言。
そういうことは、多々ある。

何処のかの情報を鵜呑みにして、人に情報を与えるという、馬鹿者がいる。
追悼慰霊に出掛ける私は、現地に行く。
現地でなければ、分らないことが、多々ある。

また、支援活動に関しても、現地に出掛けなければ、分らないこと、多々ある。
情報通など、信用しない。

この眼で見る。
それが、最も大切で、確実である。

だから、大本営も、後半になると、机上の空論が多くなるのだ。

5月3日、新連合艦隊長官に、豊田大将が新補されると、大本営海軍部は、「あ」号作戦計画を、指示した。
その内容は、
我が決戦兵力の大部を集中して敵の主反攻正面に備え、一挙に敵艦隊を撃滅して敵の反攻企画を挫折
させるというもの。

海軍は、米機動部隊に対し、水上部隊による決戦を挑むことで、マリアナ防衛の務めを果たそうとしたのである。
それが、パラオ近海である。


posted by 天山 at 05:38| 玉砕2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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