2015年07月13日

打倒・韓国5

朴氏の、醜い韓国人から、引き続き続ける。

私たちの村は、李朝時代にはいつも水害で悩まされていた。そこで農作が思うよにできなかった水田地域を「ペベーミ」(船が浮かぶような水田)と呼んでいた。しかし、1911年明治14年、川に堤防が築かれたために、水害から逃れることができた。それからは「ペベーーミ」という悪名のあった水田が一等級の水田に変わって、多収穫地として生まれ変わった。この話しは、私の父がしてくれた話である。

つまり、日本の統治により、灌漑設備を整えたのである。

日本統治時代になってから、村の人々はまともな生活を営むことができるようになったのだった。私の村では、独立運動系の人々を除けば、ほとんどの村民が日本人を尊敬していたし、敬愛していたといってよかった。村の人々のあいだで「イルポンサラムン・キョンウカバツダ」(日本人は、事理に明るい「すべて正しい」)という言葉がよく交わされた。

戦後、韓国が独立を回復してから民族主義教育が行われるようになった。韓国では、日本人を指して「チョッパリ」(日本人の蔑称)とか、「オランケ」(侵略者)という言葉が使われるようになったが、日本統治時代には、私の村の人々だけではなく、韓国人の間で、広く日常会話のなかで日本人を話題にするときには、ただ「日本人」(イルポンサラム)と呼んだ。日本語がよくできる韓国人ほど、日本人のよさを理解していたと思う。

上記で、注目すべきは、日本統治時代になってから、村の人々の生活が、まともなものになった、というところだ。
それ以前は、まともではなかったのである。

そして、独立を回復してから、日本人に対して、蔑称が使われるようになった。
つまり、そういう人が、韓国人なのである。
その独立といっても、努力して得たものではない。

農業一つを例に上げても・・・
日本統治時代が、いかに優れていたかである。
その、恩義さえも、感じなくなるという、朝鮮人である。

今も、朝鮮民族は世界一の優秀な民族である。
世界の文明は、韓国から始まった。
という、実に、馬鹿げた話しをしている。

日本も海外から、刺激を受け続けているが・・・
韓国のように、自惚れることはない。

敗戦後に、軍部の洗脳であった、大和魂、日本民族は、云々という話し。
昭和天皇は、あっさりと、仰せられた。
どの民族が優れているというのではない。すべての民族が大切なのである。

国の元首が、すべての民族が大切なのである、と仰せられる国民の一人として、本当に幸せである。

我が民族が一番優れていると、言いつつ、世界から大にして、孤立している国が、韓国である。

東南アジアに出掛けると、その尊大で、傲慢な態度が、嫌われているとは、知らないようである。

何せ、フィリピンでは、女性たちに、ゲイの男性にもか・・・韓国人男性に対して、厳戒令を出したほどである。
更に、カンボジアでは、韓国人男性との結婚を、法律で禁止した。

ベトナムでは、韓国軍の指導による、慰安所、慰安婦の強制と、虐殺の様を記念館にして、保存する。

日本統治は、植民地支配ではない。
拓殖であり、与える併合であった。

欧米の植民地支配とは、全く意味が違う。
その証拠は、台湾でも、パラオでも、チューク諸島でも・・・
戦地とした、パプアニューギニアの各地域でも、日本は、感謝されている。

自慢するが・・・
私は、最も危険な街である、パプアニューギニアの首都、ポートモレスビーで、支援活動を、最も危険な場所で行った。

決して、やっては駄目ですと、言われた。
強奪されるから、赤十字に渡すことと、言われた。
が、
日の丸を掲げて、その場所に行くと、大歓迎であり、男達が、手伝うという状態だった。

更に、日の丸が欲しいと言う人もいた。

その時、中国人排斥運動の最中だった。
中国人と間違えられないように・・・とのアドバイスを貰ったが・・・
着物姿である。

入国審査の列は、中国人入国で、揉めて、進まない。
すると、向こうから、私を呼ぶ人がいる。
審査官を素通りしても、何もいわれない。
そして、パスポートを見る事もなく、スタンプを押して、オッケーと言われた。

日本のパスポートの信頼なのか、私の着物姿なのか・・・
本当に、驚いた。

更に、ラバウルでは、建国30年の壁画に、日の丸である。
オーストラリア人が、観光客で来るのか、オーストラリアの国旗も、申し訳程度に描いていたが。

そして、彼らは、兎に角、私の傍に来て話をする。
日本は、いつも与えてくれる。
白人たちは、いつも奪いに来る、とのこと。

衣類支援の場所を探していると、一人の婦人が、すぐに声を掛けて来た。
事情を話すと、病院には、貧しい人たちが沢山居ると教えてくれ、更に、バスを止めて、私たちを、病院前までと乗せてくれた。

バスも、本当に病院の前に止めてくれたのである。
驚いた。

支援の後も、男性が追いかけて、子どものために差し上げた、テーシャツを出して、私のサインを求めた。
今度は、いつ来てくれますか・・・
との、問いに、すぐに、と答えたが・・・
未だに、行けないで、いる。





posted by 天山 at 06:33| 打倒・韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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