2015年06月23日

もののあわれについて757

十二月になりにけり。十余日とさだめて、舞どもならし、殿の内ゆすりてののしる。二条の院の上は、まだ渡り給はざりけるを、この試楽によりぞ、えしづめはてで渡り給へる。女御の君も里におはします。このたびの御子は、また男にてなむおはしましける。すぎすぎいとをかしげにておはするを、明け暮れもてあそび奉り給ふになむ、過ぐる齢のしるし、うれしく思されける。試楽に、右大臣殿の北の方も渡り給へり。大将の君、うしとらの町にて、まづうちうちに調楽のやうに、明け暮れ遊びならし給ひければ、かの御方は、御まへのものは見給はず。




十二月になった。十何日と決めて、数々の舞を、練習し、御殿中が、ゆらぐほどの大騒ぎである。
二条の院、紫の上は、まだ六条の院にお越しになっていないが、この試楽を御覧になりたくて、我慢出来ずに、お越しになった。女御の君も、里に下がっていらしゃる。今度の御子も、また男であられた。次々と、まことに可愛らしくていらっしゃるから、一日中、御子の相手をしていらっしゃる。長生きしたお陰と、嬉しく思うのである。
試楽には、右大臣の北の方も、お越しになった。大将の君、夕霧は、丑寅の町で、先に内々に、調楽のように、朝晩と音楽の練習をされていたので、花散里の御方は、御前での試楽は、御覧にならないのである。




衛門の督を、かかる事の折りもまじらはせざらむは、意図はえなくさうざうしかるべきうちに、人あやしとかたぶきぬべき事なれば、参り給ふべきよしありけるを、重くわづらふよし申して参らず。さるは、そこはかと苦しげなる病にもあらざるなるを、思ふ心のあるにやと、心苦しく思して、とりわきて御せうそこつかはす。父大臣も「などかかへさひ申されける。ひがひがしきやうに、院にも聞しめさむを、おどろおどろしき病にもあらず、助けて参り給へ」とそそのかし給ふに、かく重ねて宣へれば、苦しと思ふ思ふ参りぬ。




衛門の督、柏木も、こういう機会にも呼ばないというのは、引き立たず、物足りない感じがする。皆が、変だと首をかしげるだろうと、参上するように、お呼びであったが、重病であるとのことで、伺わない。実は、どこが、どう苦しいという、病気ではないようだが、来ないということは、悩んでいるのであろうかと、気になり、特別にお手紙を、差し上げた。父大臣も、どうして、ご辞退申されたのか。すねっているように、院も思うだろう。大した病気でもないのだから、無理をしてでも、伺いなさい。と、お勧めするが、このように、重ねてお手紙が来たので、嫌だと思いつつも、参上した。




まだ上達部なども集ひ給はぬほどなりけり。例のけぢかき御簾の内に入れ給ひて、母屋の御簾おろしておはします。げにいといたくやせやせに青みて、例もほこりかに花やぎたる方は弟の君達にはもてけたれて、いと用意ありがほにしづめたるさまぞことなるを、いとどしづめて候ひ給ふさま、などかは御子たちの恩かたはらにさしならべたらむに、さらにとがあるまじきを、ただ事のさまの、たれもたれもいと思ひやりなきこそ、いと罪ゆるしがたけれ、など御目とまれど、さりげなくいとなつかしく、源氏「その子ととなくて、対面もいと久しくなりにけり。月ごろは、いろいろの病者を見たつかひ、心のいとまなきほどに、院の御賀のため、ここにもしの給ふ御子の、法事つかうまつり給ふべくありしをつぎつぎとどこほる事しげくて、かく年もせめつれば、え思ひのごとくしあへで、かたのごとくなむ、いもひの童のかず多くなりにけるを、御覧ぜさせむとて、舞などならはしはじめし。その事をだにはたさむとて、拍子ととのへむこと、また誰にかはと思ひめぐらしかねてなむ、月ごろとぶらひものし給はぬ恨みも捨ててける」と、宣ふ御けしきのうらなきやうなるものから、いといと恥づかしきに、顔の色たがふらむと覚えて、御答もとみにえ聞えず。




まだ、上達部なども、集まらない頃だった。
いつもの通り、お傍近くの中に入り、源氏は、母屋の御簾を下げておいであそばす。話しに聞いている通り、すっかり痩せてしまい、顔色が悪く、いつも元気で、明るいことでは、弟の君達には、負かされて、特にたしなみが深い様子で、落ち着いたところが、他の人と違うのだが、いつもより、静かに座っている姿。どうして、皇女方のお傍にいて、いっこうに、差し支えがあろうか。
だが、この事情が、どちらも、本当に考えがない点、罪は許せないのだ。などと、お目が離せないが、そういう気持ちは見せず、源氏は、用事もなくて、逢うことも、久しぶりになった。この何ヶ月、あちこちの病人を介抱し、余裕のない内に、院の御賀のため、ここにいらっしゃる皇女が、御法事をして、差し上げる予定だったが、次々と、支障が出て、こんな年も暮れ近くになったので、思う通りには、出来なくて、ほんの形ばかりの、御精進料理を差し上げるのだが、御賀などというと、大袈裟なようだが、我が家に成長した、子供たちが大勢になったので、それをお目にかけようというつもりで、舞なども、習わせ始めた。その事だけでも、いたそうと思い、さて拍子を整えるのは、あなた以外には、いくら考えても思いつかないので、幾月も顔を見せてくれなかった、恨めしさも、忘れることだがないのだ。と、おっしゃる様子は、そのまま、信じてよさそうだが、恥ずかしくて、たまらず、顔の色が変わっているだろうと、思われ、ご返事も、すぐには、申し上げられない。




柏木「月ごろかたがたに思し悩む御こと、うけたまはり嘆き侍りながら、春の頃ほひより、例もわづらひ侍るみだり脚病といふもの、ところせく起こりわづらひ侍りて、はかばかしく踏み立つる事も侍らず。月ごろに添へてしづみ侍りてなむ、内などにも参らず、世の中あとたえたるやうにてこもり侍る。「院の御よはひ足り給ふ年なり、人よりさだかにかぞへ奉り仕うまつるべき」よし、致仕の大臣思ひおよび申されしを、「冠をかけ、車をしまず捨ててし身にて、進み仕うまつらむに、つく所なし。げに下ろうなりとも、同じごと深き所はべらむ。その心御覧ぜられよ」と、もよほし申さるることの侍りしかば、重き病ひをあひ助けてなむ、参りてはべし。




柏木は、この幾月も、あちらの方こちらの方と、心配でいらっしゃる事を、伺いまして、お案じておりましたが、春の頃から、いつも煩います、脚気というものが、酷くおこり、苦しみまして、歩くことも出来ずにおりました。月がたつにつれ、床につきまして、御所などに、参上せず、世間に顔出ししないことで、籠もっております。「院の御年が、五十におなりあそばす年である。誰よりも、しっかりと、お祝いいたすべきである」と、大臣が考えて、申されましたが、「冠をかけ、車を惜しまず捨てて、退官した身であるのに、自分の方から出て行って、賀をさせていただいては、つく席がない。まことに、お前は、下郎ではあるが、同じように、院を思う心は、深いだろう。その心を、お目にかけよ」と催促されることがございましたので、重い病を鞭打って、伺いました。




今はいよいよいとかすかなるさまに思しすまして、いかめしき御よそひを待ちうけ奉り給はむこと、願はしくも思すまじく見奉り侍りしを、事どもをばそがせ給ひて、静かなる御ものがたりの、深き御願ひかなはせ給はむなむ、まさりて侍るべき」と申し給へば、いかめしく聞きし御賀の事を、女二の宮の御かたざまには言ひなさぬも、らうありと思す。




この頃は、益々、質素に俗世間の事は、お考えにならずお過ごしでいらっしゃいます。堂々とした、行列をお待ち受けにされますのは、お望みではないと、お見受けしました。諸事簡略にあそばして、静かなお話し合いを、心からお望みなのを、叶えて差し上げることが、よろしいと、申されるので、堂々とした事であったと、聞く御賀を、女二の宮の事とは、言わないのは、心得があると、思うのである。

女二の宮が、行なったことを、自慢して言わない柏木に、源氏が、控えめだと、思っている。



posted by 天山 at 06:17| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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