2015年06月17日

玉砕39

昭和18年、1943年、3月上旬におきた、ダンピールの悲劇は、南太平洋方面の戦況の深刻さを、改めて浮き彫りにした。
更に、陸海軍の確執が、表面化したのである。

ダンピールとは、ラバウルのある、ニューブリテン島と、東部ニューギニアの間にある、海峡である。

3月3日、快晴の朝である。
夜明け頃から、敵哨戒機が執拗に、接触していたが、クレチン岬の南東14浬の地点を通過する、午前8時、P38戦闘機30機、B17ほか、のべ約100機と、別に、P38ほか計30機の二群が、船団に群がり、襲ってきた。

この日、ゼロ戦が、上空直衛に任じていたが、敵機は、低空から爆弾投下をもって攻撃してきた。ゼロ戦は、すぐに、対応できなかった。

この敵の爆弾投下法は、のちに日本軍が、反跳爆撃、と呼ぶ作戦だった。

各輸送船は、初弾を受けた後、火を放つ。
全船が、炎上を始めた。

輸送船は、一隻がすぐに沈んだ。それが、各輸送船に渡り、沈没することになる。

すぐさま、駆逐艦は、遭難人員の救助に当る。
また、ニューギニアの、ラエに先行していた、中野第五十一師団も、救助に向う。

この救助作業は、3月9日まで、続けられた。
漂流者は、キリウィナ、グッドイナフ島方面に、一部は、ニューブリテン島スルミ付近、また、ブナ、マンバレー付近に漂着した者が多かった。
中でも、グッドイナフ島に流れ着いた者の多くは、連合軍の俘虜となった。

4日夕までに判明した、人員の損害は、全乗船人員6912名、ラエに上陸した815名、行方不明3500名と報告された。

更に、第五十一師団の人員喪失は、約2000名であり、物的損害は、搭載品目のすべてである。

これは、八十一号作戦とも呼ばれ、ニューギニアのラエ、サラモアの戦力増強の企画にあった。
だが、結果は、1000名足らずの、丸腰の人員を、ラエに送りつけたに過ぎないことになった。

これも、玉砕である。

この、ダンピール海峡における壊滅は、ラバウルの陸海軍ばかりではなく、中央にも、大きな衝撃を与えた。
その上で、以前からあった、陸海軍の確執を表面化させたのである。

陸軍の中央は、太平洋戦線は、あくまでも、海軍の担当であり、ニューギニアに南海支隊をはじめとする兵力を送ったのは、ガ島に対する派兵も同じだが、海軍から頼まれたと、考えていた。

陸軍は、ソ連と睨み合わせた、中国大陸における作戦が、自分たちの分担戦域であり、かつ、西アジアから、インドを打通して、ドイツと提携するという、作戦であった。
今にすれば、空想である。

海軍の方は、中国戦線、西アジア打通などは、一考もすることがなかった。

海軍は、トラック諸島を拠点として、ニューギニア、ビスマルク、ソロモン、ギルバート、マーシャル諸島を経て、ウェーク、南鳥島に至る、大環状ラインを前進基地として、確保し、このラインで敵の攻撃を食い止めることを、太平洋戦線における、根本方針としていた。

今、問題になっているのは、ソロモン方面は、この大環状の一部として、重要なのである。

ニューギニア、ビスマルク方面は、陸軍にやってもらうという、腹づもりである。

対米決戦構想は、日本海軍が、開戦前から抱いていたものである。
このラインで、米海軍に対抗する以外にないのである。
戦況が不利になったということで、それを簡単に覆すことは、出来ない。

昭和18年、4月上旬に実施された、山本五十六連合艦隊司令長官の、「い」号作戦も、それに則ったものである。
つまり、大本営海軍部の意向にそった、航空機壊滅戦である。

だが、それらは、航空戦の発想のない時期に、立案された戦略構想である。
そして、この頃になると、海軍統帥部も、艦隊決戦は、有り得ないと考えるようになる。

更に、ダンピール海峡における、全滅により、陸軍統帥部は、航空機こそ、今次戦争の主役だという、認識が出て来た。

つまり、制空権という、テーマである。
いかに、制空権を奪取するのか、である。

ダンピール海峡の全滅の衝撃は、損害を受けた、陸軍が当事者である。
第八方面軍の、幕僚の中には、ニューギニア戦線からの撤退を口に出して言う者もいた。勿論、その声は、中央に届くことは無い。

また、陸軍統帥部としても、海軍の同調が無い限り、単独で、一線の兵力を動かすことは、出来ないのである。

また、協力を得たとしても、輸送に使用する船舶が不足していた。また、動けば、ダンピールの二の舞になることも、多分にある。

太平洋の一線に散らばる、ゆうに20万を超える方面軍の兵力を、多方面に移動させるという話しは、夢になったのである。

昭和18年3月22日、第三段作戦を明示した、新たな「南東方面作戦陸海軍中央協定」が策定された。

その要旨は、中央、現地ともに一体となり、ニューギニア方面に主作戦を指導する、というものである。

これで、ニューギニア戦線の、玉砕が決まった。
これも、悲劇のニューギニア戦の、幕開けである。

何と、無謀なことを・・・
それを思うのは、今、現在だからである。
当時は、進む以外になかった。




posted by 天山 at 05:34| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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