2015年06月05日

もののあわれについて750

おとどは、この文のなほあやしく思さるれば、人見ぬ方にて、うち返しつつ見給ふ。「候ふ人々の中に、かの中納言の手に似たる手して書きたるか」とまで思しよれど、言葉づかひきらきらと、まがふべくもあらぬ事どもあり。年をへて思ひわたりける事の、たまさかにほいかなひて、心やすからぬ筋を書きつくしたる言葉、いと見所ありてあはれなれど、「いとかくさやかには書くべしや。あたら人の、文をこそ思ひやりなく書きけれ。落ち散ることもこそと思ひしかば、昔かやうにこまかなるべき折節にも、ことそぎつつこそ書き紛らはししか。人の深き用意は難きわざなりけり」と、かの人の心をさへ見おとし給ひつ。




源氏は、この手紙が、どうしても、変に思われるので、人の目に触れないところで、何度も何度も、御覧になる。
お仕えしている女房達の誰かが、あの中納言の筆跡に似ている筆で書いたのかと、まで考えても、御覧になるが、言葉遣いは、はっきりと、ごまかしようがない証拠が、幾つもある。長い間、思い続けてきたことが、偶然、思い通りになり、それから後は、心配で、たまらないという風なことを、書き尽くしている言葉は、大変に見所があり、感心するが、こんなにも、はっきりと、書くことが、あるものか。惜しい男が、手紙に相手を困らすような書き振りをしたものだ。落として、人の目に触れることがあっては、と思うのだから、昔、このように、細々と書きたいときでも、簡単に、分らぬように書いたものだ。用心深さというのは、難しいことだ。と、あの男の心まで、軽蔑されるのだった。




「さても、この人をばいかがもてなし聞ゆべき。めづらしきさまの御ここちも、かかる事の紛れにてなりけり。いであな心うや。かく、人づてならず憂きことを知る知る、ありしながら見奉らむよ」と、わが御心ながらもえ思ひ直すまじくおぼゆるを、「なほざりのすさびと、はじめより心をとどめぬ人だに、またことざまの心わくらむと思ふは、心づきなく思ひへだてらるるを、ましてこれは。さまことに、おほけなき人の心にもありけるかな。帝の御めをもあやまつたぐひ、昔もありけれど、それは又いふかたことなり。宮仕へといひて、われも人も同じ君になれつかうまつる程に、おのづから、さるべき方につけても、心をかはしそめ、物の紛れ多かりぬべきわざなり。女御更衣といへど、とある筋かかる方につけて、かたほなる人もあり。心ばせ必ず重からぬうちまじりて、思はずなる事もあれど、おぼろけのさだかなるあやまち見えぬ程は、さてもまじらふやうもあらむに、ふとしもあらはならぬ紛れありぬべし。かくばかり、またなきさまにもてなし聞えて、うちうちの心ざしひく方よりも、いつくしくかたじけなきものに思ひはぐくまむ人をおきて、かかる事はさらにたぐひあらじ」と、つまはじきせられ給ふ。




源氏は、それにしても、この宮を、どのようにしたらよいのか。普通でないお体も、こういうことの、結果だったのだ。何と嫌な話しか。人伝ではなく、嫌な話しを知りながら、今まで通り、お世話をする気になろうか。と、我が心ではあるが、どうしても、元の気持ちに戻すことが出来そうになく、思うが、いい加減な遊びとして、初めから熱心ではない女さえ、別の男に、心を向けているようだと思うときは、嫌な気になり、離れてしまうものだ。それどころか、この宮は、特別な方だ。何と大それた、柏木の考えだろうか。帝の妃を犯した例は、昔もあったが、それはまた、事情が違う。宮仕えといっても、自分も相手も、同じ君に、お仕えしている間に、いつの間にか、勤め向きのことで、好意を持つようになり、その結果、過ちも多くなることもある。女御更衣といっても、何か一つの点について、欠点のある人もいる。性分が、慎重ではない人も中にはいて、思いもかけないこともあるが、並々ではなく、はっきりした間違いが分らない間は、そのままで、付き合ってゆくことも出来るので、すぐには分らない間違いも、起こるだろう。こんなにまで、大事にして差し上げて、本当に愛している、紫の上よりも、立派な勿体無いものとして、大事にしている自分をおいて、こんな事をするのは、全く例がないこと。と、つい、非難してしまうのである。




「帝と聞ゆれど、ただすなほに、おほやけざまの心ばーばかりにて、宮づかへのほどもものすさまじきに、心ざは深きわたくしのねぎごとになびき、おのがじしあはれを尽くし、見過ぐしがたき折のいらへをも言ひそめ、じねんに心かよひそむらむ中らひは、同じけしからぬすぢなれど、よる方ありや。わが身ながらも、さばかりの人に心わけ給ふべくはおぼえぬものを」と、いと心づきなけれど、また「気色に出だすべき事にもあらず」など思し乱るるにつけて、「故院のうへも、かく御心には知ろしめしてや、知らず顔をつくらせ給ひけむ。思へばその世の事こそは、いとおそろしくあるまじきあやまちなりけれ」と近きためしを思すにぞ、恋の山路はえもどくまじき御心まじりける。




源氏は、帝と申し上げても、ただ真っ直ぐ、お勤めだという気持ちだけでは、お仕えしている間も、面白くない。そんな時に、真心のこもる、個人的な願いの文句に引かれて、それぞれに、愛情を傾け尽くし、黙っていられぬ時の、返事も言い始めて、いつしか、心が通じるという仲ならば、同じ非常識の極みであるが、理由はある。我が事ながら、あれくらいの男に、愛を分けてよいとは、思われないが、と、甚だ不愉快であるが、といって、顔色に、出すべきではない、などと、煩悶される。それにしても、亡き上皇様も、このように内心では、ご存知で、知らない風を装っていらしたのかもしれない。考えると、あの事こそは、本当に恐ろしく、あってはならない、間違いだった。と、身近な例を、思うと、恋の山路は、非難できないという、気も、ないではない。




つれなしづくり給へど、もの思し乱るるさまのしるければ、女君、消え残りたるいとほしみに、渡り給ひて、人やりならず心苦しう、思ひやり聞え給ふにや、と思して、紫「ここちはよろしくなりにて侍るを、かの宮の悩ましげにおはすらむに、とく渡り給ひにしこそいとほしけれ」と聞え給へば、源氏「さかし。例ならず見え給ひしかど、ことなるここちにもおはせねば、おのづから心のどかに思ひてなむ、内よりはたびたび御使ひありけり。上もかく思したるなるべし。少しおろかになどもあらむは、こなたかなた思さむことの、いとほしきぞや」とて、うめき給へば、紫「内の聞しめさむよりも、みづから恨めしと思ひ聞え給はむこそ、心苦しからめ。われは思しとがめずとも、よからぬさまに聞えなす人々、必ずあらむと思へば、いと苦しくなむ」など宣へば、源氏「げに、あながちに思ふ人の為には、わづらはしきよすがなけれど、よろづにたどり深きこと、とやかくやと、おほよそ人の思はむ心さへ思ひめぐらさるるを、これはただ、国王の御心やおき給はむとばかりをはばからむは、浅きここちぞしける」と、ほほえみて宣ひ紛らはす。




源氏が、平気なふりをしているが、悩みの様子が明らかなので、女君、紫の上は、余命が長くないと、可愛そうに思い、こちらにお帰りになり、紫の上は、そうされたことで、気がとがめ、宮様を、お気の毒に思っているのではないかと、気分は、だいぶ良くなりました。あちらの宮様が、お加減が悪くてしらっしゃる様子で。すぐに、お帰り下さってください。お気の毒です。と、申し上げるので、源氏は、それなんですよ。普通のお体ではないようですが、ご気分が悪いという様子でもなく、自然に急がない気になって。御所からも、お使者がありました。今日も、お手紙があったとか。院が、特別重くお願いされたので、主上も、こんなに大事にされるのでしょう。少しでも、疎かにすれば、お二方の思し召しが、気になります。と、溜息をつく。
紫の上は、御所の思し召しよりも、宮様ご自身が、恨めしいと思うことのほうが、お気の毒です。ご自分は、悪く思わずとも、あしざまに申し上げる人々がいるでしょうと、思うと、辛く思います。などと、おっしゃるので、源氏は、なるほど、大事に思う人にとっては、やっかいに思う親戚など、ありはしないことで、何やかにやと、詮索することで、ああだ、こうだと、そこいらの女房の考えることまで、推測するが、私は、ただ、国王が、ご機嫌を損ねぬことだけを、気にしているようでは、愛情が、浅いわけですね。と、微笑んで、言い紛らわす。




渡り給はむことは、源氏「もろともに帰りてを、心のどかにあらむ」とのみ聞え給ふを、紫「ここにはしばし心安くて侍らむ。まづ渡り給ひて、人の御心もなぐさみなむほどにを」と、聞えかはし給ふほどに、日ごろへぬ。




あちらにお越しになることについては、源氏は、一緒に帰ってから、ゆっくり行こう、と、おっしゃっばかりなので、紫の上は、私は、もう暫く、気楽にしております。先にお越しになって、あちらの、お心の晴れた頃に、私も、と、話し合いしているうちに、何日かを経た。







posted by 天山 at 05:56| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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