2015年06月03日

玉砕34

昭和17年、1942年、九月半ば、川口少将率いる、川口支隊の総攻撃が失敗に終わると、大本営陸軍部も、ようやくガダルカナル島の戦局が、容易ではないと気づく。

そして、第二師団を投入し、昭和17年、10月半ばに、第二回の総攻撃を実施することを、決めた。

その師団の兵力の輸送方法は、それまでの、駆逐艦による手段ではなく、安全度は高くても、積載量の面で、問題があった。
何度も往復しなければならず、総攻撃の予定日に、間に合わないのである。

重火器などの輸送も、駆逐艦では無理である。
危険を承知で、一挙多量に運べる、船団輸送という手段を選ぶしかない。

陸軍は、このラバウルからガダルカナル間の、海上護衛につき、連合艦隊に要請し、山本長官も、それを了承した。

輸送船団のガ島突入は、敵航空機の制圧を必要とした。
山本長官は、独自の判断で、かねてから懸念していた、艦隊によるガ島飛行場砲撃を実施しようとしていた。

それは、艦隊によって、ガ島飛行場を、直接砲撃するという海軍の作戦は、師団単位の兵力をもってする、陸軍の総攻撃によって、飛行場の奪還がなるか、ならぬかという時にあり、止むに止まれぬ案出された作戦である。

さて、ガ島飛行場砲撃の任務をおびた、第六戦隊の重巡青葉、古鷹、衣笠が、護衛艦吹雪、初雪を連れて、ショートランドを出発したのは、10月11日の正午である。

第六戦隊司令部は、敵機の跳梁がやむ、日没時を狙い、ガ島の200浬付近に到着し、サヴォ島の南方から、水道に進入し、所定の射撃地にいたり、一航過をもって、砲撃を実施し、再び、サヴォ島南方を経て、日の出頃には、ガ島から150浬圏外に離脱するという、計画を立てた。

第六戦隊が、射撃地点に達したとき、陸軍の協力で、ガ島上に灯火が点滅することになっていた。
艦上から、向って右に見える灯火が味方の最前線であり、艦までの距離を結ぶと、目標である飛行場の距離に等しくなる。
その灯火の位置より、左に直線を引いて、飛行場の所在を知り、そこに、三隻の主砲から、射出された瞬間信管装置の特殊弾が、暗夜を衝いて、集中されることになっていた。

問題は、彼らに、敵情の情報が何もないことだった。
夜に入ると、スコールである。

ただ、ガ島は、天候は晴れ、視界良好、である。
目の前の悪天候にかまわず、高速のまま突入しようとした。

ところが、青葉の見張り役が、敵を発見。
総員を配置につけ、戦闘状態に入ろうと、右回頭しようとした時、闇の向こうから、閃光と共に、砲弾が飛んできた。

その間、青葉は、所在を明らかにして、「ワレ、青葉」の発光信号を送り続けていた。
敵の初弾は、不発だったが、艦橋の正面に突入したため、五藤司令官以下司令部職員の大部分が、死傷した。

五藤少将は、両脚を太ももの付け根からもぎ取られ、瀕死の重傷を負った。

先頭を切って進んでいた青葉は、先制攻撃を受けて、当初は、なすところを知らなかった様子である。

初弾命中の約7分後、青葉は、煙幕を張って、早くも現場からの離脱を図っている。

だが、敵襲撃時、青葉の後方約1500メートルを続行していた、二番艦古鷹は、突然頭上に照明弾を発見して、驚いた。
艦長荒木大佐は、このままでは不利と判断。
取舵と下命、ついで戦闘魚雷戦、右砲戦を命じた。

ところが、敵弾が次々に命中して、魚雷発射管に被弾し、これが誘爆大火につながる。

火焔を背負いつつ、敵艦の方角へと突進する古鷹の姿を、青葉艦上に生存していた多数の者が見ている。
それが、最後の姿だった。

少し、詳しく様子を書いたが・・・
結局、ガダルカナル島の、砲撃計画は、失敗したのである。

青葉が不意に、集中砲火を受け、古鷹の沈没をもって、サヴォ島沖海戦は、終了したのである。

ここで、元来夜戦が不得手であった米海軍が、何故、生まれ変わったようになったのか。
それは、レーダーのお蔭である。
日本軍は、レーダーの存在に気づいていないのである。

次に、挺身攻撃隊の出撃である。

山本長官は、第六戦隊の悲報が届くが、それらの計画を変更しなかった。

第三戦隊、そして護衛艦艇は、挺身攻撃隊と呼ばれて、その任務は、矢張り、ガ島の飛行場にある、敵飛行機、及び燃料の焼却と、滑走路の使用封鎖であった。

ガダルカナルで、唯一、日本軍が優勢で、半年間に渡る戦闘の中で、連合軍を危機に追い詰めた作戦だった。

その内容については、省略する。

ただ、第三戦隊の、戦艦金剛、榛名によるガ島飛行場の制圧は、予想以上の成功をおさめた。この艦砲射撃は、第一次ソロモン海戦の勝利と並び、敗色一辺倒のガダルカナル戦における、華であったと言われる。

研究家は、日本軍が、もしガ島戦に勝つとすれば、この時期において、他はなかったはずであると、言う。

事実、太平洋の戦い全体を通じても、ほとんど、唯一といってよい日本軍の、陸海の協力は、この10月半ばをピークにして、力尽きたのである。

その後の、ガ島作戦、戦闘は、悲劇と化すのである。
餓死の島、餓島と化す。






posted by 天山 at 05:51| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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