2015年06月02日

玉砕33

昭和17年8月7日、早朝、ガダルカナルと同時に米軍上陸部隊の襲撃を受けた、ツラギ方面所在部隊は、ほぼ二時間に渡り、緊急電報を発信した。

それを受けた、現地海軍部隊第八艦隊の、反応は早かった。
当時、ラバウルにあった、第八艦隊は、東部ニューギニア・ポートモレスビー攻略作戦を巡り、変化してきた南太平洋方面の、新しい局面に策応して、同年七月に新設されたばかりの部隊だった。

第八艦隊司令長官、三川中将は、ラバウルに投錨していた艦艇に対して、手信号をもって、出撃準備を下命した。

戦局の急変に直面した三川長官は、連合艦隊の指示を待つことなく、いち早く重大な、決断をした。

それは、重巡群をつらねて、ガダルカナルに殺到し、揚陸作業中の敵輸送船団を砲撃、これを、粉砕するという、作戦である。

これが、第一次ソロモン海戦と称される戦闘が、生起する瞬間である。

ただ、これまでに、合同訓練を行なったことがなく、各艦隊が横に広がり、航行するためには、各艦のスクリューの回転数を、測定し、一致させることが必要になる。

その状況から、複雑な艦隊の形は避けて、一本棒につなげて、しかも、一航過を行なう。そして、夜の明けるまでに、敵空母の攻撃圏外に、避退するということ。

以下、詳しい作戦の様子は、省略する。

日本軍側が心配した、米機動部隊は、7日、8日の両日にわたる、日本軍基地航空部隊の空襲は、ガダルカナルに碇泊していた連合軍艦隊に、それほどの損害を与えなかった。

しかし、連続的に実施された空爆により、物資資材の揚陸作業が、しばしば中断し、予定よりも、遅れた。
このため、船団が留まる日数を、予定より、二日間は、延ばさなければならない、事態を迎えていたのである。

また、日本軍の行動は、心理的に、与えた影響もある。
空からの襲撃を知った、米機動部隊は、ためらうことなく、すぐさま、日本軍攻撃の航続距離圏外に、身を置き、更に、上級司令部の回答を待たず、避退していったのである。

連合軍の、機動部隊指揮官フランク・フレッチャー中将は、南太平洋部隊指揮官ロバート・ゴームリー中将に対して、
・・この方面の日本軍雷撃機の性能と技術は、きわめて優秀であるにつき、空母部隊の即時引揚げを具申する。
という、意味の電報を打っている。

そして、結局、フレッチャー中将は、引き上げの意見具申をした地点から、ゴームリー中将の返事と、指示を待つことなく、南下を開始した。

さて、三川長官は、その夜、23時26分、各艦隊独自に艦長が、戦闘指揮を執れという命令を出し、続いて、30分に、全軍突撃を下命した。

この海戦は、出会いがしらの乱闘であった。
ただ、夜間のことで、海戦の詳しい状況は、未だに明確ではないと、言われている。

その戦いは、わずか、六分間のうちに、大勢が決していたという。
戦果であるが・・・
日本側が、一発の命中弾も受けていないという、事実である。

第一次ソロモン海戦と言われる、戦いは、日本軍に僥倖の連続だったと研究家は言う。

飛行機の掩護のない、丸裸の巡洋艦隊群が、単縦陣で、敵地に乗り込むといった、未曾有のもので、ハワイ奇襲を別にすれば、太平洋戦争を通じて、類のないものといわれる。

ガ島上陸以来、一ヶ月を過ごした米軍は、その間に、ほとんど隙間のないトーチカ陣地を形成していた。
このような、堅牢な陣地を攻略するには、火砲で十分に叩いて攻めるのが、常道である。

しかし、日本軍には、幾つかの抜き差しならぬ制約のため、どうする事も出来なかった。

それは、輸送手段を主として、駆逐艦に頼ったため、重量制限が生じて、重火器類が、真っ先に敬遠された。
武器を伴わない人員だけの、名ばかりの重火器部隊が上陸した。
また、いくらかの重火器を海岸に揚げたとしても、攻撃準備地点まで、運ぶことが出来なかった。

分解して、ジャングル内の道なき道を人間が、担いでいくのだが、時間の制限があり、思い通りにゆかない。大半が、途中で放棄されたという。

更に、火気だけに留まらず、総攻撃をかけるとき、人間も現在地から、てんでに突撃するわけではない。あらかじめ、定められた攻撃準備の位置に集結して、展開しなければならない。
この、攻撃準備地点に到達するため、各部隊は、準備が不足している上に、時間にせかせられて、大変な苦労を払うのである。

川口支隊の各大隊は、おおむね上陸した地点から、しばらく海岸を辿り、それから山側に入った。しかし、ジャングル地帯というのが、いいまでに体験しなかったものだった。
フィリピン、マレー半島のそれと比べて、形相が一段と険しかった。

昼なお暗く、夜になると、自分の鼻先に手を近づけても、よく見えないという暗闇である。

ただ、兵士たちは、奇妙な現象を目にしたという。
大木が腐食して、燐のように冷たく光っているというものだ。兵士たちは、その燐光を、前に行く戦友の背中につけて、それを、目印に夜のジャングルを進んだと言う。

何がなんだか事情が分らないままに、前線にやられた将兵が、満足な地図一枚持たされず、その上、狂いがちな磁石を持たされて、肝心な攻撃準備地点に行き着くまで、暫し、方向を見失ったのである。

一般の兵士だけではなく、大隊長クラスでも、自分たちが、どう進んでいるのか、皆目検討がつかないという状況である。

それゆえ、ほとんどの大隊長は、すぐ目の前に控えた夜襲を無理と感じて、初めから、死を覚悟していたという。
それは、上陸した、多くの部隊に言えた。

ガダルカナルの悲劇、玉砕は、戦争の悲惨さを伝えるに、十分な戦場である。







posted by 天山 at 06:19| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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