2015年06月01日

玉砕32

陸海両統帥部の間で、双方が歩み寄る形で、当面の戦略構想が、決まった。
それは、東部ニューギニア、ソロモン、ビスマルク諸島を第一線とする、珊瑚海の制空、制海権を確保し、オーストラリアとアメリカ本土と遮断をしつつ、戦略態勢を固めるというものである。

その、アメリカとオーストラリアのルートの遮断を、FS作戦、フィジー・サモア諸島攻略作戦と、名付けた。

ハワイから、オーストラリアに至る、海上ルートの要衝にあたる、サモア、フィジー両諸島と、ニューカレドニア島を攻略するもので、この場合だと、使用兵力も少なくてすむ。更に、重視するインド方面の作戦発起まで、解決するだろうとの、思惑である。

陸軍も賛成し、7月中旬に、ポートモレスビーを海上攻略する作戦は、紆余曲折があり、陸路オーエンスタンレー山系を越えて、攻略することが、決定された。

さて、大本営陸軍部の戦争終結の腹案は、独立運動の機運を助ける形で、インドに対する政治的な謀略工作を行ない、一方、海軍の力をたのむ、海上の通商破壊などにより、インドとイギリス本国との連絡を、封鎖しようとするものであった。

であるから、海軍を期待し、伊独軍の西アジアへの進出を待ち望んだ。
しかし、伊独軍は、インド洋方面に、進出するのは、当分無理であろうという、情報が入った。

そこで、伊独軍と手を結ぶ望みを捨てて、ニューギニアのポートモレスビー攻略に南海支隊を当てることを、決した。

東部ニューギニアにしろ、オーストラリアの東北部にせよ、共通して、その任務地までの航空距離の長さに悩まされていた。

そこで、ラバウルから、南の島のいずれかに、飛行基地を造り、制空権を伸ばす必要に迫られた。
それが、ガダルカナルへの道である。
昭和17年、5月上旬の頃だった。

5月25日、飛行場建設の条件を満たす場所を、上空から探したところ、ガダルカナル島の西北部にある、ルンガ川東方の海岸線から、2000メートルほど南に、理想的な土地を発見する。

当初は、連合艦隊、大本営は、即答をしなかった。
だが、玉砕のガダルカナルへの道のりが始まるのである。

この5月上旬は、ポートモレスビー攻略を海路から行なう作戦が、実施されようとして、珊瑚海海戦が、繰り広げられた。
計算外だったのは、史上初の航空母艦同士のぶつかりあいの結果、海路攻略作戦は中止となる。

そして、以前に書いた、ミッドウェー海戦での、大敗北である。
FS作戦の延期、続いて中止が、連合艦隊、大本営で決定された。

MO作戦も、FS作戦も、成功すれば、南東方面の空の勢力が固められると期待していたが、挫折した。

この頃から、海路攻略作戦が開始される前から、オーストラリア、ニューギニア基地から、飛来してくる、敵機に悩まされ、これと渡り合うことになった。

それにより、台南航空隊などは、新しい機材を陸に揚げない間に、ラバウルの停泊地内で、積んだ貨物船もろとも、沈められてしまった。

航空機の消耗戦は、すでに始まっていたのである。
それゆえ、航空機の絶対数の不足に、苦しむことになる。

ミッドウェー作戦で失敗した六月下旬、第十一航空艦隊司令部を通じて、連合艦隊から、参謀長名で、ガダルカナル島に、飛行場設営の許可を送ってきた。
これを受けて、現地部隊では、6月29日、改めて、二回目の空からの現地偵察を行なった。

さて、六月に入ると、米軍は、オーストラリア方面への増支強化に本腰を入れたという、情報を得る。

ニューヘブライズ諸島、および、ニューカレドニアに、更に、新しい基地を加え、空の勢力を伸ばしつつあるという、気配も感じられた。
要するに、敵は、大本営の意図を、読み取っていたのである。

日本軍は、陸から行なう、ポートモレスビー攻略と、ガダルカナルを含む飛行場新設の計画という、二つの作戦を、並行して実施することになる。

日本軍の場合、ブルドーザー、ロードローラ、トラクター、トレンチャー、起重機車などの、設営機械の整備が多少なりとも重視されるのは、昭和18年に入ってからである。
つまり、ガダルカナルに上陸した、設営隊に持たされていた道具は、ツルハシ、スコップ、モッコがすべてである。

六月中旬に上陸してから、一ヵ月半の期間の設営である。
8月7日には、米軍が、進攻して来たのである。

その日、現地時間で、朝五時を少し回ったところ、同じ時刻に、フロリダ島の南に浮かぶ、ツラギ、ガヴツ島も、激しい敵襲を受けた。

米軍は、精強を謳われた第一海兵師団、約1万8千名が乗り込んだ、22隻の輸送船を、空母三、戦艦一、巡洋艦14、駆逐艦31で支援し、それらに、基地航空機293機を加える、堂々の陣容と、戦力で攻撃を仕掛けてきたのである。

そして、8月8日の日没までに、約1万900名の人員が、ガダルカナル島に、上陸した。

これに対し、日本軍は、上陸以来、敵の散発的な空襲に備えて、手軽な防空壕を用意しただけで、地上からの攻撃に迎撃する、陣地を築いていなかったのである。

また、守備隊といっても、火砲装備は、高角砲六門、山砲二門にすぎず、目の前の海に大挙して出現した敵に対して、抗し得ないことは、一目で察することが出来た。

そして、設営隊の大部分は、軍人ではなく、武器を持たない工員である。
空襲と艦砲射撃に、抵抗できるわけがなかった。

これでは、余りにも、無謀である。
その後、ガダルカナルは、餓島と呼ばれるようになる。
つまり、餓死する兵士たちである。

現在も、未だに、兵士の遺骨が散乱している。
玉砕の島である。







posted by 天山 at 06:36| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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