2015年05月29日

玉砕31

昭和17年、1942年、三月上旬までに、日本は、蘭印、つまりインドネシア、および、ビルマ・ラングーンを占領して、目的を達し、戦局の新たな段階を迎えた。
第二段作戦への、移行である。

緒戦の南方作戦における、大本営陸海軍部の主な狙いは、蘭印の資源獲得であった。
開戦と同時に、英領マレー半島、米領フィリピンを占領して、一大拠点を築き、これを足場に、迅速に蘭印を攻略する。

そして、その資源を確保して、スマトラ島からジャワ島にかけての湾曲した線を結ぶ、大スンダ列島に沿って、防衛線を形成する構想である。

その目的が、予想以上に早く達成された。
ただちに、第二段作戦の実施に着手しなければならない。

だが、実際、大本営は、第一段作戦が完了した後の、確固とした、見通しを持っていなかったのである。

これは、日本が計画的に、対米戦争に望んだわけではないという、証拠になるものだ。

ゆえに、第二段作戦について、陸海統帥部間では、昭和17年2月上旬から、3月上旬にかけて、折衝が行われた。
しばしば、激しい論争がかわされた。

大本営陸海部が、この戦争遂行の、根本方針として、抱いていたのは、伊独と呼応した作戦構想で、イギリスの早期屈服を計る事、ビルマを突破し、インドに進攻して、西アジアを通じて、東進してくるであろう、ドイツ軍と手を結ぶ。
そして、中国大陸の戦火を、出来るだけ早く終結させることであった。

陸軍としては、太平洋正面は、持久態勢を固めるという方針で、戦力を延伸展開することを、望まないのである。

陸軍が腐心していたことは、中国戦線である。
蒋介石は、米英の後押しで、なかなか音を上げることがない。
このままでゆくと、究極的には、中国大陸が、米英の日本本土に対する、拠点となる危険性もあるとして、対支関係の解決を、対米英蘭戦とは、別個に考慮すること、その解決として、和戦いずれを選ぶにせよ、対米戦終結以前に、終了することが、望ましいとしていた。

だが、解決法が、見出せないのである。
つまり、蒋介石に対する、米英の支援である。
いずれにせよ、日本は、対米英戦争を戦うことになる。

アメリカを孤立させるためにも、インドから更に西に向かい、中近東に進んで、伊独と手を結ぶことで、イギリスを降参させたい。
その、同盟国の事情も考える。

ここに至ると、無謀な戦いのように、考えるが・・・
だが、意味のある戦争だった。

日本軍の、玉砕は、無意味ではなかった。

海軍は、陸軍とは違い、上層部では、伊独の力を信用しない者が多かった。
主敵は、あくまで、アメリカだとして、自然と、太平洋に向いていた。

特に、開戦から、この時期にかけて、オーストラリアに目を向けていたのである。
第一段作戦をジャワで止めると、その正面に、近距離で、オーストラリアと対峙することになる。

この大陸に、アメリカで生産される、航空機や、潜水艦を運び込まれて、反抗の基地とされるならば、かなわないという気持ちである。

ジャワ島だけではなく、既得した、南方地域の、すべての防衛、海上交通に、大きな脅威となる。

そこで、海軍部は、思い切って、オーストラリアの一部攻略を考えたのである。
オーストラリアの攻略は、戦略上必要であるばかりではなく、イギリス連邦から、いち早く、脱落させることにもなり、攻略上からも、有効であると、判断していた。

だが、陸軍は、大陸への進攻は、長年に渡り、中国との戦いで、十分経験済みであり、かつ懲りていた。

海軍部が持ちかけた作戦は、結局、戦火はオーストラリア全土に拡大すると、予測したのである。

そこで、陸軍部は、具体的な数字を上げて、反対した。
オーストラリア攻略に必要とする、陸軍兵力の見積もりは、とんでもないほどの、負担である。

兵力が解決しても、人員と物資を輸送する、船舶の動員がうまくゆかず、頓挫するだろうとの、見立ててである。

その破綻が、綻びとなり、戦争遂行の根幹を崩壊させることにも、なりかねないとの、見方である。

つまり、船舶不足の問題が、すでに顕在化していたのである。
この輸送用に対する、認識不足は、海上護衛と同様に、戦争に突入してみるまで、明確にわかっていなかったということだ。

後に、様々な戦場における、輸送船が、攻撃されてしまう。

トラック諸島、現在のチューク諸島などは、輸送船200隻ほどが、攻撃を受けて、沈没した。
物量では、アメリカに敵わない。

それが、玉砕の大きな、ポイントでもある。
食糧を積んだ船が、皆、攻撃を受けて、沈没するのである。
戦死より、餓死の方が多いという事実。

ニューギニア戦線も、ガダルカナルも、多くは、餓死である。
フィリピン戦線も、餓死が多い。

戦いに、斃れるならば・・・よかったが・・・
餓死とは・・・
実に、あはれ、である。

更には、日本軍の兵士同士が、食べ物で、殺し合うことも現実だった。
だが、それも、玉砕である。
戦場で、斃れた兵士たちは、玉砕したのである。





posted by 天山 at 07:02| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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