2015年05月28日

玉砕30

次に見るのは、AL作戦、つまり、アリューシャン作戦である。

これは、アリューシャン西部要地の攻略であり、ミッドウェー作戦案を容認するかわりに、大本営が、交換条件のようにして、連合艦隊に提示したものだ。

この提案をした、軍令部の趣旨は、おおむね、米ソ連係の遮断と、米空母部隊による、日本本土に対する空襲の防止である。

これに、連合艦隊が同意したのは、以前から、その必要性を感じていたからである。
その上、ミッドウェー作戦に対する、戦術的牽制、もしくは、米艦隊の出撃を促がす補助手段となるかもしれないという期待である。

実際に、米艦隊を、アリューシャン方面に、引き寄せることは、起こりえないかもしれないが、少なくとも、米軍の指揮を、混乱させる事が出来るというものだった。

この作戦は、連合艦隊の大半が、北部、中部太平洋を含む、広大な地域に展開する事になったのである。

それにしても、日本軍の行動は、凄まじかったと、思うのである。
太平洋全域を取り込んだ、戦争は、唯一である。
太平洋戦争と、言われる所以である。

その作戦は、まず、アリューシャン東部で、最も強力な根拠地である、ダッチハーバーを、空母基幹部隊で、急襲し、これを牽制する。
その後、空母部隊と、潜水部隊をもって、アリューシャン東方を警戒しつつ、列島西部要地、アダック、キスカの各島の攻略を行なう。

攻略は、昭和17年、6月3日、まず海軍陸戦部隊が、単独で、キスカ島を占領する。
一方で、陸軍兵力を含む部隊をもって、アダック島に上陸し、軍事施設を破壊後、アッツ島に転進して、これを占領する。

3日の真夜中、濃霧を衝いて、軽空母二隻を基幹とする第二機動部隊が、ダッチハーバーを目指して、全速で突進していた。

ダッチハーバーには、アメリカ陸軍約5000名と、海兵隊650名ほどが、駐屯していた。

当夜、米軍は、入念な索敵飛行を実施していたが、極北特有の悪天候が、日本軍に幸いした。

敵に気取られることなく、哨戒線を突破した。

ダッチハーバーに対する、空襲は、4日にかけて、三回実施したところで、思い掛けない命令が、連合艦隊から届く。
第二機動部隊は、急ぎ、ミッドウェー島の攻略作戦中の、南雲機動部隊と、合同せよという、命令である。

角田少将は、驚いたが、飛ばしていた飛行機を収容して、ただちに、南下を始めた。
しかし、その後、山本五十六連合艦隊司令長官より、撤回の通告が届いた。

角田部隊は、再度反転することになる。
また、延期の命令で、内地に引き返していた、キスカ、アダック、アッツ島攻略の部隊も、反転した。

その後、アダック島上陸に不安があるとする、大本営の意向で、5日朝、アダック島南西225浬地点にいた、指揮官大森少将の元に、中止命令が届いた。

大森少将指揮の部隊は、7日、アッツ島に接近し、北海支隊1200名を、無血上陸させた。

日本軍は、アッツ島に、いくらかの守備兵力があるとしていたが、実際は、子供を含めた原住民39名と、牧師夫婦がいたのみである。

キスカ島の攻略部隊も、7日、アメリカ軍の臨時観測所の勤務員10名がいるだけの、島に、何らの抵抗もなく、上陸した。

勿論、ここでも、いずれ玉砕が起こる。

さて、この大東亜戦争の、分岐点ともいえる、ミッドウェー海戦である。

昭和17年5月、北太平洋の中央にある、ミッドウェー島を巡り、日本とアメリカの、機動部隊の戦いがあった。

日本は、ここに哨戒基地を作るということであった。
しかし、山本五十六連合艦隊司令長官は、この戦いで、アメリカの空母を叩き、政治的解決を目指そうとしていた。
山本は、長期戦で、戦うことは、出来ないと信じていた。
つまり、長期戦では、アメリカに負けるというもの。

日本海軍は、空母四隻をはじめ、巡洋艦などの機動部隊をつぎ込んだ。
真珠湾に奇襲をかけた部隊が中心になり、兵士たちの士気も高い。

ただし、勿論、この作戦もアメリカは、暗号傍受して、ミッドウェーで待ち伏せしていたということだ。

日本の機動部隊を発見するや、アメリカの機動部隊は、日本の空母、攻撃機に爆撃を浴びせた。

雲間に隠れていた攻撃機が、急降下して、空母を襲う。

ミッドウェーでは、日本の主要な空母の半分を失うという、大損害を受けたのである。
また、日本海軍の優秀なパイロット、1000人余人も失った。
玉砕である。

この、ミッドウェーの敗戦は、国民には知らされなかった。
それほどに、衝撃的だったのだ。

この時も、日本軍は、アメリカに暗号を解読されていることを、知らないのである。
アメリカの暗号解読能力を軽く見ていた。
アメリカの空母が、すでにレーダーで正確に、敵を捕捉するだけの、技術を開発していたのである。
もし、それを知っていたら・・・
戦いは、逆転していたはずである。

ミッドウェー海戦後の、ニューギニア戦線、第一次ソロモン海戦などは、アメリカ軍の猛攻撃を受けつつも、また日本側が、損害を出しつつも、勝利を得ている。

つまり、戦いに強かったのである。
だが・・・
何かが足りない。
それは、それぞれの作戦遂行の後の、反省と、策略を練ることに、怠慢だったといえる。

ただし、国民は、日本軍は、勝ち続けていると、信じていた。




posted by 天山 at 06:25| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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