2015年05月25日

もののあわれについて746

かく、これかれ参り給へるよし聞し召して、源氏「おもき病者のにはかにとぢめつるさまなりつるを、女房などは心もえをさめず、乱りがはしくさわぎ侍りけるに、みづからもえのどめず、心あわただしき程にてなむ。ことさらになむ、かくものし給へるよろこびは、聞ゆべき」と、宣へり。かんの君は胸つぶれて、かかる折りのらうらうならずはえ参るまじく、けはひ恥づかしく思ふも、心のうちぞ腹ぎたなかりける。




このように、色々な方が、お見舞いに来ていると、お耳にされて、源氏は、重病人が、急に窒息したようなので、女房などは、冷静さを失い、礼儀を乱して、大声を上げましたので、私自身も、落ち着かなく、慌しい気持ちでいます。いずれ改めて、見舞いくださったお礼は、申し上げましょう。と、おっしゃる。
かんの君、柏木は、どきっとして、このような状態のときではなくては、伺うことが出来ず、この場所は、きまりが悪いと思うものの、心の中が、腹汚いのである。

最後は、作者の言葉。




かく生き出で給ひての後しも、おそろしく思して、またまたいみじき法どもを尽くして、加へおこなはせ給ふ。うつし人にてだに、むくつけかりし人の御けはひの、まして世かはり、あやしきもののさまになり給へらむを思しやるに、いと心うければ、中宮をあつかひ聞え給ふさへぞ、この折りは物うく、言ひもてゆけば、女の身はみな同じ罪深きもといぞかしと、なべての世の中いとはしく、かのまた人も聞かざりし御なかの睦物語に、すこし語りいで給へりしことを、言ひいでたりしに、まことと思しいづるに、いとわづらはしく思さる。




このように、息を吹き返しされた後、かえって、恐ろしく思いになり、改めて、たいそうな、修法のあらん限り、今まで以上に、させる。生きていた時でさえ、気味が悪かった御息所の、ご様子であったのに、まして、亡くなって、見せられたものではない姿になっていると想像すると、大変気味が悪く、中宮さまのお世話をさせていただくのさえ、このところ、気が進まず、せんじ詰めれば、女の身とは、皆一様に、罪深いものということになる。一切、女のことを考えるのが、嫌な気がして、あの、ほかに聞く人もなかった、二人の睦言に、少し話題に上げたことを、死霊が口にした以上は、本当の死霊だったのだと、思い出されると、うっかりしたことは、言えないと、思うのである。




御髪おろしてむ、と、せちに思したれば、忌むことの力もやとて、御いただき、しるしばかりはさみて、五戒ばかり受けさせ奉り給ふ。御戒の師、忌むことのすぐれたるよし、仏に申すにも、あはれに尊きこと交りて、人わるく御かたはらに添ひ居て、涙おしのごひ給ひつつ、仏をもろ心に念じ聞え給ふさま、世にかしこくおはする人も、いとかく御心まどふ事にあたりては、えしづめ給はぬわざなりけり。いかなるわざをして、これを救ひ、かけとどめ奉らむとのみ、よるひる思し嘆くに、ほれぼれしきまで、御顔も少しおもやせ給ひにたり。




紫の上が、御髪をおろそうと、熱心に希望されるものだから、戒を受ければ、元気になるかと思い、頭の頂きを、おしるしに切り、五戒だけを、受けさせる。御戒の師が、戒を守るのは、結構なことだと、仏様に申すのも、あはれで、尊い文句がその中にあり、人前構わず、お傍に添って座り、涙を拭いつつ、念仏を一緒にされるご様子は、またとない、立派な方でも、このように、おろおろされる場合にあうと、抑えることが出来ないようだった。どんな事でもして、この方を救い、この世に引き止め申そうとばかり、夜も昼も、嘆いていらっしゃるので、ぼんやりすることになり、お顔も、少し痩せられた。




五月などは、まして晴れ晴れしからぬ空の気色に、えさわやぎ給はねど、ありしよりは少しよろしきさまなり。されどなほ絶えず悩みわたり給ふ。もののけの罪すくふべきわざ、日ごとに法華経一部づつ供養ぜさせ給ふ。日ごとになにくれと尊きわざせさせ給ふ。御枕がみ近くても、不断の御読経、声たふとき限りして読ませ給ふ。あらはれそめては、折々悲しげなる事どもを言へど、さらにこの物怪去りはてず、いとどあつき程は息も絶えつつ、いよいよのみ弱り給へば、いはむ方なく思し嘆きたり。なきやうなる御ここちにも、かかる御けしきを心苦しく見奉り給ひて、世の中になくなりなむも、わが身にはさらに口をしきこと残るまじけれど、かく思しまどふめるに、なむしく見なされ奉らむが、いと思ひぐまなかるべければ、思ひ起こして、御湯などいささか祭るけにや、六月になりてぞ、時々御ぐしもたげ給ひける。めづらしく見奉り給ふにも、なほいとゆゆしくて、六条の院にはあからさまにもえ渡り給はず。




五月雨の頃には、はっきりしない空模様で、紫の上は、今まで以上に、すっきりとはしないが、以前よりは、ましである。しかし、矢張り、ずっと苦しみ続けておられる。物の怪の苦しみを救えるような仏事を、毎日毎日、法華経を一部ずつ読経させられ、毎日毎日、供養させるのである。不断の御読経を、声の尊い僧を選んで、読ませられる。
一旦姿を現してからは、時々、悲しげなことを言うのであるが、いっこうに、この物の怪は、去らず、一層暑い時期で、息も絶えつつ、ただますます、弱られるばかりで、いいようもなく、嘆きあそばすのだ。生きているともいえない気持ちながら、このようなご様子を、気の毒に御覧になり、この世から、去っても、自分は、残念だと思うことはあるまいが、こんなにご心配されているのに、死んでしまったら、源氏の嘆きを、考えていないことになるので、無理に元気を出して、薬湯などを、少し召し上がる。
六月になると、時々、お顔を持ち上げるほどになった。源氏は、それを、嬉しく御覧になるにつけて、まだ危なそうで、六条の院には、少しも、お出向きにならない。




姫宮は、あやしかりしことを、思し嘆きしより、やがて例のさまにもおはせず、悩ましくし給へど、おどろおどろしくはあらず。立ちぬる月より、物きこしめさで、いたく青みそこなはれ給ふ。かの人は、わりなく思ひあまる時々は、夢のやうに見奉りけれど、宮、つきせずわりなき事に思したり。院をいみじくおぢ聞え給へる御心に、ありさまも人の程も、ひとしくだにやはある。いたくよしめきなまめきたれば、大方の人目にこそ、なべての人にはまさりてめでらるれ、幼くよりさるたぐひなき御ありさまにならひ給へる御心には、めざましくのみ見給ふ程に、かく悩みわたり給ふは、あはれなる御宿世にぞありける。御乳母たち見奉りとがめて、院の渡らせ給ふ事もいとたまさかなるを、つぶやきうらみ奉る。




姫宮、女三の宮は、思いも掛けなかったあの事を、お嘆きになった時から、そのまま、普通の具合ではいらっしゃらず、苦しそうにされているが、たいしたことではない。先月から、何も召し上がらず、お顔の色は、青くやせ衰えている。
あの人、柏木は、無理にも我慢の出来ないときは、夢のようにお会いするために来るのだが、宮は、どこまでも、無理なことだと、思うのである。院、源氏を、たいそう怖がる目には、柏木の様子も、身分も源氏と等しい並であろうか。大変風流で、優しい人なので、特別な関係の無い人から見ると、そこらの人より、立派だと、誉められもするが、幼いときから、あのような、またとないご様子の源氏に慣れている御心には、見られない気がするが、その柏木のせいで、お苦しみ続けているとは。何とも気の毒な、運であった。御乳母たちは、御懐妊と知り、院が、こちらにいらっしゃることが稀なのを、ぶつぶつと、お恨み申し上げる。

最後は、作者の思い。
だが、とても、複雑な心境を書く。
女三の宮は、妊娠したのだ。
それが、柏木の子とは、乳母たちは、知らない。




posted by 天山 at 05:53| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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