2015年05月22日

もののあわれについて745

物怪「中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなし、となむ、天がけりても見奉れど、道ことになりぬれば、子の上までも深く覚えぬにやあらむ、なほみづからつらし、と思ひ聞えし、心のしふなむ止まるものなりける。その中にも、生きての世に、人よりおとして思し捨てしよりも、思ふどちの御物語りのついでに、心よからず、憎かりし有様を、宣ひいでたりしなむ、いとうらめしく。今はただ、なきに思しゆるして、こと人の言ひおとしめむをだに、はぶき隠し給へとこそ思へ、と、うち思ひしばかりに、かくいみじき身のけはひなれば、かく所せきなり。この人を深く憎しと思ひ聞ゆる事はなけれど、守りつよく、いと御あたり遠きここちして、え近づきまいらず。御声をだにほのかになむ聞き侍る。よし、今はこの罪かろむばかりのわざをせさせ給へ。修法読経とののしる事も、身には苦しくわびしきほのほとのみまつはれて、さらに尊きことも聞えねば、いと悲しくなむ。中宮にもこのよしを伝え聞え給へ。ゆめ御宮仕へのほどに、人ときしろひそねむ心つかひ給ふな。斎宮におはしまししころほひの、御罪かるべからむ功徳の事を、必ずせさせ給へ。いとくやしき事になむありける」など、言ひ続くれど、物怪にむかひて物語りし給はむも、かたはらいたければ、封じこめて、上をば、またこと方に忍びて渡し奉り給ふ。




物の怪は、中宮様のことでも、大変嬉しく、ありがたいことだと、宙を飛びながら、拝しておりますが、生死の道を、異にしているので、子供の事までは、深く感じないのでしょうか。やはり、自分自身が、酷い方だと、存じ上げたのも、執念が消えないのです。中でも、生きているうちに、人よりも、軽い扱いをされ、捨てておしまいになったことよりも、お好きな方と、お話の合間に、面白くない嫌なやつだと思っていたと、お口にされたことが、恨めしくてたまりません。もう死んでしまったのだからと、許してくださり、誰かが悪口を言ったときでも、そんなことは無いと、庇っていただきたいと、思っていたのに、そう思った途端、こんな酷い者になっているので、このような大変なことになったのです。この人を憎いと、お恨みすることはないのですが、あなたには、守り神がついていて、とても、御座所近くには、近づけず、お声さえも、かすかに聞くだけです。もう、この上は、私の罪を軽くするほどの、供養を行なってください。修法だ、読経だと、大騒ぎするのも、私には苦しいことで、情けない焔となって、まつわるばかりで、全然、お経の声も聞えませんので、悲しくてたまりません。中宮にも、この事を、お耳に入れてください。決して、お宮仕えする間に、誰かと競争したり、嫉妬したりする気を、起こしてはいけません。斎宮でいらした間の、罪を軽くするほどの、功徳を必ずあそばすように。本当に残念だったと、思います。などと、言い続けるが、物の怪に向って話しをしても、変なことだから、封じ込めて、紫の上を、また別の場所に、密かに、お移し申し上げるのである。




かくうせ給ひにけりといふこと世の中にみちて、御とぶらひに聞え給ふ人々あるを、いとゆゆしく思す。今日のかへさ見に出で給ひける上達部など、かへり給ふ道に、かく人の申せば、上達部「いといみじき事にもあるかな。生けるかひありつるさいはひ人の、光りうしなふ日にて、雨はそぼふるなりけり」と、うつちけごとし給ふ人もあり。また、上達部「かくたらひぬる人は、必ずえ長からぬことなり。「何を桜に」といふふるごともあるは。かかる人のいとど世にながらへて、世のたのしびをつくさば、かたはらの人くるしからむ。今こそ二品の宮は、もとの御覚えあらはれ給はめ。いとほしげにおされたりつる御おぼえを」などと、うちささめきけり。




このようにねお亡くなりになったということが、世間に知れ渡り、御弔問にお出でになる方々があるのを、縁起でもないと思われる。
今日は、斎院御帰還の行列を見に出た、上達部たちは、帰宅の途中で、こんな事を言うのを、耳にして、大変なことだ。生きがいがあるといえるほど、幸福な人が、光を失う日だから、雨が、しょぼしょぼ降るのだ、と、思いつきを言う者もある。また、こんなに、何もかも揃った人は、きっと、長くは生きられないのだ。「何を桜に」という、昔からの、言い草もある。こういう人が、ますます長生きをして、世の中の楽しみを、全部取ったら、周りの人が、困るだろう。これからは、二品の宮は、本来の御寵愛を、受けるだろう。お気の毒なほど、圧倒されていた方だった。などと、こそこそ、言うのである。




衛門の督、昨日くらしがたかりしを思ひて、今日は御弟ども、左大弁、藤宰相など、奥の方にのせて見給ひけり。かく言ひあへるを聞くにも、胸うちつぶれて、柏木「何かうき世に久しかるべき」と、うち誦じひとりごちて、かの院へみな参り給ふ。たしかならぬ事なればゆゆしくや、とて、ただ大方の御とぶらひに参り給へるに、かく人の泣き騒げば、まことなりけり、と立ちさわぎ給へり。




衛門の督、柏木は、昨日一日過ごしにくかったのを考えて、今日は、弟の方々、左大弁、藤宰相などを、車の尻に乗せて、御覧になった。こう言い合うのを耳にされて、どきりとなり、何がこの世に、散らずにあろう、と、一人口ずさんで、二条の院へ、一同で参上された。
はっきりとしたことではないので、縁起が悪いことになってはと、ほんの普通のお見舞いとして、参上されたが、このように、皆が、泣く声の高さに、本当だったのだと、あわてて、車を降りるのである。




式部卿の宮も渡り給ひて、いといたく思しほれたるさまにてぞ入りたまふ。人の御消息も、え申し伝へ給はず。大将の君、涙を拭ひて立ちいで給へるに、柏木「いかにいかに。ゆゆしきさまに人の申しつれば、信じがたきことにてなむ。ただ久しき御なやみを承りなげきて、参りつる」など宣ふ。夕霧「いと重くなりて、月日へ給へるを、この暁より絶え入り給へりつるを、もののけのしたるなむありける。やうやういきいで給ふやうに聞きなしはべりて、今なむ皆人心しづむめれど、まだいとたのもしげなしや。心苦しき事にこそ」とて、まことにいたく泣き給へる気色なり。目もすこしはれたり。衛門の督、わがあやしき心ならひにや、この君の、いとさしも親しからぬ継母の御ことをいたく心しめ給へるかな、と、目をとどむ。




式部卿、紫の上の父も、起こしになり、酷いことと、悲しみに沈んだご様子で、奥にお入りになる。人の御伝言も、申し伝えることなど、出来ない。
大将の君が、涙を拭い出てお出でになったのに、柏木は、どうだ。どうだ。縁起でもないように、人が申したので、信じられないと思い。ただ長い間、ご病気を嘆いて、参上した。などと、おっしゃる。夕霧は、大変に重くなり、月日を送っていらしたが、この明け方から、息を引き取りになっていらしたが、物の怪の仕業だった。だんだんと、息を吹き返して、いらっしゃるように聞きまして。やっと、誰もが、ほっとしたのだが、まだ、どうも不安で、ならない。本当に、気掛かりなことだ。と言い、酷く泣いている。目も腫れているのである。
衛門の督、柏木は、自分の悪い癖からのゆえか、この君は、そんなに親しくも無い継母のことに、酷く夢中になっているのだと、じっと、見つめる。




posted by 天山 at 06:45| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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