2015年05月13日

玉砕26

真珠湾の奇襲攻撃・・・
この攻撃によって、アメリカの国内世論は、一致して、日本に対する敵意が、例を見ないほどに、高まった。

まさに、ルーズベルト大統領と、ハル国務長官の思惑は、見事に成功した。

対日宣戦布告、そしてドイツとの戦争にも、アメリカ国内は、何の依存もなかった。

さて、開戦当初は、真珠湾だけではなく、陸軍主体の、香港のイギリス軍攻略、マレー半島の上陸作戦なども、成功した。

開戦から、わずか三週間の間に、中国からアジアの国々までの、二万キロに及ぶ戦線で、日本軍は、勝利を収めた。

更に、香港だけではなく、フィリピン、マレー、ボルネオ、グアムなどにも、占領地域を増やしている。

昭和17年の前半は、日本軍が、破竹の進撃を続けたのである。

フィリピンの首都マニラも制圧し、司令部を置いていた、アメリカ南西太平洋地域軍総司令官ダグラス・マッカーサーは、アイ・シャル・リターンという言葉を残して、マニラを去った。

ここで、象徴的なシンガポールを陥落させたことを書く。
マレー半島とは、現在のマレーシア、シンガポール、タイとミャンマーの一部である。
中でも、シンガポールは、太平洋とインド洋の接触点であり、東と西を結ぶポイントでもある。
そして、イギリス植民地主義の、象徴とも言うべき地域である。

マレー進攻作戦は、マレー半島の各所要地に立てこもる英軍を撃破しつつ、極東支配の牙城といわれる、シンガポール島の攻略を目的とする。
それは、壮大なスケールである。

大量の輸送船を連ねて、海上を押し渡り、上陸し、約1000キロに渡る、マレー半島の長距離を行く。
そして、近代要塞に覆われたシンガポールの陥落である。

英領であった、マレーシアのコタバトに上陸し、激しい敵の抵抗を受けたが、突破した。そして、その後の、シンゴラとパタニは、無血上陸だった。
そこから、南下してゆく。

兎に角、日本軍は、シンガポールを目指したのである。

クアラルンプール以南は、それまでとは違い、地形が開けて、道路網の発達も、日本軍に都合がよかった。

マレー半島の先端を占めるジョホール州では、敵の徹底抗戦である。
上陸して、三ヶ月、1000キロの敵中突破を果たして、シンガポールを目前にした。

シンガポールを目前にしていた頃、ジャワ海では、ジャワ沖海戦が起こっていた。
セレベス島に上陸していた日本海軍の陸上攻撃機が、スラバヤ方面の空襲に向いつつあった、南方部隊は、敵発見の報に、ただちに、敵艦隊へ殺到した。

連合国艦隊は、ボルネオ東海岸の油田地帯、バリックパパンを出航して、マカッサル海峡を航行中であるはずの、日本軍輸送船団を攻撃する目的だった。

被害を出した同艦隊は、目的を捨てて、避退したが、日本側は勝利とも言えず、中途半端なものだった。

さて、シンガポールであるが、2月10日、砲火をまじえた総攻撃が終わった時点で、日本軍は、敵が翌日あたり、降伏するのではと、見当をつけていた。

そして、2月15日、マレー軍総司令官が、幕僚三名、通訳一人を伴い、第25軍司令官山下泰文中将と会見した。
バーシヴァル中将は、無条件降伏を承諾し、降伏に関する回答書に、サインしたのである。

次に見るのは、グアム、ウェーク島である。
二つの島は、日本軍にとって、東京、硫黄島、南海島、ウオッゼ、ミレなどのラインを結び、南東へ延びる作戦線の重要な、拠点である。

開戦と同時に、日本軍は、中南部太平洋方面への、進攻作戦を進めた。

この作戦は、海軍が主となり、陸軍は、南海支援隊をもって、グアム、ラバウルの攻略に協力する形である。

グアムは、アメリカ領である。
昭和16年11月下旬、南海支援隊は、ひそかに輸送船九隻に乗船して、四国、坂出港を出航した。
途中、小笠原諸島の母島に寄港。12月4日、母島を出航して、マリアナ諸島東方航路を経て、グアムに向う。

10日、零時から一時の間に白地に進入し、午前2時過ぎに、上陸を開始した。
そして、その日のうちに、島内要所をことごとく占領し、16時過ぎに、アガニア市にある、グアム政庁を占領して、総督マクミラン大佐以下368名と市民115名が捕虜となり、政庁付近の公会堂に収容された。

ウェーク島は、22日、上陸するが、敵の抵抗も激しかった。
しかし、全島の指揮官カニンガム米海軍中佐を捕虜としたとの報を受けて、梶岡少将は、23日22時15分、ウェーク島の占領を、打電している。

昭和17年、一月は、グアムから、トラック島、現在のチューク諸島に、そして、ニューブリテン島の、南東太平洋方面における連合軍の有力な基地である、ラバウルを占領する。

この時の、トラック諸島は、日本の統治下にあり、太平洋の要衝の一つだった。

こうして見て行くと、日本軍は、次々と、攻略に成功している。
この間に書かれている、連合軍とあるが、それらは、大半がアメリカ領であり、アメリカ軍の支配下にあった。

太平洋も、アメリカが大半を支配していたことである。
つまり、植民地化である。
そして、イギリスである。

中国も、アヘン戦争以後は、西欧列強が、様々に支配、統治して、植民地化していたのである。
勿論、アジア一帯が、植民地だった。

日本の言う、大東亜圏というのは、このことである。
第二次世界大戦は、太平洋戦争ではない。
大東亜戦争なのである。

この日本が言う、大東亜戦争を、敗戦後、マッカーサーが禁止したのである。
それ程、日本に対して、敏感だったということだ。

世界的に、日本は、悪であるというイメージを作るためにも・・・




posted by 天山 at 05:45| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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