2015年05月07日

もののあわれについて741

柏木「いかにいかに」と日々にせめられて困じて、さるべき折りうかがひつけて、消息しおこせたり。よろこびながら、いみじくやつれてのびておはしぬ。まことにわが心にもいとけしからぬことなれば、けぢかくなかなか思ひ乱るることもまさるべきことまで思ひもよらず、ただいとほのかに、御ぞのつまばかりを見奉りし春の夕の、あかず世とともに思ひいでられ給ふ御有様を、少しけぢかくて見奉り、思ふことをも聞え知らせては、ひとくだりの御返りなどもや見せ給ふ、あはれとや思し知る、とぞ思ひける。




柏木は、どうだ、どうだと、毎日毎日責められて、困ってしまい、適当な機会を見つけて、手紙をよこした。
喜びつつ、目立たぬようにして、こっそりと、お出でになった。本当に自分ながら、まことに良くないことだと、思う。お傍に行き、かえって、煩悶が酷くなるはずだと、考えはせず、ただ、ほんの少し、お召し物の端ばかりを拝見した、あの春の夕暮れの、いつまでも、忘れず、思い出されるお姿を、もう少し、お傍で拝見し、心に思う事を、申し上げたら、ほんの一行でも、お返事を下さらないか。可愛そうにと、お考えくださらないかと、思うのである。




四月十余日ばかりの事なり。みそぎ明日とて、斎院に奉り給ふ女房十二人、ことに上臈にはあらぬ、若き人わらはべなど、おのがじしもの縫ひ化粧などしつつ、もの見むと思ひまうくるも、とりどりにいとまなげにて、御前の方しめやかにて、人しげからぬ折りなりけり。近く候ふ按察使の君も時々かよふ源中将せめて呼びいださせければ、おりたるまに、ただこの侍従ばかり、近くは候ふなりけり。よき折りと思ひて、やをら御帳の東面のおましの端にすえつ。さまでもあるべきことなりやは。




四月十何日かのこと。加茂の祭りの禊が明日だとあり、斎院にお供に差し上げる女房十二人、それから特に上臈ではない、若い女房や、童など、各々裁縫をし、化粧をしたりしつつ、見物に出ようと、準備をしているのも、それぞれ忙しそうで、宮の御前の方は、静かで、人が多くない時でした。
近くに控えている、あぜちの君も、時々通う源中将が、無理矢理呼び出させたので、自分の局に下った暇に、ただ、この侍従だけが、お傍近くに控えている。よい時だと思い、そっと、御帳台の東側の御座所の端に座らせた。
そんなにまで、することがあるでしょうか。

最後は、作者の言葉。
その状況を作者が、第三者のように書き付ける。




宮は何心もなく大殿ごもりけるを、近く男のけはひすれば、院のおはすると思したるに、うちかしこまりたる気色見せて、ゆかの下にいだきおろし奉るに、物におそはるるかと、せめて見上げ給へれば、あらぬ人なりけり。あやしく、聞きも知らぬ事どもをぞ聞ゆるや。あさましくむくつけくなりて、人召せど、近くも候はねば、聞きつけて参るもなし。わななき給ふさま、水のやうに汗も流れて、物も覚え給はぬけしき、いとあはれにろうたげなり。




宮は、何心もなく、お休みになったが、近くに男の気配がするので、院がお出でになったと思ったが、畏まった態度で、床の下に抱いて、下ろしたので、何かに襲われるのかと、怖いが、しいて見上げる。と、別人であった。妙な、訳の分らないことを、申し上げるのではないか。驚いて、気味悪くなり、人をお召しになるが、お傍に控えていないので、聞きつけて、参る者もない。震える様子である。水のように汗も流れ、何が何だか、お分かりにならないご様子である。まことに、お気の毒でもあり、可愛い感じである。




柏木「数ならねど、いとかうしも思しめさるべき身とは思う給へられずなむ。昔よりおほけなき心の侍りしを、ひたぶるにこめてやみはべなましかば、心のうちに朽たして過ぎぬべかりけるを、なかなかもらし聞えさせて、院にも聞し召されにしを、こよなくもてはなれても宣はせざりけるに、頼みをかけそめ侍りて、身の数ならぬひときはに、人より深き心ざしをむなしくなし侍りぬる事と、動かし侍りにし心なむ、よろづ今はかひなきことと思う給へかへせど、いかばかりしみ侍りにけるにか、年月にそへて、口惜しくも、つらくも、むくつけくも、あはれにも、いろいろに深く思う給へまさるに、せきかねて、かくおほけなきさまを御覧ぜられぬるも、かつはいと思ひやりなく恥づかしければ、罪重き心もさらに侍るまじ」と言ひもてゆくに、「この人なりけり」と思すに、いとめざましく恐ろしくて、つゆいらへもし給はず。柏木「いとことわりなれど、世に例なきことにも侍らぬを、めづらかに情なき御心ばへならば、いと心うくて、なかなかひたぶるなる心もこそつき侍れ、あはれとだに宣はせば、それを承りてまかでなむ」と、よろづに聞え給ふ。




柏木は、人並みではない私が、それほどまでに、軽蔑される身分だとは、考えられません。昔から、身分不相応の思いがございましたが、無理矢理に抑えて、申し上げずに終わりましたら、自分の心の中に、埋もれさせて、終わっていたでしょう。ですが、少々申し上げて、上皇様におかせられても、お耳にあそばしましたが、まるで問題にならぬ、とは仰せにならなかったことに、力を得まして、数にも入らぬ身分の一段と低さに、誰よりも、深くお慕いしている気持ちを、無にしてしまったと、残念に思ったことは、何もかも、今になっては、役に立たないと、思い返しますが、それでも、どれほど深く染み付きましたことか、年月が経つにつれて、残念にも、酷いとも、恐ろしいとも、懐かしいとも、あれこれと、物思いが強くなりますので、抑えきれず、このように、身の程を知らぬところを、お目にかけましたのも、考えのないことと、恥ずかしいので、これ以上の罪は絶対に重ねまいと、と言い続けるので、女三の宮は、あの人だと、お分かりになると、呆れて怖くて、何の返事もされない。
柏木は、ご無理もないことです。この世に例がないのでもないことですから、またとないほど、無情なご性質であるならば、嫌な気持ちになって、かえって、無理をする気も起こりましょう。可愛そうと、一言おっしゃってくだされば、そのお言葉を賜って、退出しましょう。と、何かと、申し上げる。





よその思ひやりはいつくしく、ものなれて見え奉らむも恥づかしくおしはかられ給ふに、ただかばかり思ひつめたるかたはし聞え知らせて、なかなかかけかけしき事はなくてやみなむと思ひしかど、やはやはとのみ見え給ふ御けはひの、あてにいみじく覚ゆることぞ、人に似させ給はざりける。さかしく思ひしづむる心もうけて、いづちもいづちもいて隠し奉りて、わが身も世にふるさまならず、あと絶えてみなばや、とまで思ひ乱れぬ。




よそながらの、想像では、威厳があり、身近に寄ることなど、とても出来ないと思われる御方なので、ただこれほど、思い詰めている、そのほんの少しでも、申し上げて、気がとがめるようなことは、しないで置こうと、思っていたが、何とそれほど、気高く卑下を感じさせるような方ではなく、優しい可愛らしく、ただ物柔らかに感じられるご様子が、上品で素晴らしいところは、人並み外れていられる。しゃんと思いを抑える心もなくなって、
何処へなりともお連れして、お隠し申し、自分も、この世を捨てて、姿を隠してしまいたいとまで、心が乱れたのである。



posted by 天山 at 05:48| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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