2015年05月22日

もののあわれについて745

物怪「中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなし、となむ、天がけりても見奉れど、道ことになりぬれば、子の上までも深く覚えぬにやあらむ、なほみづからつらし、と思ひ聞えし、心のしふなむ止まるものなりける。その中にも、生きての世に、人よりおとして思し捨てしよりも、思ふどちの御物語りのついでに、心よからず、憎かりし有様を、宣ひいでたりしなむ、いとうらめしく。今はただ、なきに思しゆるして、こと人の言ひおとしめむをだに、はぶき隠し給へとこそ思へ、と、うち思ひしばかりに、かくいみじき身のけはひなれば、かく所せきなり。この人を深く憎しと思ひ聞ゆる事はなけれど、守りつよく、いと御あたり遠きここちして、え近づきまいらず。御声をだにほのかになむ聞き侍る。よし、今はこの罪かろむばかりのわざをせさせ給へ。修法読経とののしる事も、身には苦しくわびしきほのほとのみまつはれて、さらに尊きことも聞えねば、いと悲しくなむ。中宮にもこのよしを伝え聞え給へ。ゆめ御宮仕へのほどに、人ときしろひそねむ心つかひ給ふな。斎宮におはしまししころほひの、御罪かるべからむ功徳の事を、必ずせさせ給へ。いとくやしき事になむありける」など、言ひ続くれど、物怪にむかひて物語りし給はむも、かたはらいたければ、封じこめて、上をば、またこと方に忍びて渡し奉り給ふ。




物の怪は、中宮様のことでも、大変嬉しく、ありがたいことだと、宙を飛びながら、拝しておりますが、生死の道を、異にしているので、子供の事までは、深く感じないのでしょうか。やはり、自分自身が、酷い方だと、存じ上げたのも、執念が消えないのです。中でも、生きているうちに、人よりも、軽い扱いをされ、捨てておしまいになったことよりも、お好きな方と、お話の合間に、面白くない嫌なやつだと思っていたと、お口にされたことが、恨めしくてたまりません。もう死んでしまったのだからと、許してくださり、誰かが悪口を言ったときでも、そんなことは無いと、庇っていただきたいと、思っていたのに、そう思った途端、こんな酷い者になっているので、このような大変なことになったのです。この人を憎いと、お恨みすることはないのですが、あなたには、守り神がついていて、とても、御座所近くには、近づけず、お声さえも、かすかに聞くだけです。もう、この上は、私の罪を軽くするほどの、供養を行なってください。修法だ、読経だと、大騒ぎするのも、私には苦しいことで、情けない焔となって、まつわるばかりで、全然、お経の声も聞えませんので、悲しくてたまりません。中宮にも、この事を、お耳に入れてください。決して、お宮仕えする間に、誰かと競争したり、嫉妬したりする気を、起こしてはいけません。斎宮でいらした間の、罪を軽くするほどの、功徳を必ずあそばすように。本当に残念だったと、思います。などと、言い続けるが、物の怪に向って話しをしても、変なことだから、封じ込めて、紫の上を、また別の場所に、密かに、お移し申し上げるのである。




かくうせ給ひにけりといふこと世の中にみちて、御とぶらひに聞え給ふ人々あるを、いとゆゆしく思す。今日のかへさ見に出で給ひける上達部など、かへり給ふ道に、かく人の申せば、上達部「いといみじき事にもあるかな。生けるかひありつるさいはひ人の、光りうしなふ日にて、雨はそぼふるなりけり」と、うつちけごとし給ふ人もあり。また、上達部「かくたらひぬる人は、必ずえ長からぬことなり。「何を桜に」といふふるごともあるは。かかる人のいとど世にながらへて、世のたのしびをつくさば、かたはらの人くるしからむ。今こそ二品の宮は、もとの御覚えあらはれ給はめ。いとほしげにおされたりつる御おぼえを」などと、うちささめきけり。




このようにねお亡くなりになったということが、世間に知れ渡り、御弔問にお出でになる方々があるのを、縁起でもないと思われる。
今日は、斎院御帰還の行列を見に出た、上達部たちは、帰宅の途中で、こんな事を言うのを、耳にして、大変なことだ。生きがいがあるといえるほど、幸福な人が、光を失う日だから、雨が、しょぼしょぼ降るのだ、と、思いつきを言う者もある。また、こんなに、何もかも揃った人は、きっと、長くは生きられないのだ。「何を桜に」という、昔からの、言い草もある。こういう人が、ますます長生きをして、世の中の楽しみを、全部取ったら、周りの人が、困るだろう。これからは、二品の宮は、本来の御寵愛を、受けるだろう。お気の毒なほど、圧倒されていた方だった。などと、こそこそ、言うのである。




衛門の督、昨日くらしがたかりしを思ひて、今日は御弟ども、左大弁、藤宰相など、奥の方にのせて見給ひけり。かく言ひあへるを聞くにも、胸うちつぶれて、柏木「何かうき世に久しかるべき」と、うち誦じひとりごちて、かの院へみな参り給ふ。たしかならぬ事なればゆゆしくや、とて、ただ大方の御とぶらひに参り給へるに、かく人の泣き騒げば、まことなりけり、と立ちさわぎ給へり。




衛門の督、柏木は、昨日一日過ごしにくかったのを考えて、今日は、弟の方々、左大弁、藤宰相などを、車の尻に乗せて、御覧になった。こう言い合うのを耳にされて、どきりとなり、何がこの世に、散らずにあろう、と、一人口ずさんで、二条の院へ、一同で参上された。
はっきりとしたことではないので、縁起が悪いことになってはと、ほんの普通のお見舞いとして、参上されたが、このように、皆が、泣く声の高さに、本当だったのだと、あわてて、車を降りるのである。




式部卿の宮も渡り給ひて、いといたく思しほれたるさまにてぞ入りたまふ。人の御消息も、え申し伝へ給はず。大将の君、涙を拭ひて立ちいで給へるに、柏木「いかにいかに。ゆゆしきさまに人の申しつれば、信じがたきことにてなむ。ただ久しき御なやみを承りなげきて、参りつる」など宣ふ。夕霧「いと重くなりて、月日へ給へるを、この暁より絶え入り給へりつるを、もののけのしたるなむありける。やうやういきいで給ふやうに聞きなしはべりて、今なむ皆人心しづむめれど、まだいとたのもしげなしや。心苦しき事にこそ」とて、まことにいたく泣き給へる気色なり。目もすこしはれたり。衛門の督、わがあやしき心ならひにや、この君の、いとさしも親しからぬ継母の御ことをいたく心しめ給へるかな、と、目をとどむ。




式部卿、紫の上の父も、起こしになり、酷いことと、悲しみに沈んだご様子で、奥にお入りになる。人の御伝言も、申し伝えることなど、出来ない。
大将の君が、涙を拭い出てお出でになったのに、柏木は、どうだ。どうだ。縁起でもないように、人が申したので、信じられないと思い。ただ長い間、ご病気を嘆いて、参上した。などと、おっしゃる。夕霧は、大変に重くなり、月日を送っていらしたが、この明け方から、息を引き取りになっていらしたが、物の怪の仕業だった。だんだんと、息を吹き返して、いらっしゃるように聞きまして。やっと、誰もが、ほっとしたのだが、まだ、どうも不安で、ならない。本当に、気掛かりなことだ。と言い、酷く泣いている。目も腫れているのである。
衛門の督、柏木は、自分の悪い癖からのゆえか、この君は、そんなに親しくも無い継母のことに、酷く夢中になっているのだと、じっと、見つめる。




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2015年05月25日

もののあわれについて746

かく、これかれ参り給へるよし聞し召して、源氏「おもき病者のにはかにとぢめつるさまなりつるを、女房などは心もえをさめず、乱りがはしくさわぎ侍りけるに、みづからもえのどめず、心あわただしき程にてなむ。ことさらになむ、かくものし給へるよろこびは、聞ゆべき」と、宣へり。かんの君は胸つぶれて、かかる折りのらうらうならずはえ参るまじく、けはひ恥づかしく思ふも、心のうちぞ腹ぎたなかりける。




このように、色々な方が、お見舞いに来ていると、お耳にされて、源氏は、重病人が、急に窒息したようなので、女房などは、冷静さを失い、礼儀を乱して、大声を上げましたので、私自身も、落ち着かなく、慌しい気持ちでいます。いずれ改めて、見舞いくださったお礼は、申し上げましょう。と、おっしゃる。
かんの君、柏木は、どきっとして、このような状態のときではなくては、伺うことが出来ず、この場所は、きまりが悪いと思うものの、心の中が、腹汚いのである。

最後は、作者の言葉。




かく生き出で給ひての後しも、おそろしく思して、またまたいみじき法どもを尽くして、加へおこなはせ給ふ。うつし人にてだに、むくつけかりし人の御けはひの、まして世かはり、あやしきもののさまになり給へらむを思しやるに、いと心うければ、中宮をあつかひ聞え給ふさへぞ、この折りは物うく、言ひもてゆけば、女の身はみな同じ罪深きもといぞかしと、なべての世の中いとはしく、かのまた人も聞かざりし御なかの睦物語に、すこし語りいで給へりしことを、言ひいでたりしに、まことと思しいづるに、いとわづらはしく思さる。




このように、息を吹き返しされた後、かえって、恐ろしく思いになり、改めて、たいそうな、修法のあらん限り、今まで以上に、させる。生きていた時でさえ、気味が悪かった御息所の、ご様子であったのに、まして、亡くなって、見せられたものではない姿になっていると想像すると、大変気味が悪く、中宮さまのお世話をさせていただくのさえ、このところ、気が進まず、せんじ詰めれば、女の身とは、皆一様に、罪深いものということになる。一切、女のことを考えるのが、嫌な気がして、あの、ほかに聞く人もなかった、二人の睦言に、少し話題に上げたことを、死霊が口にした以上は、本当の死霊だったのだと、思い出されると、うっかりしたことは、言えないと、思うのである。




御髪おろしてむ、と、せちに思したれば、忌むことの力もやとて、御いただき、しるしばかりはさみて、五戒ばかり受けさせ奉り給ふ。御戒の師、忌むことのすぐれたるよし、仏に申すにも、あはれに尊きこと交りて、人わるく御かたはらに添ひ居て、涙おしのごひ給ひつつ、仏をもろ心に念じ聞え給ふさま、世にかしこくおはする人も、いとかく御心まどふ事にあたりては、えしづめ給はぬわざなりけり。いかなるわざをして、これを救ひ、かけとどめ奉らむとのみ、よるひる思し嘆くに、ほれぼれしきまで、御顔も少しおもやせ給ひにたり。




紫の上が、御髪をおろそうと、熱心に希望されるものだから、戒を受ければ、元気になるかと思い、頭の頂きを、おしるしに切り、五戒だけを、受けさせる。御戒の師が、戒を守るのは、結構なことだと、仏様に申すのも、あはれで、尊い文句がその中にあり、人前構わず、お傍に添って座り、涙を拭いつつ、念仏を一緒にされるご様子は、またとない、立派な方でも、このように、おろおろされる場合にあうと、抑えることが出来ないようだった。どんな事でもして、この方を救い、この世に引き止め申そうとばかり、夜も昼も、嘆いていらっしゃるので、ぼんやりすることになり、お顔も、少し痩せられた。




五月などは、まして晴れ晴れしからぬ空の気色に、えさわやぎ給はねど、ありしよりは少しよろしきさまなり。されどなほ絶えず悩みわたり給ふ。もののけの罪すくふべきわざ、日ごとに法華経一部づつ供養ぜさせ給ふ。日ごとになにくれと尊きわざせさせ給ふ。御枕がみ近くても、不断の御読経、声たふとき限りして読ませ給ふ。あらはれそめては、折々悲しげなる事どもを言へど、さらにこの物怪去りはてず、いとどあつき程は息も絶えつつ、いよいよのみ弱り給へば、いはむ方なく思し嘆きたり。なきやうなる御ここちにも、かかる御けしきを心苦しく見奉り給ひて、世の中になくなりなむも、わが身にはさらに口をしきこと残るまじけれど、かく思しまどふめるに、なむしく見なされ奉らむが、いと思ひぐまなかるべければ、思ひ起こして、御湯などいささか祭るけにや、六月になりてぞ、時々御ぐしもたげ給ひける。めづらしく見奉り給ふにも、なほいとゆゆしくて、六条の院にはあからさまにもえ渡り給はず。




五月雨の頃には、はっきりしない空模様で、紫の上は、今まで以上に、すっきりとはしないが、以前よりは、ましである。しかし、矢張り、ずっと苦しみ続けておられる。物の怪の苦しみを救えるような仏事を、毎日毎日、法華経を一部ずつ読経させられ、毎日毎日、供養させるのである。不断の御読経を、声の尊い僧を選んで、読ませられる。
一旦姿を現してからは、時々、悲しげなことを言うのであるが、いっこうに、この物の怪は、去らず、一層暑い時期で、息も絶えつつ、ただますます、弱られるばかりで、いいようもなく、嘆きあそばすのだ。生きているともいえない気持ちながら、このようなご様子を、気の毒に御覧になり、この世から、去っても、自分は、残念だと思うことはあるまいが、こんなにご心配されているのに、死んでしまったら、源氏の嘆きを、考えていないことになるので、無理に元気を出して、薬湯などを、少し召し上がる。
六月になると、時々、お顔を持ち上げるほどになった。源氏は、それを、嬉しく御覧になるにつけて、まだ危なそうで、六条の院には、少しも、お出向きにならない。




姫宮は、あやしかりしことを、思し嘆きしより、やがて例のさまにもおはせず、悩ましくし給へど、おどろおどろしくはあらず。立ちぬる月より、物きこしめさで、いたく青みそこなはれ給ふ。かの人は、わりなく思ひあまる時々は、夢のやうに見奉りけれど、宮、つきせずわりなき事に思したり。院をいみじくおぢ聞え給へる御心に、ありさまも人の程も、ひとしくだにやはある。いたくよしめきなまめきたれば、大方の人目にこそ、なべての人にはまさりてめでらるれ、幼くよりさるたぐひなき御ありさまにならひ給へる御心には、めざましくのみ見給ふ程に、かく悩みわたり給ふは、あはれなる御宿世にぞありける。御乳母たち見奉りとがめて、院の渡らせ給ふ事もいとたまさかなるを、つぶやきうらみ奉る。




姫宮、女三の宮は、思いも掛けなかったあの事を、お嘆きになった時から、そのまま、普通の具合ではいらっしゃらず、苦しそうにされているが、たいしたことではない。先月から、何も召し上がらず、お顔の色は、青くやせ衰えている。
あの人、柏木は、無理にも我慢の出来ないときは、夢のようにお会いするために来るのだが、宮は、どこまでも、無理なことだと、思うのである。院、源氏を、たいそう怖がる目には、柏木の様子も、身分も源氏と等しい並であろうか。大変風流で、優しい人なので、特別な関係の無い人から見ると、そこらの人より、立派だと、誉められもするが、幼いときから、あのような、またとないご様子の源氏に慣れている御心には、見られない気がするが、その柏木のせいで、お苦しみ続けているとは。何とも気の毒な、運であった。御乳母たちは、御懐妊と知り、院が、こちらにいらっしゃることが稀なのを、ぶつぶつと、お恨み申し上げる。

最後は、作者の思い。
だが、とても、複雑な心境を書く。
女三の宮は、妊娠したのだ。
それが、柏木の子とは、乳母たちは、知らない。


posted by 天山 at 05:53| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月26日

もののあわれについて747

かく悩み給ふと聞し召してぞ渡り給ふ。
女君はあつくむつかしとて、御髪すまして、少しさわやかにもてなし給へり。臥しながらうちやり給へりしかば、とみにもかはかねど、つゆばかりうちふくみ迷ふ筋もなくて、いと清らにゆらゆらとして、青みおとろへ給へるしも、色はさをに白くうつくしげに、すきたるやうに見ゆる御はだつきなど、世になくらうたげなり。もぬけたる虫のからなどのやうに、まだいとただよはしげにおはす。




とても、苦しんでいると、お聞きあそばして、お越しあそばす。
女君、紫の上は、暑苦しいということで、髪を洗い、やや清々しくした様子でいらした。横になったまま、髪を投げ出して、すぐには乾かないが、一本も、くせ髪、乱れ髪もなく、たいそうさっぱりとして、たっぷりとあり、青みを帯びて痩せていらっしゃるが、顔色は、澄んで、白く可愛らしく見えて、透き通るほどに見えるお肌つきなどは、またとないほど、美しい。虫の抜け殻などのように、まだ酷く、ふらふらしている感じでいらっしゃる。




年ごろ住み給はで、すこし荒れたりつる院のうち、たとしへなくせばげにさへ見ゆ。きのふけふかくものおぼえ給ふひまにて、心ことにつくろはれたる遣水前栽の、うちつけにここちよげなるを見いだし給ひても、あはれに今までへにけるを思ほす。




長年住まわず、少し荒れた二条の院の中は、喩えようもなく、狭苦しくさえ感じられる。ここ、一両日、このように意識がある時で、特別に気をつけ、手を入れた遣水や、前栽が、急に、さわやかに感じられるのに、視線を走らせると、よくもまあ、今まで、生きてきたと、思われるのである。




池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを、源氏「かれ見給へ。おのれひとりも涼しげなるかな」と宣ふに、起き上がりて見いだし給へるも、いとめづらしければ、源氏「かくて見奉るこそ夢のここちすれば、いみじく、わが身さへ限りとおぼゆる折々のありしはや」と、涙を浮けて宣へば、みづからもあはれに思して、

紫の上
消えとまる ほどやはふべき たまさかに 蓮のつゆの かかるばかりを

と宣ふ。
源氏
契りおかむ この世ならでも はちす葉に 玉いる露の 心へだつな




池は、大変涼しそうで、蓮の花が一面に咲き誇り、葉は青々として、露は、きらきらと玉のように一面に見える。源氏は、あれを御覧。自分一人涼しそうにしている、とおっしゃるので、体を起こして、外を御覧になるのも、大変嬉しそうで、源氏は、このようなあなたを見るのは、夢のような気がする。とても酷く、自分までも、お終いだと思われたときが、何度もあったのだ、と、涙を浮かべて、おっしゃるので、ご自身も胸が痛むのである。

紫の上
あの露が、消えずに残っている間だけでも、生きられますでしょうか。たまたま蓮の葉に、露が頼るだけの命です。

と、おっしゃる。

源氏
約束しておこう。この世ばかりでなく、あの世でも、蓮の葉に、玉となっている、露のように、少しも心を隔てるな。




いで給ふかたざまはものうけれど、うちにも院にも聞しめさむ所あり。なやみ給ふと聞きても程へぬるを、目に近きに心をまどはしつる程、見奉ることもをさをさなかりつるに、かかる雲間にさへやは絶えこもらむ、と思し立ちて、わたり給ひぬ。




お出掛けされる先は、気が進まないが、主上や朱雀院が、お耳にあそばすこともあり、女三の宮が、ご病気だと聞いてからも、随分になったのに、すぐ傍の人のことを心配していた間、お会いに出ることも、いっこうになかったので、このように、晴れ間にまで、引き籠っていいだろうかと思い立ち、六条の院に、起こしになった。





宮は、御心の鬼に、見え奉らむも恥づかしうつつましく思すに、ものなど聞え給ふ御いらへも聞え給はねば、日ごろのつもりを、さすがにさりげなくてつらしと思しけると心苦しければ、とかくこしらへ聞え給ふ。おとなびたる人召して、御ここちのさまなど問ひ給ふ、女房「例のさまならぬ御ここちになむ」と、わづらひ給ふ御ありさまを聞ゆ。源氏「あやしく、程へてめづらしき御事にも」とばかり宣ひて、御心のうちには、年ごろへぬる人々だにもさることなきを、不定なる御事にもやと思せば、ことにともかくも宣ひあへしらひ給はで、ただうち悩み給へるさまの、いとらうたげなるを、あはれと見奉り給ふ。




女三の宮は、良心に咎められて、お目にかかるのも、恥ずかしく、引っ込み思案になり、源氏が、何かと申し上げる、そのご返事も申し上げないで、何日も逢わずにいたことを、そうだとは、言わないが、情けがないと思っていられるのだと、気の毒なので、何かと、慰めの言葉を申し上げる。年の取ったに女房を呼び出し、お体のご様子などを、お尋ねになると、女房は、普通ではないお体でございます。と、お苦しみになっているご様子を、申し上げる。源氏は、変だな。結婚後随分と経っているから、珍しいことだ。と、おっしゃり、お心の中では、長年連れ添っている人々でも、そう言うことはないのに、当てにならないことでは、ないかと思うので、特に、あれこれとおっしゃらず、お相手されずに、ただご病気の様子が、大変、可愛らしいのを、気の毒に思われる。



posted by 天山 at 05:38| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

もののあわれについて748

からうじて思し立ちて渡り給ひしかば、ふともえ帰り給はで、二三日おはするほど、いかにいかにとうしろめたく思さるれば、御文をのみ書きつくし給ふ。女房「いつのまにつもる御言の葉にかあらむ。いでや安からぬ世をも見るかな」と、若君の御あやまちを知らぬ人は言ふ。侍従ぞ、かかるにつけても胸うちさわぎける。




やっと思い立って、お越しになったのだが、さっさと帰ることも出来ず、二、三日お出でになる間も、紫の上が、気掛かりで、お手紙ばかり、次から次へと書かれる。女房は、いつの間にたまるお言葉なのでしょう。いいえ、心配なお方ですね。と、若君の、間違いを知らぬ人は言う。当の侍従は、このようなことにつけても、胸が騒ぐのだった。




かの人も、かく渡り給へりと聞くに、おほけなく心あやまりして、いみじき事どもを書き続けて、おこせ給へり。対にあからさまに渡り給へる程に、人まなりければ、しのびて見せ奉る。女三の宮「むつかしき物見するこそいと心うけれ。ここちのいとどあしきに」とて臥し給へれば、侍従「なほただこのはしがきのいとほしげに侍るぞや」とてひろげたれば、人の参るに、いと苦しくて、御几帳ひき寄せて去りぬ。いとど胸つぶるるに、院入り給へば、えよくも隠し給はで、御しとねの下にさしはさみ給ひつ。




あの人も、このように六条の院に、お出でになったと聞くと、大胆にも、考え違いをして、宮への恋慕を書き連ねて寄こした。紫の上がいらした、対の屋に少しお出であそばした間に、お傍に誰もいなかったので、小侍従が、こっそり手紙をお見せすると、女三の宮は、困ったものを見せるのは、辛い。気分が悪くなる。と横になったままなので、侍従は、でも、このはじめに書いてあるのでも、お気の毒な気がいたします。と言い、広げたとき、誰かが来るので、困ってしまい、御几帳の宮様の方へ、引き寄せて出て行った。宮は、いっそう、どきりとするのに、院がお入りになったので、上手に隠すことが出来ず、座布団の下に、差し入れた。




ようさりつ方、二条の院へ渡り給はむとて、御いとま聞え給ふ。源氏「ここには、けしうはあらず見え給ふを、まだいとただよはしげなりしを、見すてたるやうに思はるるも、今さらにいとほしくてなむ。ひがひがしく聞えなす人ありとも、ゆめ心おき給ふな。いま見なほし給ひてむ」と語らひ給ふ。例は、なまいはけなきたはぶれごとなども、うちとけ聞え給ふを、いたくしめりて、さやかにも見あはせ奉り給はぬを、ただ世のうらめしき御けしきと心え給ふ。昼の御座にうち臥し給ひて、御物語りなど聞え給ふ程に、暮れにけり。少しおほしのごもり入りにけるに、ひぐらしのはなやかに鳴くにおどろき給ひて、源氏「さらば道たどたどしからぬ程に」とて、御ぞなど奉りなほす。




その夜、二条の院に、お帰りされようと、ご挨拶をなさる。源氏は、あなたは、具合が悪くないようだが、あちらは、まだ酷くふらふらしているようだった。構わずに、出で来たように思われると、今更、可愛そうなので。けしからぬことを、申し上げる者が居ても、決して、お疑いなさらぬように。私の気持ちは、すぐにお分かりになるはずです。と言って聞かせる。いつもなら、子供っぽい冗談など、気楽におっしゃるのに、今日は、酷く沈みこんで、目を合わせることもされないのを、ただ愛情を疑ってのことと、考える。
昼の御座所に、お休みになり、お話などをされている間に、夕暮れになった。少しお休みされたが、ひぐらしが派手に鳴くので、目を覚まされ、源氏は、それじゃあ、道が暗くならない前に、と、おっしゃり、お召し物などを、着直す。




女三の宮「月待ちて ともいふなるものを」と、いと若やかなるさまして宣ふは、憎からずかし。そのまにもとや思すと、心苦しげに思して、立ちとまり給ふ。

女三の宮
夕露に 袖ぬらせとや ひぐらしの なくを聞く聞く 起きてゆくらむ

かたなりなる御心にまかせて言ひいで給へるもらうたげれば、つい居て、源氏「あな苦しや」と、うち嘆き給ふ。

源氏
待つ里も いかが聞くらむ かたがたに 心さわがす ひぐらしのこえ

など思しやすらひて、なほ情なからむも苦しければ、とまり給ひぬ。静心なくさすがにながめられ給ひて、御くだものばかり参りなどして、おほとのごもりぬ。




女三の宮は、月を待って、とも言うそうですのに、と若々しい様子で、おっしゃるのは、可愛らしい。その間でも、と言うのだろうかと思うと、気の毒な感じがして、立ち止まる。

女三の宮
この夕露に、袖をぬらせという、おつもりで、ひぐらしの鳴くのを、お耳にされならが、起きて、行かれるのですか。

子供のような気持ちのまま、おっしゃるのも、いじらしいので、その場に、膝をついて、源氏は、困ったなあ、と、溜息をつく。

源氏
待っている方も、どのように聞くのだろうか。あちらこちらに、私の心を騒がす、ひぐらしの声だ。

などと、お心は定まらず、矢張り、無情に帰るのも、気の毒なので、お泊りになった。けれども、心は、落ち着かず、物思いに沈むばかりで、果物だけを、召し上がりになり、お休みあそばした。

さらば道たどたどしからぬ程に
古今六帖
夕やみは 道たどたどし 月待ちて 帰れわがせこ そのままにも見む

待つ里も・・・
古今集
来めやとは 思ふものから ひぐらしの 鳴く夕ぐれは 立ち待たれつつ

歌にかけて、紫の上が、気掛かりだという。


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2015年05月28日

玉砕30

次に見るのは、AL作戦、つまり、アリューシャン作戦である。

これは、アリューシャン西部要地の攻略であり、ミッドウェー作戦案を容認するかわりに、大本営が、交換条件のようにして、連合艦隊に提示したものだ。

この提案をした、軍令部の趣旨は、おおむね、米ソ連係の遮断と、米空母部隊による、日本本土に対する空襲の防止である。

これに、連合艦隊が同意したのは、以前から、その必要性を感じていたからである。
その上、ミッドウェー作戦に対する、戦術的牽制、もしくは、米艦隊の出撃を促がす補助手段となるかもしれないという期待である。

実際に、米艦隊を、アリューシャン方面に、引き寄せることは、起こりえないかもしれないが、少なくとも、米軍の指揮を、混乱させる事が出来るというものだった。

この作戦は、連合艦隊の大半が、北部、中部太平洋を含む、広大な地域に展開する事になったのである。

それにしても、日本軍の行動は、凄まじかったと、思うのである。
太平洋全域を取り込んだ、戦争は、唯一である。
太平洋戦争と、言われる所以である。

その作戦は、まず、アリューシャン東部で、最も強力な根拠地である、ダッチハーバーを、空母基幹部隊で、急襲し、これを牽制する。
その後、空母部隊と、潜水部隊をもって、アリューシャン東方を警戒しつつ、列島西部要地、アダック、キスカの各島の攻略を行なう。

攻略は、昭和17年、6月3日、まず海軍陸戦部隊が、単独で、キスカ島を占領する。
一方で、陸軍兵力を含む部隊をもって、アダック島に上陸し、軍事施設を破壊後、アッツ島に転進して、これを占領する。

3日の真夜中、濃霧を衝いて、軽空母二隻を基幹とする第二機動部隊が、ダッチハーバーを目指して、全速で突進していた。

ダッチハーバーには、アメリカ陸軍約5000名と、海兵隊650名ほどが、駐屯していた。

当夜、米軍は、入念な索敵飛行を実施していたが、極北特有の悪天候が、日本軍に幸いした。

敵に気取られることなく、哨戒線を突破した。

ダッチハーバーに対する、空襲は、4日にかけて、三回実施したところで、思い掛けない命令が、連合艦隊から届く。
第二機動部隊は、急ぎ、ミッドウェー島の攻略作戦中の、南雲機動部隊と、合同せよという、命令である。

角田少将は、驚いたが、飛ばしていた飛行機を収容して、ただちに、南下を始めた。
しかし、その後、山本五十六連合艦隊司令長官より、撤回の通告が届いた。

角田部隊は、再度反転することになる。
また、延期の命令で、内地に引き返していた、キスカ、アダック、アッツ島攻略の部隊も、反転した。

その後、アダック島上陸に不安があるとする、大本営の意向で、5日朝、アダック島南西225浬地点にいた、指揮官大森少将の元に、中止命令が届いた。

大森少将指揮の部隊は、7日、アッツ島に接近し、北海支隊1200名を、無血上陸させた。

日本軍は、アッツ島に、いくらかの守備兵力があるとしていたが、実際は、子供を含めた原住民39名と、牧師夫婦がいたのみである。

キスカ島の攻略部隊も、7日、アメリカ軍の臨時観測所の勤務員10名がいるだけの、島に、何らの抵抗もなく、上陸した。

勿論、ここでも、いずれ玉砕が起こる。

さて、この大東亜戦争の、分岐点ともいえる、ミッドウェー海戦である。

昭和17年5月、北太平洋の中央にある、ミッドウェー島を巡り、日本とアメリカの、機動部隊の戦いがあった。

日本は、ここに哨戒基地を作るということであった。
しかし、山本五十六連合艦隊司令長官は、この戦いで、アメリカの空母を叩き、政治的解決を目指そうとしていた。
山本は、長期戦で、戦うことは、出来ないと信じていた。
つまり、長期戦では、アメリカに負けるというもの。

日本海軍は、空母四隻をはじめ、巡洋艦などの機動部隊をつぎ込んだ。
真珠湾に奇襲をかけた部隊が中心になり、兵士たちの士気も高い。

ただし、勿論、この作戦もアメリカは、暗号傍受して、ミッドウェーで待ち伏せしていたということだ。

日本の機動部隊を発見するや、アメリカの機動部隊は、日本の空母、攻撃機に爆撃を浴びせた。

雲間に隠れていた攻撃機が、急降下して、空母を襲う。

ミッドウェーでは、日本の主要な空母の半分を失うという、大損害を受けたのである。
また、日本海軍の優秀なパイロット、1000人余人も失った。
玉砕である。

この、ミッドウェーの敗戦は、国民には知らされなかった。
それほどに、衝撃的だったのだ。

この時も、日本軍は、アメリカに暗号を解読されていることを、知らないのである。
アメリカの暗号解読能力を軽く見ていた。
アメリカの空母が、すでにレーダーで正確に、敵を捕捉するだけの、技術を開発していたのである。
もし、それを知っていたら・・・
戦いは、逆転していたはずである。

ミッドウェー海戦後の、ニューギニア戦線、第一次ソロモン海戦などは、アメリカ軍の猛攻撃を受けつつも、また日本側が、損害を出しつつも、勝利を得ている。

つまり、戦いに強かったのである。
だが・・・
何かが足りない。
それは、それぞれの作戦遂行の後の、反省と、策略を練ることに、怠慢だったといえる。

ただし、国民は、日本軍は、勝ち続けていると、信じていた。


posted by 天山 at 06:25| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月29日

玉砕31

昭和17年、1942年、三月上旬までに、日本は、蘭印、つまりインドネシア、および、ビルマ・ラングーンを占領して、目的を達し、戦局の新たな段階を迎えた。
第二段作戦への、移行である。

緒戦の南方作戦における、大本営陸海軍部の主な狙いは、蘭印の資源獲得であった。
開戦と同時に、英領マレー半島、米領フィリピンを占領して、一大拠点を築き、これを足場に、迅速に蘭印を攻略する。

そして、その資源を確保して、スマトラ島からジャワ島にかけての湾曲した線を結ぶ、大スンダ列島に沿って、防衛線を形成する構想である。

その目的が、予想以上に早く達成された。
ただちに、第二段作戦の実施に着手しなければならない。

だが、実際、大本営は、第一段作戦が完了した後の、確固とした、見通しを持っていなかったのである。

これは、日本が計画的に、対米戦争に望んだわけではないという、証拠になるものだ。

ゆえに、第二段作戦について、陸海統帥部間では、昭和17年2月上旬から、3月上旬にかけて、折衝が行われた。
しばしば、激しい論争がかわされた。

大本営陸海部が、この戦争遂行の、根本方針として、抱いていたのは、伊独と呼応した作戦構想で、イギリスの早期屈服を計る事、ビルマを突破し、インドに進攻して、西アジアを通じて、東進してくるであろう、ドイツ軍と手を結ぶ。
そして、中国大陸の戦火を、出来るだけ早く終結させることであった。

陸軍としては、太平洋正面は、持久態勢を固めるという方針で、戦力を延伸展開することを、望まないのである。

陸軍が腐心していたことは、中国戦線である。
蒋介石は、米英の後押しで、なかなか音を上げることがない。
このままでゆくと、究極的には、中国大陸が、米英の日本本土に対する、拠点となる危険性もあるとして、対支関係の解決を、対米英蘭戦とは、別個に考慮すること、その解決として、和戦いずれを選ぶにせよ、対米戦終結以前に、終了することが、望ましいとしていた。

だが、解決法が、見出せないのである。
つまり、蒋介石に対する、米英の支援である。
いずれにせよ、日本は、対米英戦争を戦うことになる。

アメリカを孤立させるためにも、インドから更に西に向かい、中近東に進んで、伊独と手を結ぶことで、イギリスを降参させたい。
その、同盟国の事情も考える。

ここに至ると、無謀な戦いのように、考えるが・・・
だが、意味のある戦争だった。

日本軍の、玉砕は、無意味ではなかった。

海軍は、陸軍とは違い、上層部では、伊独の力を信用しない者が多かった。
主敵は、あくまで、アメリカだとして、自然と、太平洋に向いていた。

特に、開戦から、この時期にかけて、オーストラリアに目を向けていたのである。
第一段作戦をジャワで止めると、その正面に、近距離で、オーストラリアと対峙することになる。

この大陸に、アメリカで生産される、航空機や、潜水艦を運び込まれて、反抗の基地とされるならば、かなわないという気持ちである。

ジャワ島だけではなく、既得した、南方地域の、すべての防衛、海上交通に、大きな脅威となる。

そこで、海軍部は、思い切って、オーストラリアの一部攻略を考えたのである。
オーストラリアの攻略は、戦略上必要であるばかりではなく、イギリス連邦から、いち早く、脱落させることにもなり、攻略上からも、有効であると、判断していた。

だが、陸軍は、大陸への進攻は、長年に渡り、中国との戦いで、十分経験済みであり、かつ懲りていた。

海軍部が持ちかけた作戦は、結局、戦火はオーストラリア全土に拡大すると、予測したのである。

そこで、陸軍部は、具体的な数字を上げて、反対した。
オーストラリア攻略に必要とする、陸軍兵力の見積もりは、とんでもないほどの、負担である。

兵力が解決しても、人員と物資を輸送する、船舶の動員がうまくゆかず、頓挫するだろうとの、見立ててである。

その破綻が、綻びとなり、戦争遂行の根幹を崩壊させることにも、なりかねないとの、見方である。

つまり、船舶不足の問題が、すでに顕在化していたのである。
この輸送用に対する、認識不足は、海上護衛と同様に、戦争に突入してみるまで、明確にわかっていなかったということだ。

後に、様々な戦場における、輸送船が、攻撃されてしまう。

トラック諸島、現在のチューク諸島などは、輸送船200隻ほどが、攻撃を受けて、沈没した。
物量では、アメリカに敵わない。

それが、玉砕の大きな、ポイントでもある。
食糧を積んだ船が、皆、攻撃を受けて、沈没するのである。
戦死より、餓死の方が多いという事実。

ニューギニア戦線も、ガダルカナルも、多くは、餓死である。
フィリピン戦線も、餓死が多い。

戦いに、斃れるならば・・・よかったが・・・
餓死とは・・・
実に、あはれ、である。

更には、日本軍の兵士同士が、食べ物で、殺し合うことも現実だった。
だが、それも、玉砕である。
戦場で、斃れた兵士たちは、玉砕したのである。



posted by 天山 at 07:02| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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