2015年04月30日

もののあわれについて739

同じさまにて、二月もすぎぬ。言ふ限りなく思し嘆きて、こころみに所をかへ給はむとて、二条の院に渡し奉り給ひつ。院の内ゆすり満ちて、思ひ嘆く人多かり。冷泉院も聞し召し嘆く。この人うせ給はば、院も必ず世をそむく御本意とげ給ひてむと、大将の君なども、心わつくして見奉りあつかひ給ふ。御修法などは、大方のをばさるものにして、取り分きて仕うまつらせ給ふ。いささか物思し分くひまには、紫「聞ゆる事をさも心うく」とのみ恨み聞え給へど、限りありて別れはて給はむよりも、目の前にわが心とやつし捨て給はむ御有様を見ては、さらに片時たふまじくのみ、惜しく悲しかるべければ、源氏「昔より、みづからぞかかる本意深きを、とまりてさうざうしく思されむ心苦しさに、ひかれつつ過ぐすを、さかさまにうち捨て給はむとや思す」とのみ、惜しみ聞え給ふに、げにいと頼みがたげに弱りつつ、限りのさまに見え給ふ折々多かるを、「いかさまにせむ」と思し惑ひつつ、宮の御方にも、あからさまに渡り給はず。御琴どももすさまじくて、皆ひきこめられ、院のうちの人々は、皆ある限り二条の院につどひ参りて、この院には火を消ちたるやうにて、ただ女どちおはして、人ひとりの御けはひなりけりと見ゆ。




紫の上は、同じ状態で、二月も過ぎた。言いようもないほど、ご心配で、ためしに場所を替えようと、二条の院に、お連れする。
院の中では、どこもかしこも大騒ぎで、心配する者が多い。冷泉院もお耳にされて、嘆かれる。このお方が亡くなられたら、源氏も、きっと、御出家の希望を遂げられるだろうと、大将の君も、見事に看病される。
御修法などは、普通のことは勿論、特別に命じて、させ給う。少しでも、意識がはっきりする時には、紫の上が、お願いしたことを、あんなに、情けなくも、とばかり、恨まれるが、寿命が尽きて、お別れになってしまうよりも、見ているところで、ご自分の意志で、出家される姿を見ては、ほんの少しの間も堪えられず、惜しく悲しく思うはずなので、源氏は、昔から、私自身、その希望が強いのだが、後に残り、つまらなく思うであろう。それがお気の毒で、心引かれて、日を送っている。逆に、私を捨てようと思うのですか。と、ばかり、お許しにならないが、お言葉通り、命が続きそうもなく弱って、危篤かと、見えることが、何度かあると、どうしようかと、思案にくれる。宮のお部屋へも、少しも出掛けることはない。
数多い琴も、気が乗らず、どれも皆、しまいこんで、院の中にいる人たちは、すべて二条の院に集まり、六条の院は、まるで、火が消えたようで、ほんの女ばかりがいて、六条の院の、華やかさは、お一方のゆえであると、思われる。




女御の君も渡り給ひて、もろともに見奉りあつかひ給ふ。紫「ただにもおはしまさで、物怪などいと恐ろしきを、早く参り給ひね」と、苦しき御ここちにも聞え給ふ。若宮のいとうつくしうておはすを見奉り給ひても、いみじく泣き給ひて、紫「おとなび給はむをえ見奉らずなりなむこと。忘れ給ひなむかし」と宣へば、女御せきあへず悲しと思したり。源氏「ゆゆしく、かくな思しそ。さりともけしうはものし給はじ。心によりなむ、人はともかくもある。おきて広きうつはものには、幸もそれに従ひ、せばき心ある人は、さるべきにて、高き身となりても、ゆたかにゆるべる方は後れ、急なる人は、久しく常ならず、心ぬるくなだらかなる人は、長き例なむ多かりける」など、仏神にもこの御心ばせのありがたく罪かろきさまを申しあきらめさせ給ふ。




女御の君も、越しになって、源氏と一緒に、看病される。
紫の上は、普通のお体ではないのに、物の怪などが怖いことですから、早くお帰りあそばせ、と、苦しい気分の中でも、申し上げる。若宮が、とても可愛くてあるのを、御覧になり、大変泣いて、大人になるのを、拝見できずに、なりましょう。きっと、お忘れになってしまうでしょう。と、おっしゃると、女御は、涙を堪えかねて、悲しく思う。
源氏は、縁起でもない。そんな考えはするものではない。いくらなんでも、悪いことはないはずだ。気持ち次第で、人間は、どうにでもなる。心の広い人は、幸福も付いて回る。了見の狭い人は、運命によって、高い身分になっても、ゆったりと余裕なく、性急な人は、長く持ち続けられず、おっとりして穏やかな人は、寿命も長い例が多い。などと、おっしゃり、仏神にも、この方の性質が、またとないほど立派で、罪の軽いことを、説明されるのである。




御修法のあざりたち、夜居などにても、近く候ふ限りのやむごとなき僧などは、いとかく思し惑へる御けはひを聞くに、いといみじく心苦しければ、心を起こして祈り聞ゆ。少しよろしきさまに見え給ふ時五六日うちまぜつつ、また重りわづらひ給ふこと、いつもとなくて月日を経給へば、なほいかにおはすべきにか、よかるまじき御ここちにや、と思し嘆く。御物怪など言ひて出で来るもなし、なやみ給ふさまそこははかと見えず、ただ日に添えて弱り給ふさまのみ見ゆれば、いともいとも悲しくいみじく思すに、御心のいとまもなげなり。




御修法のあざりたち、夜の間、詰めるのでも、近くにお付きする高僧たちは、皆、このようにうろたえていらっしゃる御様子を聞くと、何とも、お気の毒で、心を奮いおこして、お祈りされる。少しは、進行が止まると見られる日が、五、六日続いては、また、重くなり、悩まれるということが、いつまでも続いて、月日を過ごされるので、一体、どのようになるのか、治らない病なのかと、悲しまれる。御物の怪だといって、出てくるものもなく、苦しまれる様子は、どこがどうともなくて、ただ日が経つに連れて、弱られる一方で、とても悲しく、辛いことだと、思われて、お心が休まる暇もないのである。

これは、源氏の心境である。




まことや、衛門の督は中納言になりにきかし。いと親しく思されて、いと時の人なり。身の覚えまさるにつけても、思ふことのかなはぬ憂れはしさを思ひわびて、この宮の御姉の二の宮をなむ得奉りてける。下らふの更衣腹におはしましければ、心やすき方まじりて思ひ聞え給へり。人柄も、なべての人に思ひならずらふれば、けはひこよなくおはすれど、もとよりしみにし方こそなほ深かりけれ、慰めがたき姨捨にて、人目にとがめらるまじきばかりに、もてなし聞え給へり。




そうだった。衛門の督、柏木は、中納言になったのだ。
今上陛下におかせられては、大変、ご信任あそばされて、酷く栄えている。名声が高まるにつけても、思いがかなわぬ悲しさを嘆いて、この宮の、御姉君の、二の宮に、御降嫁いただいた。身分の低い、更衣がお生みした方で、おいであそばす。軽く思うこともなく、考えた。人柄も、普通の人と比べると、感じが、とても良くて、初めから思い込んでいた方には、矢張り深いものだろう。慰め難き姨捨で、人に見咎められない程度に、扱い申し上げた。

突然、話が変るのである。

女三の宮に、心があるのに・・・
その御姉の二の宮に、御降嫁、つまり、位置の低い方に、嫁がれたのである。

姨捨
古今集 読み人知らず
わが心 なぐさめかねつ 更科や 姨すて山に 照る月を見て





posted by 天山 at 06:35| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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