2015年04月17日

もののあわれについて737

v源氏「みづからは、幼くより、人に異なる様にて、ことごとしく生ひいでて、今の世の覚え、ありさま、きし方にたぐひ少なくなむありける。されどまた世にすぐれて、悲しきめを見る方も、人にはまさりけりかし。まづは思ふ人にさまざまおくれ、残りとまれる齢の末にも、あかず悲しと思ふこと多く、あぢきなくさるまじきことにつけても、あやしく物思はしく、心にあかず覚ゆること添ひたる身にて過ぎぬれば、それにかへてや、思ひし程よりは今までもながらふるならむ、となむ思ひ知らるる。君の御身には、かの一筋の別れより、あなたこなた、物思ひとて心乱り給ふばかりの事あらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれよりつぎつぎは、やむごとなき人といへど、皆かならず安からぬ物思ひ添ふわざなり。高き交らひにつけても心みだれ、人にあらそふ思ひの絶えぬも安げなきを、親の窓の内ながら過ぐし給へるやうなる、心やすきことはなし。そのかた、人にすぐれたりける宿世とは思し知るや。思ひのほかに、この宮のかく渡りものし給へるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる心ざしのほどを、御みづからの上なれば、思し知らずやあらむ。物の心も深く知り給ふめれば、さりともとなむ思ふ」と聞え給へば、紫「宣ふやうに、ものはかなき身には過ぎにたるよその覚えはあらめど、心に堪へぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける」とて、残り多げなるけはひ、恥づかしげなり。




源氏は、私は小さなときから、人とは違ったように、仰々しく成人して、現在の評判や暮らしぶりは、昔に例がないくらいだ。しかし、それとは別に、人並み以上に、悲しい目を見ることでも、誰よりも、多かった。第一に、可愛がってくれる人に、それぞれ先立たれ、一人生き残った晩年にも、いくら考えても、悲しくてたまらないという思うことがあり、つまらない、けしかんらぬことにつけても、妙に心配し、不満に思う事が、付きまとう有様が、沢山あって、過ごしてきた。その代わり、昔思ったより、今までも、生きながらえたのだろう。と、考える。あなたの方は、あの時の、別れ以外に、何かのことで、心配して、お苦しみされるほどの事は、あるまいと思う。皇后といっても、ましてそれより下の人たちは、身分の高い方といっても、皆、必ず心の休まることなく、心配事が、ついて回るもの。高いお付き合いをするにつけても、苦しむし、人に張り合う気持ちの絶えないもの、いらいらするだろう。あなたのように、親の手元で暮らしていられるような気楽さはない。その点、誰にも勝る運命だとは、お気づきだろうか。思いかけず、この宮が、こうして、興し入れされたことは、面白くないことだろうが、それにつけては、いっそう、増した愛情の深さを、ご自分のことなので、あるいは、お気づきかもしれない。物事も良く解りのことだろうから、いくらなんでも、お分かりだろうと思う。と、申し上げると、紫の上は、おっしゃいますように、つたない私には、過ぎた事と、よそ目には、思われますでしょう。胸に収めきれない悩みばかりが、付いて回るのは、私の身のお祈りだったのですね。と、まだ言いたいことが残る様子で、こちらの身か縮むのである。




紫「まめやかには、いと行き先少なきここちするを、今年もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも聞ゆる事、いかで御ゆるしあらば」と聞え給ふ。源氏「それはしも、あるまじきことになむ。さてかけ離れ給ひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れのへだてなきうれしさのみこそ、ますことなく覚ゆれ。なほ思ふさま異なる心の程を、見はて給へ」とのみ聞え給ふを、「例の、こと」と心やましくて、涙ぐみ給へるけしきを、いとあはれと見奉り給ひて、よろづに聞え紛はし給ふ。




紫の上は、本当に、もう長くはない気がします。今年も、このまま、知らず過ごすのは、なんとも気掛かりです。前々にもお願いしたこと、何とか、お許しがあれば、と、申し上げる。源氏は、それが、とんでもないことなのだ。そのように、離れてしまったら、後に残る私は、何の生きがいがあるだろう。ただ、このように、何ということもなく、過ぎる年月が、朝に晩に顔を合わせる嬉しさだけで、これ以上のことはないのだと思う。矢張り、私の愛情が、どんなに深いのかを、最後まで、見届けてください。と、ばかりおっしゃるが、紫は、いつもの通り、同じ事を、と、胸が痛んで、涙ぐんでいられるご様子を、可愛そうに思い、話題を探して、話を続けになる。




源氏「多くはあらねど、人の有様の、とりどりに口惜しくはあらぬを見知りゆくままに、まことの心ばせおいらかに落ちいたるこそ、いとかたきわざなりけれとなむ、思ひはてたる。大将の母君を、幼かりし程に見そめて、やむごとなくえさらぬ筋には思ひしを、常に中よからず、へだてあるここちしてやみにしこそ、今思へばいとほしく悔しくもあれ、またわがあやまちにのみもあらざりけり、など、心ひとつになむ思ひいづる。うるはしく重りかにて、そのことの飽かぬかな、と覚ゆる事もなかりき。ただいとあまり乱れたる所なくすくずくしく、少しさかしとや言ふべかりけむと、思ふには頼もしく、見るにはわづらはしかりし人ざまになむ。




源氏は、多くは知らないが、女の人は、それぞれに取りえのるものだと、分ってゆくにつれ、生まれつきの性質が、穏やかで、落ち着いている人は、なかなかいる者ではないと、思うようになった。大将の母君は、小さい時から、連れ添って、しゃんとした、離れぬ本妻だと思ったが、いつものように、うまくゆかず、溝のある気持ちで終わったが、今思うと、かわいそうで、心残りもある。しかし私一人の罪ではなかったのだと、人知れず、思い出す。きちんとして、重々しくて、どこが足りないのかと思う所のなかった。ただ、あまりきちんとしすぎて、そっけなく、少しばかり、賢すぎるというべき人だった。心で考える時には、頼みになり、一緒に暮らすのは、煙たい人柄だった。




中宮の御御息所なむ、さまことに、心深くなまめかしき例には、まず思ひ出でられるど、人見えにくく、苦しかりし様になむありし。恨むべきふしぞ、げに道理と覚ゆるふしを、やがて長く思ひつめて、深く怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか。心ゆるびなく恥づかしくて、われも人もうちたゆみ、朝夕のむつびを交さむには、いとつつましき所のありしかば、うちとけては見おとさるる事やなど、あまり繕ひしほどに、やがて隔たりし中ぞかし。いとあるまじき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きをいみじく思ひしも、われ罪あるここちしてやみにしなぐさめに、中宮をかく、さるべき御契りとはいひながら、取りたてて、世のそしり人の恨みをも知らず、心よせ奉るを、かの世ながらも見なほされぬらむ。今も昔も、なほざりなる心のすさびに、いとほしく悔しきことも多くなむ」と、来し方の人の御上、すこしづつ宣ひ出でて、源氏「内の御方の御後見は、何ばかりの程ならずとあなづりそめて心安きものに思ひしを、なほ心の底見えず、際なく深き所ある人なむ。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬけしき下にこもりて、そこはかとなく恥づかしき所こそあれ」と宣へば、紫「こと人は見ねば知らぬを、これは、まほならねど、おのづからけしき見る折々もあるに、いとうちとけにくく、心恥づかしき有様しるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかに見給ふらむとつつましけれど、女御はおのづから思し許すらむ、とのみ思ひてなむ」と宣ふ。




中宮の母上の御息所は、並々ならぬ方で、奥深く優雅な人としては、第一に心に浮かんでくるのだが、逢うのは、気詰まりで、息苦しい感じの人だった。恨むのは、全く無理もないと、思われることを、あちらは、長く思い詰めて、深く恨みとされたのが、本当に辛かった。緊張のし通しで、気詰まりで、私もあちらも、ゆっくりとした気持ちで、朝夕と睦まじく逢うには、酷く、気の置けるところがあったので、こちらが、気を許したら、軽蔑されまいかと、体裁を飾りすぎたうちに、そのまま仲が、切れてしまった。大変申し訳ない評判を立てて、ご身分に相応しくない者となった。嘆きを、深く思い込んでいられるのが、お気の毒で、いかにも、人柄を考えても、自分に罪がある気がして、あれっきりになっている罪滅ぼしに、中宮を、このように、前世からの、お約束もあるといいつつ、特別に、お世話して、世間の非難も、人の恨みも構わず、御後援しているから、あの世からではあっても、考え直してくださろう。今も昔も、いい加減な気まぐれから、お気の毒なこと、後悔することも多い。と、過去の婦人方の事を、少しずつおっしゃり、
入内させた女御のお世話役には、何ほどの生まれでもないと、初めは馬鹿にして、気楽な相手と思っていたが、どうして、浅はかではない。際限なく、深みのある人だ。上辺は、素直で、おとなしく見えるが、しっかりしたところがあり、どことなく、気になるところがある。と、おっしゃると、紫の上は、他の方は、逢ったことがありませんので、存じ上げませんが、こちらは、すぐでありませんが、ひとりでに、様子の分る時も何度かあります。気のおける感じがはっきりして、お話ににもならぬ私の、開け放しを、どう思っておらよれるかと、気が引けます。女御は、何も申しませんが、おとがめはないと思います、と、おっしゃる。





posted by 天山 at 07:00| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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