2015年04月06日

玉砕16

日英同盟は、アメリカにとって、不都合だった。

日露戦争までは、日本に好意的だったアメリカも、それ以降は、日本を仮想敵国として、太平洋に着々と、海軍を増強しつつあったのだ。

そして、日米が争うことになれば、同然、日英同盟によって、イギリスは、日本の味方をする。
それは、アメリカにとっては、実に不利である。
大西洋のイギリスと、太平洋の日本と、二つの海を支配しなければならない。

ここで、はっきりと、1921年から、アメリカが日本を仮想敵国だと、意識したことである。これが、後々に続く、大戦の意義になる。

日本が一人勝手に、開戦をしたのではない。
アメリカが、日本を引きずり込んだのである。
ここが、問題である。
アメリカの利益、国益に適うことならば、アメリカは、遠慮などしない。

どんなに穢い手を使っても、思い通りにするという、アメリカの根性を、覚えておくべきである。

勝てば、善になるという、暴論を持つ国、アメリカである。

アメリカは、何が何でも、日英同盟を潰す考えであった。
そして、日本の切なる願い、必至の抵抗にも関わらず、同盟は、廃止された。
その代償として、何の役にも立たない、日米英仏四カ国条約が締結される。

ここで、もう一つ書いておくことは、同時にイギリス帝国の自治領だった、カナダが、対米関係を考慮して、日英同盟の廃止を、熱心に主張したことである。

カナダは、当時、日本の移民の排除に、熱心な国であり、アメリカの排日政策に、共感していた。
それも、人種差別の思想である。

アメリカの日本敵視政策は、日英同盟がなくなったことにより、ますます露骨なものになった。
そのために、徹底的に、シナを利用しようとしたのである。

当時のシナには、プロテスタント系の牧師がいて、アメリカには親シナ派の文化人が大勢いた。
そのため、アメリカの反日勢力は、シナの反日運動を、支援していたのである。

現在に至る、反日は、元を辿れば、アメリカに行き着く。
韓国の反日も、元はアメリカからのものである。

よって、シナの反日運動は、必ず、アメリカの反日運動と結び付いたのである。

日本にとって、日露戦争後、最大の暗雲の一つであったという。

現在は、日米同盟が結ばれているが・・・
これは、共に、国益を考えれば、必要不可欠であろう。
だが、アメリカの根性を覚えておく必要がある。

今に至る問題の種は、アメリカが蒔いたものである。
その歴史を公にする事は、アメリカにとって、不都合なことばかりである。
だが、それを前提に、日米同盟を考えておく必要がある。

国際社会は、複雑怪奇である。
敵が味方になったり、味方が敵になる。
その時、その時の状況により、コロコロと変わる。
そして、変えるべきなのだ。

日本のように、清廉潔白は、通用しない。
狡賢く振舞うこと。それに尽きる。

国益を最重要と考えれば、手段を選ばないのが、国際社会である。
特に、大東亜戦争以前のアメリカは、その最たる国だった。

そして、もう一つは、ソ連のスターリンである。
敵同士を戦わせて、漁夫の利を得ると言う。

大東亜戦争、第二次世界大戦の、戦犯を挙げるとすれば、スターリン、イギリスのチャーチル、そして、アメリカの、ルーズベルトとなる。

そのソ連との衝突が起こったのは、日中事変が始まり、一年後のことである。

発端は、朝鮮・満州と、ソ連が国境を接している、張鼓峰に、ソ連軍が進出して、陣地を構築したことだった。
現地の日本軍は、逸りたち、日中事変が長引く中での、ソ連の出方、戦闘力を試すためにも、この際は、張鼓峰のみに限定して、戦うべきだ、という主張である。
が、軍中央は、慎重だった。

中国戦線で、首都漢口に兵を進めている最中である。
その上、ソ連と長期紛争は出来ないと、二の足を踏む。

だが、好結果を生むと言う、強硬論が勝ちを占めた。

朝鮮軍は、勇躍して態勢を整え、攻撃にととりかかろうとしていた。
が、急電が入った。

それは、陸相と参謀総長が、上奏を願い出ると、天皇は、侍従武官長に、
もし、武力行使を許せということなら、自分は許す意志はない。だからそのためなら参内に及ばない、
との内意を伝えた。

だが、二人は、それでもと、願い出るので、天皇は応じたが、参内して侍従武官長から詳しく聞いた、閑院宮参謀総長は、それでは仕方が無いと、諦めて退出した。
遅れた板垣刳陸相は、武力行使の余儀なきことを、天皇に力説した。
天皇は、
関係大臣との連絡はどうなったのか
との質問に、
外相も海相も賛成いたしました。
と、述べるが、実は、外相も海相も、兵の配備には同意したが、武力行使には、反対であることを、天皇は知っていた。

そこで、天皇は、
元来、陸軍のやり方は、けしからん。満州事変といい、先般の盧溝橋といい、中央の命令に服さず、出先の独断で、あるまじき卑劣な方法を用いることが、しばしばである。朕の軍隊として、まことに、けしからんことだと思う・・・
との、お言葉。
更に、
今後は朕の命令なくして、一兵だも動かすことはならん。
陸相は、青くなり、退出した、

そして、とても陛下のお顔を見上げるこは出来ない。ぜひ、辞めたい。
更に、閑院宮参謀総長も、共に、辞意を固める。

そこで、近衛総理が慌てて、間に入り、天皇から、
陸軍大臣、参謀総長とも、なおこのまま、続いてやるように
との、内意が出て、二人は辞意を翻した。

昭和天皇は、立憲君主の立場をはみ出したが、それほどに、陸軍の態度が酷いということである。





posted by 天山 at 06:34| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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