2015年04月01日

玉砕13

昭和12年7月7日、北京郊外にある、盧溝橋で、日本軍と中国軍が衝突した。

これは、どちらが、先に発砲したのか・・・
実際は、共産党系の中国兵が入り込み、発砲したという。
要するに、日本軍と中国軍を戦わせるために・・・

一時は、停戦協定も成立したが、陸軍指導部の中には、徹底的に中国軍を叩いて、中国全土を制圧するという意見が強くなった。

中国の東北四省を満州国として成立させた後、全土を植民地化しようとの試みである。

中国全土には、反日、抗日のスローガンが広がり、国民党政府、蒋介石の指導下の南京に首都を置く軍閥と、毛沢東を指導者とする共産党が、対立を解消して、抗日で一体となり、日本軍と戦うことになる。

だが、国民党、共産党は、敵同士である。
後に、共産党は、日本軍と国民党軍を戦わせて、漁夫の利を得る。

当時の陸軍省、参謀本部には、二つの考え方があった。
一つは、中国全土を制圧して、ソ連との戦時体制を組むべきとするもの。
一つは、中国に深入りせず、本来の敵である、ソ連との間に、戦時体制を布くというもの。

ここで、解ることは、敵は、ソ連なのである。
ソ連の脅威に対して、日本は注意していた。

ソ連は、帝政ロシア時代から、侵略が伝統である。
その南下が、大問題なのである。
つまり、日本の生命線がやられるのである。

朝鮮戦争の際に、それをマッカーサーが実感し、日本に自衛隊の創設を要求したことは、有名である。
自存防衛なのである。

更に、ソ連の共産党を主とする、中国共産党が、成立しても、問題である。
そのため、中国で、何とか、阻止しなければならない。

これが、日中事変となる。
中国軍も、一歩も引かないゆえに、陸軍は増援部隊を広島から船出させたほどである。

それでは、天皇は、どのようなお考えだったのか。
これは、第二の満州事変ではないか。
御下問を受けた、参謀総長は、
陸軍では、ソ連は立たないと見ています。
と、応えた。すると、陛下は、
それは陸軍の独断であり、もし万が一、ソ連が立ったら、どうするのか。
と、重ねて問われる。
しかし、納得のいく答えは出ないのである。

その二三日後に、杉山元陸相が、
一ヶ月ほどで、片付けるつもりでおります。
と、応えている。
天皇は、その際、あまり、軍を追い詰めないとした。

しかし、辛亥革命後の中国の戦意は旺盛だった。
事変は、拡大の一途を辿る。

八月には、華中にも及び、陸軍は南京を攻略したが、中国側は、後方の漢口に遷都して、あくまで戦いを呼号した。

早期解決という、日本側の目論見を根底から、狂わせたのである。

さて、この際の南京攻略である。
これが、現在に至る問題となっている。
南京大虐殺と言われるが・・・

本当に、南京大虐殺を行なったのか。
南京には、20万人の市民がいた。
ところが、それが、30万人の虐殺と言われている。

辻褄が合わないのである。
更に、一般市民を虐殺するということは、考えられない。
戦闘は、軍同士である。

私は、様々な文献に目を通したが、南京大虐殺は、有り得なかったという。
一般市民で、日本軍を歓迎した人たちも大勢存在する。
何故か。
中国では、軍とは、匪賊、馬賊の集団であり、略奪強盗など、当たり前の集団で、一般市民には、とても迷惑な存在でしかなかった。

日本軍には、規律があった。
それに反すれば、軍法会議にも、かけられるのである。

勿論、戦争という、非常事態であるから、何らかの殺人めいたことも、有り得ただろう。
しかし、30万人の虐殺は、作り事である。
事実というものを、見つめると、現在言われる行為は、無いという。

南京は、歴史的にも、多くの騒乱の町だった。
大虐殺は、中国の歴史の方である。
数ヶ月にも及ぶ、虐殺が続いた反乱もある。

その行為を、すべて日本のものだと、見るのは、何かの作為がある。
東京裁判での、その罪は、アメリカの原爆の被害で、日本の市民が殺された数になる。
その埋め合わせのように、人数が調整されたという。

東京裁判は、日本を徹底的に叩くものであったし、また、裁判としては、考えられない暴挙である。
戦勝国が、敗戦国を裁くという、茶番である。

現在の中国共産党は、その不思議な数の死者数を、世界に向けて言うのである。
反日プロパガンダである。

最も、日本は、中国に侵攻したことは、事実である。
そして、植民地化するということも、事実である。
それに対しての、言い逃れは出来ない。

では、上海などに、進出して、植民地化していた、アメリカ、イギリス、フランスは、どうか。
彼らも、植民地政策を敷いていて、その権益を守るために、租界という、地域を作っている。
それは、無効か・・・

日本のみが、植民地にしたと言われる筋合いは、無い。
欧米も、植民地にしていたこと、事実である。
更に、彼らは、アジア一帯を、植民地にしていたのである。
それは、時代である。時代性ともいう。

その後、日本は、東南アジアの国に侵攻して、西欧列強の植民地を支配した。
その結果、大東亜戦争後、それらの国々は、独立したのである。

良い面も、悪い面も、見ておく必要がある。




posted by 天山 at 06:43| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。