2015年04月17日

もののあわれについて737

v源氏「みづからは、幼くより、人に異なる様にて、ことごとしく生ひいでて、今の世の覚え、ありさま、きし方にたぐひ少なくなむありける。されどまた世にすぐれて、悲しきめを見る方も、人にはまさりけりかし。まづは思ふ人にさまざまおくれ、残りとまれる齢の末にも、あかず悲しと思ふこと多く、あぢきなくさるまじきことにつけても、あやしく物思はしく、心にあかず覚ゆること添ひたる身にて過ぎぬれば、それにかへてや、思ひし程よりは今までもながらふるならむ、となむ思ひ知らるる。君の御身には、かの一筋の別れより、あなたこなた、物思ひとて心乱り給ふばかりの事あらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれよりつぎつぎは、やむごとなき人といへど、皆かならず安からぬ物思ひ添ふわざなり。高き交らひにつけても心みだれ、人にあらそふ思ひの絶えぬも安げなきを、親の窓の内ながら過ぐし給へるやうなる、心やすきことはなし。そのかた、人にすぐれたりける宿世とは思し知るや。思ひのほかに、この宮のかく渡りものし給へるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる心ざしのほどを、御みづからの上なれば、思し知らずやあらむ。物の心も深く知り給ふめれば、さりともとなむ思ふ」と聞え給へば、紫「宣ふやうに、ものはかなき身には過ぎにたるよその覚えはあらめど、心に堪へぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける」とて、残り多げなるけはひ、恥づかしげなり。




源氏は、私は小さなときから、人とは違ったように、仰々しく成人して、現在の評判や暮らしぶりは、昔に例がないくらいだ。しかし、それとは別に、人並み以上に、悲しい目を見ることでも、誰よりも、多かった。第一に、可愛がってくれる人に、それぞれ先立たれ、一人生き残った晩年にも、いくら考えても、悲しくてたまらないという思うことがあり、つまらない、けしかんらぬことにつけても、妙に心配し、不満に思う事が、付きまとう有様が、沢山あって、過ごしてきた。その代わり、昔思ったより、今までも、生きながらえたのだろう。と、考える。あなたの方は、あの時の、別れ以外に、何かのことで、心配して、お苦しみされるほどの事は、あるまいと思う。皇后といっても、ましてそれより下の人たちは、身分の高い方といっても、皆、必ず心の休まることなく、心配事が、ついて回るもの。高いお付き合いをするにつけても、苦しむし、人に張り合う気持ちの絶えないもの、いらいらするだろう。あなたのように、親の手元で暮らしていられるような気楽さはない。その点、誰にも勝る運命だとは、お気づきだろうか。思いかけず、この宮が、こうして、興し入れされたことは、面白くないことだろうが、それにつけては、いっそう、増した愛情の深さを、ご自分のことなので、あるいは、お気づきかもしれない。物事も良く解りのことだろうから、いくらなんでも、お分かりだろうと思う。と、申し上げると、紫の上は、おっしゃいますように、つたない私には、過ぎた事と、よそ目には、思われますでしょう。胸に収めきれない悩みばかりが、付いて回るのは、私の身のお祈りだったのですね。と、まだ言いたいことが残る様子で、こちらの身か縮むのである。




紫「まめやかには、いと行き先少なきここちするを、今年もかく知らず顔にて過ぐすは、いとうしろめたくこそ。さきざきも聞ゆる事、いかで御ゆるしあらば」と聞え給ふ。源氏「それはしも、あるまじきことになむ。さてかけ離れ給ひなむ世に残りては、何のかひかあらむ。ただかく何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れのへだてなきうれしさのみこそ、ますことなく覚ゆれ。なほ思ふさま異なる心の程を、見はて給へ」とのみ聞え給ふを、「例の、こと」と心やましくて、涙ぐみ給へるけしきを、いとあはれと見奉り給ひて、よろづに聞え紛はし給ふ。




紫の上は、本当に、もう長くはない気がします。今年も、このまま、知らず過ごすのは、なんとも気掛かりです。前々にもお願いしたこと、何とか、お許しがあれば、と、申し上げる。源氏は、それが、とんでもないことなのだ。そのように、離れてしまったら、後に残る私は、何の生きがいがあるだろう。ただ、このように、何ということもなく、過ぎる年月が、朝に晩に顔を合わせる嬉しさだけで、これ以上のことはないのだと思う。矢張り、私の愛情が、どんなに深いのかを、最後まで、見届けてください。と、ばかりおっしゃるが、紫は、いつもの通り、同じ事を、と、胸が痛んで、涙ぐんでいられるご様子を、可愛そうに思い、話題を探して、話を続けになる。




源氏「多くはあらねど、人の有様の、とりどりに口惜しくはあらぬを見知りゆくままに、まことの心ばせおいらかに落ちいたるこそ、いとかたきわざなりけれとなむ、思ひはてたる。大将の母君を、幼かりし程に見そめて、やむごとなくえさらぬ筋には思ひしを、常に中よからず、へだてあるここちしてやみにしこそ、今思へばいとほしく悔しくもあれ、またわがあやまちにのみもあらざりけり、など、心ひとつになむ思ひいづる。うるはしく重りかにて、そのことの飽かぬかな、と覚ゆる事もなかりき。ただいとあまり乱れたる所なくすくずくしく、少しさかしとや言ふべかりけむと、思ふには頼もしく、見るにはわづらはしかりし人ざまになむ。




源氏は、多くは知らないが、女の人は、それぞれに取りえのるものだと、分ってゆくにつれ、生まれつきの性質が、穏やかで、落ち着いている人は、なかなかいる者ではないと、思うようになった。大将の母君は、小さい時から、連れ添って、しゃんとした、離れぬ本妻だと思ったが、いつものように、うまくゆかず、溝のある気持ちで終わったが、今思うと、かわいそうで、心残りもある。しかし私一人の罪ではなかったのだと、人知れず、思い出す。きちんとして、重々しくて、どこが足りないのかと思う所のなかった。ただ、あまりきちんとしすぎて、そっけなく、少しばかり、賢すぎるというべき人だった。心で考える時には、頼みになり、一緒に暮らすのは、煙たい人柄だった。




中宮の御御息所なむ、さまことに、心深くなまめかしき例には、まず思ひ出でられるど、人見えにくく、苦しかりし様になむありし。恨むべきふしぞ、げに道理と覚ゆるふしを、やがて長く思ひつめて、深く怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか。心ゆるびなく恥づかしくて、われも人もうちたゆみ、朝夕のむつびを交さむには、いとつつましき所のありしかば、うちとけては見おとさるる事やなど、あまり繕ひしほどに、やがて隔たりし中ぞかし。いとあるまじき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きをいみじく思ひしも、われ罪あるここちしてやみにしなぐさめに、中宮をかく、さるべき御契りとはいひながら、取りたてて、世のそしり人の恨みをも知らず、心よせ奉るを、かの世ながらも見なほされぬらむ。今も昔も、なほざりなる心のすさびに、いとほしく悔しきことも多くなむ」と、来し方の人の御上、すこしづつ宣ひ出でて、源氏「内の御方の御後見は、何ばかりの程ならずとあなづりそめて心安きものに思ひしを、なほ心の底見えず、際なく深き所ある人なむ。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬけしき下にこもりて、そこはかとなく恥づかしき所こそあれ」と宣へば、紫「こと人は見ねば知らぬを、これは、まほならねど、おのづからけしき見る折々もあるに、いとうちとけにくく、心恥づかしき有様しるきを、いとたとしへなきうらなさを、いかに見給ふらむとつつましけれど、女御はおのづから思し許すらむ、とのみ思ひてなむ」と宣ふ。




中宮の母上の御息所は、並々ならぬ方で、奥深く優雅な人としては、第一に心に浮かんでくるのだが、逢うのは、気詰まりで、息苦しい感じの人だった。恨むのは、全く無理もないと、思われることを、あちらは、長く思い詰めて、深く恨みとされたのが、本当に辛かった。緊張のし通しで、気詰まりで、私もあちらも、ゆっくりとした気持ちで、朝夕と睦まじく逢うには、酷く、気の置けるところがあったので、こちらが、気を許したら、軽蔑されまいかと、体裁を飾りすぎたうちに、そのまま仲が、切れてしまった。大変申し訳ない評判を立てて、ご身分に相応しくない者となった。嘆きを、深く思い込んでいられるのが、お気の毒で、いかにも、人柄を考えても、自分に罪がある気がして、あれっきりになっている罪滅ぼしに、中宮を、このように、前世からの、お約束もあるといいつつ、特別に、お世話して、世間の非難も、人の恨みも構わず、御後援しているから、あの世からではあっても、考え直してくださろう。今も昔も、いい加減な気まぐれから、お気の毒なこと、後悔することも多い。と、過去の婦人方の事を、少しずつおっしゃり、
入内させた女御のお世話役には、何ほどの生まれでもないと、初めは馬鹿にして、気楽な相手と思っていたが、どうして、浅はかではない。際限なく、深みのある人だ。上辺は、素直で、おとなしく見えるが、しっかりしたところがあり、どことなく、気になるところがある。と、おっしゃると、紫の上は、他の方は、逢ったことがありませんので、存じ上げませんが、こちらは、すぐでありませんが、ひとりでに、様子の分る時も何度かあります。気のおける感じがはっきりして、お話ににもならぬ私の、開け放しを、どう思っておらよれるかと、気が引けます。女御は、何も申しませんが、おとがめはないと思います、と、おっしゃる。





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2015年04月20日

もののあわれについて738

「さばかりめざましと、心おき給へりし人を、今はかく許して見えかはしなどし給ふも、女御の御ためのまごころなるあまりぞかし」と思すに、いとありがたければ、源氏「君こそは、さすがにくまなきにはあらぬものから、人により事に従ひ、いとよく二すぢに心づかひはし給ひけれ。さらに、ここら見れど、御ありさまに似たる人はなかりけり。いとけしきこそものし給へ」と、ほほえみて聞え給ふ。




あれほど嫌な人と、疎んじていた人を、今は、このように許して、顔を合わせたりするものだと、女御の事を思う真心なのだ、と思うと、本当に、良く出来た人だと、感心して、源氏は、あなたこそ、それは信じているのではなけれど、人により事によって、とても上手に、心の使い分けをされている。全く、何人かを知るが、あなたのような人は、いなかった。ただ、お顔にお出しになるが、と、微笑みながら、おっしゃる。




源氏「宮に、いとよくひき取り給へりしことのよろこび聞えむ」とて、夕つ方渡り給ひぬ。われに心おく人やあらむ、とも思したらず。いといたく若びて、ひとへに御琴に心入れてかはす。源氏「今はいとま許してうち休ませ給へかし。物の師は心ゆかせてこそ。いと苦しかりつる日ごろのしるしありて、うしろやすくなり給ひにけり」とて、御ことどもおしやりて大殿ごもりぬ。




源氏は、宮に、とても上手に、教えた通りに、お弾きになったお祝いを、申し上げよう。と言い、夕方、あちらへお出でになった。
自分に気兼ねしている人がいるとも、考えずに、とても、若々しくして、いちずにお琴に、熱中していらっしゃる。源氏は、もう、お暇を下さり、お休みあそばせ。先生は、満足させておくもの。大変な、何日ものお勉強の甲斐があり、安心出来るほど、上手におなりだ。と、お琴は、押しやり、お休みになった。





対には、例の、おはしまさぬ夜は、宵居し給ひて、人々に物語などよませて聞き給ふ。「かく、世のたとひに言ひ集めたる昔語どもにも、あだなる男、色好み、二心ある人にかかづらひたる女、かやうなることを言ひ集めたるにも、つひによる方ありてこそあめれ。あやしく浮きても過ぐしつる有様かな。げに、宣ひつるやうに、人より異なる宿世もありける身ながら、人の忍びがたく飽かぬ事にする物思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ。あぢきなくもあるかな」など思ひ続けて、夜ふけて大殿ごもりぬる暁がたより、御胸をなやも給ふ。人々見奉りあつかひて、女房「御消息聞えさせむ」と聞ゆるを、紫「いと便ないこと」と制し給ひて、堪えがたきをおさへて明かし給ひつ。御身もぬるみて、御ここちもいとあしけれど、院もとみに渡り給はぬ程、女房「かくなむ」とも聞えず。




対では、例により、お出であそばない夜は、遅くまで起きていらっしゃり、女房達に、物語など読ませて、聞かれる。
このように、世間で、引く例として、語り集めた昔話の数々の中にも、不誠実な男や、色好み、二心ある人に関係した女、こうした類の話しを、語り集めたものでも、結局は、定まる女がいて、終わるようだ。
なのに、私は、妙に浮いたままで、過ごしてきたこと。全くお言葉通り、人より優れた運命もある、自分ではあるが、誰だって、我慢が出来ずに、不満だと思う悩みがなくならないままで、終わってしまうのだろうか。つまらないことだと、考え続けて、夜が更けて、お休みになった、その明け方から、胸を病んだ。女房達が、看病されて、殿様にお知らせ申しましょうと、言うが、紫の上が、いけません、と抑える。我慢しきれないのを堪えて、夜を明かされた。お体に熱があり、ご気分も大変悪いのだが、院も、すぐにお出でにならない。その間、女房は、こういうことです。とも、申し上げないのである。




女御の御方わり御消息あるに、かくなやましくてなむと聞え給へるに、おどろきてそなたより聞え給へるに、胸つぶれて急ぎ渡り給へるに、いと苦しげにておはす。源氏「いかなる御ここちぞ」とて、さぐり奉り給へば、いとあつくおはすれば、きのふ聞え給ひし御つつしみの筋など思し合はせ給ひて、いと恐ろしく思さる。御粥などこなたに参らせたれど、御御覧じ入れず、日一日そひおはして、よろづに見奉り嘆き給ふ。はかなき御くだものつをだに、いともの憂くし給ひて、起き上がり給ふこと絶えて、日ごろへぬ。いかならむと思しさわぎて、御祈りども数知らずはじめさせ給ふ。僧召して、御加持などせさせ給ふ。そこどころともなく、いみじく苦しくし給ひて、胸は時々おこりつつわづらひ給ふさま、堪えがたく苦しげなり。さまざまの御つつしみ限りなけれど、しるしも見えず。重しと見れど、おのづからおこたるけぢめあらば頼もしきを、いみじく心細く悲しと見奉り給ふに、こと事思されねば、御賀のひびきもしづまりぬ。かの院よりも、かくわづらひ給ふ由聞し召して、御とぶらひいとねんごろに、たびたび聞え給ふ。




女御の御方からの、たよりがあり、このように気分が悪いと、申し上げされたところ、驚いて、そちらからお耳に入れますと、どきりとして、急いで、お帰りになった。紫の上は、大変苦しそうな様子である。源氏は、ご気分は、どのようだ、と手をあてて、御覧になると、酷い熱である。昨日、申し上げた、厄年の事などを思い合わせて、とても恐ろしく思われる。
お食事などを、こちらで差し上げたが、見向きもしない。一日じゅう付き添い、何かと介抱されて、心を痛めている源氏である。
少しの水菓子さえも、嫌がり、起き上がることは、全くなく、何日も経ってしまった。どうなる事かと、ご心配になり、色々な御祈祷を、数限りなく始める。僧を召して、御加持などをさせるのである。
どこが、どういうこともなく、酷く苦しみになり、旨は、時々痛んで、悩みになるご様子は、我慢が出来ぬほど、苦しそうに見える。様々な、御つつしみは、限りないが、効き目がない。重いといっても、いつか快方に向うということがあれば、頼みになるが、何とも心細く、悲しいことだと、見守っていらっしゃる。他の事は、考えられないので、御賀の騒ぎも、静まってしまった。その院からも、このように病気だということを、お耳にされて、お見舞いを非常に丁重に、何度も何度も、申し上げるのである。

御賀とは、朱雀院ことで、その朱雀院からも、お見舞いが、来るのである。
朱雀院は、女三の宮の父である。













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2015年04月21日

玉砕20

皇紀2600年の、昭和15年、七月に、再び、近衛内閣が誕生した。
国民は、再度、近衛に期待したが・・・

近衛は、二年前の内閣が弱かったのは、支持基盤が無かったからだと、考えていた。
そこで、国民的組織を作り、それを足場に政策を進めると考えた。

だが、近衛の周辺に集う、リベラルな官僚、財界人、ジャーナリスト、学者は、陸軍指導部の政策に、批判的であり、近衛が、陸軍主体の国策に、歯止めをかけてくれると、期待をかけた。

逆に陸軍では、近衛が、それらの勢力に飲まれてはならないと、牽制した。

近衛は、組閣に当たり、政党から誰も、入閣させず、官僚主導の内閣を作る。
それは、陸軍指導部への、妥協である。

組閣して、基本国策要綱を発表する。
そこで、八紘を一宇とする肇国の大精神により、世界平和を作るというものである。

天皇を敬い、天皇を中心とする、日本であり、それを世界に広めるというもの。
だが、この精神は、イギリス、アメリカからは、日本の世界戦略と見做された。

その二国こそが、本当の世界制覇戦略を願っているのだが・・・

それは、イギリス、アメリカの今までの歴史を俯瞰すれば、解る事である。
その二カ国こそが、世界を白人世界の支配化にしようとしていたのである。

そして、それを実行していた。
第二次世界大戦後までも、である。

イギリス、アメリカの罪を挙げれば、キリが無い。

さて、近衛の考えに沿って、新体制準備会がつくられ、九月には、大政翼賛運動綱領を発表する。
国民が、心を一つにして、その職分に尽くすというもの。
それは、ナチスドイツの一国一党に似ていた。

共産主義というものも、独裁政権であるが、ナチスドイツも、独裁政権である。
一つの国に、一つの党というのが、そのまま、独裁につながる。

政党は、すべて解党して、この組織に雪崩れ込んだ。
その組織に入り、主導権を握るためである。

議会の中に、反対意見を認めず、国民世論の一致を目指すというものであり、政治システムとなると、独裁になる。

こうして、玉砕の下地が出来上がるのである。

政治団体は、もとより、農民団体、労働団体なども、解散して、この組織に加わった。
町内会も、隣組と改まり、戦争への準備が進む。

そして、この大政翼賛会は、次第に、陸軍省、内務省の軍人、官僚などにより、支配されることになる。
つまり、国民は、洗脳されるということだ。

歴史を振り返ると、こうして、戦争への準備が始まっていることが、良く解るのである。

どれ程、昭和天皇が、戦争を反対しても・・・
時代の流れには、逆らえないのである。

再び、ドイツを見ると、独ソ不可侵条約を背景にして、ドイツは、欧州各国を手中にした。ついには、フランスでも、快進撃を続け、パリに無血入城した。

英軍は、ダンケルクから本国に逃げ帰った。
そして、イタリアが参戦する。

ドイツの勝利は、確定的と見られた。
そこで、前年に打ち切っていた、三国同盟の声が高まる。
ときの外相松岡洋右も、熱心な推進派だった。

そして、陸軍も東條陸相を先頭に立て、強固に主張し、慎重だった海軍も、やがて積極に転じた。

それは、ドイツが本国を占領している間に、インドネシアなどの、南方を制し、石油、スズ、ゴム、米などの、戦争遂行に不可欠な物資を確保したかったからである。

ちなみに、海軍が、積極に転じたのは、アメリカが、日本に対する石油の輸出を禁止したからである。
それでは、石油のある間に、戦うしか方法が無い。

歴史的事実は、複雑に絡み合うが・・・
問題は、誰の策略かということである。

決して、戦争を避けることが出来なかったのは、何故か・・・
それは、戦争を欲する人たちがいるということである。

日露戦争の際に、アメリカのユダヤ系資本家が、日本と更に、ロシアに金を貸している。
戦う、それぞれの国に、金を出すのである。
歴史は、そのような話で、一杯である。

戦争を仕掛けて、金を得るという者たちが、存在するということである。

更に、人種差別である。

敗戦後に、日本を二度と立ち上がることが出来ないようにと、アメリカ占領軍は、日本潰しを徹底的に、行なった。
それは、唯一の有宿人種である、日本人が、白人に歯向かったということへの、怒りである。

もし、日本が日露戦争で負けていれば、問題はなかった。
しかし、勝利したのである。
それから、色付き人間たちの意識が、変容した。

第二次世界大戦で、日本がアメリカと戦わなければ、アジア諸国、アフリカ諸国などは、今もまだ、植民地にされ、白人の支配化におかれただろう。

天皇の御心虚しく・・・
それが、必要な戦いだったということである。
そして、そこに、玉砕がある。


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2015年04月22日

玉砕21

日本が、ドイツ、イタリアと三国防共協定を、三国同盟にかえたのは、昭和15年9月である。

そのために、ヒトラーの特使スターマー公使が来日し、締結機運に拍車をかけた。
ただし、天皇は、
いましばらく、独ソの関係を見極めた上でも、遅くは無いではないか、
米国は、報復として、すぐにでも日本への石油や屑鉄の輸出を停止するだろう。そうなったら、日本は、どうなるのか・・・
との、仰せである。

だが、日本は、ドイツに陶酔していた。大勢は、動かし難い。
御前会議で、正式に締結が決められた。
天皇は、
どうも陸軍は、困ったものだ。満州、朝鮮をもともとにするまで、とうてい目が覚めなまい、
との、仰せである。

オランダ領、インドネシアだけではなく、フランス領、インドシナに対しても、陸海軍は、虎視眈々と狙った。

その理由は、日中事変が長引くのは、中国側が、英米から、十分な武器弾薬を援助されているからで、その補給ルートが、インドシナから、中国の昆明に、通じているのである。

また、マレー、シンガポール、ベトナムへ侵攻するにも、インドシナは、とても良い前進基地であり、フランスがドイツの占領下にある今が、チャンスといえた。

ここでも、何故、英米が、中国に対して、武器などの支援をしたのか・・・
イギリスは、すでに中国の一部を植民地化していた。
そして、アメリカも、それを願っていたのである。

イギリスが、一度たりとも、中国における、植民地化を謝罪しただろうか。
アメリカも、日本がいなければ、満州を植民地にしただろう。

さて、軍部の要求により、政府は、フランスを強圧して、北部インドシナ、ベトナムに軍を、進駐させることになった。

それに対して、天皇は、
我が国は、フリードリッヒ大王やナポレオンのような、覇者的な行動をとりたくないものだ。マキャベリズムは、いかん。神代から受け継いだ、八紘一宇の精神を忘れぬようにしなければ・・・
との、仰せである。

そして、インドシナ進駐は、天皇の予想通り、アメリカの対日屑鉄、鉄鋼禁輸措置となった。

更に、イギリスは、閉鎖していた、ビルマからの蒋介石支援ルートを、再開し、これでは、いやがおうでも、マレー、インドネシアへと、進出しなければ、日中事変の継続さえ、覚束なくなったのである。

ビルマは、イギリスの植民地である。
アジアは、欧米の植民地だったことを、何度も言う。

しかし、今、現在に至るまで、欧米が、その植民地に対して、謝罪など、したことを、見たことはない。

明らかに、おかしいのは、日本の植民地政策に対しては、謝罪を要求するということである。
そして、日本の政治家は、謝罪をするという・・・

その、日本の植民地は、欧米の植民地政策とは、違っていた。
強奪、搾取という、それではなかった。

人種差別の思想から、白人は、有色人種に対して、全くの恩情はない。
愚民化政策で、徹底的に、奪うだけである。

更に言えば、満州は、中国ではない。
満州族の土地であるが・・・
その時は、無主の土地であった。

そして、韓国は、併合である。
その際は、どの国も反対しなかった。
更に、韓国は、第二次世界大戦の時は、日本であり、日本軍の一員として、戦争に参加したのである。

何か、今は、日本と戦争したかのような言動であるが・・・
当時の韓国は、日本であった。

翌年、昭和16年1月。
天皇は、杉山参謀長に、
日中事変処理について、かつて総長がのべた対シナ作戦計画があるも、何か別に良い方法は、ないか。
と、仰せられた。

だが、これという、妙案もなかった。
その日の、天皇のご機嫌は麗しからず、である。

その四月、ベルリンにおける、同盟批准式に列席した、松岡外相は、シベリア鉄道での帰路、モスクワに立ち寄り、日ソ中立条約を結んだ。

その早業に、国民も、アッと驚くが・・・

その二ヵ月後、独ソ開戦を報が入り、また国民を仰天させた。

二年前の、独ソ不可侵条約締結で、ときの平沼首相が、複雑怪奇として、内閣を解散したが、その二国が、戦端を開いたのだ。

ヒトラーの信頼性に関して、改めて認識させられたが・・・
それでも、これは、日本の南進政策には、大朗報である。

ソ連の脅威が、遠のくのである。

ヒトラーに関しては、謎が多いが・・・
ユダヤ人の大量虐殺など、一体、何を望み、何をなすつもりだったのか。
人格異常としか、思えぬ人物である。

ユダヤ系が、世界の金融を握るという、見方もあるが・・・
そのユダヤ系・・・
実に、それも謎が多い。
そして、実際、ユダヤ系を隠れ蓑にして、世界を支配する、ある集団が存在する。
それは、イギリスから始まった。

イギリスは、最低最悪の国であり、アメリカは、世界支配を今も、目指す国家である。




posted by 天山 at 06:44| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月23日

玉砕22

ドイツが、ソ連に侵攻した。
二年前の、独ソ不可侵条約締結を、ヒトラーは、廃棄したのだ。

軍部は、勢い立った。
南部インドシナ、ベトナムへの進駐を目論む。

その時、天皇は、
私の主義として、相手の弱みに付け込んで要求をなすような、火事場泥棒式のことは、好ましくないが・・・
今日の世界の大変局に処すためには、宋襄の仁、に陥るような結果となっても、面白くなかろう。ただ、実行には、慎重を期すように・・・
との、仰せである。

これは、木戸を通じて戒めたものである。
が、軍部の再三の要求に根負けし、七月に、
国際信義上どうかと思うが、まあよろしい。
後半の、よろしい、の語尾は、特に強く高められた。

それにより、アメリカは、直ちに、在米日本資産を凍結し、綿花と食糧を除く全物資の対日禁輸を発表した。
続いて、イギリス、オランダ、フィリピン、ニュージーランドも、アメリカに習い、石油が一滴も入らぬ形勢になった。

これだけを、眺めると、日本の行為に対する制裁に見えるが・・・
アメリカは、初めから、対日戦争を望んでいたのであるから、何をかいわんやである。

どんどんと、日本を追い詰めるべくの、アメリカの作戦である。
それに、日本側が、気づかない。

だが、刻々と、対米戦争への道が開けてくるのである。

その年の、春からはじまっていた、日米交渉も進まず、近衛首相は、なおも日米トップの会議を提案するなどの、打開に努めたが、実りには、遠い。

日本は、いやが上にも、南方に活路を求める他に道はなくなるのである。

軍は、決意を固めて、準備に着手し、大本営と政府の連絡会議で、帝国国策遂行要領が、立案された。

9月6日の、御前会議にて、決定する運びとなった。
その前に、内奏を受けた天皇は、近衛首相に、
これを見ると、第一に戦争準備を記し、第二に外交交渉を掲げている。戦争が主で、外交が従であるかの感じを受けるが、どうか・・・
との、仰せである。

そして、外交と戦争準備は並行せしめず、外交を先行せしめよ・・・
との、仰せだった。

更に、杉山参謀長を呼んで、南方作戦の見込みについて、質した。
南方方面ならば、三ヶ月くらいで、片付けるつもりであります。
との、奉答である。

お前は、日中事変勃発の当時、陸軍大臣としては、事変は一ヶ月くらいで、片付けるといったが、四年後の今も続いているではないか・・・
との、仰せ。

シナは、奥地が広いものですから・・・
と、弁明すると、
シナの奥地が広いというなら、太平洋は、なお広いではないか。いかなる確信があって、三ヶ月というのか・・・
との、仰せである。

杉山は、ただ、頭を垂れるばかりだった。

絶対に勝てるのか・・・
天皇の仰せに、
絶対とは申しかねますが、勝てる公算のあることだけは、申し上げられます。必ず勝つとは、申し上げかねます。
杉山が、口を濁すと、
ああ、分った。
との、仰せである。

その声は、大きかった。

昭和天皇の戦争回避の御心・・・
しかし、それは、どの方法を辿っても、戦争に行き着く道になっていたのである。

アメリカが、日米戦争を望んでいたからである。
それは、アメリカの世界支配の、作戦である。
日本を植民地にしたいのである。
国益のため、世界支配のため・・・

現在、敗戦から、70年を経ても、日本は、独立国としてあるのではない。
アメリカの植民地である。
独立国という、姿を朧にしているが・・・

日本が、経済大国第二になった時期も・・・
今も、アメリカの植民地に変りはない。

日本が、二度と、白人に逆らうことなく、アメリカに逆らうことなく・・・
徹底的に、敗戦後に、叩きのめされた。

現在の、反日運動も、日本の社会の左翼系、反日運動も、何もかも・・・
アメリカが、準備し、種を蒔いたことである。

日露戦争に勝利して、有色人種たちを、歓喜させた時の、日英同盟も、イギリスの国益に、適ったがためである。

イギリスの植民地政策を、日本が助けていたからである。

信頼などではない。
国際社会は、複雑怪奇・・・
というより、悪魔の跋扈なのである。

その最大の国は、イギリスである。
そして、アメリカの世界支配の魔物。
今も、それは、続いている。

そして、その上には、偽ユダヤ人の組織が牛耳る。
シオニストという、連中である。

posted by 天山 at 06:08| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月27日

玉砕23

それでは、日本とアメリカの外交交渉は、どんなものだったのか。

昭和16年4月から、外交交渉を始めていたが・・・
それは、単に、日本に来た宣教師と、陸軍省、外務省の官僚との、私的な話し合いである。
それを、ただ、政府レベルに乗せただけである。

そして、漸く、駐米大使である、野村吉三郎と、アメリカ国務長官の、コーデル・ハルとの間で、話し合いが始まった。

内容は、簡単である。
アメリカ側は、日本の三国同盟からの離脱、そして、中国からの撤退、アメリカへの、敵視政策の中止である。

日本側は、親日派の中国政権の承認と、蒋介石政府に対する、援助停止である。

話し合いが尽く事はない。

ここでも解る通り、アメリカは、一切の話し合いなど、する必要がないのである。
中国から撤退・・・
日本が、撤退すれば、アメリカが、即座に中国に入るのである。

アメリカの敵視政策の中止とは・・・
呆れる。
散々に、日本に対する、敵視政策をしているのは、アメリカである。

それでも、昭和天皇の意向により、近衛首相、東郷茂徳外相は、外交交渉で、決着をつけようとしていた。

9月6日の御前会議である。
天皇は、御前会議に先立ち、木戸を招いた。

今日は、私も発言したいと思うが、どうか・・・
との、仰せである。

御前会議では、通例、天皇は発言しないのである。
出席者の間で質疑応答が行われるのを、傍聴する形である。

天皇は、陸海相、両総長らの主導で、開戦決定が下されてはと、憂慮したのである。

木戸は、
原枢密院議長が、陛下のご懸念のところを衝いた質問をすることになっています。
と、返答である。

ただ会議のしめくくりとして陛下が、今回の決定は、国運を賭しての戦争ともなるべき重大な結果を招くから、統帥部においても外交工作の成功をもたらすよう、全幅の協力をなすべし、とのご警告をされるのが、よいのでは・・・
と、奉答した。

その御前会議では、鈴木貞一企画院総裁が、
一、 帝国は自存自衛を全うするため、対米戦争を辞せぬ決意のものに、おおむね十月下旬を目処として戦争準備を完整す
二、 右に並行して米、英に対し外交手段をつくして、帝国の要求貫徹に努む
である。

これに対し、原議長が質問を続けたが、返答は、及川海相が当った。

作戦を司る、統帥部の説明が無いのである。
天皇は、堪忍袋の緒が切れた。
両総長を見据えて、大音声にて、
原議長の質問は、もっともと思う。しかるに、両総長からは、一言も答弁がないのは、どういうわけか。甚だ遺憾である。
との、仰せである。

予想もされなかった、天皇のご発言、その語気に、皆息を飲み込んでいると、天皇は、右手を内ポケットに入れた。
用意した紙片を取り出して、高々と朗誦した。

四方の海 みなはらからと思ふ世に
など波風の立ちさわぐらむ

二度の朗誦である。
これは私がいつも愛唱している明治天皇の御製である。私は、大帝の平和愛好の心を、わが心としている。
との、仰せである。

一同は、衝撃を受けて、しばらく声も出ない。

そして、永野、杉山両総長がこもごもに立ち、
外交交渉を主にし、戦争は止むを得ない場合にのみ、その手段とする旨を、奉答した。

しかし、開戦を避けられることはない。
何故なら、アメリカが開戦のために、じりじりと、日本を追い詰め、更に、時間稼ぎをするのである。

日本側も、アメリカの報復措置を受けてから、陸軍省、海軍省、参謀本部、軍司令部の、対米強硬派は、交渉を止めて、戦争に訴えることだと、圧力をかけるのである。

10月になり、強硬派は、交渉打ち切り、即時開戦の声が強くなった。
そして、近衛は内閣を投げ出してしまうのである。

ここで、もう一つ、アメリカの手の内を見ると・・・
アメリカ側は、東京からワシントンの日本大使館に打電される、外交電報をすべて解読していたのである。

この種の電報は、暗号を用いるが、その複雑な暗号を、アメリカは、解読していたということ。

解読された電報は、マジックといわれ、ルーズーベルト大統領、ハル国務長官など、僅かな指導者だけが、読んでいた。

色々な分析があり、色々な言い分があるが・・・
日本は、情報戦に負けた・・・
アメリカを見くびっていた・・・

今、振り返れば、皆々、誤りである。
何せ、アメリカは、日本と戦争をする心積もりだったのだ。
どんなに、外交努力をしても、そのアメリカの開戦の決心を変えることはできない。
アメリカは、日本を植民地にしようとしていたのであるから。
それは、ペリー来航以来の、アメリカの夢である。

posted by 天山 at 07:00| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月28日

玉砕24

アメリカのルーズベルト大統領の選挙公約の一つは、戦争はしないというものだった。
しかし・・・
戦争を作り出さなければならない。

ここで、アメリカのいつもの手である。
相手に攻撃させて、戦端を開くのである。

だから、日本にアメリカを攻撃させることなのだ。
それにより、アメリカ国民を奮い立たせる。
そして、日本、ドイツ、イタリアに宣戦布告するのである。

更に、アメリカの軍備を充実させる時間も必要である。
日本が、精一杯、交渉を重ねても、せん無いことなのである。
すでに、ストーリーが決まっていた。

あの戦争を避ける云々という話は、無い。
アメリカが、仕掛けて、そのために、外交交渉を遅れに遅らせていたのである。

であるから、日本側が、交渉打ち切り、宣戦布告というワシントンに打った文言も、すべてアメリカ側が、知っていたのである。

リメンバー・パール・ハーバー・・・などとは、笑い種である。

さて、近衛が内閣を投げ出した後、首相選出をどうするのかで、木戸内大臣は、思案した。
中には、天皇の意に添うため、皇族から内閣総理をという、意見も多かったが・・・

10月17日の重臣会議の席上、木戸が、
目下、なによりも必要なのは陸海軍内部の統制をはかり、9月6日の御前会議の再検討をすることにある。
との見地より、東條陸相を後継首班に主張した。

これは、事実上、木戸一人の判断で、東條を擁立したものである。

昭和16年10月18日、東条英機首相の誕生となった。

その際、天皇陛下は、
虎穴に入らずんば虎子を得ずということだ
との、仰せである。

つまり、外交交渉を主にするため、軍部からの者を、首相にして、軍部の統制を図るということになる。

だが、アメリカとの交渉が、上手く行くはずがない。
日本も、譲歩しない。
何せ、中国からの全面撤退である。
そして、アメリカの敵視政策を止めること。

どちらが、敵視政策をしているのか・・・
アメリカの方であろう。

11月20日、日本は最終案を提示したが、これを最後通告とみなして、アメリカを硬化させたという、論調があるが、硬化も何も、アメリカは開戦を望んでいるのである。受け入れる訳がない。

天皇陛下は、11月26日、
いよいよ最後の決意をなさねばならなくなった。なお一度、重臣たちの意見を微してみたいので、東條に話そうと思うが、どうであろう。
と、木戸にはかる。

そして、29日、天皇は、各重臣である、八元総理に諮問し、彼らは、一時間所見を述べたが、開戦に賛成の者は、一人もなく、比較的賛成が二人、反対が五人、一人が中立である。

27日のアメリカの回答により、交渉決裂であり、開戦の方針は、もはや変えられない。

翌日、高松宮より、
海軍は今でも避けたい気持ちです。
との、言葉に、天皇は、海相と軍司令部総長を呼んだが、
二人に尋ねるに、いずれも相当の確信をもっている旨奉答せるゆえ、予定通り首相に伝えよ
との、仰せで、つまり、開戦ということである。

木戸は、その旨を東條首相に電話で知らせた。
11月30日午後6時30分である。

山本五十六連合艦隊司令長官は、最後の御前会議の翌日、12月2日、南雲忠一機動部隊長官に電報を発した。
ニイタカヤマノボレ1208
である。

それは、真珠湾攻撃のサインである。

ワシントンの日本大使館が、宣戦布告の文書を手渡すのに手間取ったというが・・・
アメリカ側は、そんなことは、すでに知っていたのである。
兎に角、奇襲攻撃を待っていた。

ニイタカヤマノボレの電報に、「赤城」「加賀」などの、空母六隻、駆逐艦十七隻を列ねた艦隊は、進路をそのままに、ハワイを目指した。

別に、三十隻の潜水艦は、すでにハワイ近海に到って、うち五隻は、特殊潜航艇を一隻ずつ、デッキに搭載していた。

12月7日、日本では、8日、午前6時、オアフ島の北230カイリに到達した。

月明かりを利して、第一陣183機、続いて7時45分に第二次の167機が、発進し、合計350機765人が、日曜の早朝に、真珠湾に突入した。

アメリカの望み通りの、奇襲である。

ハワイの現地軍の怠慢もあり、奇襲は完璧なまでに、成功したのである。
つまり、ルーズベルトは、自国民、兵士を見殺しにしても、日本の奇襲を成功させたということだ。

そのことを知る者は、大統領を入れて、四名だけである。

アメリカ太平洋艦隊は、空母を除いたほとんどが停泊中で、たちまちにして、戦艦八隻中五隻を撃沈、三隻を撃破した。

ただ、日本側は、空母が存在しないことに、疑念を抱いたという。
兎に角、日本の大東亜戦争、第二次世界大戦の幕開けである。




posted by 天山 at 06:57| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月30日

もののあわれについて739

同じさまにて、二月もすぎぬ。言ふ限りなく思し嘆きて、こころみに所をかへ給はむとて、二条の院に渡し奉り給ひつ。院の内ゆすり満ちて、思ひ嘆く人多かり。冷泉院も聞し召し嘆く。この人うせ給はば、院も必ず世をそむく御本意とげ給ひてむと、大将の君なども、心わつくして見奉りあつかひ給ふ。御修法などは、大方のをばさるものにして、取り分きて仕うまつらせ給ふ。いささか物思し分くひまには、紫「聞ゆる事をさも心うく」とのみ恨み聞え給へど、限りありて別れはて給はむよりも、目の前にわが心とやつし捨て給はむ御有様を見ては、さらに片時たふまじくのみ、惜しく悲しかるべければ、源氏「昔より、みづからぞかかる本意深きを、とまりてさうざうしく思されむ心苦しさに、ひかれつつ過ぐすを、さかさまにうち捨て給はむとや思す」とのみ、惜しみ聞え給ふに、げにいと頼みがたげに弱りつつ、限りのさまに見え給ふ折々多かるを、「いかさまにせむ」と思し惑ひつつ、宮の御方にも、あからさまに渡り給はず。御琴どももすさまじくて、皆ひきこめられ、院のうちの人々は、皆ある限り二条の院につどひ参りて、この院には火を消ちたるやうにて、ただ女どちおはして、人ひとりの御けはひなりけりと見ゆ。




紫の上は、同じ状態で、二月も過ぎた。言いようもないほど、ご心配で、ためしに場所を替えようと、二条の院に、お連れする。
院の中では、どこもかしこも大騒ぎで、心配する者が多い。冷泉院もお耳にされて、嘆かれる。このお方が亡くなられたら、源氏も、きっと、御出家の希望を遂げられるだろうと、大将の君も、見事に看病される。
御修法などは、普通のことは勿論、特別に命じて、させ給う。少しでも、意識がはっきりする時には、紫の上が、お願いしたことを、あんなに、情けなくも、とばかり、恨まれるが、寿命が尽きて、お別れになってしまうよりも、見ているところで、ご自分の意志で、出家される姿を見ては、ほんの少しの間も堪えられず、惜しく悲しく思うはずなので、源氏は、昔から、私自身、その希望が強いのだが、後に残り、つまらなく思うであろう。それがお気の毒で、心引かれて、日を送っている。逆に、私を捨てようと思うのですか。と、ばかり、お許しにならないが、お言葉通り、命が続きそうもなく弱って、危篤かと、見えることが、何度かあると、どうしようかと、思案にくれる。宮のお部屋へも、少しも出掛けることはない。
数多い琴も、気が乗らず、どれも皆、しまいこんで、院の中にいる人たちは、すべて二条の院に集まり、六条の院は、まるで、火が消えたようで、ほんの女ばかりがいて、六条の院の、華やかさは、お一方のゆえであると、思われる。




女御の君も渡り給ひて、もろともに見奉りあつかひ給ふ。紫「ただにもおはしまさで、物怪などいと恐ろしきを、早く参り給ひね」と、苦しき御ここちにも聞え給ふ。若宮のいとうつくしうておはすを見奉り給ひても、いみじく泣き給ひて、紫「おとなび給はむをえ見奉らずなりなむこと。忘れ給ひなむかし」と宣へば、女御せきあへず悲しと思したり。源氏「ゆゆしく、かくな思しそ。さりともけしうはものし給はじ。心によりなむ、人はともかくもある。おきて広きうつはものには、幸もそれに従ひ、せばき心ある人は、さるべきにて、高き身となりても、ゆたかにゆるべる方は後れ、急なる人は、久しく常ならず、心ぬるくなだらかなる人は、長き例なむ多かりける」など、仏神にもこの御心ばせのありがたく罪かろきさまを申しあきらめさせ給ふ。




女御の君も、越しになって、源氏と一緒に、看病される。
紫の上は、普通のお体ではないのに、物の怪などが怖いことですから、早くお帰りあそばせ、と、苦しい気分の中でも、申し上げる。若宮が、とても可愛くてあるのを、御覧になり、大変泣いて、大人になるのを、拝見できずに、なりましょう。きっと、お忘れになってしまうでしょう。と、おっしゃると、女御は、涙を堪えかねて、悲しく思う。
源氏は、縁起でもない。そんな考えはするものではない。いくらなんでも、悪いことはないはずだ。気持ち次第で、人間は、どうにでもなる。心の広い人は、幸福も付いて回る。了見の狭い人は、運命によって、高い身分になっても、ゆったりと余裕なく、性急な人は、長く持ち続けられず、おっとりして穏やかな人は、寿命も長い例が多い。などと、おっしゃり、仏神にも、この方の性質が、またとないほど立派で、罪の軽いことを、説明されるのである。




御修法のあざりたち、夜居などにても、近く候ふ限りのやむごとなき僧などは、いとかく思し惑へる御けはひを聞くに、いといみじく心苦しければ、心を起こして祈り聞ゆ。少しよろしきさまに見え給ふ時五六日うちまぜつつ、また重りわづらひ給ふこと、いつもとなくて月日を経給へば、なほいかにおはすべきにか、よかるまじき御ここちにや、と思し嘆く。御物怪など言ひて出で来るもなし、なやみ給ふさまそこははかと見えず、ただ日に添えて弱り給ふさまのみ見ゆれば、いともいとも悲しくいみじく思すに、御心のいとまもなげなり。




御修法のあざりたち、夜の間、詰めるのでも、近くにお付きする高僧たちは、皆、このようにうろたえていらっしゃる御様子を聞くと、何とも、お気の毒で、心を奮いおこして、お祈りされる。少しは、進行が止まると見られる日が、五、六日続いては、また、重くなり、悩まれるということが、いつまでも続いて、月日を過ごされるので、一体、どのようになるのか、治らない病なのかと、悲しまれる。御物の怪だといって、出てくるものもなく、苦しまれる様子は、どこがどうともなくて、ただ日が経つに連れて、弱られる一方で、とても悲しく、辛いことだと、思われて、お心が休まる暇もないのである。

これは、源氏の心境である。




まことや、衛門の督は中納言になりにきかし。いと親しく思されて、いと時の人なり。身の覚えまさるにつけても、思ふことのかなはぬ憂れはしさを思ひわびて、この宮の御姉の二の宮をなむ得奉りてける。下らふの更衣腹におはしましければ、心やすき方まじりて思ひ聞え給へり。人柄も、なべての人に思ひならずらふれば、けはひこよなくおはすれど、もとよりしみにし方こそなほ深かりけれ、慰めがたき姨捨にて、人目にとがめらるまじきばかりに、もてなし聞え給へり。




そうだった。衛門の督、柏木は、中納言になったのだ。
今上陛下におかせられては、大変、ご信任あそばされて、酷く栄えている。名声が高まるにつけても、思いがかなわぬ悲しさを嘆いて、この宮の、御姉君の、二の宮に、御降嫁いただいた。身分の低い、更衣がお生みした方で、おいであそばす。軽く思うこともなく、考えた。人柄も、普通の人と比べると、感じが、とても良くて、初めから思い込んでいた方には、矢張り深いものだろう。慰め難き姨捨で、人に見咎められない程度に、扱い申し上げた。

突然、話が変るのである。

女三の宮に、心があるのに・・・
その御姉の二の宮に、御降嫁、つまり、位置の低い方に、嫁がれたのである。

姨捨
古今集 読み人知らず
わが心 なぐさめかねつ 更科や 姨すて山に 照る月を見て



posted by 天山 at 06:35| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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