2015年03月30日

もののあわれについて733

これもかれも、うちとけぬ御けはひどもを聞き給ふに、大将も、いと内ゆかしく覚え給ふ。対の上の、見し折よりも、ねびまさり給へらむ有様ゆかしきに、しづ心もなし。宮をば、今少しのすくせ及ばましかば、わが物にても見奉りてまし、心のいとぬるきぞ悔しきや。院はたびたびさやうにおもむけて、しりうごとにも宣はせけるを、と、ねたく思へど、すこし心安き方に見え給ふ御けはひに、あなづり聞ゆとはなけれど、いとしも心は動かざりけり。この御方をば何ごとも思ひ及ぶべき方なく、気遠くて、年ごろ過ぎぬれば、いかでかただ大方に、心よせあるさまをも見え奉らむとばかりの、口惜しく嘆かしきなりけり。あながちに、あるまじくおほけなきここちなどは、さらにものし給はず、いとよくもてをさめ給へり。




この方も、あの方も、すましている様子を見て、お耳にすると、大将も、とても中を見たくなる。対の上、紫の上が、昔見た時よりも、年とともに美しくなられたであろう、お姿が見たくて、心が落ち着かない。宮を、もう少し縁があれば、我が物として、お世話できたのに、ゆっくりと構えていたのが、悔やまれるのである。
院は、何度も、そういう風に、謎をかけて、蔭でもおおせられていた。と、残念に思う。少し深みが足りないとお見受けしたご様子に、軽蔑するというわけではないが、それほどに、心が動かなかった。
こちらの御方は、何とかなると思える手立ては、何も無く、高嶺の花で、年月が過ぎたこと。何とかして、特別の意味なくして、好意を寄せていることを、お見せしたいと、それが残念で、溜息が出る。無理な、けしからぬ、大それた気持ちなどは、全く、持ってはいない。立派に心を抑えている。

いかでかただ大方に
この、大方は、紫の上のこと。
色恋ではない、気持ちで・・・




夜ふけゆくけはひ冷ややかなり。ふしまちの月はつかさにさし出でたる、源氏「心もとなしや、春のおぼろ月夜よ。秋のあはれはた、かうやうなる物の音に、虫の声より合はせたる、ただならず、こよなく響きそふ心地すかし」と宣へば、大将の君、夕霧「秋の夜のくまなき月には、よろづのものとどこほりなきに、琴笛の音もあきらかにすめる心地はし侍れど、なほことさらに作り合はせたるやうなる空の気色、花の露もいろいろ目うつろひ心ちりて、限りこそ侍れ。春の空のたどたどしき霞のまより、おぼろなる月影に、静かに吹き合はせたるやうには、いかでか。笛の音なども、えんに澄みのぼりて果てずなむ。「女は春をあはれふ」と古き人の言ひおき侍りける、げにさなむ侍りける。なつかしくもののととのほることは、春の夕暮れこそことに侍りけれ」と申し給へば、源氏「いな、この定めよ。いにしへより人の分きかねたる事を、末の世に下れる人の、え明らめははつまじくこそ。物の調べ、曲のものどもはしも、げに律をばつぎのものにしたるは、さもありかし」と宣ひて、源氏「いかに、ただいま有職のおぼえ高きその人かの人、御前などにて、たびたびこころみさせ給ふに、すぐれたるは、数すくなくなりためるを、そのこのかみと思へる上手ども、いくばくえまねび取らぬにやあらむ、このかくほのかなる女たちの御なかに、ひきまぜたらむに、きは離るべくこそ覚えね。年頃かくうもれて過ぐすに、耳などもすこしひがひがしくなりたるにやあらむ。くちをしうなむ。あやしく、その御前の御遊びなどに、ひときざみに選ばるる人々、それかれといかにぞ」と宣へば、




夜が更けてゆく様が、冷え冷えと感じられる。臥し待ちの月が、少し顔を出したのを、源氏は、頼りない、春の朧月夜は。秋の趣は、矢張り、こういう音楽に、虫の声を合わせたのが、何ともいえず、この上なく音の美しさが、増すようだ。とおっしゃると、大将の君は、秋の夜の、雲ひとつない月には、何もかも、くっきりと見えて、琴笛の音も、はっきりと、澄んで聞える感じはしますが、矢張り、わざわざ音楽に合わせて、作るような空の様子、様々な色の花の露に、つい目が移り、気が散って、最高とはいえません。春の空の、ぼんやりと、霞んでいる間から、かすんで見える月の光に、静かに笛を吹き合わせた、そういう具合に、秋はゆきません。笛の音なども、秋は美しく澄み切ることはありません。「女は春をあはれむ」と、昔の人は、言い残していますが、その通りです。
と、申されると、
源氏は、いや、この議論は、昔から、皆判断をしかねたもので、この末の世のわれわれが、結論を出すことは出来ない。音楽の調子や曲などは、律を第二のものとしているのは、お前の言うとおりだろう。などと、おっしゃり、
どうだ。現在は、よく出来ると評判の高い、誰彼は、陛下の御前などで、しばしばやらせて、御覧遊ばして、上手な者は、次第に数が少なくなっているようだが、その一流と思っている、名人たちも、何程にも、会得できないのではないか。このような、何でもない、婦人方の中で、一緒に弾かせたとしても、際立ちそうに思えない。何年も、このように埋もれて、暮らしていて、耳など、少し変になったのだろうか。残念なことだ。妙に、人々の才能や、少し習うという芸事が、よそよりは、やりがいがあり、よくなるところのようだ。その御前の音楽会などに、第一流として、選ばれる人々の誰と比べて、今日の女楽は、どうだ。と、おっしゃると、




大将「それをなむとり申さむと思ひ侍りつれど、あきらかならぬ心のままに、およずけてやは、と思ひ給ふる。のぼりての世を、聞きあはせ侍らねばにや、衛門の督の和琴、兵部卿の宮の御琵琶などをこそ、この頃めづらかなるためしに引きいではべめれ。げにかたはらなきを、今宵うけたまはるものの音どもの、皆ひとしく耳おどろき侍れば、なほかくわざともあらぬ御遊びと、かねて思う給へたゆみける心の騒ぐにや侍らむ。唱歌など、いと仕うまつりにくくなむ。和琴は、かの大臣ばかりこそ、かく折りにつけて、こしらへなびかしたる音など、心にまかせて掻き立て給へるは、いとことにものし給へ、をさをさ際はなれぬものにはべめるを、いとかしこく整ひてこそ侍りつれ」と、めで聞え給ふ。源氏「いとさことごとしき際にはあらぬを、わざとうるはしくも取りなさるるかな」とて、したり顔にほほえみ給ふ。




大将、夕霧は、そのことを、こちらから申し上げようと思いましたが、よく解らぬ者が思ったままを申し上げては、不躾なことにならないかと。結構な時代は、存じませんでしょうか。衛門の督の、和琴や、兵部卿の宮の、御琵琶などを、近頃は、立派なものの例に引くようです。いかにも、またとない演奏ですが、今夜の音楽が、皆、どれもこれも聞いても、驚くばかりです。矢張り、正式ではない音楽会と、前々から油断しておりました心が、驚き、騒ぐのでしょうか。唱歌など、まことに、致しにくいものです。和琴は、あの大臣だけが、このように、四季折々に合わせて、音色を自由に工夫して、思うままに、弾かれますのは、格別なものでございます。なかなか、並外れた弾き手は、ないものでございます。実に、立派に調子が整っておりました。と、誉めて申し上げる。
源氏は、いや、それほど大した弾き手ではないが、わざと、立派なような、言い方をされるものだ、と、得意げに、微笑みされる。

めで聞え給ふ
源氏の言葉に応えて、春と、和琴と、紫の上を、誉めたのである。






posted by 天山 at 05:08| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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