2015年03月27日

もののあわれについて732

御琴どもの調どもととのひはてて、掻き合はせ給へる程、いづれとなき中に、琵琶はすぐれて上手めき、かみさびたる手づかひ、澄みはてておもしろく聞ゆ。和琴に、大将も耳とどめ給へるに、なつかしく愛敬づきたる御つま音に、掻きかへしたる音のめづらしく今めきて、さらにこのわざとある上手どもの、おどろおどろしく掻き立てたるしらべ調子におとらず、にぎははしく、大和琴にもかかる手ありけり、と聞きおどろかる。ふかき御労のほどあらはに聞えておもしろきに、おとど御心おちいて、いとありがたく思ひ聞え給ふ。筝の御琴は、もののひまひまに、心もとなく漏りいづるものの音がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞ゆ。琴は、なほ若き方なれど、習ひ給ふ盛りなれば、たどたどしからず、いとよくものに響きあひて、「優になりにける御琴の音かな」と大将聞き給ふ。拍子とりて唱歌し給ふ。院も時々扇うち鳴らして、くはへたまふ御声、昔よりもいみじくおもしろく、すこしふつつかに、ものものしき気添ひて聞ゆ。大将も、声いとすぐれ給へる人にて、夜の静かになり行くままに、いふ限りなくなつかしき夜の御遊びなり。




御琴の音が、全て整って、合奏なさると、どれも皆見事だが、中でも、琵琶が特に上手で、古風な弾き方は、澄み切って聞える。
和琴に、大将は、注意して聞いていると、やさしく魅力的な爪弾きに、掻き返す音色が、他では、聞けないほど華やかで、この頃、特に有名な専門家たちが、大袈裟に掻き立てる曲や、調子に負けず、派手で、和琴にも、こんな弾き方があるのかと、聞く耳が驚く。
その修行のほどが、明確に解り、素晴らしいので、源氏は、安堵されて、たいしたものだと、感心される。
筝の御琴は、他の楽器の合間、合間に、頼りなげに、こぼれ出る性質で、可愛らしく、女らしい音に聞える。
琴は、矢張り未熟であるが、習っている最中なので、危なげなく、大変、他の楽器と合う。立派な音が出るようになったと、大将は、お聞きになる。
拍子をとって、唱歌される。院も時々、扇を打ち鳴らして、合唱される。その声は、昔よりも、結構で、少し声が太く、重みが加わる感じがする。
大将も、とても声が良い方で、夜が静かになるにつれて、言葉に出来ぬような、面白い、今夜の音楽会である。




月こころもとなきころなれば、燈籠こなたかなたにかけて、火より程にともさせ給へり。宮の御方をのぞき給へれば、人よりけに小さくうつくしげにて、ただ御衣のみあるここちす。にほひやかなる方はおくれて、ただいとあてやかにをかしく、きさらぎの中の十日ばかりの青柳の、わづかにしだりはじめたらむここちして、鶯の羽風にも乱れぬべく、あえかに見え給ふ。桜の細長に、御髪は左右よりこぼれかかりて、柳の様したり。




月が、なかなかでない頃で、燈籠を、あちらこちらにかけて、丁度よいほどに、火を灯させた。宮がおられる所を、覗くと、他の誰よりも、小さくて、可愛い。お召し物があるだけに、思われる。こぼれるような美しさは、まだなくて、ただ、とても上品で、美しく、二月十日頃の青柳が、ようやくしだれ始めたような感じで、鶯の羽風にも乱れてしまいそうな、弱々しい感じでいらっしゃる。桜襲の細長に、御髪が左右からこぼれて、柳の糸のようである。




これこそは、限りなき人の御有様なめれと見ゆるに、女御の君は、同じやうなる御なまめき姿の、今すこしにほひ加はりて、もてなしけはひ心にくく、よしある様し給ひて、よく咲きこぼれたる藤の花の、夏にかかりて、かたはらに並ぶ花なき朝ぼらけのここちぞし給へる。さるは、いとふくらかなる程になり給ひて、なやましく覚え給ひければ、御琴もおしやりて、脇息におしかかり給へり。ささやかなよびかかり給へるに、御脇息は例の程なれば、およびたるここちして、ことさらに小さく作らばやと見ゆるぞ、いとあはれげにおはしける。紅梅の御衣に、御髪のかかりはらはらと清らにて、火影の御姿よになくうつくしげなるに、紫の上は、葡萄染にやあらむ、色濃きこうちぎ、薄蘇芳の細長に、御髪のたまれるほど、こちたくゆるるかに、おほきさなどよき程に、やうだいあらまほしく、あたりににほひ満ちたるここちして、花といはば桜にたとへても、なほ物よりすぐれたるけはひ、ことにものし給ふ。




これこそ、この上ない、身分のお姿と思われるが、女御の君は、同じように、優しいお姿で、もう少し生彩があり、態度や、雰囲気が奥ゆかしく、教養のあるご様子で、見事に、咲き誇る藤の花が、夏まで咲き続けて、他に並ぶ花もなく、朝日に輝いている様子である。だが、とてもお腹が膨らんでいられる頃で、ご気分がすぐれず、お琴を向こうに押しやり、脇息によりかかっていられる。小柄で、なよなよと、寄りかかっておられるが、脇息は、人並みの大きさで、背伸びしたような、感じであり、特別に作って差し上げたいと、お気の毒にも思われる。
紅梅のお召し物に、御髪の具合が、はらはらと美しく、火の光に、映えるお姿は、またとなく、可愛らしい。紫の上は、葡萄染めだろうか。色濃いこうちぎに、薄蘇芳の細長をお召しで、それに御髪の様子は、たっぷりと緩やかに、弧を描き、背丈などは、丁度良い具合だ。姿は、理想的で、美しさが溢れている。花ならば、桜に例えてでも、まだそれ以上だと、雰囲気は、格別である。




かかる御あたりに、明石は気おさるべきを、いとさもしもあらず。もてなしなど気色ばみ恥づかしく、心の底ゆかしきさまして、そこはかとなくあてになまめかしく見ゆ。柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、こうちぎ着て、うすものの裳のはかなげなる引きかけて、ことさら卑下したれど、けはひ思ひなしも心にくく、あなづらはしからず。高麗の青地の錦の端さしたるしとねに、まほにもいで、琵琶をうち置きて、ただ気色ばかり弾きかけて、たをやかに使ひなしたる撥のもてなし、音を聞くよりも、またありがたくなつかしくて、五月まつ花橘、花も実も具しておし折れるかをり、覚ゆ。




このような方々と並ぶと、明石は圧倒されるところだが、それほどでもない様子。身のこなしなど、意味ありげで、こちらが恥ずかしくなるくらいだ。心の中に、深みが感じられて、品があり、優雅に見える。柳の織物の、細長に、萌黄のこうちぎを着て、羅の裳の、目立たぬものを軽くつけて、特に卑下しているが、その姿、心構えも、奥ゆかしく、一通りのものではない。
高麗の青地の錦で、縁をとった敷物に、膝だけ乗せて、琵琶を前に置き、ほんの心持だけ弾き掛けて、しなやかに使いこなした撥の扱いは、音を聞くより、目で見ても、この上なく、優しい。五月を待つ、花橘の、その花の実もあわせて、折ったような、香りが感じられるのである。






posted by 天山 at 05:22| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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