2015年03月13日

玉砕10

天皇陛下に報告するため、参内した、陸相川島義之が、恐る恐る、陛下に
将校らの行為は、不祥事ではあるが、陛下と国家への至情から発したものであり、その心情を理解して頂きたい旨・・・
と、奏上すると、
天皇は色をなし
朕が股肱の老臣を殺戮す。此の如き凶暴の将校ら、その精神においても何の赦すべきものにありや・・・
速やかに、暴徒を鎮圧せよ
と、厳命した。

本庄武官長が、暴徒という言葉は、天皇への軍部の重大な反発を招くと、
暴徒というお言葉は、お控え下さいますように
と、言うと、
朕の命令なしに、軍隊を勝手に動かしたことは、朕の軍人ではなく、暴徒である。
と、仰せられた。

いかに、陛下が、激昂していたかが、解る。

事件発生の急報に対して、陸相の参内が遅れたことも、天皇の不満を駆り立てた。

更に、陸相をはじめとする、軍首脳部は、ただ狼狽するばかりで、反乱将校たちに迎合し、
決起の趣旨については、天聴に達せられた。
諸子の真意は、国体顕現の至情にもとづくものと認む。
襲撃を賞賛するような、陸軍大臣の告示を出したのである。

このような経緯を経て、反乱将校たちは、26日の夕方頃までには、成功を確信する状況にあった。

しかし、27日の未明、天皇の激怒に驚き、おののいた軍首脳部は、ようやく厳戒令を施行して、反乱軍の拠点、赤坂の山王ホテル一帯から、住民の避難を命じた。
だが、対決にまでは踏み切れずに、首脳将校らは、折衝を重ねた。

何とか、説得によって、無血解決をというのだが、苛立った天皇は、頻繁に本庄武官長を呼び、
もう出動したか
戦端を開いたか
と、矢のように、催促する。

その度に、言い逃れのような言葉である。
天皇も、ついに、
師団長らは、職務を解せざりしものと認む。朕自ら近衛師団を率いて、これが鎮定に当らん。直ちに、乗馬の用意をせよ。
との、仰せである。

昭和天皇の生涯で、唯一、感情を吐露した事件である。
未曾有のクーデターである。

さて、クーデターを企てた将校たちが、天皇の激昂により、形勢が非になることを、肌で感じ始めた頃、吉報が、もたらされた。

弘前第八師団で、大隊長を務める、秩父宮が、応援に乗り出したというのである。
秩父宮は、天皇親政を望んでいた。

しかし、それは、昭和天皇と激論になっていた。
5・15事件の頃、天皇に対して、しきりに御親政を説かれたが、昭和天皇は、憲法の停止もまた止むを得ずと激され、相当の激論となった。

天皇は、侍従長に、祖宗の威徳を傷つけることは、自分の到底同意し得ざるところで、親政というのも、憲法に基づいて、大政を総攬せり。また、憲法の停止などは、明治大帝の創制されたものを破壊するもので、断じて、不可なり、との仰せだった。

その秩父宮が、即日上京すると聞いて、反乱軍は、百万の援軍を得た思いがし、逆に、宮内省は、色を失った。

更に、当時、秩父宮を陛下に擁して陛下に代わりうるとの、考え方もあったのである。

つまり、軍部が昭和天皇に対して、隠れて批評していたのである。

だが、兎に角、秩父宮に対して、反乱軍の加担者の収奪されることを阻止することが出来た。更に、昭和天皇に、帰順させるべき方法が取られた。

秩父宮も、陛下を補佐するということで、収まったのである。

それは、犠牲者たちが、武士道から外れた残忍な方法で、殺されたことも、秩父宮を不快にさせた。

頼みの秩父宮からも、見捨てられ、反乱軍将校は、刻々と追い詰められた。
更に、天皇からの、再三の催促に窮して、色々と言葉を濁すが、結果、天皇は、
一刻も早く鎮圧せよ
との、お言葉に、腰の定まらなかった軍首脳部も、最後の腹をくくらざるをえなかった。

すでに、近衛、第一師団と、近県の兵合わせて、二万五千人が、反乱軍を包囲していた。
そして、抵抗すれば、天皇陛下の御為という挙兵の名分は消えて、永久に逆賊の汚名を着ることになる。

将校たちは、互いに抱き合い、号泣した。
そして、栗原中尉の提案で、勅使を乞い、見事に自決して、最期を飾ろうということになった。

山下少尉は、涙ながらに、川島陸相と宮城に赴き、
勅使を賜り、死出の光栄を与えられし、これ以外、解決の手段なし
と、本庄武官長に告げた。

その本庄日記には、
陛下には非常なる御不満にて、自殺するならば勝手になすべく。この如き者に勅使なぞ、もっての外なりと仰せられ、また、師団長が積極的に出づる能わずとするは、自らの責任を解せざるものなりと、いまだかつて拝せざる御気色にて厳責あらせられ、直ちに鎮定すべく厳達せよと厳命・・・

武官長は、再び、勅使の派遣について、
彼らは誤った動機に出たとしましても、国家のためを思う一念で致したことと存じますので・・・
と、再考を進言したが、
それはただ、私利私欲のためにせんとするものに非ず、といい得るのみ
と、天皇は、取り合わない。

そして、直ちに、各占拠地に、伝令され、下士官、兵士も、決死の覚悟を決めて、火蓋が切られようとした。


posted by 天山 at 06:58| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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