2015年03月21日

もののあわれについて730

女御の君にも、対の上にも、琴は習はし奉り給はざりければ、この折、をさをさ耳なれぬ手ども弾き給ふらむを、ゆかしと思して、女御も、わざとあり難き御いとまを、明石女御「ただしばし」と聞え給ひて、まかで給へり。御子二所おはするを、またも気色ばみ給ひて、五月ばかりにぞなり給へれば、神業などにことつけて、おはしますなりけり。十一月過ぐしては、参り給ふべき御消息うちしきりあれど、かかるついでに、かく面白き夜々の御遊びをうらやましく、「などてわれに伝へ給はざりけむ」と、つらく思ひ聞え給ふ。




女御の君にも、対の上にも、琴は、習わせて上げなかったので、この折りに、めったに耳に出来ない曲を、弾かれるだろうと、聞きたいと思い、女御も、特にお許しの出にくい暇を、ほんのしばらく、と申し上げて、御退出になる。皇子がお二人おいでだが、またまた、兆しが見えて、五ヶ月ぐらいになっておられる。神事などにかこつけて、お里下がりあそばしたのだ。
十一月も過ぎると、参内されるようにと、お使いがしきりにあるが、こんな機会に、この面白い夜毎の御演奏を、嫉ましく思い、どうして、私にご伝授くださらなかったのか、と、恨み申していらっしゃる。




冬の夜の月は、人に違ひてめで給ふ御心なれば、面白き夜の雪の光に、折りに合ひたる手ども弾き給ひつつ、候ふ人々も、少しこの方にほのめきたるに、御琴どもとりどりに弾かせて、遊びなどし給ふ。年の暮つ方は、対などにはいそがしく、こなたかなたの御いとなみに、おのづから御覧じ入るる事どもあれば、紫の上「春のうららかならむ夕べなどに、いかでこの御琴の音聞かむ」と宣ひわたるに、年返りぬ。




冬の夜の月は、人と違い、喜ばれる源氏なので、感激した夜の雪の光の中で、季節に相応しい曲を、幾つもお弾きになる。お傍に控えている人々も、多少この音楽に心得のある人に、弦楽器をそれぞれ弾かせて、音楽会をされる。
年の暮れは、対などでは、忙しく、あちらこちらのお支度に、いつもながらお指図されることも多くあるので、紫の上は、春のうららかな夕方などに、是非、宮のお琴の曲を聴きたいと、おっしゃるうちに、年が改まった。




院の御賀、先づおほやけよりせさせ給ふ事どもいとこちたきに、さしあひては便なく思されて、少し程すごし給ふ。二月十余日と定め給ひて、楽人舞人など参りつつ、御あそび絶えずあり。源氏「この対に常にゆかしくする御琴の音、いかでかの人々の筝・琵琶の音も合せて、女楽こころみさせむ。ただ今の物の上手どもこそ、さらにこのわたりの人々の御心しらひどもにまさらね。はかばかしく伝へ取りたることは、をさをさなけれど、何事も、いかで心に知らぬ事あらじとなむ、幼き程に思ひしかば、世にある物の師といふ限り、また高き家々のさるべき人の伝どもをも、残さずこころみし中に、いと深く恥づかしきかなとおぼゆる際の人なむなかりし。そのかみよりも、またこの頃の若き人々の、ざれよしめき過ぐすに、はた浅くなりにたるべし。琴はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか。この御琴の音ばかりだに伝へたる人をさをさあらじ」と宣へば、何心なくうち笑みて、うれしく、「かく許し給ふ程になりにける」と思す。二十一二ばかりになり給へど、なほいといみじく片なりに、きびはなる心地して、細くあえかにうつくしくのみ見え給ふ。源氏「院にも見え奉り給はで年へぬるを、おびまさり給ひにけりと御覧ずばかり、用意くはへて見え奉り給へ」と、ことに触れて教へ聞え給ふ。げにかかる御後見なくては、まして、いはけなくおはします御ありさま、隠れなからまし、と人々も見奉る。




朱雀院の五十の御賀は、第一に今上陛下のあそばす事の、様々は、まことに盛大で、それに重なっては、不都合だと思い、少し期日を遅らせた。
二月の十何日と決められて、楽人舞人などが、次々に六条の院に参上して、合奏の会が多々ある。源氏は、この対でいつも聴きたいと言っている、あなたのお琴の音に、是非この人々の、筝、琵琶を合奏させて、女楽をさせてみたい。当代の名人たちでも、この院の人々の、たしなみは、到底勝てないだろう。私は、きちんと伝授を受けたことはないが、何事も、知らぬことがないようにと、幼い頃に思ったので、名のある師は、全部、また名家のこれという人の秘伝をも、残らず受けてみた中で、奥深く極めていて、敬服をしたという人は、いなかった。その当時よりも、もう一つ今の若い者たちは、砕け過ぎで、気取り過ぎる。もう一段浅くなっているだろう。七弦の琴は、他の楽器以上に、全く稽古する者もいなくなった。あなたのお琴の音ほどにも、習い伝えた者は、いないだろう。と、おっしゃるので、姫宮は、無邪気に、にっこり笑い、嬉しくて、殿様が、こんなに認めたのだと、思うのである。
宮様は、二十一、二、ほどになられたが、今でも、ひどく幼くて、ほっそりとして、弱々しく、可愛らしく見える。源氏は、上皇様にも、お目にかからず、何年にもなったのだから、大人になったと、御覧になられるよう、一段と気をつけて、お目にかかりなさい。と、何かにつけて、教える。
このようなお世話役がなくては、実際以上に、幼い様子が目に付くだろうと、女房達も、拝するのである。




正月二十日ばかりになれば、空もをかしき程に、風ぬるく吹きて、御前の梅も盛りになりゆく。大方の花の木どもも皆けしきばみ、霞みわたりにけり。源氏「月たたば、御いそぎ近くもの騒しからむに、掻き合せ給はむ御琴の音も、試楽めきて人いひなさむを、このころ静かなる程にこころみ給へ」とて、寝殿に渡し奉り給ふ。御供に、われもわれもと物ゆかしがりて、参う上らまほしがれど、こなたに遠きをば、選りとどめさせ給ひて、少しねびたれど、よしあるかぎり選りてさぶらはせ給ふ。




正月の二十日頃になると、空も美しく、風がなま暖かく吹き、庭先の梅も、盛りになって行く。凡その花咲く木は、皆つぼみが膨らんで、梢が一面霞んでいる。源氏は、月が替われば、御賀の準備も近くなり、騒々しいだろうから、合わせるお琴の音も、御賀の予行のように、噂されるだろう。今の静かな間に、合奏しなさい。と、おっしゃり、宮のいらっしゃる寝床に、紫の上を、お連れする。御供として、我も我もと、合奏を聞きたがり、皆、参上したがるが、この方面に疎い人は、残して、少し年をとっていても、心得のある者だけを、選んでお付けになる。




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2015年03月26日

もののあわれについて731

童べは、容貌すぐれたる四人、赤色に桜のかざみ、薄色の織物のあこめ、浮紋のうへの袴、紅のうちたる、様もてなしすぐれたる限りを召したり。女御の御方にも、御しつらひなど、いとどあらたまれる頃の曇りなきに、おのおのいどましく尽くしたる装ひどもあざやかに二なし。童は、青色に蘇芳のかざみ、唐綾のうへの袴、あこめは山吹なる唐の綺を、同じさまに整へたり。明石の御方のは、ことごとしからで、紅梅二人、桜二人、あをじの限りにて、あこめ濃く薄く、打目などえならで着せ給へり。宮の御方にも、かくつどひ給ふべく聞き給ひて、童べの姿ばかりは、ことに縫はせ給へり。青丹に柳のかざみ、葡萄染のあこめなど、ことに好ましくめづらしきさまにあらねど、大方のけはひの、いかめしく気高き事さへいとならびなし。




紫の上の、女童は、器量のすぐれているものを、四人、赤色の上着に桜襲の、かざみ、薄紫の織り模様の下着、浮紋の上の袴、紅の打って艶を出した単衣。容姿も、身のこなしも、すぐれている者だけを、呼び出される。
明石の女御のお部屋でも、室内の装飾などを、常よりも一層、改まる正月のことで、晴れ晴れしい。そこへ女房が、それぞれ競い合い、華麗を尽くした衣装が、鮮やかである。女御の女童は、青色の上着に、蘇芳襲のかざみ、唐の綾織りの上の袴、下着は、山吹色の唐の綺を、揃いで着ている。
明石の御方の女童は、大袈裟ではなく、紅梅襲が二人、桜襲が二人、いずれも青磁色のかざみばかりで、下着は、濃い紫、また薄紫、単衣は、打目の模様など、素晴らしいものを、着せている。
宮のところでも、このように、方々が集まると聞いて、女童の恰好だけは、特に手を入れた。濃い青に、黄色を加えた柳襲のかざみ、青紫の下着など、殊に趣向を凝らしているわけではないが、全体の雰囲気が、威厳あり、気高い様子は、無類である。




廂の中の御障子をはなちて、こなたかなたに御几帳ばかりをけじめにて、中の間は院のおはしますべき御座よそひたり。今日の拍子合には童べを召さむとて、右の大殿の三郎、尚侍の君の御腹の兄君笙の笛、左大将の御太郎横笛と吹かせて、すのこにさぶらはせ給ふ。内には、御しとねども並べて、御琴ども参りわたす。秘し給ふ御琴ども、うるはしき紺地の袋どもに入れたる取り出でて、明石の御方に琵琶、紫の上に和琴、女御の君に筝の御琴、宮には、「かくことごとしき琴はまだえ弾き給はずや」とあやふくて、例の手ならし給へるをぞ、調べて奉り給ふ。




廂の間の、隔ての襖を取り外して、婦人方の間は、几帳だけを境にして、真ん中の一間は、院がお座りになるための、御座所を設けた。
今日の合奏には、童たちを呼び出してされるということで、右大臣の三男、かんの君のお生みになった兄君は、笙の笛、左大将のご長男は、横笛と、それぞれ吹かせて、すのこに控えさせる。御簾の内には、敷物を並べて、琴を婦人方の前に置いて並べる。秘蔵の琴の数々、堂々たる紺地の袋に、一つ一つ入れてあるのを、取り出して、明石の御方には、琵琶、紫の上には、和琴、女御の君には、筝の琴。そして、宮には、こういう物々しい名器は、まだ弾きこなすことが出来ないと心配で、いつも通り、弾き慣れているものを、源氏御自身が調律して、差し上げる。




源氏「筝の御琴は、ゆるぶとなけれど、なほかく物に合はする折の調べにつけて、琴柱のたちど乱るるものなり。よくその心しらひ整ふべきを、女はえ張りしづめじ。なほ大将をこそ召し寄せつべかめれ。この笛吹きども、まだいと幼げにて、拍子整へむ頼み強からず」と笑ひ給ひて、源氏「大将こなたに」と召せば、御方々恥づかしく、心づかひしておはす。明石の君を放ちては、いずれも皆すてがたき御弟子どもなれば、御心くはへて、「大将の聞き給はむに、難なかるべく」と思す。女御は、常に上の聞し召すにも、物に合はせつつ弾きならし給へれば、うしろやすきを、「和琴こそ、いくばくならぬ調なれど、あと定まりたる事なくて、なかなか女のたどりぬべけれ。春の琴の音はみな掻き合はするものなるを、乱るる所もや」と、なまいとほしく思す。




源氏は、筝の御琴は、糸が弛むというのではないが、矢張りこのように合奏する時の調子によって、琴柱の場所が動くものだ。十分にその心遣いをして、用意すべきだが、女では、納まるように、良く弦を張れないだろう。大将を呼んだほうがいい。この笛吹き連中は、まだ幼く、拍子を合わせるのは、頼り無い、と笑い、大将、こちらへと、お呼びになる。ご婦人方は、気詰まりに思い、緊張する。
明石の君を除いて、どなたも皆、源氏の御弟子なので、ご注意されて、大将がお聞きになっても、落ち度の無いようにと思う。
女御はいつも主上が、お聞きの所でも、他の楽器と合わせて弾き慣れているから安心だが、和琴だけは、数多くない調子だが、決まった弾き方がなく、かえって女は、まごつくだろう。
春の琴の音は、全部が揃い、合奏するものである。もし、調子が狂うことがあっては、と、源氏は、少し気の毒になる。




大将、いといたく心げさうして、御前のことごとしく、うるはしき恩こころみあらむるよりも、今日の心づかひはことにまさりて覚え給へば、あざやかなる御直衣、香しみたる御衣ども、袖いたくたきしめて、ひきつくろひて参り給ふほど、暮れはてにけり。ゆえあるたそがれどきの空に、花はこぞのふる雪思ひ出でられて、枝もたわむばかり咲きみだれたり。ゆるるかにうち吹く風に、えならずにほひたる御簾の内のかをりも吹きあはせて、鶯誘ふつまにしつべく、いみじきおとどのあたりにほひなり。御簾の下より、筝の御琴のすそすこしさしいでて、源氏「かるがるしきやうなれど、これが緒ととのへて調べこころみ給へ。ここにまたうとき人の入るべきやうもなきを」と宣へば、うちかしこまりて賜はり給ふほど、用意多くめやすくて、一越調の声に、はちの緒を立てて、ふとも調べやらで候ひ給へば、源氏「なほ掻合ばかりは、手一つ。すさまじからでこそ」と宣へば、夕霧「さらに今日の御遊びのさしいらへに、まじらふばかりの手づかひなむ、覚えず侍りける」と気色ばみ給ふ。源氏「さもあることなれど、女楽にえことまぜでなむ逃げにけると、伝はらむ名こそ惜しけれ」とて笑ひ給ふ。調べはてて、をかしき程に掻き合はせばかり弾きて、参らせ給ひつ。この御孫の君達の、いとうつくしき宿直姿ともにて、吹き合せたる物のねども、まだ若けれど、生先ありていみじくをかしげなり。




大将、夕霧は、とても緊張して、御前の大掛かりで正式な試楽よりも、今日の気の張りようは、大変だと、感じられたゆえに、素晴らしい御直衣に、香のしみたお召し物を重ねて、緒は特に、香を焚き染めて、めかしこんで、参上される頃、日はすっかりと暮れてしまった。
趣深い夕暮れの空に、花は、去年の雪かと思わせるほど、枝もたわわに咲き乱れている。ゆったりと、かすかに吹く風に、言葉に出来ぬほどの、匂いが御簾の内から流れる、香の香りと一緒になり、鶯を連れ出す種にもできそうな、素晴らしい、御殿の匂いである。
御簾の下から、筝の琴の尾を、少し差し出して、源氏が、失礼な頼みだが、この弦を合わせて、弾いてください。ここへは、他に知らない人が、入って来る事はない、とおっしゃるので、慎んで、お受けする。その態度は、行き届いて立派で、一越調の音に、発の緒を合わせて、すぐに弾かず、控えているので、源氏は、矢張り、調子合わせだけは、一曲、雰囲気を壊さないように、とおっしゃる。夕霧は、全然、今日の演奏のお相手に、お仲間入りするほどの、技量は考えられません、と、謙虚なご挨拶である。
源氏は、さもあろうが、女楽の相手もできず、逃げ出したと評判になれば、不名誉なこと、と、笑う。
調子を合わせ終わり、感心する程度に、調子合わせだけを弾いて、お琴を御簾中に、差し上げた。
控えている、孫の若君たちが、可愛らしい直衣姿で、いっせいに吹きたてる笛の音は、まだ幼いが、素質があり、見事である。

鶯誘ふつまにしつべく・・・
古今集
花の香を 風の便りに たぐへてぞ うぐひすさそふ しるべにはやる
紀友則

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2015年03月27日

もののあわれについて732

御琴どもの調どもととのひはてて、掻き合はせ給へる程、いづれとなき中に、琵琶はすぐれて上手めき、かみさびたる手づかひ、澄みはてておもしろく聞ゆ。和琴に、大将も耳とどめ給へるに、なつかしく愛敬づきたる御つま音に、掻きかへしたる音のめづらしく今めきて、さらにこのわざとある上手どもの、おどろおどろしく掻き立てたるしらべ調子におとらず、にぎははしく、大和琴にもかかる手ありけり、と聞きおどろかる。ふかき御労のほどあらはに聞えておもしろきに、おとど御心おちいて、いとありがたく思ひ聞え給ふ。筝の御琴は、もののひまひまに、心もとなく漏りいづるものの音がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞ゆ。琴は、なほ若き方なれど、習ひ給ふ盛りなれば、たどたどしからず、いとよくものに響きあひて、「優になりにける御琴の音かな」と大将聞き給ふ。拍子とりて唱歌し給ふ。院も時々扇うち鳴らして、くはへたまふ御声、昔よりもいみじくおもしろく、すこしふつつかに、ものものしき気添ひて聞ゆ。大将も、声いとすぐれ給へる人にて、夜の静かになり行くままに、いふ限りなくなつかしき夜の御遊びなり。




御琴の音が、全て整って、合奏なさると、どれも皆見事だが、中でも、琵琶が特に上手で、古風な弾き方は、澄み切って聞える。
和琴に、大将は、注意して聞いていると、やさしく魅力的な爪弾きに、掻き返す音色が、他では、聞けないほど華やかで、この頃、特に有名な専門家たちが、大袈裟に掻き立てる曲や、調子に負けず、派手で、和琴にも、こんな弾き方があるのかと、聞く耳が驚く。
その修行のほどが、明確に解り、素晴らしいので、源氏は、安堵されて、たいしたものだと、感心される。
筝の御琴は、他の楽器の合間、合間に、頼りなげに、こぼれ出る性質で、可愛らしく、女らしい音に聞える。
琴は、矢張り未熟であるが、習っている最中なので、危なげなく、大変、他の楽器と合う。立派な音が出るようになったと、大将は、お聞きになる。
拍子をとって、唱歌される。院も時々、扇を打ち鳴らして、合唱される。その声は、昔よりも、結構で、少し声が太く、重みが加わる感じがする。
大将も、とても声が良い方で、夜が静かになるにつれて、言葉に出来ぬような、面白い、今夜の音楽会である。




月こころもとなきころなれば、燈籠こなたかなたにかけて、火より程にともさせ給へり。宮の御方をのぞき給へれば、人よりけに小さくうつくしげにて、ただ御衣のみあるここちす。にほひやかなる方はおくれて、ただいとあてやかにをかしく、きさらぎの中の十日ばかりの青柳の、わづかにしだりはじめたらむここちして、鶯の羽風にも乱れぬべく、あえかに見え給ふ。桜の細長に、御髪は左右よりこぼれかかりて、柳の様したり。




月が、なかなかでない頃で、燈籠を、あちらこちらにかけて、丁度よいほどに、火を灯させた。宮がおられる所を、覗くと、他の誰よりも、小さくて、可愛い。お召し物があるだけに、思われる。こぼれるような美しさは、まだなくて、ただ、とても上品で、美しく、二月十日頃の青柳が、ようやくしだれ始めたような感じで、鶯の羽風にも乱れてしまいそうな、弱々しい感じでいらっしゃる。桜襲の細長に、御髪が左右からこぼれて、柳の糸のようである。




これこそは、限りなき人の御有様なめれと見ゆるに、女御の君は、同じやうなる御なまめき姿の、今すこしにほひ加はりて、もてなしけはひ心にくく、よしある様し給ひて、よく咲きこぼれたる藤の花の、夏にかかりて、かたはらに並ぶ花なき朝ぼらけのここちぞし給へる。さるは、いとふくらかなる程になり給ひて、なやましく覚え給ひければ、御琴もおしやりて、脇息におしかかり給へり。ささやかなよびかかり給へるに、御脇息は例の程なれば、およびたるここちして、ことさらに小さく作らばやと見ゆるぞ、いとあはれげにおはしける。紅梅の御衣に、御髪のかかりはらはらと清らにて、火影の御姿よになくうつくしげなるに、紫の上は、葡萄染にやあらむ、色濃きこうちぎ、薄蘇芳の細長に、御髪のたまれるほど、こちたくゆるるかに、おほきさなどよき程に、やうだいあらまほしく、あたりににほひ満ちたるここちして、花といはば桜にたとへても、なほ物よりすぐれたるけはひ、ことにものし給ふ。




これこそ、この上ない、身分のお姿と思われるが、女御の君は、同じように、優しいお姿で、もう少し生彩があり、態度や、雰囲気が奥ゆかしく、教養のあるご様子で、見事に、咲き誇る藤の花が、夏まで咲き続けて、他に並ぶ花もなく、朝日に輝いている様子である。だが、とてもお腹が膨らんでいられる頃で、ご気分がすぐれず、お琴を向こうに押しやり、脇息によりかかっていられる。小柄で、なよなよと、寄りかかっておられるが、脇息は、人並みの大きさで、背伸びしたような、感じであり、特別に作って差し上げたいと、お気の毒にも思われる。
紅梅のお召し物に、御髪の具合が、はらはらと美しく、火の光に、映えるお姿は、またとなく、可愛らしい。紫の上は、葡萄染めだろうか。色濃いこうちぎに、薄蘇芳の細長をお召しで、それに御髪の様子は、たっぷりと緩やかに、弧を描き、背丈などは、丁度良い具合だ。姿は、理想的で、美しさが溢れている。花ならば、桜に例えてでも、まだそれ以上だと、雰囲気は、格別である。




かかる御あたりに、明石は気おさるべきを、いとさもしもあらず。もてなしなど気色ばみ恥づかしく、心の底ゆかしきさまして、そこはかとなくあてになまめかしく見ゆ。柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、こうちぎ着て、うすものの裳のはかなげなる引きかけて、ことさら卑下したれど、けはひ思ひなしも心にくく、あなづらはしからず。高麗の青地の錦の端さしたるしとねに、まほにもいで、琵琶をうち置きて、ただ気色ばかり弾きかけて、たをやかに使ひなしたる撥のもてなし、音を聞くよりも、またありがたくなつかしくて、五月まつ花橘、花も実も具しておし折れるかをり、覚ゆ。




このような方々と並ぶと、明石は圧倒されるところだが、それほどでもない様子。身のこなしなど、意味ありげで、こちらが恥ずかしくなるくらいだ。心の中に、深みが感じられて、品があり、優雅に見える。柳の織物の、細長に、萌黄のこうちぎを着て、羅の裳の、目立たぬものを軽くつけて、特に卑下しているが、その姿、心構えも、奥ゆかしく、一通りのものではない。
高麗の青地の錦で、縁をとった敷物に、膝だけ乗せて、琵琶を前に置き、ほんの心持だけ弾き掛けて、しなやかに使いこなした撥の扱いは、音を聞くより、目で見ても、この上なく、優しい。五月を待つ、花橘の、その花の実もあわせて、折ったような、香りが感じられるのである。




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2015年03月30日

もののあわれについて733

これもかれも、うちとけぬ御けはひどもを聞き給ふに、大将も、いと内ゆかしく覚え給ふ。対の上の、見し折よりも、ねびまさり給へらむ有様ゆかしきに、しづ心もなし。宮をば、今少しのすくせ及ばましかば、わが物にても見奉りてまし、心のいとぬるきぞ悔しきや。院はたびたびさやうにおもむけて、しりうごとにも宣はせけるを、と、ねたく思へど、すこし心安き方に見え給ふ御けはひに、あなづり聞ゆとはなけれど、いとしも心は動かざりけり。この御方をば何ごとも思ひ及ぶべき方なく、気遠くて、年ごろ過ぎぬれば、いかでかただ大方に、心よせあるさまをも見え奉らむとばかりの、口惜しく嘆かしきなりけり。あながちに、あるまじくおほけなきここちなどは、さらにものし給はず、いとよくもてをさめ給へり。




この方も、あの方も、すましている様子を見て、お耳にすると、大将も、とても中を見たくなる。対の上、紫の上が、昔見た時よりも、年とともに美しくなられたであろう、お姿が見たくて、心が落ち着かない。宮を、もう少し縁があれば、我が物として、お世話できたのに、ゆっくりと構えていたのが、悔やまれるのである。
院は、何度も、そういう風に、謎をかけて、蔭でもおおせられていた。と、残念に思う。少し深みが足りないとお見受けしたご様子に、軽蔑するというわけではないが、それほどに、心が動かなかった。
こちらの御方は、何とかなると思える手立ては、何も無く、高嶺の花で、年月が過ぎたこと。何とかして、特別の意味なくして、好意を寄せていることを、お見せしたいと、それが残念で、溜息が出る。無理な、けしからぬ、大それた気持ちなどは、全く、持ってはいない。立派に心を抑えている。

いかでかただ大方に
この、大方は、紫の上のこと。
色恋ではない、気持ちで・・・




夜ふけゆくけはひ冷ややかなり。ふしまちの月はつかさにさし出でたる、源氏「心もとなしや、春のおぼろ月夜よ。秋のあはれはた、かうやうなる物の音に、虫の声より合はせたる、ただならず、こよなく響きそふ心地すかし」と宣へば、大将の君、夕霧「秋の夜のくまなき月には、よろづのものとどこほりなきに、琴笛の音もあきらかにすめる心地はし侍れど、なほことさらに作り合はせたるやうなる空の気色、花の露もいろいろ目うつろひ心ちりて、限りこそ侍れ。春の空のたどたどしき霞のまより、おぼろなる月影に、静かに吹き合はせたるやうには、いかでか。笛の音なども、えんに澄みのぼりて果てずなむ。「女は春をあはれふ」と古き人の言ひおき侍りける、げにさなむ侍りける。なつかしくもののととのほることは、春の夕暮れこそことに侍りけれ」と申し給へば、源氏「いな、この定めよ。いにしへより人の分きかねたる事を、末の世に下れる人の、え明らめははつまじくこそ。物の調べ、曲のものどもはしも、げに律をばつぎのものにしたるは、さもありかし」と宣ひて、源氏「いかに、ただいま有職のおぼえ高きその人かの人、御前などにて、たびたびこころみさせ給ふに、すぐれたるは、数すくなくなりためるを、そのこのかみと思へる上手ども、いくばくえまねび取らぬにやあらむ、このかくほのかなる女たちの御なかに、ひきまぜたらむに、きは離るべくこそ覚えね。年頃かくうもれて過ぐすに、耳などもすこしひがひがしくなりたるにやあらむ。くちをしうなむ。あやしく、その御前の御遊びなどに、ひときざみに選ばるる人々、それかれといかにぞ」と宣へば、




夜が更けてゆく様が、冷え冷えと感じられる。臥し待ちの月が、少し顔を出したのを、源氏は、頼りない、春の朧月夜は。秋の趣は、矢張り、こういう音楽に、虫の声を合わせたのが、何ともいえず、この上なく音の美しさが、増すようだ。とおっしゃると、大将の君は、秋の夜の、雲ひとつない月には、何もかも、くっきりと見えて、琴笛の音も、はっきりと、澄んで聞える感じはしますが、矢張り、わざわざ音楽に合わせて、作るような空の様子、様々な色の花の露に、つい目が移り、気が散って、最高とはいえません。春の空の、ぼんやりと、霞んでいる間から、かすんで見える月の光に、静かに笛を吹き合わせた、そういう具合に、秋はゆきません。笛の音なども、秋は美しく澄み切ることはありません。「女は春をあはれむ」と、昔の人は、言い残していますが、その通りです。
と、申されると、
源氏は、いや、この議論は、昔から、皆判断をしかねたもので、この末の世のわれわれが、結論を出すことは出来ない。音楽の調子や曲などは、律を第二のものとしているのは、お前の言うとおりだろう。などと、おっしゃり、
どうだ。現在は、よく出来ると評判の高い、誰彼は、陛下の御前などで、しばしばやらせて、御覧遊ばして、上手な者は、次第に数が少なくなっているようだが、その一流と思っている、名人たちも、何程にも、会得できないのではないか。このような、何でもない、婦人方の中で、一緒に弾かせたとしても、際立ちそうに思えない。何年も、このように埋もれて、暮らしていて、耳など、少し変になったのだろうか。残念なことだ。妙に、人々の才能や、少し習うという芸事が、よそよりは、やりがいがあり、よくなるところのようだ。その御前の音楽会などに、第一流として、選ばれる人々の誰と比べて、今日の女楽は、どうだ。と、おっしゃると、




大将「それをなむとり申さむと思ひ侍りつれど、あきらかならぬ心のままに、およずけてやは、と思ひ給ふる。のぼりての世を、聞きあはせ侍らねばにや、衛門の督の和琴、兵部卿の宮の御琵琶などをこそ、この頃めづらかなるためしに引きいではべめれ。げにかたはらなきを、今宵うけたまはるものの音どもの、皆ひとしく耳おどろき侍れば、なほかくわざともあらぬ御遊びと、かねて思う給へたゆみける心の騒ぐにや侍らむ。唱歌など、いと仕うまつりにくくなむ。和琴は、かの大臣ばかりこそ、かく折りにつけて、こしらへなびかしたる音など、心にまかせて掻き立て給へるは、いとことにものし給へ、をさをさ際はなれぬものにはべめるを、いとかしこく整ひてこそ侍りつれ」と、めで聞え給ふ。源氏「いとさことごとしき際にはあらぬを、わざとうるはしくも取りなさるるかな」とて、したり顔にほほえみ給ふ。




大将、夕霧は、そのことを、こちらから申し上げようと思いましたが、よく解らぬ者が思ったままを申し上げては、不躾なことにならないかと。結構な時代は、存じませんでしょうか。衛門の督の、和琴や、兵部卿の宮の、御琵琶などを、近頃は、立派なものの例に引くようです。いかにも、またとない演奏ですが、今夜の音楽が、皆、どれもこれも聞いても、驚くばかりです。矢張り、正式ではない音楽会と、前々から油断しておりました心が、驚き、騒ぐのでしょうか。唱歌など、まことに、致しにくいものです。和琴は、あの大臣だけが、このように、四季折々に合わせて、音色を自由に工夫して、思うままに、弾かれますのは、格別なものでございます。なかなか、並外れた弾き手は、ないものでございます。実に、立派に調子が整っておりました。と、誉めて申し上げる。
源氏は、いや、それほど大した弾き手ではないが、わざと、立派なような、言い方をされるものだ、と、得意げに、微笑みされる。

めで聞え給ふ
源氏の言葉に応えて、春と、和琴と、紫の上を、誉めたのである。




posted by 天山 at 05:08| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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