2015年02月20日

もののあわれについて726

上達部も、大臣二所をおき奉りては、皆仕うまつり給ふ。舞人は、衛府の佐どもの、かたち清げに丈だちひとしきり限りを選らせ給ふ。この選びに入らぬをば恥に、憂れへ嘆きたるすきものどもありけり。陪従も、石清水、加茂の臨時の祭などに召す人々の、道々のことにすぐれたる限りを整へさせ給へり。加はりたる二人なむ。近衛づかさの名高き限りを召したりける。御神楽の方には、いと多く仕うまつれり。内、東宮、院の殿上人、方々に分かれて、心よせ仕うまつる。数も知らず、いろいろにつくしたる上達部の御馬鞍、馬添、随身、小舎人童、つぎつぎの舎人などまで、整へ飾りたる見物、またなきさまなり。




上達部も、大臣を、おひき申して、皆御供をされている。
舞人は、衛府の佐連中で、見た目も良く、背格好の同じ者ばかりを選ばれる。この選に漏れたのを恥として、悲しみ嘆く、熱心な人が大勢いた。
陪従も、石清水や加茂の臨時の祭りなどに、お召しになる人々で、それぞれの道に、特別上手な者ばかりを、揃えられた。臨時に加わった二人は、近衛府の特に有名な者ばかりを、お召しになった。
お神楽の方は、大勢がお供した。御所や東宮、院の殿上人が、それぞれに分かれて、進んで御用を勤める。数限りもなく、様々の色の限りを尽くした上達部の御馬鞍、馬添、随身、小舎人童、それ以下の舎人などまで、粒を揃え、飾り立てた見事さ、またとない、程である。




女御殿、対の上は、ひとつに奉りたり。次の御車には、明石の御方、尼君忍びて乗り給へり。女御の御乳母、心知りにて乗りたり。方々のひとだまひ、上の御方の五つ、女御殿の五つ、明石の御あかれの三つ、目もあやに飾りたる装束ありさま、言へばさらなり。さるは、源氏「尼君をば、同じくは、老いの波の皺のぶばかりに、人めかしくて詣でさせむ」と、院は宣ひけれど、明石御方「この度は、かく大方の響きに、立ち交らむもかたはらいたし。もし思ふやうならむ世の中を待ちいでたらば」と、御方はしづめ給ひけるを、残りの命うしろめたくて、かつがつものゆかしがりて、慕ひ参り給ふなりけり。さるべきにて、もとよりかくにほひ給ふ御身どもよりも、いみじかりける契り、あらはに思ひ知らるる人の御有様なり。




女御様と、対の上、紫の上は、同じ車であられた。次ぎの車には、明石の御方、そして、尼君が内々で、乗られた。女御の乳母は事情を知った者として、同乗した。方々のひとだまいは、うえの御方が五輪、女御様が、五輪、明石の御方が、三輪、目も眩むほどに、飾り立てた装束や様子は、言うまでも無い。
実は、源氏が、尼君をどうせお連れするなら、老いの波の皺が伸びるほどに、家族らしくして、参詣させようと、おっしゃったのだが、明石の御方は、今度は、このように、世間一般の大騒ぎ、そこに一緒になっては、こちらが辛い。もし希望通りの世の中が来るまで、生きながらえましたら、と、抑えられた。が、余命が心配で、もうひとつには、それを見たくて、後について、参詣されたのだ。前世からの約束で、生まれながらにして、このように栄華を欲しいままにされる方々よりも、素晴らしい幸運であることが、解る尼君の、ご様子である。

もし思ふやうならむ世の中を待ちいでたらば
女御が国母となり、その祖母として、今上陛下の曾祖母になるという、僥倖である。




十月なかの十日なれば、神の斎垣に這ふ葛も色かはりて、松の下紅葉など、おとにのみ秋を聞かぬ顔なり。ことごとしき高麗唐土の楽よりも、東遊の耳なれたるは、なつかしく面白く、波風の声に響きあひて、さる小高き松風に、吹き立てたる笛の音も、外にて聞く調べには変はりて身にしみ、み琴に打ちあはせたる拍子も、鼓を離れてととのへとりたる方、おどろおどろしからぬも、なまめかしくすごう面白く、所がらはまして聞えけり。山藍に摺れる竹のふしは、松の緑に見えまがひ、かざしの花のいろいろは、秋の草に異なるけぢめ分かれで、何事にも目のみまがひいろふ。求子はつる末に、若やかなる上達部は、肩ぬぎており給ふ。にほひもなく黒き上のきぬに、蘇芳襲の葡萄染めの袖を、にはかに引きほころばしたるに、紅深きあこめの袂のうちしぐれたるに気色ばかり濡れたる、松原をば忘れて、紅葉の散るに思ひわたさる。見るかひ多かる姿どもに、いと白く枯れたる萩を、高やかにかざして、ただ一返り舞いて入りぬるは、いと面白く飽かずぞありける。




十月二十日なので、社の玉垣に這うつる草も、紅葉し、松の下草の紅葉などは、風の音だけで、秋がわかるというものではない、風情である。
改まった高麗、唐土の雅楽より、東遊びの聞きなれたものは、親しみがあり、面白く、波と風の音に響きあって、あの有名な高い松を吹き渡る風に向かい、吹上げた笛の音も、他所で聞く音とは違い、東琴に合わせた拍子も、鼓なしで、調子が合っているが、大袈裟でないのが、場所が場所だけに、しっとりと、寂びて、興味深く聞える。
山藍ですり出した竹の節は、松の緑と見間違えるし、かざしの花の種々の色は、秋の草と見境がつかず、どれもこれも、目がちらちらするばかりである。
求子が終わる最後のところで、年若い上達部は、片肌脱いで、地面に下りる。光沢のない黒の袖から、すほう襲の袖、葡萄染めの袖を、急に引き出したところ、紅のあこめの袖が、はらはらと降り注ぐ時雨に、少しばかり濡れたのは、ここが松原である事を忘れて、紅葉が散ったのかと、思われる。
どれもこれも美しい舞い姿に、真っ白に枯れた萩を、高々とかざして、さっと、一さし舞って、席に戻るのは、実に面白く、まぶたに焼きつく思いがした。




おとど、昔の事思し出でられ、中ごろ沈み給ひし世の有様も、目の前のやうに思さるるに、その世のこと、うち乱れ語り給ふべき人もなければ、致仕の大臣をぞ、恋しく思ひ聞え給ひける。入り給ひて、二の車に忍びて、
源氏
たれかまた 心を知りて 住吉の 神代をへたる 松にこと問ふ

御畳紙に書き給へり。尼君うちしほたる。かかる世を見るにつけても、かの浦にて今はと別れ給ひし程、女御の君のおはせし有様など思ひ出づるも、いとかたじけなかりける身の宿世のほどを思ふ。世をそむき給ひし人も恋しく、さまざまにもの悲しきを、かつはゆゆしきと言忌みして、

尼君
住の江を いけるかひある 渚とは 年ふるあまも 今日や知るらむ

遅くは便なからむと、ただうち思ひけるままなりけり。

尼君
昔こそ まづ忘られね 住吉の 神のしるしを 見るにつけても

とひとりごちけり。




源氏は、昔の事が、つい胸に浮かんで、いっとき苦労された当時の事も、目の前のように、思い出されるが、あの時代の事を、思いつくままに、語り合える人もいない。致仕の大臣を、恋しく思いだされた。お入りになり、二の車に目立たぬように、

源氏
あなたと、私以外の、誰が昔のことを、知っていて、住吉の神代以来の、松に話しかけよう。

と、畳紙に、お書きになった。
尼君は、感涙にむせぶ。この頃の栄華を見るにつけても、あの浦で、これが最後とお別れした時の、女御の君がお腹の中にいらしたことなどを、思いだすと、大変素晴らしい運命の下に生まれてきたものだと、思う。出家された方、明石の入道も、恋しく、あれこれにつけて、悲しく思われるのを、一方では、縁起でもないと、言葉に注意して、

尼君
住の江は、生きがいのある海岸だと、長生きをした尼も、今日は、知ることでしょう。

遅くなっては、いけないと、心に浮かんだままを、一首にしたためた。

尼君
昔の事が、何より忘れられない。住吉の神のお蔭があり、こういう幸福を見ることができたと思う。

と、心の中で言った。








posted by 天山 at 06:42| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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