2015年02月02日

国を愛して何が悪い172

空海の時代について、少しばかり、概観を見る。

淳仁天皇の三年、758年、万葉集の歌が、この年で終わっている。
明らかに、一つの時代の終焉を告げている。

この頃から、9世紀にかけて、上代以来の名門が、次々と没落している。
政治的紛争の中心は、藤原氏一族である。

それは、皇族と強力な血縁関係を結び、天皇、皇后、皇太子の廃立や追放を、ほしいままにした。
それにより、古代天皇は、質的に変化したと言える。

天武天皇以来の、皇親政治は、完全に終焉したのである。

その古代からの、名門の中に、空海の佐伯氏も入る。

更に、平城京から、平安京への遷都である。
それは、政治家経済的な理由や、奈良朝仏教の頽廃からの離脱という、面もある。

唐文化の影響は、7世紀から始まるが、平安京への遷都共に、一段と徹底した。
勿論、大和に対する、復古の思想は、存在していた。
だが、大和自体は、すでに窒息状態になっていたと、思われる。

そこで、空海の出現である。

亀井勝一郎による、空海の直面した課題を、掲げてみる。

その第一は、八世紀末の、国分寺中心の仏教内容と、僧尼の頽廃である。
奈良仏教は、六宗が存在するが、空海は、それにも途方にくれた。

信仰上の問題だけではない。
同時の僧尼の実体、貴族たちの、生き方への批判。

当時は、出家と在家の厳しい区別のない時代である。僧の姿をかりて、風俗を乱す者も出た。

宗教の最大の敵は、それ自体の内部に醸成される惰性だ。すべての頽廃はそこに発すると言ってもよい。これに対して、いかに抵抗するか。「窮極の救い」とは何かという問いとあわせて、空海の直面したところであろう。すべて出家の動機には必ず無常観があるが、この無常観を、惰性におちいる危機においていかに運用するか。それは同時に、惰性にひそむ頽廃と快楽から、いかにして自己を脱却させるかという心の戦いにもむすびついてくる筈である。これらの点で、空海はどのような特徴を示したか。
亀井

鋭い、批評である。
確かに、真っ当に、無常観を観ずれば、上記のような批評が成り立つ。
しかし、当時は、それほどに、無常観が、支配的だったのか、疑問だ。

無常観は、一つの観念である。
確かに、仏教が深く入り込めば込むほどに、その無常観に対する思いが、深くなるだろうが・・・

奈良の仏教自体に、無常観を説くように思想があったのか。
今でも、実に甚だしく、面倒な哲学的な問題を、取り扱っていた。

逆に、空海によって、無常観というものが、明確にされたのかもしれない。

亀井の批評は、現代に通ずるものであり、現代の眼から、見たならば、実に有意義な提案である。

仏教の存在は、無常観よりも、もっと、政治的なものだった。
だから、奈良の仏教は、政治に関与し過ぎて、堕落したのである。

仏教が、庶民に広がるまでには、まだ時間がかかる。
あえて言えば、鎌倉仏教によって、民衆に公開されたといってよい。

空海の才能と、天才的な頭脳によって、空海自身の問題として、成り立つものだと、思える。
つまり、時代を先に、進んでいたのか・・・

次に、亀井が上げるのが、宗教的実践、つまり行としての、祈祷をいかにするかという、問題である。

仏教が、浸透するために、直接の媒介となったのは、病気と天災と死の恐怖である。
特に、病気は、切実な問題だった。
だから、僧は、看護師の役割も負ったのである。

そして、その一つの大きなものが、祈祷である。

空海は、後に述べるが、その祈祷の方法に、実に巧みな技を施した。
今では、催眠術の最大の効果を上げたといえる。

第三の問題は、国分寺建立を巡る、造型能力を、宗教的にいかに評価し、理論的基礎を与えるか、である。

天平仏教は、それだった。造型による、仏教である。
そして、仏像を拝むという姿勢を作り出した。

だがそれは、仏教における、第二義的な道である。
本来は、仏に帰依し、戒律を守り、乞食修行をしつつ、教化することが、第一義の道であるはず。

勿論、今の仏教も、それが、最も疎かである。
それは、日本仏教の性格になってしまった。
本来の、仏教というものとは、あまりに掛け離れている。

釈迦ブッダの仏教は、そのようなものだった。第一義の道である。

しかし空海は、私の言う第二義の道をも、第一義の道と同格のものとして、曼荼羅のなかに包括しようとした。
亀井

ここに、空海の、仏教、すなわち密教がある。
空海の、創作のものなのである。

それは、明らかに、空海の、天才的詐欺のようなものだと、私は言う。
だが、それについては、別エッセイ、神仏は妄想である、に、詳しく書いているので、省略する。

兎に角、空海の存在は、亀井の言うように、精神史から見れば、画期的なものだった。

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2015年02月03日

国を愛して何が悪い173

第四に、ここから宗教と芸術との関係が問題にされるのは当然であろう。キリスト教のような激しい二律背反はないが、しかし古来の「神ながら」による鎮魂のしらべと、仏教的思索からくる帰依と、また漢詩文などがいりみだれ、複雑な形相を呈しつつ共存していたわけで、空海はそれらの「相互関係」に直面した。ちょうどこのとき「うた」は衰退し長歌も消滅した。それはどういうことであったか。
亀井

これは、亀井独特の、観察力である。

長歌が生命を失ったことは、根本的には、「神ながら」自体が、大きく変質した。
それは、呪術の力が変容することを言う。
そして、それが、空海の、密教に移動することになると、亀井は言う。

空海は、密教の立場から、言葉の誕生と生成、音声や文字について、新しい意味付けを行なったといえるのである。

それは、相当な、創造的想像力である。

造型能力が信仰の中心課題となったように、造語能力も信仰の中心課題となったということだ。彼の宗教的体験が、いかにして詞的体験であり、その逆もそうであったか。これが空海の秘密だが、宗教と芸術との相交わる接点において彼はどのように対処したか。
亀井

七世紀初頭からの、唐化による激しい、民族変貌期が、頂点に達したようである。
つまり、混沌である。そして、無秩序。
その中で、空海は、その混沌と無秩序の中に身を置き、我が信仰の情熱を燃やす。

密教信仰が、中心だが、空海は、仏教から、はみ出したものをも、包括しようとした。
つまり、それは、野心である。

今までに、培われてきた、日本の伝統と仏教、その密教とに結び付ける作業は、評価に値する。

例えば、言霊の伝統を、密教の中で、音声として、取り入れた。
折衷である。

さて、空海が、帰依したのは、大日如来である。
それは、インドの太陽信仰から発したものである。

光明遍照とも訳される。
それは、宇宙に偏在する大生命の、光源とも言えるもので、仏教が持つ、汎仏論的性格を、空海は、この形で徹底したといえる。

それは、仏の根源である。
そのように、導いた経典が、大日経と、金剛頂経である。
そして、空海が師事した、長安の恵果の出会いである。

それについては、神仏は妄想である、という、別エッセイに詳しく書いているので、省略する。

兎に角、空海は、即身成仏を掲げた。
それに関しては、それぞれの宗教にある、奥義のようなものである。
ただ、精神史に即して言えば、そのような、壮大な試みを行なった人物が、存在したということである。

それを、実現するために、空海は、あらゆる事柄に、関与した。それも、また、才能のなせる業である。

亀井は、
日本史上最初の「普遍的人間」が成立したといってもよい。
と、書く。

自己が成りうるかもしれないあらゆる可能性を、つねに保有しておくこと、大日如来のこれが至上命令なのだ。
亀井

仏教経典には、様々なものがある。
特に、大乗仏教になると、その数は、膨大である。
その中から、どの経典を選ぶか・・・

鎌倉仏教では、それを、選択、せんじゃく、と呼んで、多くの宗派が出来た。
その先駆けを、空海は、成したのである。

そのような、人物が、登場したということが、精神史にインパクトを与える。

それでは、その空海の密教は、当時、どのように受け入れられたのか・・・

受け入れる側からみると、奈良朝の諸宗と本質的な差異はない。国家安泰(鎮護国家)や天災や、個々人の幸不幸に関した、言わば現世利益に即した祈祷効果である。奈良朝において、それがいかに迷信じみたものとなり、頽廃したかを私は指摘し、空海の受け継いだひとつの宗教的課題であることを述べておいた。密教の重要な実践面は祈祷、修法である。
亀井

そして、空海は、新しい呪術の場を、構想したのである。

それが、造型と、言語表現、音声である。
祈祷は、その合致によって、成り立った。
そこに、創意工夫がある。

現代から見ると、それも、迷信の一つとなるが・・・
当時は、真っ当な感覚で、受け入れられるのである。

即身成仏とは、眼にみえるものであり、身体で実感しうるものでなければならなかった。私が仏教享受における第二義の道といった造型能力を、第一義の道たらしめた根源はここにある。「大日経」「金剛頂経」にもとづいて、四種の「まんだら」を説いたのがそれである。
亀井

今で言えば、マジックである。
そのマジックを、空海は、作り上げたのだ。

日本精神史から、見れば、画期的な行為であった。
仏教を、創作したのである。
そして、日本の伝統も、取り入れた。違和感なくである。

空海によって、神々が仏の守りとなり、そして、本地垂迹説というものが、現れる。
それは、本は、仏であり、それが、神の姿になるというもの。

これは、仏教が伝来した、多くの国とは、異なる意識である。
神々と、仏を別物としないという、空海の想像力は、凄まじいものがある。

神仏混合は、その時から、決定的に成ったといえる。
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2015年02月06日

伝統について78

高山の 石本激ち ゆく水の 音には立てじ 恋ひて死ぬとも

たかやまの いはもとたぎち ゆくみずの おとにはたてじ こひてしぬとも

高い山の、岩の下を激しく流れる水のように、音に立てて噂されるようにはするまい。秘めた恋に苦しみ、死んでもいいのだ。

噂される、認知されることを、恐れるのである。
それ程、人の噂が、致命的だった。
これを深読みすれば、言霊に至る。
噂が良いものであれば・・・言霊が働き、恋が成就する。しかし、駄目なら、恋も破滅する。

隠沼の 下に恋ふれば 飽き足らず 人に語りつ 忌むべきものを

こもりぬの したにこひふれば あきたらず ひとにかたりつ いむべきものを

隠れ沼のように、下心に恋していると、不満で、人に語ってしまった。慎むべきものを。

こちらは、自分から、話してしまったのである。
慎むべきものだったのに・・・

この場合の、慎むは、恐れ、畏れる気持ちを言う。
恋は、恐れ、畏れるものなのだ。

水鳥の 鴨の住む池 下桶無み いぶせき君を 今日見つるかも

みずどりの かものすむいけ したひなみ いぶせききみを きょうみつるかも

水鳥の鴨が住む、池の下桶が無いように、籠もって鬱々として、今日は、見たのだ。

塞ぎこんでいた日、相手の姿を見たのである。
その動揺と感激。

じっと、思いを凝らしていた日々。それは、鬱々とした日々である。
そんな時、相手の姿を見るという、喜び。

玉藻刈る 井堤のしがらみ 薄みかも 恋の淀める わが心かも

たまもかる いでしがらみ うすみかも こひのよどめる わがこころかも

美しい藻を刈る柵が、水をせき止めるように、恋をせき止めるものが薄い。心が燃えず、恋しさが淀んでしまった、私の心。

だが、恋しいのである。
あまりに、長く待っていたゆえに・・・

恋に恋する。そういう状況であろう。

吾妹子が 笠の借手の 和ざみ野に われは入りぬと 妹に告げこそ

わぎもこが かさのかりての わざみのに よれはいりぬと いもにつげこそ

吾妹子の、笠の借り手の、和ざみ野に旅路が入ったと、妻に告げて欲しい。

笠の借り手、とは、笠の頭の部分であり、それが、いよいよ、家近くの東国に入ったのである。それを、伝えて欲しいと、歌う。

旅路の終わり・・・
妻に逢えるという、感激。

数多あらぬ 名をしも惜しみ 埋木の 下ゆそ恋ふる 行方知らずて

あまたあらぬ なをしもおしみ うもれぎの したゆそこふる ゆくへしらずて

一つしかない、私の名を惜しんで、埋もれ木のように、下心だけで、恋している。恋の行方も知らずに。

片恋であろう。
辛い恋である。
たった一つの、名前・・・
これが、利いている。


posted by 天山 at 06:46| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

もののあわれについて721

若菜 下

ことわりとは思へども、うれたくも言へるかな、いでや、なぞかく、異なる事なきあへしらひばかりを慰めにては、いかが過ぐさむ、かかる人づてならで、ひとことをも宣ひ聞ゆる世ありなむや、と思ふにつけて、大方にては惜しくめでたしと思ひ聞ゆる院の御ため、なまゆがむ心や添ひにたらむ。




柏木は、無理もないことと思うが、いまいましい、言い方をしたものだ。いでや、何でこんな通り一偏の挨拶を気休めに、どうして日が過ごせよう。こんな人伝ではなく、一言でも、お言葉を交わす時が、あるだろうか。そう思うと、これ以外に、ご立派な、お見事と思う院の、御ためにとって、けしからぬ心が、生じたことだろうか。

院とは、源氏のことである。
つまり、源氏の正妻の、女三の宮を、思うのである。




つごもりの日は、人々あまた参り給へり。なまものうく、すずろはしけれど、そのあたりの花の色をも見てや慰むと思ひて参り給ふ。殿上の賭弓、二月とありしを過ぎて、三月はた御忌月なれば、口惜しく、と人々思ふに、この院に、かかるまといあるべしと聞き伝へて、例の、つどひ給ふ。左右の大将、さる御中らひにて参り給へば、次将たちなどいどみかはして、小弓と宣ひしかど、歩弓のすぐれたる上手どもありければ、召しいでて射させ給ふ。




三月末日は、大勢の方々が参上された。気が進まず、落ち着かないが、あの方の、お住まいの、美しい花でも見れば、気が休まると思い、参上される。
殿上ののり弓が、二月にあるはずだったが、行われずに、三月もまた、御忌月なので、残念だと、皆が思っていたところ、源氏が、こういう催しがあると聞き伝えて、いつも通り、お集まりになった。左右の大将が、あのような御間柄で参上されたから、次将たちなどが、競争で、小弓と言うが、歩弓の素晴らしく上手な連中もいるので、お呼び出しになって、射させる。

左大将は、黒髭で、源氏の養女である、玉葛の夫である。
右大将は、夕霧である。




殿上人どもも、つきづきしき限りはみな前後の心、駒取りに方わきて、暮れゆくままに、今日にとぢむる霞の気色もあわただしく乱るる夕風に、花の蔭、いとど立つことやすからで、人々いたく酔ひ過ぎ給ひて、「えんなる賭物ども、こなたかなた、人々の御心見えぬべきを、柳の葉を百度あてつべき舎人どもの、うけばりて射取る、無人なりや。少しここしき手つきどもをこそ挑ませめ」とて、大将達よりはじめて降り給ふに、衛門の督、人よりけにながめをしつつものし給へば、かの、かたはし心知れる御目には見つけつつ、「なほいと気色ことなり。わづらはしき事いでくべき世にやあらむ」と、われさへ思ひつきぬる心地す。この君達、御仲いとよし。さる中らひといふ中にも、心かはしてねんごろなれば、はかなき事にても、物思はしくうち紛るることあらむを、いとほしく覚え給ふ。




殿上人たちも、やりそうな者は、誰も彼も、一同、前後の組み合わせを順にして、組分けして、日が暮れてゆくにつれて、今日が、最後の春霞の雰囲気も慌しく、吹き乱れる夕風に、花の蔭は一層立ち去りにくく、皆、酷く酔い過ぎて、結構なご褒美の数々、ご婦人方の趣味が伺えるものを、柳の葉も、打ち抜く舎人たちが、我が物顔に、射取るのは、面白くない。少しは、おっとりした射方を、競争させようと、大将方をはじめとして、降り立ちになるが、衛門の督は、他の人より目立って、物思いに沈みながら、弓を手にするので、あの少しは事情を知る、夕霧の目にとまり、やはり様子が、おかしい。やっかいな事が、起きるかもしれないと、自分まで、心配する気がする。
このお二人は、仲良しで、仲良しの中でも、特に思い合って、睦まじいので、ちょっとしたことでも、物思いに気を取られることがあると、可愛そうだと、思うのだった。

衛門の督とは、柏木のこと。
さる中らひといふ中にも、心かはしてねんごろなれば、はかなき事にても、物思はしくうち紛るることあらむを、いとほしく覚え給ふ・・・
上記は、少しばかり、同性愛的、表現である。




みづからも大殿を見奉るに、気恐ろしくまばゆく、「かかる心はあるべきものか。なのめならむにてだに、けしからず、人に点つかるべき振舞はせじと思ふものを、ましておほけなき事」と思ひわびては、「かの、ありし猫をだに得てしがな。思ふこと語らふべくはあらねど、かたはら寂しき慰めにもなつけむ」と思ふに、物狂ほしく、「いかでかは盗みいでむ」と、それさへぞ難き事なりける。




柏木は、自分でも、六条の院、源氏を拝すると、何やら恐ろしく、目を逸らし、こんな考えを持ってもいいものか。普通のことでも、良くない行いだ。人から何か言われるような行いは、すまいと、思っているのに、それどころか、こんなに大それた事を、と思い余った末、あの時の猫でも、せめて手に入れたい。心のたけを話し合うことは、出来ないが、一人寝の寂しさを紛らわすため、なつけよう。と思うと、気が狂いそうで、何とかして、盗み出したいと、思う、が、それさえも、難しいことなのだ。




女御の御方に参りて、物語りなど聞え紛らはしこころみる。いと奥深く心恥づかしき御もてなしにて、まほに見え給ふこともなし。「かかる御中らひにだに、気遠くならひたるを、ゆくりにあやしくはありしわざぞかし」とは、さすがにうち覚ゆれど、おぼろけにしめたる我が心から、浅くも思ひなされず。




女御のお部屋に伺って、お話などされ、心を紛らわせようとする。大変に慎み深く、痛み入る扱いで、お姿を見せることも無い。兄弟の間柄ですから、隔てを置くのが、普通なのに、思いもかけず、腑に落ちないことだ、とは、さすがに、ふっと思うが、とても思い込んだ気持ちなので、女三の宮を、浅はかだとは、思えないのである。

弘薇殿の女御は、柏木の妹である。
柏木は、女三の宮が、顔をみせたことを、浅はかだとは、思えないのである。

当時の貴族は、兄妹といえども、顔を見せないという、礼法である。


posted by 天山 at 07:08| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月12日

もののあわれについて722

東宮に参り給ひて、論なうかよひ給へる所あらむかし、と目とどめて見奉るに、匂ひやかになどはあらぬ御容貌なれど、さばかりの御有様はた、いと異にて、あてなまめかしくおはします。




東宮にお上がりになって、勿論、似ているところがあろうと、気をつけて、拝すると、輝くお顔というのではないが、これくらいの御身分の方は、それは格別で、品があり、お美しくしていらっしゃる。

東宮は、女三の宮の兄である。




内の御猫の、あまたひきつれたりけるはらからどもの、所々にあかれて、この宮にも参れるが、いとをかしげにてありくを見るに、まづ思ひ出でられるれば、柏木「六条の院の姫宮の御方に候ふ猫こそ、いと見えぬやうなる顔して、をかしうはべしか。はつかになむ見給へし」と啓し給へば、猫わざとらうたくせさせ給ふ御心にて、詳しく問はせ給ふ。柏木「唐猫の、ここのに違へる様してなむ侍りし。同じやうなるものなれど、心をかしく人なれたるは、あやしくなつかしきものになむ侍る」など、ゆかしく思さるばかり聞えなし給ふ。




御所の猫の、沢山連れていた、子猫たちが、あちこちに分かれて、この東宮にも、きているのが、大変に可愛く動き回るのを見て、何よりも、思い出されるので、六条の院の姫宮のお部屋におります猫は、ちょっと見られない顔をしていて、可愛くございました。ほんの少しみたのですが。と、申し上げると、猫を特に可愛がるお方で、事細かに問う。唐猫で、こちらとは違う姿でございました。同じようなものですが、性質が良く、人に馴れたのは、奇妙に可愛らしいものです。などと、見たく思いになるほど、わざと、申し上げる。




聞し召しおきて、桐壺の御方より伝へて聞えさせ給ひければ、参らせ給へり。「げにいと美しげなる猫なり」と人々興ずるを、衛門の督は、たづねむと思したりき、と、御気色を見ておきて、日頃へて参り給へり。童なりしより、朱雀院の取り分きて思し使はせ給ひしかば、御山住みに後れ聞えては、またこの宮にも親しう参り心よせ聞えたり。御琴など教へ聞こえ給ふとて、柏木「御猫どもあまたつどひ侍りにけり。いづら、この見し人は」と尋ねて見つけ給へり。いとらうたく覚えて、かき撫でいたり。




お耳に、留めあそばして、桐壺の御方を介して、申し入れになったので、差し上げられた。本当に、可愛らしい猫だ、と皆が、面白がる。
ところで、衛門の督、柏木は、手に入れようと思っていたと、東宮のお顔で察していたので、日数を見計らって、お上がりになった。子供の頃から、朱雀院が特に可愛がり、お使いあそばしたので、御入山の後は、東宮にも親しく上がり、好意を寄せていた。琴など教えてあげて、猫たちが多く集まっておりますが、どこですか。私の知ったものは、と探して、見つけられた。とても可愛い気がして、かき撫でている。




宮も、「げにをかしき様したりけり。心なむまだなつき難きは、見なれぬ人を知るにやあらむ。ここなる猫ども、ことに劣らずかし」と宣へば、柏木「これは、さるわきまへ心もをさをさ侍らぬものなれど、その中にも心かしこきは、おのづから魂の侍らむかし」など聞えて、柏木「まさるども候ふめるを、これはしばし賜はりあづからむ」と申し給ふ。心の中に、あながちにをこがましく、かつは覚ゆ。




東宮は、なるほど、可愛い姿をしている。まだなついてくれないのは、人見知りするのか。ここにいる猫も、特に負けることはないが。と、おっしゃる。猫というものは、そんな人見知りは、普通しないものですが、その中でも、賢いものは、自然性根があるのでしょう。など、申し上げ、これ以上のは、幾らもおりますようですから、これは、暫く拝借しましょう。と、申し上げる。心の中では、何とも、馬鹿げたことだと、思いもいする。




つひにこれを尋ね取りて、夜もあたり近く臥せ給ふ。明けたてば、猫のかしづきをして、撫で養ひ給ふ。人気遠かりし心もいとよく慣れて、ともすれば衣の裾にまつはれ、寄り臥し睦るるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたく眺めて、端近く寄り臥し給へるに、来て、「ねうねう」といとらうたげに鳴けば、かき撫でて、柏木「うたてもすすむかな」とほほえまる。

柏木
恋ひわぶる 人の形見と 手ならせば 汝よ何とて なく音なるらむ

これも昔の契にや」と、顔を見つつ宣へば、いよいよらうたげに鳴くを、懐に入れて眺め居給へり。御達などは、「あやしくにはかなる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れ給はぬ御心に」と、とがめけり。宮より召すにも参らせず、取りこめてこれを語らひ給ふ。




ついに、この猫を手に入れ、夜も、傍近くに置かれる。夜が明けてくると、猫の面倒を見て、撫でて、食事をさせる。人になつかなかった猫も、すっかり慣れて、着物の裾にまつわり、体を擦りつけて、じゃれるのを、心から可愛いと思う。酷いことと、物思いに耽り、縁先に出て、横になっていると、猫がやってきて、ねうねう、と、とても可愛らしく鳴くので、撫でて、随分と積極的だと、微笑む。

柏木
慕い苦しむ、あの方の形見として、可愛がると、お前は、何のつもりで、鳴くのか。

これも、前世の約束か。と、顔を見つつ言うと、ますます、可愛らしい声で鳴くので、懐に入れて、物思いに耽る。
女房などは、奇妙に、急に猫が幅をきかせること。こんなものは、構わない、お方だったのに。と、不審に思った。東宮から、お呼び寄せになっても、差し出さず、傍に置いたきりで、この猫を、話し相手にしていられる。

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2015年02月13日

もののあわれについて723

左大将殿の北の方は、大殿の君達よりも、右大将の君をば、むほ昔のままに疎からず思ひ聞え給へり。心ばへのかどかどしく、気近くおはする君にて、対面し給ふ時々も、こまやかに隔てたる気色なくもてなし給へれば、大将も、淑景舎などの、うとうとしく及びがたげなる御心ざまのあまりなるに、さま異なる御睦にて、思ひ交し給へり。




左大将殿の北の方、つまり、玉葛は、太政大臣家の若様たちよりも、右大将、夕霧の君を、今も昔と変わらず、親しく思うのである。性分は才気があり、親しみのあるお方で、お会いする時も、親しみ深く、お客扱いの様子なしの扱いなので、大将も、淑景舎、つまり、明石の女御で、夕霧の妹などが、他人行儀で、近寄り難い態度が過ぎるのに比べて、また特別の親しさで、交わりになっている。




男君は、今はまして、かの初めの北の方をももて離れはてて、並びなくもてかしづき聞え給ふ。この御腹には男君達の限りなれば、さうざうしとて、かの真木柱の姫君を得てかしづかましく給へど、おほぢ宮など、さらに許し給はず。「この君をだに人わらへならぬさまにて見む」と思し宣ふ。




男君、つまり髭黒は、以前にも増して、あの前の奥方を、まるっきり相手にせず、並ぶ者なく、大切にしていられる。この方との間には、男の子達ばかりなので、物足りないと思い、あの真木柱の姫君を引き取り、大切に育てたいと思うが、おじい様の宮様などが、絶対にお許しにならない。おじい様、式部卿の宮は、せめて、この姫君を人に笑われないように、世話をしようと、思いになり、おっしゃったりする。




親王の御おぼえいとやむごとなく、うちにも、この宮の御心よせいとこよなくて、この事と奏し給ふことをばえ背き給はず、心苦しきものに思ひ聞え給へり。大方も今めかしくおはする宮にて、この院、大殿にさしつぎ奉りては、人も参り仕うまつり、世人も重く思ひ聞えけり。大将も、さる世のおもしとなり給ふべきしたかたなれば、姫宮の御おぼえ、などてかは軽くはあらむ。聞えいづる人々、ことに触れて多かれど、思しも定めず。衛門の督を、さも気色ばまばと思すべかれど、猫には思ひおとし奉るにや、かけても思ひよらぬぞ、口惜しかりける。




親王の、つまり式部卿の宮は、ご信頼は大変なもので、主上におかれても、この宮への、お心配りは、この上ないもので、こうだと、奏上されることは、背かず、気にかけていられる。一体、現代的で、おられる宮様で、六条の院、太政大臣についでは、人々も、お出入り申し上げ、世間の人も、重々しく思っていた。
左大将も、国家の柱石に当然なられる予定の御方で、姫宮に対するご寵愛が、どうして軽いことがあろう。申し出る人が、何かに付けて多いのだが、決定されない。衛門の督を、そういう態度があるならばと、思うが、猫ほどに思わないようで、一向に考えもしないことは、残念なことである。




母君の、あやしくなほひがめる人にて、世の常の有様にもあらず、もてけち給へるを、口惜しきものに思して、継母の御あたりをば、心つけてゆかしく思ひて、今めきたる御心ざまにぞものし給ひける。




お母様が、変に、今も普通ではない方で、非常識に、世間を問題にされないのを、残念なことに思い、継母の傍を、いつも慕わしく思う。現代的な、気性であられる。




兵部卿の宮、なほ一所のみおはして、御心につきて思しける事どもは皆たがひて、世の中もすさまじく、人わらへに思さるるに、さてのみやはあまえて過ぐすべき、と思して、このわたりにけしきばみより給へれば、大宮「何かは。かしづかむと思はむ女子をば、宮仕へにつぎては、親王達にこそは見せ奉らめ。ただ人のすくよかになほなほしきをのみ、今の世の人のかしこくする、品なきわざなり」と宣ひて、いたくも悩まし奉り給はず、うけひき申し給ひつ。みこ、あまりうらみ所なきを、さうざうしと思せど、大方のあなづりにくきあたりなれば、えしも言ひすべし給はで、おはしましそめぬ。いと二なくかしづき聞え給ふ。




兵部卿の宮は、まだ独身でいらして、ご熱心に望まれた縁談は、皆うまくゆかず、お付き合いも、つまらなく、笑われ者だと思うのだが、このまま一人身で過ごせないと思いになり、この宮に、気持ちがないわけでもないふりを、見せると、大宮は、いではないか。大事にする気の娘ならば、御所勤めに次いでは、親王に差し上げよう。臣下で真面目な、平凡なのだけを、近頃の人はありがたがるのは、品のない考え方だ、とおっしゃり、たいして気を揉ませることなく、ご承諾された。
親王は、あまり口説く機会もないので、拍子抜けするが、一般的に言えば、大切にしなければならない方なので、今更、言い逃れも出来ずに、通い始めた。そして、例にないほど、大切にされる。

兵部卿の宮とは、蛍の宮とも言われる。源氏の弟に当る。
兵部卿は、玉葛、女三の宮などを、希望していたが、叶わなかったのである。
大宮とは、式部卿の宮のことである。




大宮は、女子あまたものし給ひて、さまざまもの嘆かしき折々多かるに、物懲しぬべけれど、なほこの君の事の思ひ放ち難く覚えてなむ。母君は、あやしきひがものに、年ごろに添へてなりまさり給ふ。大将はた、わがことに従はずとて、おろかに見捨てられためれば、いとなむ心苦しき、とて、御しつらひをも、立ちい御手づから御覧じいれ、よろづにかたじけなく御心に入れ給へり。




大宮は、女の子が沢山いらして、色々と嘆きの種になることが多く、懲り懲りしたはずだが、それでも、この君のことは、放っておけず。お母様は、変な人で、普通ではない人に、年とともになってゆく。大将はまた、自分の言うことに、従わないと、言い、いい加減に放っているので、何とも気の毒なことだ。と、おっしゃり、飾り付けも、座の暖まる碑間なく、ご自分の手で、気をつけて、何かにつけ、勿体無くも、ご熱心である。




宮は、うせ給ひにける北の方を世とともに恋ひ聞え給ひて、ただ「昔の御有様に似奉りたらむ人を見む」と思しけるに、「あしくはあらねど、さま変はりてぞものし給ひける」と思すに、口惜しくやありけむ、通ひ給ふ様いとものうげなり。大宮、「いと心づきなきわざかな」と思し嘆きたり。母君も、さこそひがみ給へれど、うつし心いでくる時は口惜しく、うき世と思ひはて給ふ。大将の君も、「さればよ。いたく色めき給へる親王を」と、初めよりわが御心に許し給はざりし事なればにや、ものしと思ひ給へり。




宮は、お亡くなりになった本妻を、いつも思い出し、ひたすら、亡くなった方と、そっくりな方と結婚したいと、思いであったが、悪くはないが、似ていないと思うと、残念だったのか、お出掛けになるのが、とても億劫のようだ。大宮は、全く心外なことと、ご不満である。
お母様も、あれほど気が変なのだが、正気に戻る時には、残念で、辛い運命と、思うのである。大将の君も、思った通りだ。酷く女出入りの多い親王を、と、最初から、感心しない方だったのか、心にくからず思うのである。

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2015年02月16日

もののあわれについて724

かんの君も、かくたのもしげなき御さまを、近く聞え給ふには、「さやうなる世の中を見ましかば、こなたかなたいかに思し見給はまし」など、なまをかしくもあはれにも思しいでけり。そのかみも、気近く見聞えむとは思ひよらざりきかし、ただ情々しう、心深きさまに宣ひわたりしを、あへなくあはつけきやうにや聞きおとし給ひけむ、といと恥づかしく年頃も思しわたる事なれば、かかるあたりにて聞き給はむ事も、心づかひせらるべく、など思す。




かんの君、真木柱の継母である、玉葛も、このように頼りに出来ない様子を、身近に聞くので、もし、そんな結婚をしたなら、源氏も、太政大臣も、どんな思いになるのか、御覧になるのかと、すこしおかしくも、また苦しくも感じつつ、昔を思い出した。
あの当時も、結婚する気は、毛頭無かった。ただ、情をこめて熱心になっていたのに、張り合いのない、軽はずみな女だと、軽蔑されたことだと、とても、恥ずかしく、あれから思い続けていらしたことなので、ああした所で、お耳にされることがあれば、気になってたまらないと、思うのである。




これよりも、さるべきことはあつかひ聞え給ふ。せうとの君たちなどして、かかる御気色も知らず顔に、にくからず聞えまつはしなどするに、心苦しくて、もて離れたる御心はなきに、大北の方といふさがな者ぞ、常にゆるしなく怨じ聞え給ふ。大北の方「親王達は、のどかに二心なくて見給はむをだにこそ、はなやかならぬ慰めには思ふべけれ」とむつかり給ふを、宮ももり聞き給ひては、蛍宮「いと聞きならはぬ事かな。昔いとあはれと思ひし人をおきても、なほはかなき心のすさびは絶えざりしかど、かう厳しきもの怨じは、ことになかりしものを、心づきなく」いとど昔を恋ひ聞え給ひつつ、故里にうち眺めがちにのみおはします。さ言ひつつも、二年ばかりになりぬれば、かかる方に目なれて、たださる方の御中にて過ぐし給ふ。




こちらからも、して良いことは、して差し上げる。真木柱の兄弟の若様方などを、こうした夫婦の仲も知らないふりをして、如才なく、お話し相手に伺わせたり、玉葛はされるのである。宮は、気がとがめ、真木柱を捨てる気はないのだが、祖母の北の方という意地の悪い者が、いつも、何の容赦なく、悪口を言う。
祖母は、親王方は、安心なほど浮気はせず、愛してくださるなら、華やかさがない代わりとは、思えるものを、と、ぶつぶつおっしゃるのを、宮も漏れ聞いて、全く、変な話を聞くものだ。昔、あんなに愛している方がいても、矢張り、少しの浮気はやめはしなかったが、こんな厳しい恨み言は、別に聞くこともなかったのに、嫌なことだ。と、いよいよ、亡くなった方を、思い出され、ご自分の部屋でも、思いに耽る様子である。そういいつつ、二年ほどになり、こうしたことにも慣れて、ただ、こういう夫婦として、過ごしていられる。




はかなくて年月もかさなりて、内の帝御位につかせ給ひて十八年にならせられ給ひぬ。次の君とならせ給ふべき御子おはしまさず、物のはえなきに、冷泉「世の中はかなく覚ゆるを、心安く、思ふ人々に対面し、わたくしざまに心をやりて、のどかに過ぎまほしくなむ」と、年ごろ思し宣はせつるを、日頃いと重く悩ませ給ふ事ありて、にはかにおりいさせ給ひぬ。世の人、あかず盛りの御世を、かくのがれ給ふこと、と惜しみ嘆けど、東宮もおとなびさせ給ひにたれば、うちつぎて、世の中の政など、ことに変はるけぢめもなかりけり。




何事もなく、年月は過ぎて行く。今上天皇が即位されてから、十八年になられた。後を継ぐ御子がいらっしゃらず、つまらなくて、人の命は、いつまで持つかわからない気がする。気楽に、逢いたい人たちとも逢い、一人として、ゆっくりと暮らしたいと、何年も思い、口にも出していらしたが、このところ、何日も、酷いご病気で、急にご譲位された。
世間の人は、惜しい盛りの御年を、位を投げ出されてと、惜しむのである。東宮もご成人しておられるので、すぐに跡継ぎになり、一般の政務などは、別に変わることはなかった。




太政大臣致仕の表奉りて、こもりい給ひぬ。太政大臣「世の中の常なきにより、かしこき帝も、位を去り給ひぬるに、年ふかき身の冠をかたけむ、なにか惜しからむ」と思し宣ひて、左大将、右大臣になり給ひてぞ、世の中の政仕うまつり給ひける。女御の君は、かかる御世をも待ちつけ給はで、うせ給ひにければ、限りある御位を得給へれど、物の後のここちして、かひなかりけり。六条の女御の御腹の一の宮、坊にい給ひぬ。さるべき事とかねて思ひしかど、さしあたりてはなほめでたく、目おどろかるるわざなりけり。右大将の君、大納言になり給ひぬ。いよいよあらまほしき御中らひなり。




太政大臣は、辞表を差し出し、家に引きこもった。この世は、無常なので、あの立派な陛下におかせられても、御退位あそばされるというのに、私のような老人が、冠を掛けて、辞職しても、何の惜しいことがあろう。と思いで、口にもされる。左大将が、右大臣におなりになり、政務をお勤めされる。
女御の君は、こういう時に、お会いされず、おとなしくなったので、最高の位はお受けになったのだが、光の当らない雰囲気で、何にもならないことだった。
六条の女御がお生みになった、一の宮が、東宮におなりになった。当然、そうなることと、前々から知っていたが、いざ実現すると、矢張り、結構なことで、目を見張ることだった。右大将、夕霧は、大納言におなりになった。ますます、理想的な御仲である。

ここの、女御の君とは、新帝の母で、黒髭の妹である。
六条の女御は、源氏の姫で、明石の女御。その姫が生んだ子が、東宮になったのである。

いよいよあらまほしき御中らひなり
これは、髭黒と夕霧仲である。




六条の院は、おりい給ひぬる冷泉院の、御嗣おはしまさぬを、あかず御心のうちに思す。同じ筋なれど、思ひ悩ましき御事ならで過ぐし給へるばかりに、罪は隠れて、末の世までは伝ふまじかりける御宿世、口惜しくさうざうしく思せど、人に宣ひ合はせぬことなれば、いぶせくなむ。




六条の院は、ご退位された冷泉院が、後継ぎがいないのを、残念なことと、心中密かに思われる。同じ血筋ではあるが、煩悶されるほどではなく過ごされたので、罪は現れず、子孫までは、皇位を伝えることが出来なかった御運を、残念に、飽き足りなく思うが、人と話し合えぬことだから、お心が晴れないのである。

口惜しくさうざうしく思せど
これは、新東宮は、明石の女御の子で、源氏の血を引くものだが、一代限りの、冷泉院ことを思うと残念なのである。

物語の当時は、藤原の時代である。
だが、藤原氏の事には、触れていない。
ここに、源氏物語の闇がある。

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2015年02月18日

もののあわれについて725

東宮の女御は、御子達あまた数そひ給ひて、いとど御おぼえ並びなし。源氏の、うち続き后にい給ふべきことを、世の人あかず思へるにつけても、冷泉院の后は、ゆえなくて、あながちにかくしおき給へる御心を思すに、いよいよ六条の院の御ことを、年月にそへて、限りなく思ひ聞え給へり。院の帝、思しめししやうに、御行もところからで、渡り給ひなどしつつ、かくてしも、げにめでたくあらまほしき御有様なり。




東宮の女御、つまり明石の姫は、皇子が次々に生まれて、いっそう寵愛は、並ぶ者がない。源氏が、引き続いて、皇后になられるようで、世間の人が、感心しないと思っているにつけても、冷泉院の皇后は、なれるはずもないのに、押して、このようにされたご親切を、考えると、いよいよ六条の御事を、年月と共に、この上なく、ありがたく思うのである。
院の帝は、希望通りに、御幸も気軽に、お出掛けになったり、御退位後は、かえって、思い通り結構な、理想的なご様子である。




姫宮の御ことは、帝御心とどめて思ひ聞え給ふ。大方の世にも、あまねくもてかしづかれ給ふを、対の上の御勢には、えまさり給はず。年月ふるままに、御中いとうるはしく睦び聞え交し給ひて、いささか飽かぬことなく、隔ても見え給はぬものから、紫「今は、かうおほぞうの住まひならで、のどやかにおこなひをもとなむ思ふ。この世はかばかりと、見はてつるここちする齢にもなりにけり。さりぬべきさまに思し許してよ」と、まめやかに聞え給ふ折々あるを、源氏「あるまじくつらき御事なり。みづから深き本意あることなれど、とまりてさうざうしく覚え給ひ、ある世に変はらぬ御有様の、うしろめたさによりこそながらふれ。つひにその事とげなむ後に、ともかくも思しなれ」などのみ、さまたげ聞え給ふ。




姫宮については、今上は特に気をつけて、配慮される。世間から広く重んじられていたが、対の上、紫の上の威勢には、勝つことが出来ない。
年月がたつにつれ、理想的な御仲で、親しみあっていらっしゃり、何の不満もなく、打ち解けていられる。
紫は、もう、このような、かりそめの生活ではなく、落ち着いて、お勤めをしたいと思います。私は、この程度と、解った気がする年になりました。よろしいように、お許し下さい。と、熱心にお願いされることは、何度もあるが、源氏は、とんでもない、酷い言い方です。私自身、強く希望する事なのだが、後に残り、物足りなく思われ、私が傍にいたときと違ったようになるのが、気掛かりなばかりに、こうして、普通の生活を続けているのです。私が出家した後で、どうなりと、考えてください。ということばかりを、おっしゃり、お許ししないのである。




女御の君、ただこなたをまことの御親にもてなし聞え給ひて、御方はかくれがの御後見にて、卑下しものし給へるしもぞなかなか行く先たのもしげにめでたかりける。尼君も、ややもすれば、たへぬ喜びの涙、ともすれば落ちつつ、目ををさへのごひただして、命長き、うれしげなる例になりてものし給ふ。




明石の女御の君は、ひたすら、こちらを本当の親と思い大事にされて、御方、明石の君は、蔭のお世話役として、謙遜していらっしゃる。が、将来は、安心だという気持ちで、結構なことであった。尼君も、どうかすると、堪えきれない喜びの涙が、何かあると、落ちたりして、目までこすって、赤くし、長生きが、幸福の例になっている。

明石の女御は、明石の君の子だが、紫の上に引き取られ、育てられて、東宮の女御になり、そして、天皇の位に就く、子を沢山産んでいる。
源氏と紫の上を、本当の親と思い、明石の君は、蔭で、女御の世話をする。その母、尼君は、その幸福に涙を流すのである。




住吉の御願、かつがつはたし給はむとて、東宮の女御の御祈りにまで給はむとて、かの箱あけて御覧ずれば、さまざまの厳しきことども多かり。年ごとの春秋の神楽に、必ず長き世の祈りを加へたる願ども、げにかかる御勢ならでは、はたし給ふべきこととも思ひおきてざりけり。ただ走り書きたるおもむきの、才々しくはかばかしく、仏神も聞き入れ給ふべき言の葉あきらかなり。いかでさる山伏の聖心に、かかる事どもを思ひよりけむ、と、あはれにおほけなくも御覧ず。さるべきにて、しばしかりそめに身をやつしける、昔の世の行ひ人にやありけむ、など思しめぐらすに、いとどかるがるしくも思されざりけり。




源氏は、住吉に立てた、御願をそろそろ果たそうと、また、東宮の女御が御祈願に、御参りされるとあり、あの箱を開けて、御覧になると、様々な、堂々とした、願が数多い。
毎年、春秋に、奏する神楽に、必ず子孫繁栄の祈りを加える願の数々、いかにもこれほどの御勢いでなければ、出来ることではない。ほんの走り書きした願文が、学問も見えて、論旨も確かである。仏神も、お聞き入れなさるに、違いない文章である。どうして、あのような山伏の欲の無い心で、こんな事を考え付いたのかと、感服し、また、分に過ぎたと思われる。縁あって、ほんの少しの間、仮に身を変えた、前世の修行者なのか、などと、あれこれ、考えられると、一層、軽く見ることはできないのである。

何故、源氏が、このように思うのかといえば、秘密の子である、冷泉が帝になり、そして、無事に、譲位した。実の弟は、東宮であり、一人娘の、明石の姫が将来は、国母になるという。源氏の願いが、実現近づいたからである。




この度はこの心をばあらはし給はず、ただ院の御物詣にて出で立ち給ふ。浦伝ひのもの騒がしかりし程、そこらの御願ども、皆はたし尽くし給へれども、なほ世の中にかくおはしまして、かかるいろいろの栄えを見給ふにつけても、神の御助けは忘れ難くて、対の上も具し聞えさせ給ひて、詣でさせ給ふ。響き世の常ならず、いみじく事どもそぎ捨てて、世のわずらひあるまじく、と省かせ給へど、限りありければ、めづらかによそほしくなむ。




この度は、この主旨は表ざたにならず、ただ院の御参拝という事だけにして、ご出発される。浦から浦へと苦労された、あの騒ぎの折に立てた願は、全部果たされたが、それでも、世の中に、このように栄えて、様々な栄華を知るにつけ、神のお助けは、忘れられず、対の上もお連れして、御参拝される。その評判は、大変なもので、思い切って、簡略にされ、世間が困らぬようにと、倹約されたが、決まりのあることで、またとない、仰々しさだった。






posted by 天山 at 06:13| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月20日

もののあわれについて726

上達部も、大臣二所をおき奉りては、皆仕うまつり給ふ。舞人は、衛府の佐どもの、かたち清げに丈だちひとしきり限りを選らせ給ふ。この選びに入らぬをば恥に、憂れへ嘆きたるすきものどもありけり。陪従も、石清水、加茂の臨時の祭などに召す人々の、道々のことにすぐれたる限りを整へさせ給へり。加はりたる二人なむ。近衛づかさの名高き限りを召したりける。御神楽の方には、いと多く仕うまつれり。内、東宮、院の殿上人、方々に分かれて、心よせ仕うまつる。数も知らず、いろいろにつくしたる上達部の御馬鞍、馬添、随身、小舎人童、つぎつぎの舎人などまで、整へ飾りたる見物、またなきさまなり。




上達部も、大臣を、おひき申して、皆御供をされている。
舞人は、衛府の佐連中で、見た目も良く、背格好の同じ者ばかりを選ばれる。この選に漏れたのを恥として、悲しみ嘆く、熱心な人が大勢いた。
陪従も、石清水や加茂の臨時の祭りなどに、お召しになる人々で、それぞれの道に、特別上手な者ばかりを、揃えられた。臨時に加わった二人は、近衛府の特に有名な者ばかりを、お召しになった。
お神楽の方は、大勢がお供した。御所や東宮、院の殿上人が、それぞれに分かれて、進んで御用を勤める。数限りもなく、様々の色の限りを尽くした上達部の御馬鞍、馬添、随身、小舎人童、それ以下の舎人などまで、粒を揃え、飾り立てた見事さ、またとない、程である。




女御殿、対の上は、ひとつに奉りたり。次の御車には、明石の御方、尼君忍びて乗り給へり。女御の御乳母、心知りにて乗りたり。方々のひとだまひ、上の御方の五つ、女御殿の五つ、明石の御あかれの三つ、目もあやに飾りたる装束ありさま、言へばさらなり。さるは、源氏「尼君をば、同じくは、老いの波の皺のぶばかりに、人めかしくて詣でさせむ」と、院は宣ひけれど、明石御方「この度は、かく大方の響きに、立ち交らむもかたはらいたし。もし思ふやうならむ世の中を待ちいでたらば」と、御方はしづめ給ひけるを、残りの命うしろめたくて、かつがつものゆかしがりて、慕ひ参り給ふなりけり。さるべきにて、もとよりかくにほひ給ふ御身どもよりも、いみじかりける契り、あらはに思ひ知らるる人の御有様なり。




女御様と、対の上、紫の上は、同じ車であられた。次ぎの車には、明石の御方、そして、尼君が内々で、乗られた。女御の乳母は事情を知った者として、同乗した。方々のひとだまいは、うえの御方が五輪、女御様が、五輪、明石の御方が、三輪、目も眩むほどに、飾り立てた装束や様子は、言うまでも無い。
実は、源氏が、尼君をどうせお連れするなら、老いの波の皺が伸びるほどに、家族らしくして、参詣させようと、おっしゃったのだが、明石の御方は、今度は、このように、世間一般の大騒ぎ、そこに一緒になっては、こちらが辛い。もし希望通りの世の中が来るまで、生きながらえましたら、と、抑えられた。が、余命が心配で、もうひとつには、それを見たくて、後について、参詣されたのだ。前世からの約束で、生まれながらにして、このように栄華を欲しいままにされる方々よりも、素晴らしい幸運であることが、解る尼君の、ご様子である。

もし思ふやうならむ世の中を待ちいでたらば
女御が国母となり、その祖母として、今上陛下の曾祖母になるという、僥倖である。




十月なかの十日なれば、神の斎垣に這ふ葛も色かはりて、松の下紅葉など、おとにのみ秋を聞かぬ顔なり。ことごとしき高麗唐土の楽よりも、東遊の耳なれたるは、なつかしく面白く、波風の声に響きあひて、さる小高き松風に、吹き立てたる笛の音も、外にて聞く調べには変はりて身にしみ、み琴に打ちあはせたる拍子も、鼓を離れてととのへとりたる方、おどろおどろしからぬも、なまめかしくすごう面白く、所がらはまして聞えけり。山藍に摺れる竹のふしは、松の緑に見えまがひ、かざしの花のいろいろは、秋の草に異なるけぢめ分かれで、何事にも目のみまがひいろふ。求子はつる末に、若やかなる上達部は、肩ぬぎており給ふ。にほひもなく黒き上のきぬに、蘇芳襲の葡萄染めの袖を、にはかに引きほころばしたるに、紅深きあこめの袂のうちしぐれたるに気色ばかり濡れたる、松原をば忘れて、紅葉の散るに思ひわたさる。見るかひ多かる姿どもに、いと白く枯れたる萩を、高やかにかざして、ただ一返り舞いて入りぬるは、いと面白く飽かずぞありける。




十月二十日なので、社の玉垣に這うつる草も、紅葉し、松の下草の紅葉などは、風の音だけで、秋がわかるというものではない、風情である。
改まった高麗、唐土の雅楽より、東遊びの聞きなれたものは、親しみがあり、面白く、波と風の音に響きあって、あの有名な高い松を吹き渡る風に向かい、吹上げた笛の音も、他所で聞く音とは違い、東琴に合わせた拍子も、鼓なしで、調子が合っているが、大袈裟でないのが、場所が場所だけに、しっとりと、寂びて、興味深く聞える。
山藍ですり出した竹の節は、松の緑と見間違えるし、かざしの花の種々の色は、秋の草と見境がつかず、どれもこれも、目がちらちらするばかりである。
求子が終わる最後のところで、年若い上達部は、片肌脱いで、地面に下りる。光沢のない黒の袖から、すほう襲の袖、葡萄染めの袖を、急に引き出したところ、紅のあこめの袖が、はらはらと降り注ぐ時雨に、少しばかり濡れたのは、ここが松原である事を忘れて、紅葉が散ったのかと、思われる。
どれもこれも美しい舞い姿に、真っ白に枯れた萩を、高々とかざして、さっと、一さし舞って、席に戻るのは、実に面白く、まぶたに焼きつく思いがした。




おとど、昔の事思し出でられ、中ごろ沈み給ひし世の有様も、目の前のやうに思さるるに、その世のこと、うち乱れ語り給ふべき人もなければ、致仕の大臣をぞ、恋しく思ひ聞え給ひける。入り給ひて、二の車に忍びて、
源氏
たれかまた 心を知りて 住吉の 神代をへたる 松にこと問ふ

御畳紙に書き給へり。尼君うちしほたる。かかる世を見るにつけても、かの浦にて今はと別れ給ひし程、女御の君のおはせし有様など思ひ出づるも、いとかたじけなかりける身の宿世のほどを思ふ。世をそむき給ひし人も恋しく、さまざまにもの悲しきを、かつはゆゆしきと言忌みして、

尼君
住の江を いけるかひある 渚とは 年ふるあまも 今日や知るらむ

遅くは便なからむと、ただうち思ひけるままなりけり。

尼君
昔こそ まづ忘られね 住吉の 神のしるしを 見るにつけても

とひとりごちけり。




源氏は、昔の事が、つい胸に浮かんで、いっとき苦労された当時の事も、目の前のように、思い出されるが、あの時代の事を、思いつくままに、語り合える人もいない。致仕の大臣を、恋しく思いだされた。お入りになり、二の車に目立たぬように、

源氏
あなたと、私以外の、誰が昔のことを、知っていて、住吉の神代以来の、松に話しかけよう。

と、畳紙に、お書きになった。
尼君は、感涙にむせぶ。この頃の栄華を見るにつけても、あの浦で、これが最後とお別れした時の、女御の君がお腹の中にいらしたことなどを、思いだすと、大変素晴らしい運命の下に生まれてきたものだと、思う。出家された方、明石の入道も、恋しく、あれこれにつけて、悲しく思われるのを、一方では、縁起でもないと、言葉に注意して、

尼君
住の江は、生きがいのある海岸だと、長生きをした尼も、今日は、知ることでしょう。

遅くなっては、いけないと、心に浮かんだままを、一首にしたためた。

尼君
昔の事が、何より忘れられない。住吉の神のお蔭があり、こういう幸福を見ることができたと思う。

と、心の中で言った。






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2015年02月25日

もののあわれについて727

夜一夜遊び明かし給ふ。二十日の月遥かに澄みて、海の面おもしろく見えたるに、霜のいとこちたく置きて、松原も色まがひて、よろづの事そぞろ寒く、おもしろさもあはれさも立ち添ひたり。対の上、常の垣根のうちながら、時々につけてこそ、興ある朝夕の遊びに、耳ふり目なれ給ひけれ、御門より外の物見、をさをさし給はず、ましてかく都の外のありきは、まだならひ給はねば、めづらしくをかしく思さる。




一晩中、音楽をされて、夜を明かされる。
二十日の月が、遥かに澄み、海原が風情よく目の前に広がる。霜が大変にひどく置いて、松原も同じ色に見え、何もかにもが、肌寒く感じられる。風情の深さも、趣の深さも、ひとしおに感じられる。対の上は、いつもお邸の中であるが、その時その時に応じて、面白い朝晩の音楽会は、聞きなれ、見慣れているが、御門から外に出ての遊山は、めったにされず、まして、このように都の外にお出掛けになる事は、まだされたことがないので、珍しく、興味深く感じられる。




紫の上
住の江の 松に夜ふかく おく霜は 神のかけたる ゆふかづらかも

たかむらの朝臣の、「比良の山さへ」といひける雪の朝を思しやれば、祭の心うけ給ふ験にやと、いよいよたのもしくなむ。女御の君、

明石女御
神人の 手にとりたる 榊葉に ゆふかけ添ふる 深き夜の霜

中務の君、
祝子が ゆふうちまがひ おく霜は げにいちじるき 神のしるしか

つぎつぎ数知らず多かりけるを、何せむにかは聞きおかむ。かかるをりふしの歌は、例のじやうずめき給ふ男達も、なかなかいで消えして、松の千歳より離れて今めかしきことなれば、うるさくてなむ。




紫の上
住吉の松に夜更けておく霜は、神がおかけになった、ゆうかずらでしょうか。

たからむの朝臣が、比良の山さえ、といった雪の朝を考えると、奉納の心をお受けになった、証拠だろうかと、ますます、頼もしい。
女御の君は、
神主が、手にしている榊に、更に、木綿をかけ添える、深夜の雪です。

中務の君、
神宮の、木綿鬢と間違えるほど、おく霜は、仰せの通り、神の御霊験の証拠です。

次々と、数えられないほど、沢山の歌があったが、何もそれを、聞いておく必要もありません。こんな場合の歌は、例の通り、いかにも上手な顔をしている殿方も、かえって、うまくゆかず、松の千歳を祝うよりほか、新しいものもないので、書くのが面倒です。




ほのぼのと明けゆくに、霜はいよいよ深くて、本末もたどたどしきまで、酔ひすぎにたる神楽おもてどもの、おのが顔をば知らで、面白きことに心はしみて、庭火も影しめりたるに、なほ、「万歳、万歳」と榊葉を取り返しつつ、祝ひ聞ゆる御世の末、思ひやるぞいとどしきや、よろづのこと飽かずおもしろきままに、千夜を一夜になさまほしき夜の、何にもあらで明けぬれば、かへる波にきほふもくちをしく、若き人々思ふ。




ほのぼのと明けてゆくと、霜はいよいよ深く、本か末かわからぬほど、酔い過ぎた神楽の楽人たちが、自分の顔が、どのようになっているのか知らず、面白さにひかれて、庭火の光が消えかけているのに、まだ、万歳、万歳と、榊葉を振りつつ、お祝い申し上げる。その寿命の長さ、考えると大変なことである。
あれもこれも、尽きせず面白いままに、千夜の長さを一夜の長さにしたいと思う今夜も、何と言うことなく、明けてしまったので、返る波と先を争い帰るのも残念と、若い人々は、思うことだ。




松原にはるばると立てつづけたる御車どもの、風にうちなびく下簾のひまひまも、常盤の蔭に、花の錦を引き加へたると見ゆるに、うへのきぬのいろいろけぢめおきて、をかしき懸盤とり続きて、物参りわたすをぞ、下人などは目につきて、めでたしとは思へる。尼君の御前にも、浅香の折敷に、青鈍の表をりて、精進物をまいるとて、下人「目ざましき女の宿世かな」と、おのがじしはしりうごちけり。




松原に、遥かに遠く並べて止めてある車が、風になびく下簾の間に、出だし衣も、常盤の松を背景に、花の錦を引き並べたように見える所に、袖の色々な色を、階位で区別して着て、美しい懸盤を取り、次から次へと並び、お給仕するのを、身分の無い者などは、目が離せず、立派だと思う。尼君の御前にも、浅香の折敷に、青鈍の表をつけて、精進料理を差し上げるということで、驚くほかにない運命の人だ、と各々、陰口を言い合う。




詣で給ひし道は、ことごとしくて、わづらはしき神宝、さまざまにところせげなりしを、かへさはよろづの逍遥を尽くし給ふ。言ひ続くるもうるさくむつかしき事どもなれば、かかる御有様をも、かの入道の、聞かず見ぬよにかけはなれ給へるのみなむ飽かざりける。難き事なりかし。交らはましも見苦しくや。世の中の人、これを例にて、心高くなりぬべき頃なめり。よろづの事につけてめであざみ、世の言ぐさにて、「明石の尼君」とぞ、幸人にいひける。かの到仕の大殿の近江の君は、双六うつ時の言葉にも、「明石の尼君、明石の尼君」とぞ賽は乞ひける。




参詣の道は、大変なほどで、うるさいほどの供物が、あれこれと持ちかねるほどあったが、帰りは、あらゆる遊覧を試みになられる。
次々と申すのも、面倒なので。このような様子をも、あの入道が、耳にも目にもしない世界に、離れさってしまいになるようだけを、不満に思う。出来る事ではありません。でも、ご一緒したら、これも見られたものではない。世間の人は、これを例として、望みを高く持とうとする時代でした。
あれもこれもと、誉めて驚き、世間話の種で、明石の尼君と、幸福な人を呼んだのだ。あの大殿の近江の君は、双六を打つ時の言い分でさえ、明石の尼君、明石の尼君と、賽の目を望んだのだ。

つまり、明石の尼君の、幸運な人生に、世間の人は、感嘆し、思いも掛けない、高位に上れると。
明石の尼君の娘が産んだ姫が、皇太子になる男子を産んだということ。







posted by 天山 at 05:48| もののあわれ第13弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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