2015年01月12日

神仏は妄想である。415

空間の定義より前にはいかなる空間も存在しない。もし定義よりも前にあるとすれば、それは定義されていないものとなってしまう。5・1
けれど定義されていないものなどはどこにも存在しない。定義されていないものが存在しないときに、定義はどこにおいて行われようか。5・2
定義されていないものにおいて定義は行われない。定義されているものにおいても行われない。定義されているものと定義されていないものと異なった「存在もしない」ものにおいても行われない。5・3

定義の不可能性である。

空間の概念を取り上げている。
空間は、六大の範疇、つまり、生存のあり方を、地・水・火・風・空・識の六つで説明するものの、代表として、上げられる。

ナーガールジュナの議論は、六大のすべて、更に、すべての概念に向けられる。

他の派閥に対する、批判である。

ナーガールジュナが、ことばと対象の関係を否定するために、空間を例に上げたのである。
また、ことばの意味を表す、ラクシャナは、ものに備われる特質である。そのラクシャナは、定義されるものである。

ものの特質といっても、そのものに対する人間の定義、理解を別にしてあるわけではない。空間の特質は、抵抗性のないもの、という定義であり、地の特質は、堅い性質、という定義である。
研究家

とは、言え・・・
つまり、ルジュナは、様々な立場から、論を進めているので、それが、何処の問題なのかを、推し量る必要があるのだ。

研究家は、
ルジュナが、空間を例に取り上げたのは、その定義が、一定しない点を利用したという。
それでも、混乱する。

定義されていないものにおいて定義は行われない。定義されているものにおいても行われない。定義されているものと定義されていないものと異なった「存在もしない」ものにおいても行われない。

上記は、すべての定義を否定している。

定義以前には、いいかえれば、見ているかぎりでは空間は存在しないし、定義されていない空間はわれわれにとって存在しない。しかし、定義とか名付けとかいうことはある対象について行われるわけであるから、定義されていない対象がまったくなければ、定義づけ、名付けることは無意味である。
研究家

そして、
定義されているものには定義はおこらず、定義されていないものにも定義はおこらない、ということは、ことばとその対象との関係を的確に表している。
研究家
ということに、なる。

定義の不可能性は、ことばとの関係、つまり、ことばの本質を言うと、ルジュナが、説くのである。

定義の行われないところには定義の対象はありえない。定義の対象のないところには定義もありえない。5・4
だから、定義の対象も存在しないし、定義も存在しない。定義と定義の対象とを離れたいかなる事物もまたない。5・5

ナーガールジュナがいっていることは、ことば、その意味としての定義に厳密に一致するものはないということである。
研究家

これなら、私のような馬鹿は、悟りなど、全く出来る訳がない。
こんなことを、延々として、語り続けることは、出来ない。

ちなみに、ヴァイシェーシカ、ニヤーヤ学派では、空間は、単一、偏在、そして恒常な実体である。
説一切有部は、この宇宙の容器としての空間を、虚空と呼び、涅槃ともいい、生滅のない、無制約的なもの、つまり、無為に含める。また、それとは別に、現象の世界にある物体と物体との間にある、隙間を、空界と、呼ぶ。

その空界は、明暗を本体とし、抵抗性をもたないが生滅することのある、物質的存在であり、宇宙的空間としての虚空とは、別なもの。
六大の空とは、この空界のことである。

経量部、中観派、唯識派などは、空間を観念的設定として認めるが、それに実在性は、与えない。

知識と教養などというものではない、複雑奇怪な議論である。

恐るべき人生の、暇つぶしである。
それを、研究する人も、恐るべし・・・

ナーガールジュナは自己の理論を主張するよりも、他学派の理論を批判することに専心したから、定言論証式を多用しない。そのかわりに仮言的推理・ディレンマ・四句否定が彼の武器となる。
研究家

仮言的論証とは、
眼はそれ自体を見ない。眼がそれ自体を見ないときに、どうしてそれ以外のものを見るであろうか。
面白いのは、
Aならば、B、そしてAゆえにBである。
しかし、
Aならば、B、Aではない、ゆえにBである。
と、語る。

相手を論破し、破邪するために、言葉を翻弄するのである。
そんなことを、仏陀が、行なったのか・・・

また、仏陀の教えといい、それらを説く神経は、いかばかりだったのか・・・
矢張り、当時の時代性、時代感覚が必要なのであろう。

私は、そんな時代に、付き合いたくないが・・・
けっこう毛だらけ、猫灰だらけ、お前の裸は、見たくもない。


posted by 天山 at 06:11| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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