2015年01月02日

もののあわれについて718

督の君続きて、柏木「花みだりがはしく散るめりや、桜は避きてこそ」など宣ひつつ、宮の御前のかたをしり目に見れば、例の、ことに納まらぬ気配どもして、いろいろこぼれいでたる御簾のつま、透影など、春のたむけの幣袋にやと覚ゆ。御凡帳どもしどけなく引き遣りつつ、人げ近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、少し大きなる猫追ひ続きて、俄かに御簾のつまより走り出づるに、人々おびえ騒ぎて、そよそよと身じろぎさまよふ気配ども、衣のおとなひ、耳かしがまき心地す。




督の君が、後を追い、花がしきりに散るようです。桜を避けて吹けばいいのに、とおっしゃり、女三の宮の、お部屋の方を、横目で見る。いつもの通り、何やらしまりのない様子で、色とりどりの女房の着物が、こぼれて出ている。御簾の裾や、女房のすき影など、春に消える、幣袋かと、思われる。
御几帳をだらしなく、部屋の隅に片寄せてあり、すぐそこに、女房がいて、返事をしそうな気がするが、唐猫のとても小さな、可愛らしいものを、少し大きな猫が、追いかけて来て、急に御簾の下から走り出るので、女房達は、怖がり、騒ぎ立て、身じろぎ、動きまわる様子で、衣擦れの音が、喧しい気がする。




猫はまだよく人にもなつかぬにや、綱いと長くつきたりけるを、物に引きかけまつはれにけるを、逃げむとひこじろふ程に、御簾のそば、いとあらはに引き上げられたるを、とみにひきなほす人もなし。この柱のもとにありつる人々も、心あわただしさにて、物おぢしたる気配どもなり。




猫は、まだ人に、よくなついていないようで。綱が、非常に長くつけてあり、物に引っ掛かりついて、逃げようと引きずる中に、御簾の端が、とてもはっきりと中が見えるほどに、引き上げられたのを、すぐに直す者もいない。この柱の傍にいた人々も、慌てている様子で、手が出ないようである。




几帳の際少し入りたる程に、うちぎ姿にて立ち給へる人あり。階より西の二の間の東のそばなれば、まぎれ所もなくあらはに見入れらる。紅梅にやあらむ、濃き薄きすぎずぎに、あまた重なりたるけぢめ花やかに、冊子のつまのやうに見えて、桜の織物の細長なるべし。御髪の裾までけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうに靡きて、裾のふさやかにそがれたる、いと美しげにて、七八寸ばかりぞ余り給へる、御衣の裾がちに、いと細くささやかにて姿つき、髪のかかり給へる側目、言ひ知らずあてにらうたげなり。夕かげなければ、さやなからず、奥暗き心地するも、いと飽かず口惜し。




几帳のある所から、少し奥まった辺りに、うちぎ姿で立っている方がいる。階段から、西へ二番目の間の、東の端なので、隠れようにもなく、すっかりと見通せる。紅梅襲だろうか、濃い色薄い色を次々と、何枚も重ねた色の、移り変わりも華やかに、冊子の小口のように見えて、桜襲の織物の細長であろう。御髪が、裾までくっきりと見えるのが、糸をよりかけたようになびき、裾がふさふさと、切り揃えているのは、大変可愛らしく、七、八寸ばかり後ろに引いている。お召し物の裾が、たっぶりと余り、とても細く小柄で、体つき、髪の降り掛かる、御横顔は、言いようもなく、上品で、可愛い。夕日の光なので、はっきりとせず、奥は暗い感じがするのも、実に、物足りなく、残念である。




鞠に身をなぐる若君達の、花の散るを惜しみもあへぬ気色どもを見るとて、人々あらはをふともえ見つけぬなるべし。猫のいたく鳴けば、見返り給へるおももちもてなしなど、いとおいらかにて、若く美しの人やと、ふと見えたり。




鞠に熱中している若君達が、花の散るのを、惜しみをしきれぬ様子を見るとて、女房達は、丸見えなのに、急に気づかないのだろう。猫が、とても鳴くので、振り返った顔つき、態度などは、大変鷹揚で、若く美しい方だと、ふと思えたのである。




大将はいとかたはらいたけれど、はひ寄らむもなかなかいと軽々しければ、ただ心を得させて、うちしはぶき給へるにぞ、やをらひき入り給ふ。さるはわが心地にも、いと飽かぬ心地し給へど、猫の綱ゆるしつれば、心にもあらずうち嘆かる。




大将は、はらはらするが、御簾を直すようにと寄るのも、かえって身分に相応しくないと、ただ、気づかせようと、咳払いをされたので、すっと引き込みになる。実のところ、大将は、ご自分でも、酷く残念な気持ちになるが、猫の綱を放したので、御簾が下りて、思わずに、溜息が出たのである。




ましてさばかり心をしめたる衛門の督は、胸ふとふたがりて、誰ばかりにかあらむ、ここらの中にしるきうちぎ姿よりも、人に紛るべくもあらざりつる御気配など、心にかかりて覚ゆ。さらぬ顔にもてなしたれど、まさに目とどめじや、と大将はいとほしく思さる。
わりなき心地の慰めに、猫を抱き寄せてかき抱きたれば、いとかうばしくて、らうたげにうち鳴くも、なつかしく思ひよそへらるるぞ、好々しや。




まして、あれほど、夢中になっている、衛門の督は、胸が一杯で、あれは、どなたでもない、大勢の中で目立つ、うちぎ姿からも、他人に間違いようもない、宮様の御様子など、心に忘れられない思いである。
衛門の督は、何気ない風を装うが、当然、見ていたに違いないと、大将は、女三の宮を、気の毒に思われる。
衛門の督は、たまらない恋しさを抑えようと、猫を抱き寄せて、抱き上げると、ただいいにおいがして、可愛らしく鳴くのも、宮かと思われて、嬉しいとは、好色な人だ。

最後は、作者の言葉。
恋しいは、好色になるのである。



posted by 天山 at 06:33| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月05日

もののあわれについて719

おとど御覧じおこせて、源氏「上達部の座、いとかろがろしや。こなたにこそ」とて、対の南面に入り給へれば、皆それに参り給ひぬ。宮も居直り給ひて、御物語りし給ふ。次々の殿上人は、すのこにわらうだ召して、わざとなく、椿餅、梨、柑子やうのものども、さまざまに、箱の蓋どもにとり混ぜつつあるを、若き人々そぼれとり食ふ。さるべき干物ばかりして、御かはらけ参る。




源氏は、こちらに目を向けて、上達部の座が、あまりに軽い。こちらにどうぞ、と、対の南座敷に入りになったので、皆もそちらにお上がりになる。兵部卿の宮も、席を改めて、お話をされる。それ以下の殿上人は、すのこに円陣を敷かせ、気軽に、椿餅、梨、柑子のようなものを、色々と、箱の蓋に盛り合わせているものを、若い人々は、はしゃぎながら、食べる。適当な干物を肴に、御酒を召し上がる。




衛門の督は、いといたく思ひしめりて、ややもすれば、花の木に目をつけてながめやる。大将は、心知りに、怪しかりつる御簾の透蔭、思ひいづることやあらむと思ひ給ふ。意図端近なりつる有様を、かつは軽々しと思ふらむかし。いでやこなたの御有様の、さはあるまじかめるものを、と思ふに、かかればこそ世の覚えの程よりはうちうちの御心ざしぬるきやうにはありけれ、と思ひ合はせて、なほ内外の用意多からず、いはけなきは、らうたきやうなれど、後ろめたきやうなりや、と思ひおとさる。




衛門の督は、すっかりと沈み込んで、どうかすると、花の木を見つめて、物思いに耽っている。
大将、夕霧は、訳を知るので、変な弾みで、御簾越しに見た姿を、思い出していることであろうと、思う。女三の宮が、ひどく端近くにいたご様子を、一方では、身分に相応しくない、軽率な、と思っているだろう。それにしても、紫の上のご様子が、そんな風には決してなさらないのに、と思うと、これだから、世間の評判の程度に比べて、内々の愛情が、薄い様子なのだと、考え合わせて、矢張り、自他共に、不用心で子供っぽいのは、可愛らしいようだが、心配なことだと、心で軽蔑してしまうのである。




宰相の君は、よろづの罪をもをさをさたどられず、おぼえぬ物のひまより、ほのかにもそれと見奉りつるにも、わが昔よりの心ざしのしるしあるべきにや、と、契り嬉しき心地して、あかずのみ覚ゆ。




宰相の君、衛門の督、つまり柏木は、女三の宮の、色々な欠点をも、一向に気づかず、思いがけない隙間から、ちらりと、あの方をお見受けしたことにも、自分の昔からの、愛情の反応があるのではと思い、御縁を嬉しく思い、いつまでも、考え込む。




院は昔物語りしいで給ひて、源氏「太政大臣の、万の事に立ち並びて勝ち負けの定めし給ひし中に、鞠なむえ及ばずなりにし。はかなき事は、伝へあるまじけれど、ものの筋はなほこよなかりけり。いと目も及ばず、かしこうこそ見えつれ」と宣へば、うちほほえみて、柏木「はかばかしき方にはぬるく侍る家の風の、さしも吹き伝へ侍らむに、後の世のため異なる事なくこそ侍りぬべけれ」と申し給へば、源氏「いかでか。何事も人に異なるけぢめをば記し伝ふべきなり。家の伝へなどに、書き留め入れたらむこそ、興はあらめ」など戯れ給ふ御さまの、にほひやかに清らなるを見奉るにも、「かかる人にならひて、いかばかりの事にか、心を移す人はものし給はむ。何事につけてか、あはれと見ゆるし給ふばかりは、なびかし聞ゆべき」と思ひるぐらすに、いとどこよなく、御あたりはるかなるべき身の程も、思ひ知らるれば、胸のみふたがりてまかりで給ひぬ。




院、源氏は、昔話をはじめて、太政大臣が色々なことで、自分を相手に、勝負の争いをされた中で、私は、鞠だけは、どうしても勝てなかった。つまらない事で、伝授ごとのあるはずもないが、血統は、矢張り一段と違うものだ。全く、目も及ばぬほど、上手だった。と、おっしゃると、微笑んで、柏木が、役立つことでは、劣っております家風が、鞠の方に吹き伝えましたところで、子孫のためには、何もならないことです。と、申し上げると、源氏は、どうして、そんなことはない。何事も人より優れていることを、書きとめて、伝えるべきだ。家の歴史などに、書き込んだら、面白いだろう。などと、冗談をおっしゃるご様子の、艶々とした、綺麗な様を拝すると、こんな人と一緒にいて、どれほどの事に、心を変える人があろうか。何事をきっかけに、あはれとお認め下さるくらいに、お傍にも、全く近づけない身分が、よく解るので、胸が、塞がるばかりで、退出された。




大将の君ひとつ車にて、道のほど物語りし給ふ。夕霧「なほこの頃のつれづれには、この院に参りて紛らはすべきなりけり。今日のやうならむいとまのひま待ちつけて、花の折り、過ぐさず参れ、と宣ひつるを、春惜しみがてら、月のうちに、小弓持たせて参り給へ」と語らひ契る。




大将の君は、柏木と一緒の車に乗り、道々話しをされる。
夕霧は、矢張り、今時分の退屈な時には、この院に参上して、気晴らしするべきでした。今日のような、暇な日があれば、花の盛りを過ごさずに、参上せよ。と、おっしゃったので、春を惜しみがてらに、この月中に、小弓を持たせて、参上下さい。と、相談し、約束する。





posted by 天山 at 06:34| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月06日

もののあわれについて720

各々別るる道のほど物語りし給うて、宮の御事のなほ言はまほしければ、柏木「院にはなほこの対にのみものせ給ふなめりな。かのおほん覚えのことなるなめりかし。この宮いかに思すらむ。帝の並びなくならはし奉り給へるに、さしもあらで、屈し給ひにたらむこそ心苦しけれ」と、あいなく言へば、夕霧「たいだいしき事。いかでか然はあらむ。こなたはさま変はりておふしたて給へる睦びの、けぢめばかりにこそあべかめれ。宮をば方々につけて、いとやむごとなく思ひ聞え給へるものを」と語り給へば、柏木「いで、あなかま。給へ。皆聞きて侍り。いといとほしげなる折々あなるをや。さるは世におしなべたらぬ人の御覚えを。ありがたきわざなりや」と、いとほしがる。
柏木
いかなれば 花に木づたふ 鶯の 桜をわきて ねぐらとはせぬ
春の鳥の、桜ひとつにとまらぬ心よ、怪しと覚ゆる事ぞかし」と口ずさびに言へば、いで、あなあぢきなのもの扱ひや、さればよ、と思ふ。
夕霧
深山木に ねぐら定むる はこ鳥も いかでか花の 色にあくべき
わりなきこと、ひたおもむきにのみやは」と答へて、煩はしければ、ことに言はせずなりぬ。こと事に言ひ紛らはして、各々別れぬ。




お互いに、別れる道までお話をされて、宮の噂をしたかったので、柏木は、院におかせられては、矢張り、東の対にばかり、お出であそばすようですね。そちらの御愛情が格別だからでしょう。こちらの宮様は、どのように思っているでしょう。父帝が第一に、いつもお扱いしていたのに、それほどではなく、沈みこんで、いらっしゃるでしょう。お気の毒に。と、余計なことを言うので、夕霧は、とんでもない。どうして、そんなことがありましょう。紫の上は、普通ではない育て方をされたため、親しさが違うだけでしょう。宮様を、何かに付けて、とても、大事に思いもうしあげています。とお話すると、柏木は、いや、黙ってください。全部聞いています。とても、お気の毒なときが、よくあるそうです。実のところ、並々ではない父帝の御情愛ですのに。勿体無いことです。と、気の毒がる。

柏木
どうしても、花を次々に、訪れる鶯は、桜を別扱いして、巣としないのか。

春の鳥は、桜だけに、止まればいいのに。不思議に思われることです。と、口ずさみに言うので、何とまあ、つまらないお節介を。矢張りだ、と、大将は思う。

夕霧
奥山の、木に巣を作る、はこ鳥も、どうして花の色を、嫌がるでしょう。

つまらないことを、一本調子に言うものではない。と、返事をする。煩いので、それ以上は、物を言わせないようにした。他に話を逸らして、互いに別れた。




督の君は、なほおほいどのの東の対に、ひとり住みにてぞものし給ひける。思ふ心ありて、年ごろかかる住まひをするに、人やりならずさうざうしく、心細き折々あれど、わが身かばかりにて、などか思ふ事かなはざらむ、とのみ心おごりをするに、この夕より屈しいたく物おもはしくて、「いかならむ折に、またさばかりにてもほのかなる御有様をだに見む。ともかくもかきまぎれたる際の人こそ、かりそめにもたはやすき物忌み、方違へのうつろひも軽々しきに、おのづから、ともかくも物のひまをうかがひつくるやうもあれ」など、思ひやる方なく、「深き窓のうちに何ばかりの事につけてか、かく深き心ありけりとだに知らせ奉るべき」と胸痛くいぶせければ、小侍従がり、例の、文やり給ふ。
柏木「一日風に誘はれて、みかきの原を分け入りてはべしに、いとどいかに見おとし給ひけむ。その夕より、乱り心地かきくらし、あやなく今日はながめ暮らし侍る」など書きて、
柏木 
よそに見て 折らぬなげきは 茂れども なごり恋しき 花の夕かげ
とあれど、一日の心も知らぬは、ただ世の常のながめにこそはと思ふ。




督の君、柏木は、まだ太政大臣邸の、東の対に、独身で暮らしている。
考えるところありて、長年、このような独身生活をしていてるが、好き好みのことなのに、物足りなく、心細い事も、しばしばある。自分は、これほどの身で、どうして、思う事が叶わないのだろう。と、慢心しているうちに、蹴鞠の夕方から、沈み込んで、考え迷うのである。何かの機会に、もう一度、あれくらいでもいい、ちらりと、お姿を見たい。何とかして、人目につかぬ、身分の者なら、少しでも、手軽な物忌みや、方違えの外出も、簡単にするので、いつしか、何とかして、隙を狙えることもあるだろう。などと、気の晴らしようもなく、深窓に住む宮様に、どのような手段で、こんな深い愛情を持っているのかを、お知らせ申したいが、と、胸が苦しく、辛いので、小侍従の下に、例の如く、手紙をやる。
柏木
先日、偶然にお邸に参上いたしましたが、御覧あそばして、改めて、どれほど軽蔑されたでしょうか。あの夜から、気分が悪くてたまらず、訳もなく、今日一日、ぼんやりと、暮らしていました。などと、書いて、
よそながら、見るばかりで、折りもしない、なげ木は、一杯に増えます。あの夕方の花の色が、いつまでも、悲しいのです。

と、あるが、先日のことを、知らない小侍従は、普通の恋わずらいと思う。




御前に人しげからぬ程なれば、かの文を持て参りて、小侍従「この人の、かくのみ忘れぬものに、こと問ひものし給ふこそ煩はしく侍れ。心苦しげなる有様も、見給へ余る心もや添ひ侍らむと、みづからの心ながら知りがたくなむ」と、うち笑ひて聞ゆれば、女三「いとうたてある事をも言ふかな」と、何心もなげに宣ひて、文広げたるを御覧ず。




宮様の御前に、人があまりいない時だったので、あの手紙を持って上がり、小侍従が、この人が、こんな忘れられない物として、手紙をよこしなさって、煩いようです。お気の毒な、御様子を、見るに見かねる気を起こすかもしれませんと、自分の心ながら、わかりかねます。と、笑い、申し上げる。女三の宮は、嫌なことを、言う、と、何気なくおっしゃり、小侍従が手紙を広げたのを、御覧になる。

見給へ余る心もや添ひ侍らむと・・・
手引きをするかもしれません、との意味。




「見もせぬ」といひたる所を、あさましかりし御簾のつまを思し合はせらるるに、御面あかみて、おとどの、さばかり。ことの序ごとに、源氏「大将に見え給ふな。いはけなき御有様なめれば、おめづから取りはづして見奉るやうもありなむ」と、戒め聞え給ふを思ひ出づるに、大将のさる事のありしと語り聞えたらむ時、いかにあばめ給はむ、と、人の見奉りけむ事をば思さで、先づはばかり聞え給ふ心のうちぞ幼なかりける。
 常よりもおほんさしらへなければ、すさまじく、強ひて聞ゆべき事にもあらねば、ひき忍びて、例の書く。
小侍従「ひと日はつれなし顔をなむ。めざましうと許し聞えざりしを、見ずもあらぬやいかに。あなかけかけし」と、はやりかに走り書きて、
 いまさらに 色にな出でそ 山桜 及ばぬ枝に 心かけきと
かひなき事を」とあり。




「見もせぬ」という、業平の歌を引いたところを、不注意だった御簾の端の事と、思いつかれるので、お顔が赤くなり、源氏が、いつも、大将に見られぬように。子供っぽいところがありますから。自分では、気づかなくても、うっかりして、覗き見されることもある。と、ご注意されたことを、思い出して、大将が、こんなことがありました、などと、お話されたら、どんなに、叱られるだろうと、人に見られたという以上に、第一に源氏を、怖がるお心は、幼いのである。
いつもよりも、お言葉がないので、拍子抜けして、無理に申し上げることではないと、人目を忍んで、いつもの通り、返事を書く。
小侍従は、先日は、知らない顔をされました。酷い方と、お許し申さずでした。見ないでも、なかったということは、どうしてですか。思わせぶりです。と、達筆に、走り書きして、
いまさら、顔色に、お出しになるなんて。手の届きそうにもない、山桜の枝に、思いを寄せた、などと。
無駄なことです。とある。

当時は、男に姿を見られるのは、女の恥と言われた。
だが、見られたということよりも、源氏に叱られるということの方が、怖い、女三の宮である。

若菜の上、を、終わる。


posted by 天山 at 05:13| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月08日

伝統について77

言とくは 中は淀ませ 水無し川 絶ゆといふことを 有りこすなゆめ

ひととくは なかはよどませ みなしがわ たゆといふことを ありこすなゆめ

人の言葉が酷ければ、途中で少し、控えてくたぜさい。でも、水無し川のように、絶えるということは、決してありません。

複雑な歌である。
人の噂が酷ければ、来るのを、控えてください。でも、私の心は、絶えるということは、ありません。

明日香川 行く瀬を速み 早けむと 待つらむ妹を この日暮らしつ

あすかがわ ゆくせをはやみ はやけむと まつらむいもを このひくらしつ

明日香川の、流れゆく瀬が早いように、早々と来てくれるだろうと、待っているに違いない妻なのに。行けないままに、この日を過ごしてしまった。

行くに行けない、焦りと、切なさ。

もののふの 八十氏川の 早き瀬に 立ち得ぬ恋も 吾はするかも

もののふの やそうちがわの はやきせに たちえぬこひも われはするかも

もののふの、八十氏、つまり宇治川の早瀬に、立つことができないような、心の激しさに流され、立っていられぬような恋を、私するのだ。

何々のように・・・
そのような、表現が続く、歌歌である。

神名火の 打廻の崎の 石淵の 隠りてのみや わが恋居らむ

かむなびの うちみのさきの いわふちの こもりてのみや わがこひをらむ

神山の、廻り鼻にある川の岩淵のように、隠り続けて、私は恋しているのだろう。

心の有様を、流れ、川に喩える歌である。
当時も、そのような教養があったということだ。

高山ゆ 出で来る水の 岩に触れ 破れてそ思ふ 妹に逢はぬ夜は

たかやまゆ いでくるみずの いわにふれ やれてそおもふ いもにあはぬよは

高山から流れ出る水が、岩に触れて、砕けるように、砕けて思う。妻に、逢わない夜は。

逢えないことが、砕ける思いなのである。
堪らぬ恋の、心情を歌う。

いつの時代も、恋とは、そのようなもの。

朝東風に 井堤越す波の 外目にも 逢はぬものゆえ 滝もとどろに

あさこちに いでこすなみの そとめにも あはぬものゆえ たきもとどろに

朝の東風に、せき止められる波が、よそへほとばしりように、外目にも、逢わないものなのに、噂は、滝も、轟くばかりだ。

噂についての、歌。
恋の歌には、噂の歌が多い。

恋が人に知られると、破綻してしまうような・・・
それほど、噂を恐れた。

当時の話の話題は、人の恋だったのだろうと、思われる。
その噂の元になると・・・

人の目が、気になる。
そして、逢わぬ、逢えぬようになってしまう。
だから、噂を恐れる歌が、多い。


posted by 天山 at 05:20| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月10日

神仏は妄想である。513

少し一服するために、仏教史から、ナーガールジュナに関して、俯瞰してみる。

以前、インド思想史を紹介したが、仏教のみの、歴史を取り上げていない。

前一世紀に大乗仏教が、発生した。
つまり、仏陀滅後、400年ほどを、経る。

そして、ナーガールジュナの思想が出てくるのが、それから、200年以上経つ。
仏陀滅後では、500年から、600年後である。

そこで、仏陀の教えたことという風に、論述をたててゆく。

それは、すべて、既に存在していた思想に対する、批判と否定から、はじまる。
ナーガールジュナは、賢くで、自分には、論は無いと言う。

論のない者を、論敵とすることは、出来ない。
そこで、ナーガールジュナの独断場となる。

ちなみに、否定という形は、西洋思想では、カントなどに、見られる。

西欧の近代哲学における、経験論と合理論の暗黙の前提を、根底からゆるがす、役割を果たした。
カントもまた、自説というものを、あまり持たないのである。

古来から、思想における批判的な見方というのは、否定の思想を持つのである。

ただし、何かを主張するとして、それを極端にまで進めると、その主張の反対の主張も成り立つという状況が起こる。

ナーガールジュナの否定の理論は、合理的、論理的であると、認めることが、出来るが・・・
それにしても、やり過ぎる。

ただ、仏教思想が、固定化してゆく時代背景にあって、それは、刺激的である。

思想史の上から見ると、そのような存在は、時代性として、必要なものとも、思える。
そして、更に、生生発展して行くのである。

さて、もう一つ、重要なことは、日本では、漢訳された経典、書物しかない。
サンスクリット語で書かれた、中観の思想が、漢語に翻訳されたという、事実は、大きい。

更に、それらに、註釈が加えられて・・・
それも、勿論、漢語である。

中々、理解するには、難儀なものだっただろうと、思う。
それらが伝わった、チベットやビルマでも、難しいとされたものである。

日本の仏教を見ると、その大半が、鎌倉仏教になる。
それでは、中々、インド思想史にある、仏教思想は、理解出来ないし、また、それが、仏教の思想なのかと、驚くだろう。

鎌倉仏教は、民衆に広がった仏教であり、難しい理論など、必要のないものだった。
言うなれば、説教仏教であり、それぞれの宗派の開祖が、独自に噛み砕いて、伝えたものである。

それを、仏教と呼んでいいのか、解らないが・・・
兎も角、日本人は、それが仏教だと、思っている。

浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗・・・
極めて、特異な仏教である。

その前の、真言宗、天台宗、そして、奈良仏教・・・
奈良仏教になると、誰も知らないほどである。

さて、実際、中国を経て、日本に到達した、ナーガールジュナの「中論」は、理解されたのかといえば、中国でも日本でも、理解されなかったという。

勝手に、一部分を取り出して、云々することは、あっただろうが・・・
それが、また、漢語に訳されるとなると・・・

後々に、西洋の学者、勿論、日本の学者によって、理解の手引きがはじまった。
その評価は、論理的、合理的である。

だが、最も、根本的なところは、神秘主義にあるという。

それを、直感的神秘主義と言う。
そこに至ると、少し、まごつくのである。

つまり、神秘主義とは、語ることが出来ないのである。
しかし、それを、ナーガールジュナは、語る。

その神秘主義から、得たものを、既存の思想を否定する形で、更に、思想を深めているという。

神秘主義、直感的なものを、合理的に説明するとなると、相当な、困難がある。
しかし、既存の思想を否定することで、それを為すことが出来るのである。

つまり、既存の思想ゆえのものである。

本体という言葉が出るが、本体とは、空である。
そして、その本体を語るために、既存の思想の否定をする。

空の思想を、説いた、般若経を継承し、哲学的に発展させる。

その、空というものを、直観する、神秘的体験で、得るということになる。
確かに、思想家は、そのようである。
直観というものも、哲学に必要不可欠といえる。

その、直観、神秘主義は、インドのヨーガから来ているといえる。

ユガ論という、経典もあるほどだ。
それを唐時代の、玄奘が求めて、天竺へと、旅をする。

瞑想という行を通じて、直観で、物事を考える。
神秘主義・・・
それを、説明する。
ナーガールジュナに対する、評価は、それである。

ただし、私は、神仏は妄想である、を書き続けている。
ナーガールジュナ、竜樹という人の、思想を否定するものではないが・・・

通常、考える仏という姿は、竜樹によって、変容させられる。
一番、残念なことは、馬鹿は、救われないということである。

そんなことは、無かったはずである。
仏陀は、そして、大乗は、衆生を救うことに、主たる意味を見ていたはずである。

しかし・・・
竜樹の思想は、あまりにも、難解過ぎるのである。
それを、理解出来なければ、仏になれない。
涅槃に行くことが、出来ない。

それは、ウソである。

神秘的直観を、語り尽くしたというのは、人間ではない。
化け物である。

posted by 天山 at 06:01| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月12日

神仏は妄想である。415

空間の定義より前にはいかなる空間も存在しない。もし定義よりも前にあるとすれば、それは定義されていないものとなってしまう。5・1
けれど定義されていないものなどはどこにも存在しない。定義されていないものが存在しないときに、定義はどこにおいて行われようか。5・2
定義されていないものにおいて定義は行われない。定義されているものにおいても行われない。定義されているものと定義されていないものと異なった「存在もしない」ものにおいても行われない。5・3

定義の不可能性である。

空間の概念を取り上げている。
空間は、六大の範疇、つまり、生存のあり方を、地・水・火・風・空・識の六つで説明するものの、代表として、上げられる。

ナーガールジュナの議論は、六大のすべて、更に、すべての概念に向けられる。

他の派閥に対する、批判である。

ナーガールジュナが、ことばと対象の関係を否定するために、空間を例に上げたのである。
また、ことばの意味を表す、ラクシャナは、ものに備われる特質である。そのラクシャナは、定義されるものである。

ものの特質といっても、そのものに対する人間の定義、理解を別にしてあるわけではない。空間の特質は、抵抗性のないもの、という定義であり、地の特質は、堅い性質、という定義である。
研究家

とは、言え・・・
つまり、ルジュナは、様々な立場から、論を進めているので、それが、何処の問題なのかを、推し量る必要があるのだ。

研究家は、
ルジュナが、空間を例に取り上げたのは、その定義が、一定しない点を利用したという。
それでも、混乱する。

定義されていないものにおいて定義は行われない。定義されているものにおいても行われない。定義されているものと定義されていないものと異なった「存在もしない」ものにおいても行われない。

上記は、すべての定義を否定している。

定義以前には、いいかえれば、見ているかぎりでは空間は存在しないし、定義されていない空間はわれわれにとって存在しない。しかし、定義とか名付けとかいうことはある対象について行われるわけであるから、定義されていない対象がまったくなければ、定義づけ、名付けることは無意味である。
研究家

そして、
定義されているものには定義はおこらず、定義されていないものにも定義はおこらない、ということは、ことばとその対象との関係を的確に表している。
研究家
ということに、なる。

定義の不可能性は、ことばとの関係、つまり、ことばの本質を言うと、ルジュナが、説くのである。

定義の行われないところには定義の対象はありえない。定義の対象のないところには定義もありえない。5・4
だから、定義の対象も存在しないし、定義も存在しない。定義と定義の対象とを離れたいかなる事物もまたない。5・5

ナーガールジュナがいっていることは、ことば、その意味としての定義に厳密に一致するものはないということである。
研究家

これなら、私のような馬鹿は、悟りなど、全く出来る訳がない。
こんなことを、延々として、語り続けることは、出来ない。

ちなみに、ヴァイシェーシカ、ニヤーヤ学派では、空間は、単一、偏在、そして恒常な実体である。
説一切有部は、この宇宙の容器としての空間を、虚空と呼び、涅槃ともいい、生滅のない、無制約的なもの、つまり、無為に含める。また、それとは別に、現象の世界にある物体と物体との間にある、隙間を、空界と、呼ぶ。

その空界は、明暗を本体とし、抵抗性をもたないが生滅することのある、物質的存在であり、宇宙的空間としての虚空とは、別なもの。
六大の空とは、この空界のことである。

経量部、中観派、唯識派などは、空間を観念的設定として認めるが、それに実在性は、与えない。

知識と教養などというものではない、複雑奇怪な議論である。

恐るべき人生の、暇つぶしである。
それを、研究する人も、恐るべし・・・

ナーガールジュナは自己の理論を主張するよりも、他学派の理論を批判することに専心したから、定言論証式を多用しない。そのかわりに仮言的推理・ディレンマ・四句否定が彼の武器となる。
研究家

仮言的論証とは、
眼はそれ自体を見ない。眼がそれ自体を見ないときに、どうしてそれ以外のものを見るであろうか。
面白いのは、
Aならば、B、そしてAゆえにBである。
しかし、
Aならば、B、Aではない、ゆえにBである。
と、語る。

相手を論破し、破邪するために、言葉を翻弄するのである。
そんなことを、仏陀が、行なったのか・・・

また、仏陀の教えといい、それらを説く神経は、いかばかりだったのか・・・
矢張り、当時の時代性、時代感覚が必要なのであろう。

私は、そんな時代に、付き合いたくないが・・・
けっこう毛だらけ、猫灰だらけ、お前の裸は、見たくもない。
posted by 天山 at 06:11| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月14日

神仏は妄想である。515

四句否定について、見ることにするが・・・
四句否定とは、ナーガールジュナの創作ではなく、初期経典にも、見られたものである。

世尊はその死後に、
存在するとも、存在しないとも、その両者であるとも、両者でないとも、いうことはできない。

ものは自ら生ぜず、他からも生ぜず、自他の両者からも生ぜず、無因からも生じない。

それなら、最初から、言うな・・・
と、言いたくなるが、それが、インドの言葉遊びの特徴と思えば、いい。

研究家も、四句否定は、形式論理の中で理解するのは、困難であると、言う。
当たり前だ。

四句否定の中で、更に一つの例を上げると、
自我があるともいわれ、自我はないとも説かれた。いかなる自我もなく無我もないと諸仏は説いた。

それを解釈する者は、第一句の、自我あり、というのは、バラモン主義者たちの主張を表し、第二句は、他の学派などが、感官の対象のみを是認して、推理の対象を認めず、享楽主義的な立場から自我の存在を否定することを、表し、第四句は、諸仏の教えを表すという。
第三句は、省略しているが・・・

また別の解釈は、業・輪廻を否定する虚無主義者に対しては、自我があると教え、我見にとらわれている者には、自我はないと教え、仏教に深くはいった者に対しては、空性の真理を悟らせるために、自我もなく、無我もないと、仏陀は、教えると、言う。

では、仏陀は、本当にそのようなことを、言うのか・・・
実際の仏陀は、一切、答えなかった。
無視するわけではないが、事細かく議論することは、なかったのである。

つまり、そんなことは、どうでも、いいことだと、知っていた。
それより、大切なことは・・・
と、考えたはずである。

だが、面白いので、見て行く。

すべては真実であり、あるいはまた真実ではない、真実でありかつ真実でない、真実ではないものでもなく真実でもない。これが仏陀の教説である。

第一句は、一般の世俗の、理解としの、真理による教え。
第二句は、最高の真実による教え。
第三句は、その二つの真理を複合した立場からの、教え。
第四句は、ヨーガ行者の神秘的直観の立場を表すという。

解釈する者も、すき者である。

真実ではないものでもなく真実でもない・・・
通常ならば、頭のイカレた人となるが・・・
インドでは、そうではないらしい。

それぞれに、説く相手が異なるのだと、詭弁を使う。

若し、日本の仏教が、こんなところから、始まっていたら・・・
今頃は、仏教など、形もないだろう。

兎に角、堕落し、更に、堕落した、仏教が、大陸、それも、中国と、漢文を持って伝わったのである。
そして、鎌倉時代に、益々、仏教など、何のことは無い、教えになった。

先祖供養などという、馬鹿げた話になっているのが、その証拠である。

先祖に、御伽噺のような、経典を読経して、はい、幾らとの、商売である。

チャンドラキールテイは、人々にブッダの全知性を尊敬させるために、すべては真実だと第一句を説き、変化するもの真実ではなく、真実であるものは変化しないと教えるために、すべては真実ではないと第二句を教え、第三に、ものは凡夫にとっては真実だが、聖者にとっては非実であると第三句を教え、すでに煩悩と誤った見解とからほとんど自由になった人に対して、子を生まない女の子供は白くも黒くもないように、すべての現象は真実でもなく真実でなくもないと第四句を教える、という。
研究家

書き写すのに、間違いそうである。

つまり、四句否定は、それぞれの、区が、それぞれの人に当てられたものと、いうのである。

更に、研究家の、成果を載せることは、困難になるので、省略する。
話が、終わらないから・・・

すべては真実であり
あるいはまた真実ではない
真実でありかつ真実でない
真実ではないものでもなく真実でもない

第三句を書き換えると、
あるものは真実であるものは非実である。
第四句は、
いかなるものも真実でなく、いかなるものも非実でない

四句のいずれをも、絶対的なものとしては、否定するのが、四句否定の意味であり、中観の真理である、らしい。

いかなるものも真実でなく、いかなるものも非実でない

上記が、最高の真実として、
中観の宗教的真理を示しているから、その限りにおいては否定されるべきものではない。けれどもその真理は第一句のなりたっている議論領域、あるいは第二、第三句と同一の領域において成立しているわけではない。言い換えれば、第四句も第一句ないし第三句のなりたつ諸領域においては否定されるべき性質のものである。
研究家

そのように中観の真理も世間の立場、一般的な論理の領域において真であるとはかぎらない、というところに、仏教者の無執着の精神を見ることができる。
研究家

私には、見えないのである。

「般若経」では、空に執着するものに対しては、空をも空ずる必要のあることが、強調されている。

現在では、辛うじて、このような言葉遊びが、禅に見られる。

研究家は言う。
すべてのものの空を悟った聖者がいま一度常識的な有の世界、一般の世界を回復する、ということも、上記のような四句否定の精神から出てくるものである。

少しは、安堵する。

だが、私は言う。
すべてのものは、悟りである。
いかなるものも、悟りえない。
あるものは悟りで、あるものは非悟である。
いかなるものも悟りではなく、いかなるものも非悟でない。

静けさや 岩にしみいる 蝉の声  芭蕉

posted by 天山 at 06:37| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月15日

玉砕1

今年、平成27年、皇紀2675年、2015年の年頭の天皇陛下の、お言葉に、具体的なお言葉があった。

満州事変からの歴史を学び・・・
つまり、そこから、大東亜戦争、第二次世界大戦の歴史を見るということと、理解した。

先の大戦では、日本軍は、多く、玉砕した。
この玉砕という言葉は、全滅、壊滅の、美称である。
玉が、砕ける。
玉とは、兵士のことである。

そのような言葉を必要とするほどに、何か特別な言葉を必要とした、戦争。

玉砕という、美称によって・・・
その全貌を忘れた。

多くの兵士の七割が、餓死であるなどということも、勿論である。

230万人の兵士が斃れた。
そして、兵士を含めた、戦争犠牲者は、320万人である。
民間人、一般国民も、多く斃れた。

アメリカの無差別攻撃によって・・・
国際法違反である。
その最たるものが、原爆投下。

日本は、アジアを侵略したと、毎年、謝罪を繰り返すが・・・
侵略を主とした、欧米列強は、一度も謝罪をしない。

不思議である。

実は、ここに問題がある。
日本は、欧米列強の植民地支配の泥を被り、そして、アジア、太平洋の国を侵略したという、固定した価値観を、負わされた。
勿論、東京裁判によって。

すべての悪は、日本にありという、恐るべき、欧米列強の国、つまり、白人たちに、してやられたのである。

そして、それは、今も続いている。
国際連合とは、戦勝国の集いであり、日本は、いまだに、敗戦国として、扱われている。

アメリカに次いで、二番目に、多く金を出しているのに・・・

こういう不思議なことを、政治家も、一般人も、あまり言わない。
この頃になって、ようやく、それを口にする人たちが、現れたが・・・

そして、アメリカ占領軍が作り上げた、憲法をありがたく、押し戴いている国、日本である。
それが、平和憲法と呼ばれて・・・

簡単に言うと、日本は、戦勝国を攻撃してはならない、という憲法である。
また、国として、他国を攻撃してはならない、という。
戦争放棄である。

素晴らしい憲法である。
しかし、自分の身を守ることが出来ない。
だから、今も、アメリカの属国扱いである。

アメリカの核兵器に守られている。
アメリカ軍に守られてきた。

自衛隊でさえも、朝鮮半島動乱の際に、マッカーサーが、これでは駄目だと、気づき、更に、日本が存在して、共産化を止められると、自衛隊、つまり軍隊を創設することを、日本に求めた。

それが、いまだに、憲法解釈で、云々という、日本の社会である。
実に、未熟な社会といえる。

国連加盟国に許されている、集団的自衛権も、日本では、出来なかったという、アホさ加減は、いかんともし難いのである。

日本は、表現の自由が許されているから、色々な考え方があって、当然である。
しかし、国防、安全保障という時、ある一定の価値観と、国際的に、当たり前の感覚を持たざるを得ないのである。

ところが、敗戦後、戦争を一度もしなかったことでなのか、その安全保障に関しても、迷妄なことを、平然と口にするアホがいる。

戦争をする国に、するのか・・・
海外で、戦争をする国にするな・・・

在米米軍の兵士が、日本国民のために、死ぬだろうか。
また、死んで良いと、考えるだろうか。

アメリカには、玉砕という、美称は無い。

愛国心という前に、玉砕という言葉があると、私は言う。

それが、先の大戦の象徴的な言葉となる。
その第二次世界大戦、太平洋戦争・・・
太平洋戦争とは、アメリカの名付けた呼び名である。
日本では、大東亜戦争という。

ことごとく、日本の言い分が、塞がれた。
アメリカ占領軍、GHQの言い分を、すべて受け入れなければならなかった。
それは、白人の世界が、二度と、色付き人間の国、日本に行動を起こさせないがためである。

徹底的に、日本を叩き潰すという精神である。
その証拠は、ドイツと比べてみるといい。
ドイツは、白人の国である。
ドイツに対しては、その復興に協力しなければと、言うが、日本に対しては、徹底的に、潰せ、である。

そして、今も、それが行われている。
人種差別の何物でもないのである。
あらゆるものが、人種差別から、起こっている。
信じられないだろうが、それが、事実である。

posted by 天山 at 06:09| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月16日

玉砕2

日本は、昭和20年8月15日まで、大日本帝国と名付けられた。
その日は、大東亜戦争、第二次世界大戦が終わり、日本が、無条件降伏を受け入れた日である。

だが、それは、日本軍の無条件降伏である。
しかし、それが、日本国の無条件降伏とされた過程がある。

ここでも、アメリカ、白人の狡賢さが解るというもの。
国が、無条件降伏を受け入れたと、解釈変更を、自然の成り行きで、変えてしまったのである。

大日本帝国は、明治22年から、続いたものである。
であるから、その帝国が、解体されたのである。

その、帝国憲法では、天皇主権の国家だった。
それで、十分に保つことが出来た、日本である。
何故か・・・
天皇主権とは、国民主権と、変わりないのである。

ここが、誤解、いや、知識の浅い、知識人たちの、アホ振りである。

天皇は、国体であり・・・
つまり、国体とは、国民である。
天皇主権は、国民主権に他ならないのである。

であるから、天皇は、広く国民の声に耳を傾け、国民が決定したことを、承認するという、政治の形である。

その天皇の主権があるから、日本は、民主的な政治を行なうことが出来たのである。
天皇の政治は、古代から、民主的だった。

ところが・・・
天皇の政治を、専制的という、アホな学者が大勢存在した。
それも、不幸なことである。

君臨すれど、統治しないのである。

天皇の権威は、いつも、国民の側に立っていた。
だから、日本は、いつの世も、天皇を戴いていたのである。
もし、天皇が、権力者ならば、新しい権力者によって、取って代わられたのである。

いかに、権力者が現れても、天皇の許可なく、政治を行なうことが出来なかった。
それは、天皇の声が、国民の声であるからだ。

それを、知らない人たち・・・

戦国時代の武将が、何故、京を目指したか。
それは、天皇に、一枚の紙を書いて欲しいがためである。
例えば、征夷大将軍とか、関白とか・・・

天皇が、認めなければ、国民が認めなかったのである。
何故か。
天皇は、いつも国民の側に立って、発言さられる存在だからである。

天皇という、権威を国民が、置いたことが、日本民族の智慧であり、賢さだった。
どんなに、国が乱れても、天皇が存在すれば・・・
何とか成る。

この天皇の存在の意味と意義を、明確に持つことが、日本国民である。

敗戦後、アメリカ占領軍が創作した、憲法の最初に、
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく
と、ある。

今更である。
古代から、天皇は、それである。

それなのに・・・
改めて、そのように書かれると、天皇は人間だと言う馬鹿も大勢いた。

昭和天皇御自身、私は、人間であると、仰せられた。
当然、天皇は、人間である。
現人神・・・
それは、国民のことである。
天皇をお呼びする時は、現人御神と言う。

天皇の政治は、天智、天武天皇時代を除けば、大半が、統治せず、である。

であるから、いつの時代も、天皇は象徴であられた。
他国から見れば、君主である。
君主がいなければ、大統領となる。あるいは、皇帝である。いずれも、権力者である。

権威というものが、即刻出来上がるものではないことだ。
長い時間が必要である。
日本の天皇は、それを有する存在である。

さて、時代を一気に、大正時代に移す。
大正12年9月1日、関東大震災が起こる。
大変な自然災害だった。

大正は、大正12年12月25日の、大正天皇崩御にて、終わる。
即座に、皇太子が、即位する。
昭和元年である。
昭和天皇の誕生である。その時、裕仁殿下は、25歳だった。

翌年、昭和2年、金融恐慌が起こる。1927年。
それは、大震災の影響によるものである。

関東大震災によって大きな被害を受けた企業が、決済が出来なくなった手形が、元凶である。
取り付け騒ぎ・・・
銀行が潰れる・・・そこで、人々が、銀行に押し寄せた。

昭和は、憂うつな事柄が多くはじまった、時代である。
その年、満州・華北地方への第一次出兵があった。
経済の破綻と、軍事の膨張がはじまった頃である。

posted by 天山 at 05:30| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月19日

玉砕3

歴史は、様々な見方がある。
私は、歴史学者でもなければ、研究家でもない。
素人である。

だから、好きなように書く。
具体的に知りたい場合は、その他諸々の歴史本を読めばいい。

戦争への道・・・
私が知りたいのは、それである。
昭和2年の、第一次山東出兵・・・
日本と中国の関係である。

この事件と、翌年3年に起こった、張作霖爆死事件である。

明治38年、日露戦争で、日本はロシアに勝った。
初めて、色付き人間である日本が、白人の世界に、画期的な動揺を与えた戦争である。
それについては、国を愛して何が悪い、という、別エッセイに書いているので、省略する。

だが、その戦争で勝った日本は、ロシアが有していた中国領土の権益を得たのである。
ここに日本陸軍の精鋭部隊である、関東軍が駐留し、この一帯に、日本人が事業を起こし、それらの企業で働く日本人居住地が広がった。

だが、当時、満州には、3000万の中国人が住んでいた。
日本人は、僅かである。

ロシアという国は、伝統として、侵略を是としていた国である。
それは、ソ連になっても、変わらなかった。
領土のドロボーである。

さて、当時の中国は、惨憺たる有様だった。
各地に独自の支配者が存在して、独自の軍組織を有していた。
それを軍閥という。

満州には、張作霖という支配者がいた。
民衆に対して、搾取の政治を行なっていた。

関東軍は、その張作霖と、付かず離れずの関係を保ちつつ、満州の権益を守っていた。

そして、関東軍の参謀たちは、満州全域に日本の支配権を伸ばしたいという、希望があった。
それが、侵略と言われるなら、ロシアの支配も、侵略である。

白人の世界では、侵略は、当たり前のことである。
今も、日本は、侵略に対して、謝罪をしているが・・・
最も、謝罪しなければいけないのは、白人たちである。

昭和2年、1927年、孫文の後継者である、蒋介石が、国民党を立ち上げ、国民党政府を造り、全国統一を目指していた。
各地の軍閥との、話し合いを進めて、その傘下に加えて行く。

その、蒋介石が、満州を伺う情勢になる。
そのため、日本人の保護を名目に、山東出兵を行なったのである。

実際は、蒋介石が、満州を制圧することを、恐れたためである。

当時の日本は、政治、軍事、外交の指導者たちの会議で、満州の権益は、いかなることがあっても、守ると決めていた。

昭和3年3月、国民党と華北の旧軍閥が手を結び、張作霖に攻撃を仕掛けた。

ここで、確認したいことは、中国は、混乱、動乱の渦の中にあったということである。
そして、その民衆は、右往左往していたのである。
何せ、搾取、搾取の連続である。
更に、身の危険も多々あった。

張作霖は、満州と北京を手中にしていたが、次第に、国民党に追われる情勢になった。
そして、国民党を中心として、北伐群が、山東省の省都、済都を包囲するに至ると、日本は、再び、山東出兵を試みた。
第二次山東出兵である。

北伐軍と、関東軍が、衝突した。
北伐軍は、日本軍との戦火を避けるように、満州に進撃した。

日本は、張作霖に、北京から、満州の奉天に戻ることを、説得する。
日本は、北伐軍と対抗する張作霖を、表に立て、満州の権益を守ろうとした。

そして、昭和3年6月4日、張作霖は、特別列車にて、奉天に向うことになる。
が、奉天郊外に差し掛かる時、線路に仕掛けてあった、爆弾で、吹き飛ばされる。

それは、日本軍の、謀略行為だった。
その混乱に乗じて、関東軍を出動させ、武力制圧を諮ったのである。

その行為は、国際社会に、知れ渡ることになる。

大変残念なことであるが、事実である。
本当のことを言えば、それで多くの民衆が救われたのだが・・・
日本軍が、当時の中国人の反発を買っていたというのも、事実である。

だが、中国の軍というものは、馬賊や匪賊が主であり、民衆に取っては、決して、有り難いものではなかった。

だが、謀略は、謀略である。

明治27年28年の日清戦争、明治37年の日露戦争・・・
日本軍兵士の、規律は保たれ、必要以上の戦闘行為は、行わなかった。
海外のジャーナリストたちは、日本軍兵士の行動を、サムライの精神と賞賛していたほどである。

それが、満州某重大事件と言うが、その際には、それが、見当たらないのである。

昭和陸軍、共に、関東軍は、驕っていた。

これは、当時の憲法に大きな問題があった。
いずれ、それは書く。

相手が、悪人でも、謀略的行為は、恥じである。
この、陸軍が、後々に、重大な過ちを犯すのが、大東亜戦争である。
天皇を利用し、人命軽視の思想である。
posted by 天山 at 06:53| 玉砕 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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