2014年12月29日

もののあわれについて716

大将の君は、この姫宮の御事を思ひ及ばぬにしもあらざりしかば、目に近くおはしますを、いとただにも覚えず、おほかたの御かしづきにつけて、こなたにはさりぬべき折り折りに参りなれ、おのづから御けはひ有様も見聞き給ふに、いと若くおほどき給へる一筋にて、うへの儀式はいかめしく、世の例にしつばかり、もてかしづき奉り給へれど、をさをさけざやかにもの深くは見えず、女房なども、おとなおとなしきは少なく、若やかなるかたちの人の、ひたぶるにうち花やぎざればめるは、いと多く数しらぬまで集ひ候ひつつ、物思ひなげなる御あたりとは言ひながら、何事ものどやかに心静めたるは心の中のあらはにしも見えぬわざなれば、身に人知れぬ思ひ添ひたらむも、また、まことに心地ゆきげに、とどこほりなかるべきにしうちまじれば、かたへの人に引かれつつ、同じ気配もてなしになだらかなるを、ただ明け暮れはいはけたる遊び戯れに心入れたる童の有様など、院はいと目につかず見給ふことどもあれど、ひとつさまに世の中を思し宣はぬ御本性なれば、かかる方をも任せて、さこそはあらまほしからめと、御覧じ許しつつ、いましめ整へさせ給はず。さうじみの御有様ばかりをば、いとよく教へ聞え給ふに、少しもてつけ給へり。




大将の君、夕霧は、この姫宮との結婚も、考えないこともなかったので、目に見られる所に、おいであそばすのを、平気でいられず、何かの用事のとき、こちらには、しかるべき時に、いつも伺うのが普通で、いつしか雰囲気や、ご様子を、見聞きもするにつけて、あまりにも若く、おっとりとしているばかりで、表向きの扱いは、堂々として、世間が喩えにするほど、院は大事にされている。だが、これといって、奥ゆかしさは見られず、女房なども、しっかりしたのは少なくて、年若い美人が、ただただ華やかにし、洒落好きなのが、とても多く、数え切れないほど、集まって、お仕えしている。
何の苦労もないお住まいとはいうものの、何につけても、騒がず、落ち着いている女房は、考えていることが、はっきりと解らず、我が身に、誰も知らない悩みを持っていても、本当に楽しそうに万事思い通りに運んでいる人たちと一緒だと、周りに影響されて、同じ調子、態度に合わせるものだから、一日中、子供みたいに、遊び、戯れに熱中している、女童の様子など、院は、関心しないと、御覧になることも、一度ならずある。が、一律に、世間を考えて、おっしゃったりしない性分なので、こういうことも、勝手にさせて、そうしていたいのだろう、と、見て見ぬふりをしつつ、叱って、止めさせることもしない。宮ご自身の、なさりようを、充分に教えされるので、少しは、直されたが。

夕霧の観察した、姫宮の様子である。
何とも、まったりとした、文である。




かやうの事を、大将の君も、「げにこそあり難き世なりけれ。紫の御用意気色の、ここらの年へぬれど、ともかくも漏りいで見え聞えたる所なく、静やかなるをもととして、さすがに心美しう、人をも消たず、身をもやむごとなく、心憎くもてなし添へ給へること」と、見し面影も忘れ難くのみなむ思ひいでられける。




このようなことも、大将の君は、なるほど立派な女は、なかなかいないものだ。紫の上の、お心がけや、態度は、もう長年経ったが、何も人の目に触れ、耳に触れることがなかった。静かなことを第一として、それでいて、ひねくれず、人をないがしろにしない。自分自身も、気高く奥ゆかしくして、いられることだと、昔、垣間見たお顔も忘れられず、つい、思い出されるのである。




わが北の方も、「あはれと思す方こそ深けれ、いふかひあり、すぐれたるらうらうじさなど、ものし給はぬ人なり。おだしきものに、今はと目なるるに、心ゆるびて、なほかくさまざまに集ひ給へる有様どもの、とりどりにをかしきを、心一つに思ひ離れ難きを、ましてこの宮は、人の御程を思ふにも、限りなく心ことなる御ほどに、取り分きたる御気色にしもあらず、人目の飾りばかりこそ」と見奉り知る。わざとおほけなき心にしもあらねど、「見奉る折りありなむや」と、ゆかしく思ひ聞え給ひけり。




自分の妻である、北の方も、可愛いと思う心は強いが、しっかりして、人に優れた才覚などは、ない人だ。安心出来る。もう大丈夫だと思い、暮らしていると、気が弛み、矢張りこのように、色々集まる婦人方が、それぞれ立派なので、一途に愛情を感じるのだが、中でも、宮様は、ご身分のことを考えても、最高の特別のお生まれである。だが、格別のご寵愛があるでもなく、世間体を飾っているだけのこと。と、見受けられる。特別に、大それた気持ちではないが、お顔を拝する機会があるだろうかと、心引かれる思いがするのである。




衛門の督の君も、院に常に参り、したしく候ひ慣れ給ひし人なれば、この宮を父帝のかしづきあがめ奉り給ひし御心掟など、詳しく見奉り置きて、さまざまの御定めありし頃ほひより聞え寄り、院にもめざましとは思し宣はせずと聞きしを、かくことざまになり給へるは、いと口惜しく胸痛き心地すれば、なほえ思ひ離れず。その折りより語らひきにける女房のたよりに、御有様なども聞き伝ふるを、慰めに思ふぞはかなかりける。「対の上の御気配には、なほおされ給ひてなむ」と世人もまねび伝ふるを聞きては、柏木「かたじけなくとも、さるものは思はせ奉らざらまし。げに類なき御身にこそあたらざらめ」と、常にこの小侍従といふ御乳主をも、言ひ励まして、「世の中定めなきを、大殿の君もとより、本意ありて思し掟てたる方におもむき給はば」と、たゆみなく思ひありきけり。




衛門の督の君、柏木も、上皇御所に常に参上して、お傍近くに仕えていたので、女三の宮を、朱雀院が大事にされていることを、仔細に拝見していた。色々なご縁談があった頃から、申し出て、院も嫌なやつと思いではないと、おっしゃることもないと聞いていたので、このように、六条の院、源氏に、嫁いだのは、まことに残念と心が痛む思いがするので、今尚、諦めきれないでいる。その求婚の頃から、親しくなった女房の口から、宮様の、ご様子などを聞くのを、慰めにしていたのは、儚いことだった。
対の上、紫の上には、やはり、負けていると、世間の人も噂しているのを聞くと、恐れ多いことだが、自分なら、そんな思いはさせなかったと思う。だが、いかにも、自分が、そんな貴い身分には、相応しくないと、いつも、この小侍従という、御乳母子を攻め立てて、この世は、無常だ。六条の院が、もともとお望みで決心された、出家をされたらと、熱心に、小侍従の周りをうろついていた。

物語は、柏木と、女三の宮との関係に進む。
結局、女三の宮は、柏木の子を生むのである。

少しばかり、複雑になってゆく、物語である。



posted by 天山 at 05:39| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。