2014年12月01日

神仏は妄想である。508

まだ続ける、馬鹿馬鹿しさ・・・

「行くものが行く」というときには、行くという運動と独立に「行くもの」が考えられている。ということは、行かない「行くもの」にもすでに「行くこと」があるということである。
したがって「行くものが行く」というときには二つの「行く運動」があることになる。

「行くものが行く」ということがいえないから、「行くもの」は行かないはずである。
しかし「行かないもの」が行くわけもないし、「行くもの」と「行かないもの」のほかに第三の行く主体はない。
しかしまた、「行く」という運動が「行くもの」という主体と独立にあることはできない。
だから「行く運動」はなりたたないし、「行く運動」がなりたたなければ、「行くもの」もなりたたない。
そうかといって、「行くもの」と「行く運動」が同一であるならば、作用とその主体とが一つになってしまう。
その二つが別異であれば、「行くもの」なしに、「行く運動」があり、「行く運動」なしに「行くもの」があるという不合理になる。
と、研究家の成果である。

ナーガールジュナは、運動を問題にしているときにも、ある作用とその主体との関係を、同一性と別異性のディレンマに追い込んでゆくのである。
と、なる。

それは、原因と結果を吟味していって、原因という作用の主体と結果を生ぜしめるという作用との関係を問うにいたったのと同じ論法なのである。

以上、理解せずともいいのである。

兎に角、論破するため、破邪するための、言葉遊びである。

そして、それが、仏陀の教えであると、相成るのである。
こんな屁理屈を、仏陀は、言わない。
しかし、後世、このような状態が生まれたのである。

もし薪がそのまま火であるならば、主体とその作用の対象とが同一となってしまう。火が薪と別であるならば、火は薪なしにもあるであろう。そうならば火は常住に燃えるものとなるであろうし、燃える原因を要しないもの、あらためて燃やしはじめる必要のないものとなる。そうであれば、火は作用をもたないものであろう。
ルジュナさん

これも、作用、主体、対象の関係の分析に、二つの異なる方法がとられている。
一つは、作用と主体、また、作用と客体との関係の分析。

これは「過ぎ去るもの」と「過ぎ去る運動」、および「過ぎ去られるもの」と「過ぎ去る運動」の関係について、見たものと同じである。

要するに、繰り返しである。

そして、屁理屈、その・・・もう忘れた・・・

その見るもの「眼」はそれ自体を見ない。自体を見ないものがどうしてそれ以外のものを見るであろうか。
灯火の喩えは十分に見るものを証明しえない。その喩えも見るものと同じように過ぎ去られたもの、過ぎ去られつつあるもの、いまだ過ぎ去られないものの考察によって批判されている。
見ていない見るものなどはどのようにも存在しないのに、どうして見るものが見えるなどということが妥当しようか。
見るものは見ない。見ないものは見ない。見るものと同じようにして、見る人も説明されていると認められねばならない。

こういうナーガルジュナの考え方は彼のいだいていた本質の概念を前提にして理解しなければ、単に非常識な冗舌か、あるいは、詐術めいた詭弁としかうけとれないであろう。
研究家

更に、
いったい眼の本性というとき、その本体は眼の属性である見る作用をもっているであろうか。本体は恒常であり、したがって作用をもたないが、それが現象するときに作用と結び付くという考え方からすれば、眼の本体には見る作用はない。いわば本体はからっぽである。
耳や鼻の本体も同じようにそれぞれの作用のからっぽなものである。そうであれば、いったい眼の本体と耳や鼻の本体とはどうして区別されるのであろうか。眼の本体と耳その他の本体を厳密に区別する有部はその理由を説明できない。
研究家

つまり、説一切有部という、派閥に対する、論戦なのである。

からっぽ・・・
空・・・

眼の本体と耳その他の本体を厳密に区別する有部はその理由を説明できない。

区別しても、おかしくないのである。
耳は鼻でも、眼でもない。
しかし、ルジュナさんは、論破するのである。

私は素人だから・・・
見るものの本質としての見ると、いま見ているという見ると、二つの見る作用が、含まれる、と言うが・・・

本当に、死ぬまでの、暇つぶしである。

実際、東洋哲学の仏教を学んだ者と、話をすると・・・
洗脳されてか、解っているのである。
そして、私が、屁理屈だと言うと、そうだ、と言う。

ただし、否定はしない。
これで、食べている人が数多くいる。
それらの、職を奪うつもりは、毛頭ない。

だから、笑ってしまう。

灯火そのものの中にも闇はないし、灯火のある場所にも闇はない。照らすはたらきは実に闇を破ることであるが、その灯火はいったい何を照らすのか。
ルジュナさん

これを延々と説明することは、出来る、が、面倒だ。

その灯火は、一体、何を照らすのか・・・
それでは、私も、
ルジュナさん、あんたの、言葉遊びは、一体、何処へ行くのか、と言う。

すると、ルジュナさんが出て来て、
何処へも行かない。行くべき理由が無い。私には、主張がないのだから・・・
と、言われそうである。

徹底した、上から目線での、論戦、論破である。

でも、面白いから、続ける。

これはなにも灯火についてだけいえることではない。本体が自己作用する、というときには、その本体の作用の主体と客体とに分裂しなければならない。それは必然的に、本体に二つの本質があるという不合理を伴うのである。
本体が自己自身に対して作用するのではなく、他のものに対して作用する場合にも、論理の本質は変わらない。他に依らない、自立的な本体が作用するために他者を必要とするということは、本体が他者的な契機を含むということになるからである。
研究家

ものを、考えるというのは、実に、面白いが・・・
ここまで来ると、頭がやられているのではと、思ってしまう。

勿論、その通りである。

ちなみに、ルジュナさんの、書いた、別の大智度論、という本があるが・・・
否定の否定の否定の・・・

一体、何を言いたいのか・・・
解らない。

つまり、ボケでいるのである。
論破するために、相当に、無理をしたのであろう。

否定しているうちに、訳が解らなくなったようで・・・
気の毒である。

ところで、今、何処で、何をしているのだろうか・・・

一度会いたいと思うが・・・
質問したいことがある。
何を食べていたの・・・

posted by 天山 at 06:14| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月02日

神仏は妄想である。509

灯火そのものの中にも闇はないし、灯火のある場所にも闇はない。照らすはたらきは闇を破ることであるが、その灯火はいったい何を照らすのか。

ここでも、自体を照らす場合と、他体を照らす場合に、共通した批判である。

その説明の前に言う。
その灯火は、いったい、何を照らすのか・・・

馬鹿じゃないかと、思う。
灯火とは、闇の中に照らすものだろう。
灯火自体は、闇ではない。

何を照らすか・・・
当然、闇を照らすのである。

さて、研究家は、言う。
自己作用について考えてみると、灯火が自身を照らす、というときには、灯火自身の中に光の部分とともに闇という他の部分がなくてはならない。そうでなければ光がやみを照らすという作用はありえないからである。しかしもし灯火の中に自己と対立するような部分があれば、それは灯火がたがいに矛盾する二つの本質をもつことになる。それは灯火の本体の単一性にそむく。

当たり前のことを、言う。

そこで、自己作用の否定である。

本体が自己作用する、というときには、その本体が作用の主体と客体とに分裂しなければならない。それは必然的に、本体に二つの本質があるという不合理を伴うのである。本体が自己自身に対して作用するのではなく、他のものに対して作用する場合にも、論理の本質は変わらない。他に依らない、自立的な本体が作用するために他者を必要とするということは、本体が他者的な契機を含むということになるからである。
研究家

ホント、ご苦労なことです。

ものは自己自身に対して作用をなさない。
それは、区別の哲学一般、中でも、当時は、説一切有部にとり、重要な原理だった。

区別の立場では、認識の自己認識ということは、認めない。
認識は、自己と異なった対象に対して、認識するのである。
認識自身の中にある表象を対処として、認識するということであれば、外界の対象は、必要ではなくなる。

認識を主体と対象とに分析する区別の立場は、崩壊するのである。

認識とは、自己認識であると、主張するのは、経量部と、唯識派であり、そこでは、主観と客観とは認識という一つの事実の中にある、論理的な、仮説的区分に過ぎなくなる。

説一切有部は、そのような観念論的な立場に対抗したが、その反対の原理となっていたものが、認識の、更に、もの一般の自己作用の否認であった。

そして、ルジュナは、その説一切有部の原理をそのまま承認し、それを前提の議論をしているようだが・・・

ものの自己作用を否認したからといって、説一切有部と同じく、反定律である、ものの他者に対する作用を、是認しているのではない。

本体を設定する立場では、ものの自己作用も、対他作用も、いずれも成り立たなくなるという、矛盾を指摘している。

つまり、否定しているのは、本体の立場なのである。

それで、延々と続けている。
それを、後世の人たちは、色々と名称を付けて、分析するが・・・

つまり、インド人が、考えたことを、更に、考えるという、徒労である。

ここで面白いことは、論を立てるのではなく、他の論に対して、論戦するという、態度である。
そして、それが、本来の仏陀が、教えたことである、となる。

その、仏陀は、それを聞いて、何と言ったのかは、書かれていない。
仏陀も、死人に口無し、なのである。

勿論、大乗仏教の、八宗の祖といわれる、ナーガールジュナである。
しかし、それが、本当に本当なのか・・・
一体、誰が、認めるのか・・・

つまり、論争に勝つ者である。

理攻めで勝てば、それが、正しいとされた時代である。
そして、勝った、竜樹を持ち上げて、大乗教だと、名乗るのである。

初期の仏典では、仏陀の言葉が、書かれるが、おおよそ、寝惚けた言葉の羅列である。
そこに、意味と意義を見出して・・・

様々な、理屈が付けられ、派閥が出来る。

更に、大事なことは、仏陀は、バラモンの言葉を使用している。
つまり、バラモンの言葉の観念を知らなければ、解らないこと、多々あり。

そして、大乗の場合は、とんでもないものまで、取り入れて・・・
夢見たのである。
つまり、妄想である。

インド、バラモンの神々まで、取り入れた。
更に、伝説から、ある事無いこと・・・

四天王を拝むとか、経典の中の、創造の仏から、菩薩までに至り、祀り拝むという、愚行である。

竜樹の言葉巧みな世界などは、どうでもいいことになる。
ましてや、屁理屈の竜樹の言葉遊びを、神格化までして・・・

竜樹菩薩とまで、呼ぶ。

この人は、本当に仏陀の教えを説いたのか・・・
何せ、仏教の天上界は、魔界だとまで言うのである。
つまり、ご自分も、魔界の者として・・・

まだまだ続く
posted by 天山 at 07:29| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月03日

神仏は妄想である。510

本体が自己作用する、というときには、その本体が作用の主体と客体とに分裂しなければならない。それは必然的に、本体に二つの本質があるという不合理を伴うものである。本体が自己自身に対して作用するのでなく、他のものに対して作用する場合にも、論理の本質は変わらない。他に依らない、自立的な本体が作用するために他者を必要とするということは、本体が他者的な契機を含むということになるからである。
研究家

これは、自己作用の否定である。
ナーガールリジュナは、否定にかけては、最高に面白い。
その否定を、後々の人たちは、更に解釈するという、面白さもある。

ものは自己自身に対しては作用をなさない、ということは区別の哲学一般、とくに説一切有部にとっては重要な原理となっている。
研究家

上座部仏教の代表である、有部である。
それら、つまり、上座部の派閥の論理を、徹底して、否定する、ナーガールジュナである。

区別の立場では、認識の自己認識ということは、決して認められない。
認識は、自己と異なった、対象を認識する。
認識が、自己を、つまり認識自身の中にある表象を対象として、認識するということを、認めなければ、外界の対象は、必要ではなくなる。
認識を、主体と対象とに分析するという、区別の立場は崩壊するのである。

つまり、ナーガールジュナは、それらの立場を崩壊させるべく、屁理屈をこね回した。
そして、ついに、それが主流になるという・・・

認識とは自己認識であると主張するのは経量部や唯識派であって、これらの学派では主観と客観とは認識というひとつの事実の中にある論理的な、仮説的な区別にすぎなくなる。説一切有部はそういう観念論的な立場に始終対抗したが、その反対の原理となっていたものが、認識の、そしてもの一般の自己作用の否認であった。
研究家

ナーガルジュナは、説一切有部の原理をそのまま、承認し、それを前提として、議論をしている如く・・・
だが、ルジュナは、ものの自己作用を否定したからといって、説一切有部と同じく、その反定律である、ものの他者に対する作用を是認し、主張するのではない。
ルジュナは、それも否定する。

本体を設定する立場では、ものの自己作用も、対他作用も、いずれも成り立たないという、矛盾を指摘するのである。

そして、本当に、否定しているのは、本体の立場そのものであるということ。

それなら、最初から、そう、言え・・・
と、言いたくなるのだが・・・

つまり、論敵に対して、コテンパンにしたいという、単なる、賢さの、戯れなのである。
その、賢さ・・・
それを本当に、賢いと言えるのか、どうか・・・

仏陀は、そんな言い回しをしなかった。
ナーガールジュナは、これが仏陀の教えだと、言うが・・・
仏陀に、直接、尋ねたいものである。

主体と客体との関係を検討するために、ナーガールジュナは少なくとも二種類の論理を使用する。一つは無限遡及の誤りの指摘であり、他の一つは相互依存の誤りの指摘である。この無限遡及と相互依存との二つはナーガールジュナにだけ見られるものではなく、その後のインド論理学一般において、論理的誤謬と考えられるにいたったものである。
研究家

インドらしい・・・
無限遡及というより、無限地獄であろうが・・・

説一切有部では、すべて制約された存在は、生じて、ただ一瞬間しか留まらず、滅するという。
そこでは、ご苦労なことに、生・往・異・滅の四つの瞬間の集まった、長さという。

あるものが生ずると、その四つの相状が同時に起こるという。

これも、呆れる話だが・・・

そして、この四つの相状も、心に相伴わないもの、という範疇に含まれ、制約された存在であるから、それぞれが、また、四つの相状を、持つという。
そして、それが、二度目の相状でも、また、四相状を持つとする。
つまり、無限に続くと考える。

呆れる。
無限地獄である。

そこで、有部は、生を生じさせるものとして、生生という、相状をたてる。
生生は、逆に、生によって生じさせられ、無限遡及を断つという。

四つの相状も、おわかりのように、往往・異異・・・となる。

こんな馬鹿馬鹿しいことに、付き合いきれない。

ルジュナさんも、この問題を論じている。
そこでは、相状を、三つに約されている。
もう、四つも、三つも、どうでもいいが・・・

要するに、無限に続いて留まることがないというのである。

これは生にまた生・往・滅の三相があり、その第二の生にも生・往・滅があれば、その関係は無限である。

これが、無限遡及のお話である。

結局、有部が、負けるということである。
無限遡及を断つと言ったのに、ルジュナが、続くと言う。

二つの実体にせよ、一つの実体と属性にせよ、AとBとの二つが関係Cをもつとすれば、CをAと結び付けるためにDが、CをAと結び付けるためにEが必要になる、というかたちで、無限の関係が必要になる。それは最終的な根拠が得られないことを意味するから、この無限遡及に陥る議論はなりたたないわけである。
研究家

そうです。その通りです。
仏教とは、何か・・・

これも、勿論、仏教なのでしょう・・・
四六時中こんなことを、やっていた、仏教という、教義を作られた皆様・・・
ご苦労であった。

posted by 天山 at 06:52| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月04日

神仏は妄想である。511

相互依存の誤謬は無限遡及の誤謬から派生してくるものである。アビダルマ哲学でも、生(本性)が生生を、生生が第三の、いわば生の生を根拠として要求する。というかたちの無限遡及をさけるために、生は生生を生じ、生生が生を生ずる、という相互作用を説いていた。
研究家

生生はただ本性を生ぜしめ、また本性は生生を生ぜしめる。
ナーガールジュナ

どこかで止めなければ、止まらない・・・
ホント、呆れる話。

相互作用について、
君にとってもし生生は本性を生ぜしめるものであるならば、本性によってまだ生じさせられていないそれ(生生)がどうしてその(本性)を生ぜしめるであろうか。
君にとって、もし本性によって生ぜられたその(生生)が本性を生じさせるならば、その(本性)によって生じさせられていない本性がどうしてかの(生生)を生じさせるのか。

相互依存は、AがBを生じ、BがAを生ずる。または、AがBを根拠づけ、BがAを根拠づける関係である。これは論理的には循環論証にほかならない誤謬である。
研究家

誤謬・・・
突き詰めて行けば、何事も、誤謬に突き当たるのである。

そこで、私は言う。
人間は、不合理で、非理論、利己的である。
それが、人間である。
その、人間を突き詰めて語れば、どこかで、破綻する。

破綻しないものは、化け物なのである。

理詰めで、追い込めるという、やり口である。
それを、破邪を撃つという。

人間が、完全になろうと、努力惨憺している様を見る。

私は言う。
だから、人間は、不合理、非理論、利己的である。
それでも、気にすることなく、人を愛すること。

認識とその対象の問題について・・・
ニヤーヤ学派の知識論に対する、ナーガールジュナの批判を見る。

ニヤーヤ学派では、確実な認識の方法として、知覚・推理・証言・比定の四種類を認めたうえで、ものが存在するということはこれらのうちの一つの認識によって証明されるという。
研究家

それに対して、ナーガールジュナの批判である。

もしあれこれの対象が、認識によって確立されるとするならば、その認識は何によって確立されるのか、と問う。

自分は、主張を持たないという、ルジュナさんの、やり口が解るというもの。
最初に、論を打ち出せば、やられる。だから、相手の論を出させて、やり込める。

もし一つの認識が他の認識によって成立させられるとすれば、第二の認識は第三を、第三の認識は第四を、というかたちで無限遡及に陥り、最終的な根拠はついに得られない。したがって最初の認識も、その対象の存在も確立されないわけである。しかし、もし認識は他の認識を必要としないで自立的に確実であるというならば、一般にものは認識によって確立されるというニヤーヤ学派の主張は破られてしまう。
研究家

もし認識は他の認識を必要としないで自立的に確実であるというならば・・・
破綻した理論として、ルジュナさんが、論破した。

もし火のように認識が自ら成立するならば、それは対象を持たないで成立することになる。
とすれば、その認識はいかなるものの認識でもありえない。

また、認識は必ず対象をもつ、というニヤーヤ学派や説一切有部の区別の哲学は破綻してしまう。
研究家

それと反対に、認識が対象に依って成立するならば、対象は認識より先に存在しているわけだから、対象は認識によらないで成立する、といわねばならない。
研究家

それでは認識が対象を成立させるとはいえなくなってしまう。

一方、認識が必ず対象によって成立するというならば、対象は成立させるもので、認識は成立させられるものとなってしまう。それでは、はじめに、対象は認識によって成立させられる、といった関係が逆転してしまうわけである。

そして、ナーガールジュナの結論である。

また君にとって、認識の成立によって認識の対象が成立し、同時に、認識の対象の成立によって認識が成立するのであれば、その両者とも成立しないことになる。すなわち、もし、認識の対象は認識によって成立し、また認識は対象によって成立させられるものだとすれば、認識はどうして(対象を)成立させようか。

もし認識が対象によって成立し、また対象は認識によって成立させられるのだとすれば、対象はどうして(認識を)成立させようか。

論に対する、論破である。

大乗仏教の八宗の祖といわれる、竜樹である。
竜樹菩薩と呼ばれる。

日本で言われる、菩薩のイメージに遠い存在である。
ちなみに、菩薩とは、衆生を涅槃に導く働きをする。

仏との、仲介役・・・
阿羅漢とは、小乗仏教の言い方である。

二つのものの相互依存という関係は、結局、その二つのいずれをも自主的に存在させないという、結論である。

それは、因果関係の批判において、同一性と別異性による、ディレンマが、ナーガールジュナの武器であったように・・・
と、研究家は言う。

相互作用の批判においては、自己作用の否定、無限遡及、相互依存の指摘が、武器となっている。とのこと。

好きな人は、好きになるであろう、議論であるが・・・
私は、嫌いだ。

仏に至るまで、こんなことを、延々としていると、思えば・・・
仏にならなくても、いいと、思えるのである。

posted by 天山 at 07:18| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月08日

神仏は妄想である。512

ナーガールジュナが二つのものの関係を最終的には二つの対立概念の相互依存性に還元したのは、それぞれの概念が自立的に存在する本体をもたない、ということを知らせるためである。
研究家

本体とは、固定した意味をもった概念の外界における対応物である。

原因と結果などの対立した二つの概念の一々には本体はない。

更に、ことばの意味する特性によって、定義される対象は、実は、どこにも存在しないという。

まさに、否定の論理である。

ナーガールジュナによれば、壺ということばとその対象である壺そのものとには同一という関係も別異という関係もない。もし同一ならば、壺といったときに、外界に粘土・轆轤・水などの原因がなくても壺が生じてくるだろうし、壺ということばを理解したときに壺が存在することにもなろう。また、壺と発音をすれば口がいっぱいになり、火と発音をすれば唇が焼けるはずである。しかし実際にはそういうことはおこらない。しかし、壺といわれても壺という対象が言及されないことになるから、それも正しくない。
研究家

呆れるほどに、分析を良くする。
ホント、ご苦労である。

すると、ニヤーヤ学派は、ことばというものは世間に共通な契約によって使用されるものだから、ことばと対象との間に存在としての一致を要求することはできないと、言う。

すると、ルジュナは、ニヤーヤ学派は、認識・認識の対象などの十六範疇をたて、その完全な理解によって解脱を得ることを目的とする学派であるとする。

「論議」ということばの問題もその範疇の一つである以上、いまの問題は単に世間の契約や習慣に関するものではなくて、最高の真実にかかわっている。・・・
そういう契約や慣習だけのことから解脱が得られるなら、無知な牧夫ですらも解脱することになろう。通常の言語使用という点では賢人も愚人も差別はないから、ことばの理解をとおして解脱を望むということは笑止なことになる。
研究家

結論は、ことばと、その対象とには、一定の結びつきは無い、となる。

ここで、聞き捨てならない言葉がある。
そういう契約や慣習だけのことから解脱が得られるなら、無知な牧夫ですらも解脱することになろう。

無知な人は、解脱出来ない・・・
それでは、限られた人しか、解脱など、出来ないということだ。

こんな、面倒な、理屈の数々を踏まえないと、解脱、悟りが得られないとは・・・
呆れる。

論破するための、議論であれば、それはそれでいいが、解脱、仏の世界に入られない人が、大勢いるということだ。
それでは、大乗の精神に反する。

つまり、仏は妄想なのである。

とことん追求して、仏が妄想だとは、ルジュナさんも、解らなかったのである。

いや、それよりも、それが、仏の道に行くものだと、言い切るのである。

それでは、まだ続ける。

定義の不可能性である。
「中論」第五章である。

そこでも、ことばの問題が取り上げられる。

空間の概念を取り上げて議論するという・・・
ニヤーヤ学派の学説によると、単一・偏在、そして恒常な実体である。説一切有部では、この宇宙の容器としての空間を虚空と呼び、涅槃とともに、生滅のない、無制約的なもの、つまり無為に、含めている。
また、それとは別に、現象の世界にある、物体と物体との間にある隙間を、空界と呼ぶ。

これは明暗を本体とし、抵抗性をもたないが生滅することのある物質的存在であって、宇宙的空間としての虚空とは別のものである。六大のうちの空とはこの空界のことである。しかしこれら二つの区別は説一切有部に限るもので、ふつうしばしば同一視される。さらに、経量部・中観派・唯識派などは空間を観念的設定として認めるだけで、それに実存性は与えない。
研究家

ルジュナが、ことばと対象の関係を否定するために、空間を例に取り上げた。
その定義が、一定しないことからである。

この議論に導入された相関概念は、特質、ラクシャナと、その対象である。

ラクシャナはものに備わる特質である。と同時に、特質づけるものとしての定義であり、ことばの意味を表す。
ラクシャナは、定義されるものである。

ものの特質といっても、そのものに対する人間の定義、理解を別にしてあるわけではない。空間の特質は、抵抗性のないもの、という定義であり、他の特質は堅い性質、という定義である。
研究家

空間の定義より前にはいかなる空間も存在しない。もし定義よりも前にあるとすれば、それは定義されていないものとなってしまおう。5・1
けれど定義されていないものなどはどこにも存在しない。定義されていないものが存在しないときに、定義はどこにおいて行われようか。5・2
定義されていないものにおいて定義は行われない。定義されているものにおいても行われない。定義されているものと定義されていないものと異なった「存在もしない」ものにおいても行われない。5・3

と、ナーガールジュナが、解く。

空間の定義より前にはいかなる空間も存在しない・・・

このルジュナさんの、方法は、もう、見え透いてきた。
相手の論に対して、如何様にも、対処する。
それは、否定が、一番である。
否定を主にして、論ずれば、ルジュナさんのように、嫌らしい人間になる。

posted by 天山 at 06:19| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月09日

国を愛して何が悪い164

天平びとの典型を万葉集に即して選ぶならば、大伴家持を筆頭にあげることに異存はあるまい。
亀井勝一郎

私も、そのように思うし、家持がいなければ、あれほどの大作にならなかっただろう。
家持は、日本人の恩人である。

その完成は見なかっただろうが、家持がいてこそ、万葉集が残された。
もし、家持いなければ、部分的にしか、歌は残らなかっただろう。

その先祖、出生、成育、官歴などは、他の誰よりも、明らかにされている。
そして、万葉集の中にも、長短あわせて、500首に近い歌を収めている。
その数としては、唯一である。

人麿、憶良、赤人などに学び、父、旅人の影響を受け、更に、坂上郎女をはじめ、多くの才女に囲まれていた、名門の貴公子である。

人麿が、七世紀最後の人とすれば、家持は、八世紀最後の人と言えるのである。

彼の存在とは氏族における分離の終着点であったともいえる。
亀井

家持の先祖は、天孫降臨の際に、弓矢をとって、前駆した天押日命である。そして、代々、朝廷の守りに任じてきた、神別の武門である。

そういう神話の思い出をひきずりながら、人間としての哀歓を多様に歌いながら、自家の没落を眺めざるをえなかったところに彼の運命があった。
亀井

壬申の乱には、大伴吹負が天武側にあって、勲功をあらわし、その子が、安麿、そして、旅人、それから家持と、三代に渡り、万葉集に歌を残している。

後期万葉集の、大伴一族の歌集が出来るほどだ。

万葉集巻四を見ると、おびただしい、女流歌人が家持を中心に、現れる。
彼の叔母であり、少青年期時代の教育者として、最初に歌を教えたのは、大伴坂上郎女である。
それは、父、旅人の妹に当る。

その娘の、大嬢は、家持の妻になる。
その、相聞歌も多い。

また、彼との相聞歌は、多くの女性が存在する。
平安期の色好みとは違う、色好みの世界である。

天平五年、家持、17歳の時の歌である。
ふりさけて 三日月見れば 一目見し 人の眉引 おもほゆるかも

家持の情感が、すでに表れている。

万葉集には、相聞歌、恋の歌が実に多い。
人の口から口に伝えられた歌の数々を、家持が記録したのである。

さて、その生涯を俯瞰すると、家持が越中守として赴任したのは、天平18年である。
奈良に戻るまで、六年間を北陸の地で過ごした。
三十代の気鋭の時期であり、彼の歌が、多様に展開するのも、この時期である。

家持が出向いた場所に、歌のサロンが生まれたのだろう。

遊宴、叙景、相聞歌も多いが、弟の書持の死や、彼自身の病気の経験を通して、憶良風の生死への思索、家庭を思う情なども自作にとりいれようとした。漢文の序文や、漢詩を長歌に併せてつくったのも憶良の影響のあらわれであろう。
亀井

憶良と、家持を比較検討する時間はないが・・・
その環境、年齢の違いなどもあるが・・・

家持は、名門の出である。
「みやび」が出てくるのである。

憶良のように、生への毒々しいばかりの執着や死の恐怖や絶望は露出しない。
亀井

春の園 紅にほふ 桃の花 した照る道に 出で立つをとめ

朝床に 聞けば遥けし 射水河 朝漕ぎしつつ 唄ふ船人

この歌は、万葉集には無い、感覚、叙情である。

家持の場合、もうひとつ見逃しえない面は、最古の名門であるという誇りと、大伴家の後嗣としての族長意識である。・・・宮廷の守りに任じてきた名家としての自覚が時々あたまをもたげてくることだ。
亀井

その有名な歌・・・
海行ば 水漬く屍 山行ば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ

当時の藤原家の陰謀、その勢力の伸張に対する、穏やかならぬ気持ち・・・
一族の大伴古慈が、淡海三船の讒言により、出雲守を解任された時、大伴家の危機意識が、強く見られる。

うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 情悲しも ひとりし思へば

家持独特の叙情である。

繊細に優美なしらべの背後にあるのは、理由のつかみえない生の不安と悲しみである。自然のうちに孤独感を託しつつ、言わば生の微妙性をこういうかたちで予情として打ち出した詩境は、やはり家持独自のものであろう。
亀井

その家持が、43歳以後、没するまで、歌を全く作らないのである。歌詠みせず、なのである。私は、それが不思議であり、謎である。

そこには、武将として、政治家としても、失敗した我が身の悲しみ、悲哀があったのか・・・

矢張り、不運だったのか。
名家の没落を、見た。
つまり、我が身の没落である。

亀井は、
もし歌を作っていたとするならば、その政治的挫折や衰退から、却って劇的な激しい歌が出来上がっていたかもしれない。
と、言うが・・・

posted by 天山 at 06:39| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月10日

国を愛して何が悪い165

私は7・8世紀の知識階級が、唐風と和風、漢詩文のしらべと歌のしらべと、そこに二重唱のようなものを内的に経験してきたのではいかと・・・
言わば知的混血によって鍛えられながら、新しい精神地帯を徐々に形成してきたわけだが、むろん文字による表現だけの問題ではない。
亀井勝一郎

その根底にあるものは、鎮魂、つまり、たまふり、たましづめ、そして、仏教に基づく、帰依、つまり、禅定、持戒、布施、智慧と、この二つの異質なものの、同時存在である。

ただし、そこには、対決、対話が発生していないのである。
それが、古代精神の特徴か・・・
いや、今も尚、日本人は、それが稀薄といえる。
これは、民族の特徴か。

例えば、結婚式は、チャペルで、葬式は仏式で、新年には、神社に詣でるという、不思議である。

この曖昧さ・・・
一種の、たゆたい、とも言える。

亀井は、
しかし相互影響のもとに、微妙な摩擦や受動的にすがたでの抵抗はあったと思う。
と、述べている。

そして、9世紀に入ると、歌集に代わり、漢詩集「凌雲集」「文華秀麗集」が、勅撰され、続けて、漢詩集「経国集」も、編纂される。

8世紀の奈良仏教が、衰退し、代わって、漢学を国政の精神的基軸に向けるのである。

あの、仏教国家の心意気が、見当たらないのである。

「文章は経国の大業」というのがその自覚であり、多くの官学私学と、おびただしい漢詩文の著作があらわれるのもこの時代からである。「万葉の時代」はまさに去ったのだ。しかし万葉集はどうなったのであろうか。
亀井

平安朝は、桓武、平城、嵯峨と続く。
その中で、平城天皇が、問題である。

在位三年で、退き、嵯峨朝の上皇となり、薬子の乱で、失脚する。
奈良への復帰を、強く望んでいた。

万葉集の最終編纂者としては、大伴家持が上げられているが、家持の没後、代わって、編纂を主宰したのは、平城天皇ではないかと、亀井は、言う。

古今真名序に「大同天子」、つまり平城天皇の時に成ったと書いてある。
それが本当なら、万葉集の最終的に成立したのは、平城天皇の時である。

漢詩集の興隆期に、他方では、万葉集の完成である。

その漢詩集の時代に、稀に、文字の無かった時代を忍ぶ者もいた。
要するに、文字のなかった時代の、口伝を省みず、漢文の虚飾を模倣し、浮ついたものとの意識である。

いつの時代も、昔、古き良き時代を忍ぶという、心が湧くものである。

それは、純粋な、やまと言葉の、しらべに対する、郷愁ともいえる。
しかし、やまと言葉が、滅びることはなかった。

ただし、表記する際に、漢字を利用して、表現するしか、方法が無いという・・・

亀井は、鋭く尽いている。
奈良朝から平安朝へ移るときの歌の作者たちは、しらべの保存だけではなく、創作に苦心しているうちに、漢字と漢音に対する無意識の「崩し」を経験しはじめたのではなかったか。

それは、一種の柔軟な、抵抗であると言える。
日本人らしい・・・

口伝口承を、漢字で表現しようとした過程を、仮に第一の言語革命期とよぶならば、ひらがなの成立は、第二の言語革命であったといってよかろう。
亀井

ひらがな、の成立は、後の日本語に決定的な影響を与えた。
つまり、現在の日本語の、有り様が、9世紀に決定したということだ。

9世紀の精神史に即して言うなら、前半の頂点は空海の出現であり、後半の重大事項はひらがなの成立だと言っても過言であるまい。
亀井

それは、また、漢字なくして、表れることが無かったものである。
ひらがな、は、漢字の、真名に対して、漢字の偏、画を崩して、生じたものである。
省略した時には、カタカナとなり、崩した時には、草がな、となる。

その、草がな、つまり、ひらがな、が、日本の精神を作り上げることになると、私は言う。

それは、誰が作ったのか、解らないのである。
私は、人々が、自然発生的に、そのように、作り上げたと言う。

漢詩文に熟達した当時の貴族や学者ではなく、女房や身分のやや低い人々、造型技術者等のあいだから、漢字の日常使用中に、次第にこうした変化が生じたのではないかと言われている。
亀井

まさに、その通りだろう。
だから、こそ、女房文学といわれる、平安期の文学が誕生した。
その代表が、世界初の物語、源氏物語である。

万葉集にも、古今集にも、読み人知らずの歌が、多数存在する。
その、人知らず・・・
それが、伝統を作り上げて行く様である。

強力な独裁支配ではなく、民衆の間から起こった、文化行為である。

それをまた、君主たる、天皇が、許し、受け入れている。

日本文化と、文明の特記すべきことは、民衆の間から、である。
天皇が、国民を、公宝、おうみたから、と呼ぶ国柄である。

日本は、アジアとは別の、文明圏を有する国である。
その証拠は、日本語にある。

言葉は、結局、民族の心であり、魂と、なるものである。

posted by 天山 at 07:35| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月12日

国を愛して何が悪い166

ここで注目したいのは、漢字を「崩し」て行った事実である。「片かな」における省略と同一視してはなるまい。「崩し」は、単に便宜性とか安易性のためであったろうか。そういう点もあったろうが、根本的に考えるなら、日本人の精神の生理に深く根差したところに生じた現象ではなかったか。
亀井

ひらがな、の、ことである。
この、ひらがな、によって、日本語は飛躍的に表現の幅が広がった。

漢字が到来した時は、厳格な楷書である。

平安期に入ると、その「崩し」の傾向が強くなり、行書が、そして、草書が出来る。勿論、ひらがな、によるものである。

そして、日本独自の書体が成立したと言っていい。

漢字の、思い切った、草書化である。
更に、ひらがな、の奔放とも言える、連続により、その書体が、絵画美のように、描かれるという。

それを、書道では、連綿体と呼ぶ。

平安期の「女文字」としても、ある一点の崩しが、更に、崩しを呼び起こすという。

これは書だけではなく、そもそも日本人の発想自体に内在していたものではなかろうか。
亀井

だが、それは、言葉だけに言えるのではない。

唐の文化、その他の文化に接した時に、表れる固有の現象である。
日本人の特性としておく。

独自の創意工夫によって、新たなるものに、変容させる、力である。

私は書体の変化、とくにひらがなの発生から推して、この過程を「草化現象」とよびたいのである。
亀井

例えば、建築や、造型、それは、仏像などにも、反映される。

建築も、楷書、行書、草書のように、変化してゆくのである。

しかし、亀井は、
平安期にみられるこの現象を、中世風の「枯淡」「侘び」と混同してはならない。
と、言う。

確かに、中世のそれは、また、違う意味でのものである。

寺院建築に対して言えば、奈良時代は、豪壮絢爛たるもので、平安期は、優美華麗である。そういう形での、草化現象である。

それは、その奥に、密教芸術から、浄土芸術への移行も、合わせて考えたい。

漢字やその楷書体はむろん永続するが、それだけに徹することが出来ない日本人の「生理」と言ったものがあるようだ。ひらがなを発明せずにおれない、それなしに適応し消化しえない固有のものがあるらしい。
亀井

鋭い、観方である。

適応し、消化し得ない固有のもの・・・
これが、日本人の特性である。

そして、それは、風土、生活様式、食物、体質など・・・
借り物では、済まない、固有のもの、である。

私は、特に、その風土を重く見る。
日本の自然の有様は、独自の風土である。

インドなども、似ているが、それとも違うのである。
四季折々の・・・という、枕詞が着くほどの、自然の有様である。

異質の文化に直面して、激しく対決するのではなく、際立った対話もない。まず適応しながら、その過程で、自然現象のように対象を変化させてゆく。つまり柔らかく「崩し」てゆくわけだ。受動的だが、この姿勢の由来するところは、かなり深いようである。
亀井

卓見である。
自然現象のように対象を変化させてゆく・・・

これが、日本人なのである。
それを、一時期は、曖昧などという、批判めいた議論が起こったが・・・
違う。

物事を、自然現象の如くに捉えるという、特性である。

これが、日本の心を作ったのである。
それは、太古、縄文期から、培われてきたもの。
それを、一言で言えば、和、である。

和とは、やまと言葉で、やわらぎ、と読む。
縄文期に戦いという事実が無かったことが、知られていた。
更に、犬までも、埋葬したという、心根である。

推古天皇の時代の、聖徳太子が、和をもって貴しという、それ以前から、和の精神に、満ち溢れていたことが解るのである。

弥生時代に入り、戦いというものが、現れてくる。
それは、渡来人による、観念として、私は見ている。

稲作が始まり、穀物の貯蓄をするようになり、領土の争いから、始まったようだが・・・
違う。

縄文時代の後期、500年頃から、稲作が始まっているからだ。
弥生から稲作が始まったというのは、間違いである。

縄文土器の文様には、争いの場面は無い。
大胆で、大らか、朗らかな文様が多いのである。
posted by 天山 at 08:12| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月15日

国を愛して何が悪い167

九世紀後半から十二世紀にかけて、宮廷の女性から歌や物語や日記が続出したことは周知のとおりである。いわゆる「女房文学」は平安期の一大特色だが、そのすべてに、ひらがなが用いられたことは、日本語の形成に、女性の性格のいかに深くまとわりついているかを示すものである。
亀井

これは、一種の古代回帰ともいえる。
つまり、母系、母性の時代である。

神託を受ける者も、女性である。
その長い年月を過ごして来た。

縄文期も、矢張り、母系と母性の時代と言っていい。

実際、ひらがなの成立によって、女性性が開花したと言える。
だが、男性からは、ひらがなは、女の文字として、認識されていた。

一種の、軽蔑を伴ったのも、事実である。

しかし、ひらがなは、残った。というより、ひらがなに取り込まれたのである。

土佐日記の冒頭、男もすなる日記というものを・・・と、ある。
男が書くという日記を、女が書いてみるというのだ。

そして、更に、漢文を主体とする、僧の文学にも、影響して行く。
平安末期に現れる、隠者、半僧半俗は、ある点では、女房文学の代行者とも言われている。

それは、仏教の信仰自体にも、微妙な影響を与えた。

だが、付け加えておくと、女房たちは、漢学の素養もあり、仏教にも、心を傾けたのだ。

女房文学では、代表格の紫式部などは、漢籍に深く、中宮である祥子に、それを教えたと言う。

平安期という、平安安泰で、男には退屈に思える時代に、女たちは、とんでもない、遺産を作り上げていたのである。
ここでいう、男たちとは、貴族、朝廷の内に存在した男たちである。
その頃の、武家は、その門番を勤めていた。

日本の歌、つまり、鎮魂と、仏教の信仰、つまり、帰依との、激しい対決が見られないが、平安期には、一つの精神の主題が形成される。
それは、歌における、快楽としての、色好みである。
そして、仏教信仰の求道心と、その淡いに生じた、微妙な動揺と、その美化である。

生と性を大胆野放図に歌った「初期万葉びと」の時代から、やかで天平時代となり、歌が個人性を帯びるにつれて、色好みは美意識となり、また一種の翳りを帯びてくる。この翳りは旅人の讃酒歌にもみられるように、世間虚仮という仏教的情感が入ってきたために生じたものである。
亀井

この、翳りこそ、仏教のもたらした、大きなものであると、私は言う。
そして、その翳りが、哲学となり、思想と成り立って行く。
仏教が、それだけ、体系付けられたものだったからであろう。

物思い・・・
物思う・・・ということを、仏教は、伝えた。

換言すれば「色好み」は次第に空虚感を伴ったわけで、家持歌集の後期になると、それが求道(仏教信仰)の思いに接続してくる。・・・
しかし鎮魂と帰依の二元性は、色好みの快楽と仏道を求める心、そのあわいの「たゆたひ」といったかたちに変化しつつ、これが平安期に受け継がれて行くわけである。女房文学(とくに源氏物語)はその集大成であり、大伴家持は先駆者と言ってよい。
亀井

源氏物語は、もののあはれ、以前の、たゆたひの、文学であったといえる。

そして、そこに、ひらがなの持つ、曖昧微妙な感性が、生きてくるのである。

亀井も、ひらがなについて・・・
色好みにおける情緒や陰翳の表現にとって、言語革命は同時に感情革命である。漢字の崩し、その草化あるいは連綿体なしに、平安期の色好みの歌も物語も、おそらく特色を発揮しえなかったであろう。
と、言う。

その深さにおいて、
それは仏教信仰をめぐる僧家の動機を、ひらがなによる色好みの表現のうちに内包するような作用をもたらした。そして快楽と求道のあわいに生じた「たゆたひ」は一種の戦慄を伴い、やがて祈祷と頽廃のうちにさまよう「あはれ」の情感を形成してゆくのである。
亀井

そして、仏教信仰の、草化現象である。

「あはれ」をこのように、定義した亀井である。

このことに関しては、別エッセイ、もののあわれについて、を参照ください。

ここでいう「あはれ」の定義は、平安期に限る場合である。
「あはれ」の心象風景は、万葉を辿り、縄文期に至ると、私は考えている。
ただし、言葉としてのものではなく、感性として、である。

「あはれ」が、後に、慈しみ、或いは、慈悲の心に結び付いてゆくが・・・
その原型は、恋心である。

恋が叶っても、あはれ、失恋しても、あはれ、なのである。

日本の文化の底流にあるもの、それは、「たゆたひ」と「あはれ」と言うしか術が無い。

そのために、様々な技芸が生まれた。
言葉で語り得ないことを、姿で表したと言える。

言挙げせず、という日本の伝統がある。
言葉にせずという、姿勢である。

沈黙の間にあるものを、見つめた民族である。

沈黙とは、沈思黙考である。
そこから、歌が生まれた。
歌は、そのまま言霊となり、生きたものとなったのである。
posted by 天山 at 07:27| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月17日

国を愛して何が悪い168

ここで、恐るべきことを書かなければならない。

古今集が成立するのは、醍醐天皇の、延喜五年、905年である。
それから、半世紀後に、万葉集に、ひらがなの訓読みを、添えたという。

つまり、それまでは、漢字の表記で為されていて、知る人ぞ知るものだったということである。

平安期から江戸時代まで、歌の正統として、認められることがなかった・・・
更に、その、万葉ぶりを示そうとしたのは、鎌倉時代の、実朝ただひとりである。

紀貫之の古今集「かな序」をみてまず驚くことは、貫之はじめ選者たちが、「万葉集の実体」について殆ど無知であり、無関心であったという事実である。わずかに人麿と赤人の名をあげているが、その作について、本質的なことは何一つ言っていない。古代歌謡についてもすさのをのみことの「八雲立つ」を和歌のはじめとして系譜づけているだけだ。
亀井

つまり、万葉集が成立して、僅か百数十年を経て、当時の最高の知識階級に属する人たちの、その有様は、実に不可解である。

漢詩に対して、和歌の正当な位置を恢復しようとした貫之たちは、そのためには絶好の場にいたと想像するわけだが、彼らはまるで知らないのである。あいまいな断片的知識か、或いは口伝によって、おぼろげに伝え聞いていたとしか思われない。実はこれが日本の歌の、より正確に言えば短歌の伝統となったのである。
亀井

古今以降、歌は、長歌なく、和歌とは、短歌になって行くのである。

振り返ると、大伴家持没後、暫く死滅され、平城天皇時代に、再編纂され、再び死滅して、平安期のある時期に取り上げられた時に、今度は、その時代に伝えられた歌が、混入するという場合も、あっただろう。

それは、人麿集にも、見られる。その他にも、どのような変化が起こったのか。
と、いうことは、伝われるものがあったということは、伝わらないものも、あったということである。

万葉集の4500首余りの背後に、消滅した歌が、その何倍も存在したのかもしれない。

整理すると、日本の歌の伝統とは、勅撰集である、古今集に元があるということになる。

では、万葉集は、その後、どのような経緯を経たのか。
現在、存在している万葉集は、明治45年から大正13年の間であるという。

そして、全国的な研究が普及したのは、昭和になってからである。
宝物が、眠り続けていた・・・

正岡子規が、万葉集を高く評価したのは、明治31年である。
その有名な言葉、
貫之は下手な歌よみにて、古今集はくだらぬ集に有之候
である。

つまり、当時の正統派と言われる、宮廷歌所の歌人たちに対する、憤怒と抵抗を示したのである。

淳仁天皇の三年、759年に、万葉集の歌は終わっている。
千二百余年後に、ほぼ完全に発掘されたことになる。

9世紀に、消滅する可能性もあったということだ。

歌の伝統は、勅撰集という形で、続いていたのだ。

ただ、救いは、五七調、七五調という、音の伝統は、残ったのである。
それは、日本語の、日本人の、息遣いだと言うしかない。

極めつけは、俳句の五・七・五である。
和歌、短歌は、三十一字である。

世界的に見ても、その言葉の短さは、日本のみである。
更に、日本語の場合は、音の一つ、シラブルであるから、突起している。

その音の一つに、意味があっという説も、納得出来るものだ。

とすると、その断絶の間・・・
果たして、現在の万葉集の解釈、研究というもの・・・
言った者、勝ちになるようである。

解釈の氾濫により、逆に実体を見失う危険もある。

さて、およそ三世紀の間に渡る、精神生活の複雑な、万葉集と、古今集を比べることは、無理がある。

万葉集は、単なる歌集を超えている。

むしろ歌、物語、日記をふくむ女房文学全体と比較すべきものである。
亀井

万葉集の最終歌から、150年目に、古今集が出来上がった。

八世紀から九世紀全体にかけて、当時の精神史の核心を形成するものをあげるならば、誰しも唐化の激しい影響をみとめないわけにはゆくまい。
亀井

現代であるから、万葉集から、古今集、そして、新古今集と比較して、見渡すことが出来る。
私も、万葉集から、もののあはれ、について、見つめている。

それは、時代を俯瞰出来るからである。
その時代にいると、その時代からの視線でしか、見られないことが、多々ある。
しかし、過ぎた時代を、総括して、俯瞰することは、出来るのである。

矢張り、日本人の心性は、脈々と続いていることを、実感する。
勿論、その時代その時代の、精神性というものは、大いにあることは、事実である。

当時の唐化の影響は、甚大である。
また、それゆえに、日本の文化に大きな深みと、影響を与えたのだ。

新しいものに、触れるという、感動は、人の心を飛躍させる。
平安期も、そのようであった。
posted by 天山 at 06:15| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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