2014年11月20日

もののあわれについて709

こなたは隠れの方にてただ気近き程なるに、いかめしき御産養などのうちしきり、響きよそほしき有様、げに「かひある館」と尼君の為には見えたれど、儀式なきやうなれば、渡り給ひなむとす。




こちらは、裏側で、広くはないが、堂々とした御産屋などが、次々とあり、騒ぎが仰々しい有様は、なるほどに、かひある館と、尼君の為には、見えるのだが、こんな所では、儀式らしくない雰囲気なので、東南の町の寝殿に、移ることになった。




対の上も渡り給へり。白き御装束し給ひて、人の親めきて若宮をつと抱きてい給へる様、いとをかし。みづからかかる事知り給はず、人の上にても見習ひ給はねば、いとめづらかに美しと思ひ聞え給へり。むつかしげにおはする程を絶えず抱き取り給へば、まことの祖母君はただまかせ奉りて、御湯殿の扱ひなどを仕うまつり給ふ。東宮の宣旨なる内侍のすけぞ仕うまつる。御迎へ湯におりたち給へるもいとあはれに、内々の事もほの知りたるに、少しかたほならばいとほしからましを、あさましく気高く、げにかかる契ことにものし給ひける人かな、と見聞ゆ。
この程の儀式などもまねびたてむに、いとさらなりや。




対の上、紫の上も、いらした。白い御装束をつけて、まるで親のような顔付きで、若宮を、ずっと抱き続けていらっしゃる様子は、大変素晴らしい。
ご自身では、このようなことは、ご存知ないし、人ごとででも、御覧になったことがないので、大変珍しく、若宮を可愛らしいと思うのである。
扱いにくい時から、しきりにお抱き上げるので、本当のお婆様は、まかせっきりで、お湯殿のお世話などをされる。
東宮の宣旨である、典侍、ないしのすけ、が奉仕される。そのお相手役を、御方ご自身でされるのも、誠に胸を打つことで、典侍は、内々の事情も少しは知り、少しでも、不明なことがあれば、姫君のために、お気の毒なことであるが、御方は、驚くほど、気品があり、されば、こういう特別の御運がある方だと、思うのである。
この頃の儀式などは、あれこれ申しても、殊更めきます。

最後は、作者の言葉。

御迎へ湯におりたち給へるもいとあはれに
御方が、自身でされることが、いとあはれ、なのである。

本当のお婆様は、明石の御方である。




六日といふに例の御殿に渡り給ひぬ。
七日の夜、内よりも御産養の事あり。朱雀院のかく世を捨ておはします御かはりにや、蔵人所より頭の弁、宣旨承はりてめづらかなる様に仕うまつれり。禄の衣などまた中宮の御方よりも公事には立ちまさり、いかめしくせさせ給ふ。
次々の御子たち、大臣の家々、その頃の営みにてわれもわれもと清らを尽くして仕うまつり給ふ。




六日目に、いつもの御殿にお移りされた。
七日の夜、御所からも、御産養があった。朱雀院が、あのように出家された、代わりであろうか。蔵人所から、頭の弁が、宣命をたまわって、例のないほどに、盛大にされた。禄の絹などは、別に中宮の方からも、御所の公式の禄以上に、堂々とあそばす。
次々の御子たちや、大臣の家々も、その当時、この事にかかりっきりで、吾も吾もと、善美を尽くし、お勤めになる。




おとどの君もこの程の事どもは例のやうにも事そがせ給はで、世になく響きこちたき程に、内々のなまめかしく、こまやかなる雅びの、まねび伝ふべき節は目も止まらずなりにけり。おとどの君も若宮を程なく抱き奉り給ひて、源氏「大将のあまたまうけたなるを、今まで見せぬが恨めしきに、かくらうたき人をぞ得奉りたる」とうつくしみ聞え給ふは理なりや。日々に物をひき延ぶるやうにおよずけ給ふ。御乳母など心知らぬはとみに召さで候ふ中にしな心すぐれたる限りをえりて、仕うまつらせ給ふ。




殿様、源氏も、この度の儀式などは、いつものように、簡素にされず、世の例のない程、大袈裟な騒ぎだった。内々の、女らしく気を配った風流の、そのまま伝えることは、目もつかないでしまった。源氏も、生まれたばかりの若宮をお抱きになって、大将が、大勢子供を作ったそうだが、いまだに見せてくれないのを、恨めしく思っていた。こんなに可愛らしい人を授かった。と、可愛がるのは、無理も無いこと。
日に日に、何かを引き伸ばすように、ご成長される。御乳母なども、気心の知れない者を、慌てて、呼び寄せたりせず、お仕えしている中で、品格や気立てのよう者ばかりを、お付かせになる。




御方の御心掟らうらうじく気高く、おほどかなるものの、さるべき方には卑下して、憎らかにもうけばらぬなどを誉めぬ人なし。対の上はまほならねど見え交し給ひて、さばかり許しなく思したりしかど、今は宮の御徳に、いとむつまじく、やむごとなく思しなりたり。児慈しみし給ふ御心にて、あまがつなど御手づから作りそそくりおはするもいと若々し。明け暮れこの御かしづきにて過ぐし給ふ。かの古代の尼君は若宮をえ心のどかに見奉らぬなむ、あかず覚えける。なかなか見奉りそめて恋ひ聞ゆるにぞ命もえたふまじかめる。




明石の御方の、お心構えが、働きもあり、品もあり、大らかで、しかるべき時には、謙り、小憎らしく出しゃばったりしないのを、誉めない人はいない。対の上は、正式ではないが、ご対面されて、あれほど許せないと思っていたが、今では、若宮のお陰で、大変、仲良く、大切な方と、思うようになった。子供好きの、ご性格で、あまがつ、など、御自分で作られ、忙しくしていられるのも、大変若々しい。
朝から晩まで、この若宮のお世話で、日を送っていられる。あの古めかしい、尼君は、若宮を、ゆっくりと拝すことができないのを、残念に思っている。なまじ拝したものだから、若宮を恋い慕い、それで、今にも、死にそうな程だった。


posted by 天山 at 07:28| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。