2014年11月18日

整体17

多くの研究の成果により、解ったことは、皮膚に現れた生理作用の中に、神経性のものとは違うものがあることが、確認された。

それは、つまり、経絡系は神経系とは、別の身体統合システムであるということだ。

その時の、電気的反応の伝播速度は、神経によるものは、毎秒10メートルに達し、経絡による反応の、伝播速度は、毎秒1メートルであった。

更に、経絡現象が起こる部位が、皮膚の表皮ではなく、その下の、真皮の層であることを、突き止めている。

経絡は、体液系の中で作用していることが、理解された。

身体各部分の局所的器官の働きを一つにまとめるシステムには、神経系・血管系・内分泌系・免疫系・体液系などがある。
このうちの、神経系・内分泌系・免疫系などは、身心の相関関係を示す、システムとして、従来から注意されてきた。

体液系も、全身の各部分に及んで、これらの中では、皮膚と最も直接に関係している。
体液が、最も多く貯えられている場所は、皮下組織の部分なのである。

結果、東洋医学の考え方は、経絡という、独自の組織を想定して、身体の機能を理解してきたのである。
そして、現代の科学的研究から、一定の根拠があることが、認められた。

経絡は、神経・血管・内分泌腺などのように、解剖学的に認知できる組織ではない。
また、体液は神経や血管のような一定の脈管の中に、流れているわけではない。

経絡における、気の流れ、という現象は、生理的側面から、その作用の仕方について、研究することが出来るが、それは生体電流のような、作用を介して、間接的に推察されるものであり、直接、気のエネルギーを認知できるわけではないということ。

気の流れは、生理的側面だけではなく、主観的側面において、感じられる、働きである。

それは、つまり、心、意識―無意識、と心理領域と生理領域の間の、一種のエネルギー変換を司る作用である。

このような、エネルギーは、心と身体を分離した、近代医学では、認められない。
だが、身心の相関性という事実は、現代に至り、疑い得ないものになった。

経絡の存在を論じる場合、従来は、それが感覚的手段により、認知される存在であるかと、議論されてきたが・・・
しかし、生体には、感覚的手段によって、直接認知するということのできない、独特なシステムが備わっているという、観点に立ち、人体の仕組みを、理解するべきである。

さて、少しばかり、気の流れ、というものの、日本における歩みを見ると、それは、導引という言葉が、古くから使われてきている。

それは、身体の各部分に、気を導くという、意味である。
それも、気功の一つの形である。

導引は、平安期から、本にして書かれている。
更に、この導引という言葉は、道教に影響されたものである。
ただし、その道教は、民衆道教といい、素人のものである。

道教の正式な集団は、成立道教と呼ばれる。
日本に伝わった道教は、民衆道教の方である。
後に、そこから様々な、日本の伝統文化に影響を与えたものである。

道教の宗教性については、別エッセイ、神仏は妄想である、に詳しく紹介している。

気の流れ・・・ということについては、気功という言葉を使い説明する必要がある。
最も、端的だからだ。

その気功には、静功と、動功との、二つに大別できる。

静功は、静止して行なう、気の訓練である。
動功は、身体運動を伴う、気の訓練である。

一般的に、動功が、広がっている。
だが、両者共に、同じ原理に基づくものである。

動功は、更に、内気功と、外気功に、分けられる。

内気功は、自分自身で、訓練を行なう。
これは、気の働きに、内在する自然治癒力を、活性化することにより、自己治療、健康保持と、増進に努力するものである。

外気功は、訓練を積んだ気功師が、自分の身体から発する、気の働きにより、患者に対する、治療を施すものである。

外気功は、武術などから、起こり、医療に応用されるようになった。

ただし、気功師といっても、様々な人たちがいる。
例えば、自分の気を、相手に送ることで、自分の気が弱まる。
自分のエネルギーを与えるという、考え方である。

本来、気の流れは、流すことにより、施術者も、受ける者も、共に、健康になるものである。

気の交流・・・
それが、出来て、初めて、気功の意味が生きる。

気の流れの悪い人に、気の流れを送り、それが、相互に行き交い、そして、共に、気の交流により、恢復、或いは、健康増進を進める。

手当てするという、手を当てるという行為自体も、気功の一つに入るもので、整体施術も、気の流れの、交流ということになる。

皮膚刺激と、気の流れ・・・
整体は、この二つが、大きく生かされる。

体に手を当てるということだけでも、充分に、施術の意味がある。
更に、皮膚への刺激により、経絡、或いは、神経の働きを促進する。

押す、揉む、という行為も、気功の部類に入れることが、出来ると、考えている。

主観的、気の流れを、客観的なものにするべく、整体は、精進するべきだと、私は、考える。



posted by 天山 at 06:47| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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