2014年11月11日

霊学185

「純粋の霊界」は第四の領域とともに始まる。しかしこの領域もまだ完全な意味ではそうなのではない。
シュタイナー

この人の、書き方が、解ってくるにつけて、怪しく思うのである。
純粋の霊界・・・だが、まだ完全ではない・・・
すべての霊界の段階は、その段階で、完成している。
ただ、それが、その境界が明確ではないということは、言える。

第四領域は下位の三領域と区別されるが、それは、これらの三領域で出会うのが、人間自身が物質界と魂界に干渉を加える以前、すでにこの両世界の中に存在している物質的、魂的状況の原像だからである。
シュタイナー

詳しく説明しているようだが・・・
迷わせている。

世界に対する人間の関与なしには、人間精神のこのような物質的模造は世界の中に存在しなかっただろう。
シュタイナー

当たり前のことだ。

続けて、
そしてこのような純人間創造物の原像が、「霊界」の第四領域に見出せるのである。
シュタイナー
と、言う。

おかしなことを、書くものだ。
純人間・・・
こうして、言葉にやられてゆく。
そして、高邁な思想、霊界思想と、信じてしまう。
危険である。

この世で獲得した科学の成果、芸術の着想と形式、技術の思想はこの第四領域でその成果を実らせていたのである。それ故芸術家、学者、大発明家は「霊界」に滞在している間に、彼らの創造衝動をこの領域から受け取り、彼らの天分を高めたからこそ、ふたたび地上に生をうけたときに、人間文化の発展に一層寄与できるようになったのである。
シュタイナー

勿論、霊界にあるものが、この世に大きく影響している。
というより、霊界に存在するものを、この世で現実化させる。

しかし、再び、生を受ける・・・
違う。
二度と、生まれてこないことが、最大の救いなのである。

輪廻の輪から、外れることが、救いである。
二度と、生まれて来ないことなのである。

と、これは、インド系の輪廻転生の考え方である。
仏陀は、それを勧めた。

勿論、生まれて来たい人は、生まれて来るだろう。
生まれるというのは、自己責任であるから。

この領域が完全な意味で、「純粋の霊界」と呼ぶことができないということは、・・・
なぜそうかといえば、人がかつて生きていた時代の文化状況が死後この領域にいる彼の霊にも影響し続けているからである。この領域においては、自分の素質や自分の属する民族、国家等の水準が果たし得た業績の成果だけが享受されるのである。
シュタイナー

この説明は、この世的である。
このような、霊界を通る必要はない。

死後、霊体となった霊は、自ら進んで、上昇するために、ある行を行なう。
この世の、記憶などは、何ほどのものではなくなる。

シュタイナーの説明する、領域などには、関わり無く、霊の向上を目指すのである。

更に、シュタイナーの説明には、それぞれの霊界の領域を言うが、それぞれの国の霊界の様を説明しない。

辿る道は、それぞれ、百人百様である。

シュタイナーの説明する、霊界を通る人は、シュタイナーにより、観念を与えられた、人々の霊だけであろう。

「霊界」のもっと高次の諸領域における人間の霊はどのような地上的束縛からも自由である。
シュタイナー

それが、霊界なのである。
だから、その領域という、区別、区分けには、あまり意味が無い。
説明倒れになってしまう。

この「純粋の霊界」にまで高まると、霊界が地上の生活のために立てた目標や意図の真の意味を体験することができる。
シュタイナー

そして、また、延々として、説明が続く。

地上にいて実現されているものは、模造品であるに過ぎない・・・
すべては霊が意図しているものの模造品でしかない・・・

そして人間は繰り返しこの世に生まれてきては、完全な意図や目標のこの不完全な模造品と係わり合う。
シュタイナー

さらにこの人間自身もまた、そのさまざまの転生のどれかひとつの中だけではその都度霊界で意図してきたものの不完全な模造でしかありえない。
シュタイナー

ご本人も、そのよう言う。
つまり、シュタイナーも、不完全な模造品なのである。

第五領域にまで達しないと、本来の人間にはならないと言う。

確かに、段階というものがあるが・・・
段階を通り越す場合も、多々あるのである。



posted by 天山 at 07:11| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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