2014年11月07日

国を愛して何が悪い161

天平15年10月、大仏の創建を志した。
大仏とは、るさな仏である。

東大寺・・・大仏
東大寺を総国分寺として、その本尊を中心に、分身を国分寺に置くという思想である。
それは、
日本全体を「仏国土」たらしめようとする夢と、併せてそれを精神的基軸として国家の統一と平安を企図したものと言ってよかろう。政教一致をこうした造型にもとめ、そこに大規模の呪術力を構想したわけである。
亀井

亀井は、それを不思議に思うと言う。
だが、何故、あのように、巨大なものでなければならなかったのか・・・

しかも未完成である上に、さらにそれを上まわるような空前の大仏と大伽藍を建立しようとした。天平の財富を傾けたわけだが、この全体の構想を誰がうちたてたのか。何かに憑かれているような印象を受ける。或いはよほど深い不安と恐怖から発した狂気といってもよさそうである。
亀井

確かに、そのようである。
不安と、恐怖は、人間を狂気に駆り立てる。

亀井は、天皇氏族の虚栄もあると、言うが・・・
それも、あるのかもしれない。

現在、愛国心を取り戻すために、多くの人たちが、エッセイ、論文等で、日本の歴史の再解釈を行なう。
その中には、正しいものもあれば、憶測もある。

勿論、それらは評価すべきものである。
だが、あまりに、愛国心掛かり、肥大評価に至ることもある。

天皇家も、色々な考え方があった。
過ちもある。

この、天平の大仏などは、聖武天皇の御心の、不安と恐れと考えることが出来る。
つまり、それは、天皇の人間としての、自覚である。

天皇は、大君、そして、神にましませばと、歌われた時代。
矢張り、特別な存在としての認識があったはずだ。
しかし、天皇自身は、世の様々な、混乱と天変地異に、我が身の不徳として、対座された。

天皇氏族の虚栄もという、亀井の言葉は、そのまま、受け取ることが出来ない。虚栄で、それ程の、物を建立する意味がないのである。

何度も言うが、不安と、怖れである。

大仏建立の詔を、現代語訳してみる。
もし、人が一枝の草、一握りの土を持ち、大仏建立に役立てたいと思えば、そのように。それを許す。国郡の司は、百姓、おおみたから、に大きな負担を掛けてはならない。強いることのないように。そして、私の心を知らせよ・・・

だが、続紀には、
東大寺を造ることは、人民辛苦し、氏々の人等もまた是を憂と為す。
天下憂苦して・・・
うらみ嘆くこと実に多し・・・
とある。

聖武天皇が、これを知れば、その御心、窮地に立ったであろう。

亀井は、
或る意味で東大寺・国分寺建立とは、天皇にとって破滅的行為ではなかったか。
と、言う。

その証拠に、聖武天皇は、孝謙天皇に位を譲り、出家したのである。

建立に、身心を磨り減らしたのか・・・

ここでも、人の考え方が、分かれるだろう。
左翼的、右翼的、愛国心的・・・

歴史的建造物は、一人の為政者の強力な、狂気が必要である。
だから、こそ、それが行なわれる。

内的信仰より、眼に見える形での、信仰を取った。
私の考え方である。

見ることによる、救い、である。
それも、信仰の一つである。

そして、その時代性と時代精神である。
まだ、精神的支柱の無い、未熟な時代・・・
その未熟は、時代のものである。
そして、それは、仏教伝来によって、もたらされたものである。

日本の強さというものがある。
外来の渡来物を受け入れて、それを咀嚼し、日本の流儀に変容させる。
天平が、まさに、その時代だったといえる。

天武天皇から始まった、仏教の受容から、この天平に掛けて、仏教の誕生の陣痛の時期として、見ることが出来る。

天平びとの精神形成にとって、どのような意味をもっていたのか。外観ではなく、信仰内容をここでさぐってみたいと思うが、不明の点が実に多い。
亀井

当然である。
それらの、記録が一切無いのである。

ただ、あるのは、存在するのは、寺院と仏像だけである。
だから、それが、当時の信仰の形だったのだ。

造型物を見る、信仰である。
それは、一人の人が信仰に入信する段階と、同じことである。

あの、万葉集にさえ、歌われていないのである。
文献主義の研究家ならば、もう手出しは出来ない。


posted by 天山 at 08:55| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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