2014年11月05日

国を愛して何が悪い。159

仏教信仰そのものが歌の対象にならなかったように、実際政治も万葉びとは歌わなかったようだ。
亀井

政治の観念が、今日とは異質のものであり、もし歌うとすれば「すめらみこともち」の「まつりごと」への寿詞よごと的形態をとる。つまり言霊美の方へ変化してしまう。それだけに、その背後に秘められたものがあった筈だ。
亀井

それが、天平がもたらした、政治の空虚感ということになるようだ。

八世紀は、政治面から言えば、藤原家と僧侶の陰謀の歴史である。しかも七世紀のそれと比べると陰性だ。律令国家は整備され、華やかな儀式や遊宴の行なわれた反面に、人々は次第に空虚感を味わったのではなかろうか。少なくとも旅人、憶良以後の歌に、七世紀にはみられない憂いが宿っているように思われる。
亀井

これは、大伴家持について紹介する際に、十分見つめてみたいところである。

亀井は、こういう場合に、辛い思いをしたのは、宮廷歌人たちだと言う。

それは、身分が低くても、天皇讃歌などの歌を作らなければならない。
そのとき、政治の暗さ、葛藤を意識し、空虚感を抱いたら、どうするのか・・・

七世紀より、安定した政治であるが、しかし、陰謀渦巻く時代である。
それは、支配者の中に存在する。
天皇の政治ではない。
天皇に、まつわる人たちの政治である。

当然、様々な、陰謀があるだろう。
ここで、僧侶も混じるということが、肝心である。
一体、僧侶たちは、何をしていたのか・・・

政治の中に入り込むという、状態である。
それは、一般の大衆には、見えない世界である。
しかし、その政治の様を見ていた人々もいる。

藤原氏は、大化改新で、活躍した、中臣鎌足の子孫である。
更に、遡れば、天皇家に仕える高い身分でもある。

神話の時代から、存在していた家柄だ。

藤原不比等以来の藤原家の政策をみると、天武の思い出を打ち消すように仕向けたのではないかと疑われる。天武の皇孫長屋王の死によって、とどめを刺したとも言える。そういう政治的背景も考慮する必要があろう。
亀井

ここでは、それらの歌を取り上げないでおく。

歌を取り上げて、説明を始めると、終わらなくなる。

要するに、歌の調べが、変化してゆくのである。
特に、万葉の長歌である。

それは、初期万葉の歌とは違う、弱さである。
その弱さを、繊細として、評価してもいいが。

文化的には、大量の漢文の書物が、溢れた。
それは、知識欲を充たすものであり、更に、自我の強烈な目覚めを促がすものとなった。

八世紀の人たちは、この自我と、政治の安定に対して、一種の虚無感を抱いた。
政治の安定は、その陰謀を見ずに、ただ、事象だけを見れば、の話である。

ただし、天平時代、聖武天皇の時代には、東大寺をはじめ、全国68ヶ所にわたる、国分寺の建立がある。

亀井は、古代史における、空前絶後の最大のエネルギーをかけたと言われる行為である。

八世紀は巨大建築の時代と呼んでもいいほどだ。それは一体何を意味したのか。いまふりかえってみると異常である。
亀井

確かに、異常なエネルギーを掛けて、建造物が造られている。

あたかも国土そのものが極彩色の蜃気楼のように浮かんでくる。まさに空前絶後の大事業にちがいないが、空前絶後の大浪費であったようにも思われる。
亀井

だが、それは、仏教の第一義ではない。
天武時代は、国家仏教として、だが、聖武天皇になると、仏教国家の形相となるのである。

更に、僧侶というものの、特殊な階級が膨張する。
更に、政治の中にも介入する。

これは、僧侶の堕落である。

つまり、天平の仏教とは、宗教の名に値しないのである。
それは、大陸から伝来した、大乗という仏教の故か否か。

簡単に言えば、日本仏教には、行という、仏教としては、最も大切なものが、欠落していた。
後に、空海によって、行らしきものが、行なわれるが・・・

それは、大陸、中国仏教のせいもある。
その仏教は、単なる、論としての仏教であった。
良く言えば、哲学、思想としての、仏教である。

一体、当時の僧侶は何を持って、僧侶となしたのか、それが、疑問だ。

私は寺院建立を決して否定しないが、もし国家的規模のもとに国分寺を建てるならば、そこに一つの条件が考えられなければならなかった筈だ。第一義の道に発した仏教の実践面を、いかに具体化するかという問題である。一切衆生の教化と救済を目的とするかぎり、その実践面とは、国分寺の場合は、何よりもまず四箇院の充実でなければならないということである。
亀井

それは、貧窮の人々に薬を施す所、施薬院、貧者や身寄りのない人々の病気を治す所、療病院、飢えた人々に食糧を与える所、悲田院、修行し思索する所、すなわち金堂と同じ、敬田院、である。

だが、そういう形跡は、見られないのだ。

posted by 天山 at 06:28| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月06日

国を愛して何が悪い160

時に、歴史は、大きな浪費を示すことがある。
天平仏教建造も、その一つである。

現在、その浪費の果ての、天平の名残を見ることが出来る。
多くの天平仏、そして国宝である、正倉院御物である。

「古代美術の精華」として誇り、天平の盛時をそこにみるのだが、実は天平仏教の一大偏向のたまものと言ってよい。要するにそれは過剰なのだ。いつの時代でも、異質の外来文化の強烈な影響をうけるとき、必ず伴う一種の「肥大化現象」のようなものかもしれない。
亀井

それは、唐化一辺倒のもたらした、大浪費であり、その過剰の故に、天平時代のエネルギーの、特徴が見えるのである。

だが
純粋な宗教的行為と芸術的行為との相克という主題は、この時代にはあらわれていない。
と、亀井は、言う。

私は、その芸術的行為が、信仰として、生きていたと思う。
信仰というもの、様々なタイプがある。
当時は、それが、信仰だったと、考えるのである。

天平13年、741年に、国分寺建立の詔が、発せられている。
その詔に、高さ一丈六尺の釈迦像を、国ごとに造らしめたことが書かれている。
これが、国分寺の本尊である。

また、各七十塔には、聖武天皇の、金字金光明最勝王経一部を置くことになっている。
この経典を、国家統一の精神的基軸たらしめたのである。

国分寺は、すべて国府の近くの景勝地に南面して、建てられた。

豪族、農民の労働奉仕とものに、大事業が行なわれたが・・・
容易にはかどらず、天平19年には、催促の詔が発せられている。

「仏教国家」というかたちでの強力な政治的統制を促進しようとしたことがうかがわれる。
亀井

国家統一・・・
それは、すでに天皇により、治まっているはずだが。
精神的統一か・・・

何故、それ程に、情熱を掛けて、行なわれたのか、不思議である。

その動機である。

それは、時代の不安である。
天平7年から9年にかけて、天然痘の全国的な大流行があったことが、続紀に記されている。それは、古代最大のものだった。

九州からはじまり、大和全域に侵入して、人民の死と、田畑の荒廃が続き、当時の人は、祟りを思うのである。

更に、天平9年には、藤原家の、危機の年だった。
不比等の四子、同時政界の首脳だった者も、天然痘で、死んだ。

聖武天皇の皇后、光明皇后の肉親である。

祟りの思想・・・
これは、長屋王の祟りか・・・
長屋王は、藤原の謀略により、自殺せしめられた。
天平元年のことである。

政略結婚に対する、長屋王の反対。
そして、藤原の勢力を危惧した、長屋王である。

光明皇后は、仏教信仰の篤い御方として、伝説化されているが・・・

一族に襲い掛かった不幸に、戦慄したことであろうと、亀井は、言う。

祟り信仰・・・
これにより、日本の哲学者の一人は、日本の信仰は、祟り神への、怖れの信仰であると、異なことを言うが、違う。

祟りとは、自然崇敬の日本古代人の、当たり前の感覚だった。
祟り神、神である。

自然が荒れると、荒ぶる神と、呼ぶ。

ここで、特徴的なことは、聖武天皇である。
皇太子時代から、仏教を学んでいた。

時代の不安と政治的危機に直面して、甚だしい心労をかさねたことがその詔からうかがわれる。
亀井

その、詔である。
兎に角、すべての責任は、私にあるという、詔が数多いのである。

原文は難しく掲載しないが。

朕の不徳を以って致すところなり・・・
百姓、おおみたから、の何の罪ありてか・・・
思うに朕が・・・
朕が訓導の明らかざるによりて・・・

おほみたからの、あづかるに非ず・・・

繰り返される、朕の責任である。

災害にのぞんでの天皇の自責(不徳と罪)とその告白が、聖武天皇の場合甚だ顕著だということである。
亀井

当時の、天災と病気には、打つ手がなかったのである。

我が身、一身にそれを受けるという、自覚は、政の主、統治者の主としての、自覚である。

国分寺の建立の動機の一つと、考えてもよい。

更に天皇は、藤原広嗣の乱を、天平12年に経験する。
それは、天皇側近の、僧玄ぼう、吉備真備をはぶくことを奏上したが、受け入れられず、九州を本拠として、反乱を起こした。

一時は、奈良中部にも不安を与えたのである。

聖武天皇の奈良脱出も、この頃である。

posted by 天山 at 07:07| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月07日

国を愛して何が悪い161

天平15年10月、大仏の創建を志した。
大仏とは、るさな仏である。

東大寺・・・大仏
東大寺を総国分寺として、その本尊を中心に、分身を国分寺に置くという思想である。
それは、
日本全体を「仏国土」たらしめようとする夢と、併せてそれを精神的基軸として国家の統一と平安を企図したものと言ってよかろう。政教一致をこうした造型にもとめ、そこに大規模の呪術力を構想したわけである。
亀井

亀井は、それを不思議に思うと言う。
だが、何故、あのように、巨大なものでなければならなかったのか・・・

しかも未完成である上に、さらにそれを上まわるような空前の大仏と大伽藍を建立しようとした。天平の財富を傾けたわけだが、この全体の構想を誰がうちたてたのか。何かに憑かれているような印象を受ける。或いはよほど深い不安と恐怖から発した狂気といってもよさそうである。
亀井

確かに、そのようである。
不安と、恐怖は、人間を狂気に駆り立てる。

亀井は、天皇氏族の虚栄もあると、言うが・・・
それも、あるのかもしれない。

現在、愛国心を取り戻すために、多くの人たちが、エッセイ、論文等で、日本の歴史の再解釈を行なう。
その中には、正しいものもあれば、憶測もある。

勿論、それらは評価すべきものである。
だが、あまりに、愛国心掛かり、肥大評価に至ることもある。

天皇家も、色々な考え方があった。
過ちもある。

この、天平の大仏などは、聖武天皇の御心の、不安と恐れと考えることが出来る。
つまり、それは、天皇の人間としての、自覚である。

天皇は、大君、そして、神にましませばと、歌われた時代。
矢張り、特別な存在としての認識があったはずだ。
しかし、天皇自身は、世の様々な、混乱と天変地異に、我が身の不徳として、対座された。

天皇氏族の虚栄もという、亀井の言葉は、そのまま、受け取ることが出来ない。虚栄で、それ程の、物を建立する意味がないのである。

何度も言うが、不安と、怖れである。

大仏建立の詔を、現代語訳してみる。
もし、人が一枝の草、一握りの土を持ち、大仏建立に役立てたいと思えば、そのように。それを許す。国郡の司は、百姓、おおみたから、に大きな負担を掛けてはならない。強いることのないように。そして、私の心を知らせよ・・・

だが、続紀には、
東大寺を造ることは、人民辛苦し、氏々の人等もまた是を憂と為す。
天下憂苦して・・・
うらみ嘆くこと実に多し・・・
とある。

聖武天皇が、これを知れば、その御心、窮地に立ったであろう。

亀井は、
或る意味で東大寺・国分寺建立とは、天皇にとって破滅的行為ではなかったか。
と、言う。

その証拠に、聖武天皇は、孝謙天皇に位を譲り、出家したのである。

建立に、身心を磨り減らしたのか・・・

ここでも、人の考え方が、分かれるだろう。
左翼的、右翼的、愛国心的・・・

歴史的建造物は、一人の為政者の強力な、狂気が必要である。
だから、こそ、それが行なわれる。

内的信仰より、眼に見える形での、信仰を取った。
私の考え方である。

見ることによる、救い、である。
それも、信仰の一つである。

そして、その時代性と時代精神である。
まだ、精神的支柱の無い、未熟な時代・・・
その未熟は、時代のものである。
そして、それは、仏教伝来によって、もたらされたものである。

日本の強さというものがある。
外来の渡来物を受け入れて、それを咀嚼し、日本の流儀に変容させる。
天平が、まさに、その時代だったといえる。

天武天皇から始まった、仏教の受容から、この天平に掛けて、仏教の誕生の陣痛の時期として、見ることが出来る。

天平びとの精神形成にとって、どのような意味をもっていたのか。外観ではなく、信仰内容をここでさぐってみたいと思うが、不明の点が実に多い。
亀井

当然である。
それらの、記録が一切無いのである。

ただ、あるのは、存在するのは、寺院と仏像だけである。
だから、それが、当時の信仰の形だったのだ。

造型物を見る、信仰である。
それは、一人の人が信仰に入信する段階と、同じことである。

あの、万葉集にさえ、歌われていないのである。
文献主義の研究家ならば、もう手出しは出来ない。
posted by 天山 at 08:55| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月08日

国を愛して何が悪い162

実に、面白いことは、大仏建立に当り、続紀では、宇佐八幡の託宣があり、天神地祇を率いて、必ず大仏を完成させよと告げたという、記事がある。

ただ、後に、これが八幡の禰宜尼の詐術とわかり、島流しにあっている。

ここには、神仏混合の芽生えを感じるのである。

これほど仏教が興隆し、「仏教国家」まで出現した以上、神々は衰退したか、或いは否定されはじめたのではないかと一応は考えられるが、その伝統は依然として強かったようである。そうかと言って、仏教へ抵抗を示した形跡はない。
亀井

矢張り、どう考えても、神道、神ながら、というのは、伝統と言うより他に無いのである。
宗教というより、伝統なのである。

これに関して、亀井は、
いかなる体系ももたず、また外来思想にきわだった対決もしないことはすでに述べたが、そういうかたちで、根強く生き延びて行く独特のエネルギーがあるようだ。
と、言う。

神ながら・・・
それは、日本人の心象風景なのである。
もののあはれ、という言葉も、一つの心象風景であるように。

あらゆるものに密着しながら、そこで活躍を始める原始の産霊と言っていいかもしれない。対決の時間でなく、混沌の時間―――むしろ無時間というものがあって、どこへでも入りこみ、無原則に偏在しながらしかも生産を促がすもの、その神秘感を、古代人はつよく抱きつづけたようだ。
亀井

神仏に関して、考えることはしたが・・・
そこで、徹底したものは、全く無いのである。
徹底したものが無いということと、思想が無いということは違う。

体系化しない、思想というもの・・・
そのように、言ってもよい。
体系化しない思想は無いとは、西欧の観念である。

さて、仏教に関する、歌の類が無いと言うが、一つある。
仏足石歌である。

それは、唐の貞観年間、天竺に旅した人が、仏足の図を写し取り、長安の善光寺に置いた。
たまたま入唐した、我黄書本実が、これを石に刻み、平城右京四条に安置したという。

天平勝宝年間に至り、文屋真人智努、ぶんやのまひとちぬ、という人が、亡くなった夫人供養のために、その石を写し、現在の薬師寺に残る、仏足石だといわれる。

そこに、仏跡を恭ふ、歌十七首と、生死を・・・の歌四首が、仏足石の碑に刻まれている。

それを見る。
御足跡作る 石のひびきは 天に到り 地さへゆすれ 父母がために 諸人のために

みあとつくる いしのひびきは あめにいたり つちさへゆすれ ちちははがために もろびとのために

五・七・五・七・七・七、である。

短歌に、七文字を加えたものである。

この御足跡 八万光を 放ち出だし 諸々の救ひ 済したまはな 救ひたまはな

このみあと やよろづひかりを はなちいだし もろもろの救ひ わたしたまはな すくひたまはな

如何なるや 人に坐せか 石の上を 土と踏みなし 足跡残けるらむ 貴くもあるか

いかなるや ひとにいませか いしのへを つちとふみなし あとのけるらむ とうとくもあるか

生死を・・・
人の身は 得がたくあれば 法の為め 因縁となれり 努めもろもろ 進めもろもろ

ひとのみは えがたくあれば のりのため よすがとなれり つとめもろもろ すすめもろもろ

四つの蛇 五つの鬼の 集まれる 穢き身をば 厭ひ捨つべし 離れ捨つべし

よつのへび いつつのものの あつまれる きたなきみをば いとひすつべし はなれすつべし

これは、やまと言葉である。
このようにして、やまと言葉で、歌う仏教歌の先駆けとなるものだ。

文学的作為無く、淡々として、素朴で、敬虔な思いに満ちている。
これらは、唱和されたらしい。

後の世の、御詠歌の元であるような・・・

ここから、察するところ、仏の教えというものは、貴いものであり、この世、この身は、穢いものであるとの、意識である。

これは、今までになかった、感覚である。
仏教の観念が、少し現れてきた様子だ。

この世を、厭うという気持ちは、新しい感覚である。
良し悪しを別にして、確かに、仏教の教えが徐々に、浸透してきていることが、伺える。

いずれ、それが、無常観へと流れて行く。
それが、平安期には、頂点に達する。

憂いを帯びてきたということだ。
果たして、それは、よいことなのか・・・
解らない。
ただ、精神史としては、見逃せないものである。

人の心の裏を見た。
私には、そのように考えるしかない。
人間が成長して、孤独を感じるようになる、年頃という時期がある。

古代人も、いよいよ、人間の心の憂いを感じる様子である。

清く、明るく、素直で・・・
そんな大らかさに、陰が差し始めた時代である。

仏教、受容の一つとして、とても基調な歌だと思う。

posted by 天山 at 07:19| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月09日

国を愛して何が悪い163

さて、奈良時代は、写経の時代でもある。

これは寺院の本尊と同様の重要性をもつものだ。三宝の「法」の記録だから当然だが、その筆写とは、言うまでもなく信仰の行為であり、功徳のひとつに数えられている。
亀井

天皇、氏族家の発願と、各地における国分寺建立により、莫大な量の経文を必要としたはずである。

国分寺には、聖武天皇の詔により、金光明最勝王経が、安置された。
これは、紫紙に、金字で書かれた、当時、最も荘厳美を著したものである。

この時代になると、写経所が拡大され、専門の写経生という職業も発生した。

元来、筆写ということのなかには、それを写した人の生理が、はっきり浮かび出てくるものだ。毛筆は呼吸を伝える上で、微妙なはたらきをするらしい。一字一字をあやまらぬように、絶対の正確さをめざして、息をひそめながらの重労働と言ってもよい。それを職業として写経生にとっては、大寺の礎石を運ぶ労働にも劣らぬ激しいものであったろう。
亀井

写経の行為の内に、目覚めた信仰の有様を、思う。
行為によって、信仰への道に向った時代であると言う。

そして、仏像である。
飛鳥、白鳳には見られない、天平固有のもの・・・

時代性と、天平びとの動きを、そこから、想像するのである。
仏師たちは、その時代の人々の、表情を見て、仏像に生かしたのではないか。

その一々の例は、上げない。

天平仏教を概観すれば、結局それは造型仏教と言っていいほどだ。時代とともに僧尼下級は激増したが、たびたびの統制にも拘わらず堕落して行った例が実に多い。
亀井

確かに、奈良仏教の堕落と退廃は、限りなく見える。
人物を挙げないが、特に、政治的権力、支配欲に現れている。
僧侶の堕落は、奈良時代からだということだ。

その知識により、支配者から、重要視される。
そして、個人的野心を持って、政治に関与しようとする。
あるは、天皇の位置を望むという、愚かな者まで、現れたのである。

それらは、特に、宗派に属する者たちである。
奈良末期には、実に奇怪な、形相を帯びた。

それ以後も、仏教の僧侶は、その権力が強くなると、比叡山の僧兵のように、兵士としての僧も現れるのである。

九世紀、平安期に入り、最澄、空海により、宗教改革がなされて、一応は、漸く、内的な仏教の始まりとなるが・・・

天平仏教の特徴は、書いたとおりである。
内的には、非常に貧弱だったと言うしかない。

さて、亀井は、
仏教思想に内在する超国家性は、天平仏教では充分に自覚されていたとは言えない。帰化人や入唐僧や混血によって、国際的な規模で成立したにちがいないが、それは外的条件であって、思索のうちに超国家性はあらわれなかった。
と、言う。

要するに、大和朝廷中心の国家による、抑圧が強かったということである。

ただし、一つ、正倉院宝物を見ると、極めて、広汎な世界を含んでいる。
この時代の異国への夢を見るようである。

工芸品に見る、様々な模様などは、日本には無いものが多い。
その創造性には、驚く。

ペルシャ、インドから唐の全域に渡る伝説と、風物、習慣を反映しているのだ。
それらの、工芸品が後の日本に与えた影響は、甚大である。

それから見ると、奈良時代は、美術国と言ってもいい。
更に、その正倉院には、古代の秘薬の数々がある。
いずれも、当時の貴重薬である。

病気が流行すると、施薬院から、分かち合ったことが、伺われる。
そして、それは、信仰の行為の一つであったこと。

飛鳥、白鳳、天平と、早足で俯瞰してきた。
古代びと・・・と、いわれる時代であるが・・・

それ以前の弥生、そして、縄文の伝えたもの・・・
人の心は、千年前と大差ないことを思えば、断絶してあるものではない。

つまり、歴史とは、心の内に存在するものなのである。
特に、精神史とは、心の古里を訪ねるのに、似る。

亀井勝一郎は、それぞれ、人物を挙げて、解説しているが・・・
その時代を象徴する人たちである。
しかし、私は、それは、残されたものにより、解説が可能であり、残されていないものは、無いものと考えられるという、文献主義に対して、その残されたものから、つまり、書かれたものから、書かれなかったものを、意識する。

また、書く必要が無かったこと、である。
当時は、説明抜きで、理解が可能だった。
しかし、時代を経ると、その意味さえ不明になってゆく。

最後に、天平を去るに当り、万葉集を編纂した、大伴家持のみを、取り上げてみたい。
彼の万葉集編纂は、偉業である。

そして、大伴家は、家持で没落するのである。
天皇に仕えた家系であり、文人の多い家系である。

また、万葉集の一部も、彼の一族で賑わう。
また、家持の歌も多く残り、名歌も多い。
不思議なことは、ある一時期から、全く、歌詠みしなくなったことである。

そこから、時代にある、普遍的なものを、見つめてみたい。

posted by 天山 at 07:32| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月11日

霊学185

「純粋の霊界」は第四の領域とともに始まる。しかしこの領域もまだ完全な意味ではそうなのではない。
シュタイナー

この人の、書き方が、解ってくるにつけて、怪しく思うのである。
純粋の霊界・・・だが、まだ完全ではない・・・
すべての霊界の段階は、その段階で、完成している。
ただ、それが、その境界が明確ではないということは、言える。

第四領域は下位の三領域と区別されるが、それは、これらの三領域で出会うのが、人間自身が物質界と魂界に干渉を加える以前、すでにこの両世界の中に存在している物質的、魂的状況の原像だからである。
シュタイナー

詳しく説明しているようだが・・・
迷わせている。

世界に対する人間の関与なしには、人間精神のこのような物質的模造は世界の中に存在しなかっただろう。
シュタイナー

当たり前のことだ。

続けて、
そしてこのような純人間創造物の原像が、「霊界」の第四領域に見出せるのである。
シュタイナー
と、言う。

おかしなことを、書くものだ。
純人間・・・
こうして、言葉にやられてゆく。
そして、高邁な思想、霊界思想と、信じてしまう。
危険である。

この世で獲得した科学の成果、芸術の着想と形式、技術の思想はこの第四領域でその成果を実らせていたのである。それ故芸術家、学者、大発明家は「霊界」に滞在している間に、彼らの創造衝動をこの領域から受け取り、彼らの天分を高めたからこそ、ふたたび地上に生をうけたときに、人間文化の発展に一層寄与できるようになったのである。
シュタイナー

勿論、霊界にあるものが、この世に大きく影響している。
というより、霊界に存在するものを、この世で現実化させる。

しかし、再び、生を受ける・・・
違う。
二度と、生まれてこないことが、最大の救いなのである。

輪廻の輪から、外れることが、救いである。
二度と、生まれて来ないことなのである。

と、これは、インド系の輪廻転生の考え方である。
仏陀は、それを勧めた。

勿論、生まれて来たい人は、生まれて来るだろう。
生まれるというのは、自己責任であるから。

この領域が完全な意味で、「純粋の霊界」と呼ぶことができないということは、・・・
なぜそうかといえば、人がかつて生きていた時代の文化状況が死後この領域にいる彼の霊にも影響し続けているからである。この領域においては、自分の素質や自分の属する民族、国家等の水準が果たし得た業績の成果だけが享受されるのである。
シュタイナー

この説明は、この世的である。
このような、霊界を通る必要はない。

死後、霊体となった霊は、自ら進んで、上昇するために、ある行を行なう。
この世の、記憶などは、何ほどのものではなくなる。

シュタイナーの説明する、領域などには、関わり無く、霊の向上を目指すのである。

更に、シュタイナーの説明には、それぞれの霊界の領域を言うが、それぞれの国の霊界の様を説明しない。

辿る道は、それぞれ、百人百様である。

シュタイナーの説明する、霊界を通る人は、シュタイナーにより、観念を与えられた、人々の霊だけであろう。

「霊界」のもっと高次の諸領域における人間の霊はどのような地上的束縛からも自由である。
シュタイナー

それが、霊界なのである。
だから、その領域という、区別、区分けには、あまり意味が無い。
説明倒れになってしまう。

この「純粋の霊界」にまで高まると、霊界が地上の生活のために立てた目標や意図の真の意味を体験することができる。
シュタイナー

そして、また、延々として、説明が続く。

地上にいて実現されているものは、模造品であるに過ぎない・・・
すべては霊が意図しているものの模造品でしかない・・・

そして人間は繰り返しこの世に生まれてきては、完全な意図や目標のこの不完全な模造品と係わり合う。
シュタイナー

さらにこの人間自身もまた、そのさまざまの転生のどれかひとつの中だけではその都度霊界で意図してきたものの不完全な模造でしかありえない。
シュタイナー

ご本人も、そのよう言う。
つまり、シュタイナーも、不完全な模造品なのである。

第五領域にまで達しないと、本来の人間にはならないと言う。

確かに、段階というものがあるが・・・
段階を通り越す場合も、多々あるのである。

posted by 天山 at 07:11| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月12日

霊学186

「霊界」における霊としての本来の人間の姿は、死と新生の中間状態にある人間が「霊界」の第五領域にまで上昇したとき、はじめて現れる。この領域での人間こそが本来の人間そのものである。
シュタイナー

変なことを、書くものである。
この領域での人間こそが、本来の人間そのもの・・・
違う。
どの領域でも、人間である。

それは輪廻転生を重ねつつ、その都度、外的存在として顕現するところの自我の真の姿である。
シュタイナー

したがって「霊界」の第五領域を生きる自我は意図と目標の王国にいる。
シュタイナー

第五領域の自我は前世の諸成果のうち物質界と魂界の不完全さと結び付いている部分を取り除き、今自我がともに生きている「霊界」の意図を、この経験でもって一層成熟させる。
シュタイナー

ただ日常の利害関係を超えて生きた少数の自我だけが「霊界」の上位の諸領域の中で実を結ぶことができる。
シュタイナー

つまり、誰も、第五領域に行くことが、出来ないということである。
ところが・・・
実を結ばない霊もいるとのこと・・・

第五領域と同質の霊性をわずかしか獲得しなかった人間には、来世の運命(カルマ)の中に、この欠陥に応じた結果が現れるように生きようとする衝動が生ずる。その結果、次ぎの人生においては苦しみの多い生活が与えられる。そのときになってそれが当人にとってどれ程深い苦悩の対象となるにしても、「霊界」のこの領域にいたときには、それこそ自分にとってまったく必要な運命なのだ、と彼は感じていたのである。
シュタイナー

更に、
本書で「霊我」と名付けられたものは、この領域に生きているのである。
と、言う。

要するに、霊の上昇を説いている。
上位の領域に入ることが、正しいのである。
それを、延々と説明する。

霊界と、一口に言っても、宇宙大の如くである。
シュタイナーの霊界も、その一部であると、判断する。

シュタイナーの言う、霊界を通らずとも、転生する霊は、数多い。
例えば、宗教霊界に直接赴く、霊である。

子供が、亡くなれば、即座に、その国の霊界、或いは、宗教霊界に参入する。
そこでは、シュタイナーの言う、説明抜きの世界が存在する。

そのような、難しい世界ではない。
実に、単純明快な世界である。
勿論、それも、霊界である。

シュタイナーの語る霊界は、特殊な霊界である。
シュタイナー以後、その霊界を確認した報告を、見たことが無い。

更に、シュタイナーは、自分が語る霊界の、どの領域に存在しているのか・・・
解らない。

「霊界」の第六領域の人間は、すべての行為を宇宙の真実在にもっとも適った仕方で遂行するであろう。なぜなら彼は自分のためになるものではなく、宇宙秩序に則って生起すべきものだけを求めるのだから。
シュタイナー

「霊界」の第七領域は人間を「三つの世界」の果てにまで導く。人間はこの領域で、さらに一層高次の世界から上述してきた三つの世界の中へ、宇宙的使命の達成のために移植された「生命核」たちに向かい合う。
シュタイナー

こうなると、漠然として、信じるしかなくなる。

一体、何の目的で、シュタイナーは、このような記述を行なったのか。
その他の、書籍を読んでも、妄想ではないのかと、思われる記述が多々見られる。

そのルカ福音書の解釈における、仏陀とイエス・キリストの関係などは、全く根拠が無い。

更には、その時代の把握の仕方は、シュタイナー独自のものであり、それを、証明する何ものも存在しない。

勿論、神秘学、霊学などは、オカルトであるから、その説を提示する人のものである。それを、受け入れるか、否かは、それぞれの人に、委ねられる。

次ぎは、物質界、並びに魂界、霊界とこの物質界との結び付き・・・
と、進むが、もう、説明は充分すぎるほど、聞いた。

その中から、特徴的なものを取り上げて、足早に進むことにする。

霊的感覚、超感覚意識なるもの・・・
それは、人が百人いれば、百通りの物の見方がある。

更に、能力者と言われる人たちも、それぞれで、違う。
その人のレベルの合わせた、霊界、超感覚世界が披露されるのである。

超心理学なるものも、存在するが・・・
それも、オカルトに至るのである。

見えない世界を扱うということは、それを当然として、受け入れるしかない。
ただ、それを知識、教養として、得る事で、生きるに対して、何らかの、意味を得るならば、良しとする。

問題は、人間が死んだ後、どうなるのか、である。
死後の世界は、存在するのか。
霊というものは、存在するのか、ということである。

確実に、霊が存在するという、姿勢があるから、霊学が成り立つ。


posted by 天山 at 06:47| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月13日

霊学187

魂界や霊界の構成体は、外的な感覚的知覚の対象となることができない。感覚的知覚の対象は魂界、霊界以外の第三の世界と見做されねばならない。人間は体的存在であるときにも、この三つの世界の中を同時に生きている。霊は感覚的世界の事物を知覚し、この事物に働きかける。魂界の構成体は共感と反感の力を通して彼に影響し、そして彼自身の魂も愛着と反発、願望と欲望を通して、魂界の中に波紋を投げかける。一方、事物の霊的本性は彼の思考世界の中に自己を映し出しており、彼自身も思考する霊的存在として、霊界の市民であり、霊界領域に生きるすべてのものの仲間だといえる。
シュタイナー

つまり、現在生きている人間は、魂界、霊界との中に存在しているということである。
何度も言うが、シュタイナーは、強迫的に同じことを、繰り返して書いている。

人間は体的存在であるときにも、この三つの世界の中を同時に生きている。
ということである。
つまり、人間は、霊的存在なのである。

これで、充分である。

感覚的世界は人間をとりまくものの一部分であるに過ぎない。
シュタイナー

当然である。

魂的、霊的部分は、知覚されず、残されている、ということだ。
それに、気づくこと。

感覚的事物もその周囲の魂界、霊界と同じ素材からできておりながら、ただ感覚的に知覚される性質によってこれらから独立しているだけなのである。
シュタイナー

比喩的に語れば、感覚的事物とは濃縮された魂的、霊的存在なのであって、この濃縮の結果、感覚がそれを知覚することができるようになったのである。
シュタイナー

比喩で語らなくてもいい問題である。

現実の世界、魂界、霊界は、一緒である。
ただし、次元が異なる故に、感じ方が問題なのである。

隣にいても、永遠に遠いのである。

あえて、難しくする必要は無い。

感覚的世界の事物が濃縮された霊的本性たちに他ならないからこそ、思考内容を通して自己をこれらの霊的本性にまで高める人間は、思考しつつ事物を理解することができるのである。
シュタイナー

これは、日本人ならば、説明抜きで、知っていることである。

感覚的事物は霊界から生じたものであり、霊的本性の別形式に過ぎない。
シュタイナー

様々な、霊界通信を読むと、その通りである。
霊界の事物の方が、更に、明確である。

この世は、霊界の写しである。
もっと言うと、幽界の写しに近い。

シュタイナーの霊界は、特殊な世界であると、言える。
その説明から、見れば、特殊なのである。

感覚的世界の霊的原像は霊界のさまざまの領域に現れる。これらの原像は第五、第六、第七領域ではまだ生きた胚種として存在するだけだが、下位の四領域では霊的構成体にまで自己を形成する。思考によって感覚的事物を理解する人間の霊は、このような霊的構成体の影像を知覚するのである。この構成体がどのようにして感覚的世界にまで自己を濃縮させたのかは、外界を霊的に理解しようとする者にとって、重要な問題である。
シュタイナー

外界は、人間の感覚的直観にとって、四つの領域に、はっきり分けられる。
何度も聞いた、話である。

鉱物的、植物的、動物的、人間的段階である。

そして、また、それぞれの説明が入る。
この、繰り返しによって、書籍が、分厚いものになっている。

シュタイナーの霊界は、鉱物界である。
そこから、植物、動物、人間的理解をしている。

外から眼に見える経過として現れる鉱物界や植物界の形成は、霊界の上位の三領域の霊芽が下位の諸領域の霊姿にまで形成されていく純霊的な経過が感覚的に濃縮されたものである。結晶化の過程に対応する霊界の原像は、形態をもたぬ霊芽が残りなく霊姿に転化される過程である。この経過が濃縮され、感覚がその結果を知覚できるまでになると、そこに
感覚世界における鉱物の結晶体が現れるのである。
シュタイナー

これも、比喩なのであろうか。
そのままである。

それが、シュタイナーの霊界なのである。

ここでは、第一元素、第二元素、第三元素などの説明があるが・・・
省略する。

人間は植物と動物がもっている能力以外に、感覚を表象と思考内容とに作り変え、衝動を思考の力で統禦する能力を身につけている。
シュタイナー

実際、生きている人間に講義をして、生きている人間が、それを理解する。
現世から、見る霊界の諸相である。

当然、見てきたような・・・という、感覚がある。
それを、比喩であれ、明確にしようとすれば、する程、おかしくなるのである。

その情報の出所が何処なのか、それが、問題である。
つまり、それが、シュタイナーの霊界となるのである。

シュタイナーから出た、教育法など、多数あるが・・・
否定はしない。

それも、一つの方法である。
更に、注意深く生きるための、方法でもあると、言える。

posted by 天山 at 07:26| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月14日

霊学188

思考内容は、あの形態をもたぬ霊的本性が植物においては形態となり、動物においては魂となったように、人間においてとったところの形式なのである。したがって人間は、思考する存在である限り、自分に働きかけ、自分を育成する元素界を自分以外のどこにももたない。人間の元素界はその肉体の中で働いている。
シュタイナー

そろそろ、シュタイナーの観念作りが、解明されるはずである。

単なる、シュタイナーの思い付きと、言うしかない。
勿論、ドイツの観念論の流れを汲む。

人間の霊的器官として、完全な脳にまで形成された人間の神経組織は、植物や動物の場合は非感覚的に働いている力の本性が可視的となって働いている姿なのである。
シュタイナー

分析は、もう沢山である。
分析に尽きるのである。

それを、延々として、繰り返し、繰り返し、記述するという、病は、如何ともし難い。

このような、霊学の方法は、シュタイナーのオリジナルであることは、理解する。
しかし、万民のためのものではない。

一部、 異様な霊界の有様を説明するのである。
少しばかり、横道に逸れるが・・・

シュタイナーの著作は、数多い。
その中でも、イエスとブッダを取り扱うもの。
福音書に関して、独自の見解を語るもの。
また、独自の歴史観を著したもの。

それは、信じるか、信じないのかに、分かれる。
つまり、根拠がないのである。
それらは、宗教の経典に似る。

オカルトと言えば、それで、お終いである。

ルカ福音書についての、著書を読むと、膨大な妄想の数々が、披露されている。
事実に、真っ向から、対立している。
そして、その根拠が無いのである。

すべては、シュタイナーのオリジナルであり、史実としての、確たるものが、欠落している。
現在、福音書に関しては、多くの研究がなされている。
全く事実に反した福音書の記述が多いということも、解っている。

更には、福音書には、様々な矛盾に溢れている。
しかし、シュタイナーは、それらに一向に触れないで、自らの妄想全開を、書き尽くすのである。

一つの物の見方ではない。
シュタイナーの、オリジナル、オカルトなのである。
それらを、分析して、批判する必要はないだろう。

この意味で三重の世界は次のように区分される。
シュタイナー
彼の得意の観念の作り方である。

一、 没形象的な原像的存在(第一元素界)
二、 形態を創造する存在界(第二元素界)
三、 魂的存在界(第三元素界)
四、 創造された形態界(結晶形態)
五、 感覚的に知覚できる形態とこの形態を創造する存在とがともに働く領界(植物界)
六、 感覚的に知覚できる形態とこの形態を創造する本性たちとの他に、魂的生活をいとなむ本性たちの働く領界(動物界)
七、 感覚的に知覚できる形態とこの形態を創造する本性たちと魂的生活をたしなむ本性たちの他に、霊そのものが、思考内容という形式をとって感性界に現れる領界(人間界)
と、なる。

こうして、混乱するほど、似たような、区分けを行なっている。
つまり、シュタイナー霊界の、様子なのであろうが・・・

魔的である。

このことから明らかなように、体的存在として生きる人間の基本的構成部分は霊界と関連しているのである。
シュタイナー

何度も、同じ言を言うのである。
一緒の、神経症に似る。
つまり、魔的なのである。

肉体、エーテル体、感覚的魂体、悟性魂は霊的原像が感性界の中に凝縮されたものであるということができる。
シュタイナー

肉体は人間の原像が感覚的現象にまで濃縮されることによって出現する。だから人は肉体を完成界で可視的になるまで濃縮された、第一元素の本性であるということができる。
シュタイナー

まだまだ、その説明が続くが・・・

何故、シュタイナーが、ここまで厳密にして、説明する必要があるのかが、問題である。
これだけの説明が、出来る、故に、霊界を知ると、思い込めば、騙される。

これは、たった一つの霊界の、様子である。
そして、それは、特殊な霊界なのである。

霊界という、広大無辺とも言える世界を、言葉で語るという、努力は、認めるが・・・
シュタイナーが、それが、すべてであると、言えば、嘘になる。

この著作の、認識の小道、という最終まで、読むことにするが、問題は、理解することよりも、何故、このような説明が必要なのか、ということである。

シュタイナーは、我々を、読者を、何処に導きたいのか・・・
そして、彼は、一体、何者だったのか。

古来から、霊界に関する、知識は多々存在していた。
以前も、シュタイナーの言葉で、新しい世界への目覚めのために、という言葉を聞いた。

これによって、新しい時代、新しい人間の目覚めが、促がされるのか。
疑問である。


posted by 天山 at 06:47| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

整体16

現代の身心医学は、心理療法により重点を置くものと思われる。

それに対して、東洋医学では、皮膚への刺激によるものが大きい。
鍼灸など・・・

東洋医学には、心理療法などは、見られないのである。
これは、東洋医学が、医師の患者に対する、施術を主とし、患者自身の自己訓練については、不案内だったと言うことがいえる。

身心医学の、心理療法は、面白いことに、東洋の瞑想法などに近づいてゆく。

東洋医学では、気、といわれるものが、大きな働きをすると、考える。
それは、西洋医学では、最初、全く認められないものだった。
しかし、測定器などが出来て、その、気というものの、有り様を知ることにより、現代は、それを積極的に取り入れようとする、医師たちもいる。

気が持つ、自然治癒力を活性化させるということから見れば、外から、気の作用を刺激する、治療法と同じ考えになる。

特に、気を扱うものに、気功というものがある。
気功と、気とは、同じ意味、意識であると、考える。

気功の功とは、働き、力を表す。そこから転じて、訓練という意味もある。

それを直訳すれば、気の働き、気の訓練ということになる。

神経系に示された、身体の統合機能を三つの、回路に分けて考えた。
その第一は、外界と関わる、感覚と、運動回路である。
第二は、内臓感覚や運動感覚を主にした、身体感覚、つまり、全身内部感覚である。

第一の回路は、環境と身体の関係を示し、第二は、皮膚の内側としての、からだの状態についてである。

第三は、自律神経の活動に結び付いた、情動と、本能回路である。

そして、気の流れを考えた、経絡系の第四の回路である。
潜在的回路とも言える。

心理的側面から見れば、第一の感覚は、運動回路の作用は、意識の中心を占めているといえる。
それは、外界知覚、思考の働きである。

第二の回路は、身体感覚は意識の周辺部分、身体が気づいている、手足や腹腔の感覚である。

第三は、情動、本能回路で、無意識の領域に対応する。

そして、もう一つ、経絡系は、第一と第二の意識的回路と、第三の無意識的回路を、結び付ける媒介を果たす、回路と言える。

普通では、意識できない、気の流れを、感得し、認知することである。

つまり、心の次元で、意識、無意識を統合する。
これを、生理面から見ると、気の流れを活発にすることは、情動と本能回路と、関係の深い、内臓系の機能を強くすることを、意味することになる。

ここで、一つの問題がある。
それは、過敏体質の人である。
心理学的に見れば、意識と無意識の、強い関係を示しているということ。

フロイト、ユングなどが、未開人、幼児の興味を示したのは、自我意識の発達が弱く、無意識からの、働きかけを感じやすいからである。

つまり、経絡における、気の流れ、という現象は、心理面から見ると、無意識の領域に入るのである。

過敏体質の人とは、気の流れを感じ取る力が、強いとも言える。
また、そのように、訓練する。

瞑想法や、武道などの世界では、それは、当然のことだ。

更に、気の流れは、人体の内部と下位部から、考えてゆくべき性質である。

体内における、気の流れ、外気としての、気の流れ。
そして、経絡は、神経系とは、違うということだ。

多くの研究によって、確認されたことだが、皮膚電気反射のメカニズムが、生理学で、内臓体壁反射として、説明されている。

それは、自律神経と皮膚を結ぶ反射性の回路である。
脊椎の各分節から出た自律神経の分枝は、内臓を廻り、皮膚に達する。
そうして、反転して、内部に戻り、再び、脊椎につながる。

脊髄、内臓、皮膚は、遠心性の、皮膚、脊髄は、求心性の回路になる。

このため、皮膚の表面には、ヘッド氏敏感帯と、呼ばれるものが、分布している。
その部分の、皮膚電気反射を調べると、対応した、内臓の状態を診断する事が出来る。

この、皮膚電気反射は、情動の歪みによる、自律系と内臓の異常を、皮膚によって、知ることが出来るという。つまり、一種の情報回路である。

皮膚は、無意識の窓といわれる。

さて、整体施術の中には、足裏施術がある。
それも、足裏の反射区を想定して、そこに刺激を与えることによって、遠くの内臓関連に働くものである。

先の研究により、経絡は、神経よりも、体液系と関わっていると、推測されたことを、付け加えておく。

すると、今度は、神経系と、経絡の区別ということになる。

次にこのことを記すが・・・

どんな学問も、発展途上であり、更なる、研究が必要であることが、解る。
そして、整体というものも、完全足りえない。

施術を通して、新たに発見することも多々ある。
posted by 天山 at 07:04| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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