2014年10月26日

神仏は妄想である。504

仏教、その流れは、上座部、大衆部、そして、大乗となる。
そこで、本格的に学ぼうとすれば、それぞれの派閥の語義解釈が、出てくる。

実に、煩雑なことである。
語義解釈とは、語義の定義である。
それぞれが、主張するのである。
だから・・・聞いていられない・・・

縁起とは継時的な因果関係と論理的な相対関係とを含めた依存性一般を意味するということを指摘しておけば足りる。
専門家

それで、いい。

さて、中観派、特に、ナーガールジュナの思想を見ている。
思想なのか・・・たわ言なのか・・・

専門家も指摘するが、ルジュナは、自分の哲学を組織的に構成しているわけではない。

概念の世界を否定して、直観に逆行しようとする。
それは、神秘主義のようなものになる。

この、神秘主義というのが、曲者である。

ナーガールジュナは、様々な派閥の体系の原理を批判している。
つまり、基本的な教義を批判するのである。

しかも、その批判の対象となった教義というものも、その学派の教義を忠実に再現したものともいえない。むしろそのような個々の教義、そしてそれを要素として構成される体系の原理となっている思惟方法に批判は向けられている。そういう意味で、ナーガールジュナの哲学は、諸哲学体系の原理の批判であるといってよい。
専門家

原理の批判・・・
それこそ、根本的な批判である。

そのように、考えることが、誤りなのだ・・・と言うのである。

ナーガールジュナの著作において重要なのはとりあげられた主題であるよりも、それを批判するナーガールジュナの論理にある、ということを意味する。
専門家

それでは、余計な説明をせず、ルジュナの著作から、見ることにする。

本体と現象・・・

本体が多くの原因や条件によって生ずるということはできない。原因や条件から生じた本体は作られたものとなってしまおう。15・1

けれども本体がどうして作られたものであろうか。というのは、本体とは他のものに依存せず、作られることのないものであるから。15・2

アビダルマの哲学の考え方では、ものの本体は過去・現在・未来にわたって恒常的に存在する不変の実体である。その本体が現在の時点において作用をもつにいたったのが現象の位である。
専門家

本体は、現象するが、原因によって、作られたものではないという。
これは、上座部の、説一切有部に対する批判である。

その教義の原理となる、思惟方法を批判するのである。

それを、燃えている火に例える。
有部などの思惟方法によると、燃えている火という一つの存在は、本体と現象という二つの概念に分けられる。
そして最高の真実としての存在性は恒常的な本体に与えられ、燃えている火は、現象としての、第二次的な存在性を与えられるだけ。

ルジュナが批判するのは、このように、一つの事実を二つの概念によって、理解する考え方、人間一般の概念的思惟の、あり方である。

ある事実を本体と現象とに区別すればそこに必ず矛盾が生じてくる。現象とは本体でないもの。本体とは現象と対立したものであるからである。
専門家

火の現象・作用は多くの原因によって生じた複合的なものであり、刻々に変化し、やがて滅する流動的なものである。それと対立したものとして設定される火の本体は、他のものに依存せず、変化せず、単一であり、過去・現在・未来の三時にわたって恒存するものとなる。そのように考えられた火の本体は燃える作用という火の特性と矛盾する。それは燃えない火であり、事実として存在しない火であるからである。
専門家

本当に、ご苦労さんだ。

こういう、ものの考え方は、日本人には、出来ない。
また、する必要が無い。

簡単に言えば、仏陀の教えが、ここまで、拡がり、更には、とても、偏屈なまでに、高まったのである。
仏陀の伝えた、因果の教えは、縁起の教えは、こうこうこういうものである、というのだ。

現象と作用は、本体とは、対立したもの・・・
本体は、三時にわたり、恒存するもの。
その本体は、燃える火の特性と矛盾する。

突き詰めると、燃える火は、存在しないのである。
だが、本体としての火は、存する。

ルジュナが批判するのは、
存在とは、対象となって認識を生ずるもの、である。この定義の限りでは、燃えていなくても、眼には見えなくても、火という知識の対象となるものは火という存在、火の本体である。

ルジュナは、そういう考え方はするな、と言うのである。

本体が多くの原因や条件によって生ずるということはできない。原因や条件から生じた本体は作られたものとなってしまおう。15・1

概念を二つに分けるな・・・
それでは、分けずに、考えると・・・

けれども本体がどうして作られたものであろうか。というのは、本体とは他のものに依存せず、作られることのないものであるから。15・2

このような、議論が続くのである。
付き合いきれない・・・



posted by 天山 at 07:38| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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