2014年10月18日

もののあわれについて705

内にも故宮のおはしまさぬことを、何事にも栄えなくさうざうしく思さるるに、この院の御ことをだに例のあとある様のかしこまりを尽くしても、え見せ奉らぬを、世とともに飽かぬ心地し給ふも、今年はこの御賀にことつけて、行幸などもあるべく思し掟てけれど、源氏「世の中の煩ひならむこと、さらにせさせ給ふまじくなむ」といなび申し給ふこと度々になりぬれば、口惜しく思しとまりぬ。




主上におかせられても、亡き母宮がおいであそばさないことを、何事につけても、張り合いのない、物足りない思いを抱くので、六条の院の御事だけでも、決まったとおり、礼儀を十分に差し上げることのできないことを、一生の不満と思うので、今年は、四十の御賀にかこつけて、行幸などもあるように、ご予定された。
だが、源氏は、一般を苦しめるようなことは、絶対になされないように、とご辞退申し上げるのが、度重なり、残念ながら、思い止まったのである。




十二月の二十日あまりの程に、中宮まかでさせ給ひて、今年の残りの御祈りに奈良の京の七大寺に御誦経、布四千段、この近き都の四十寺に絹四百疋を分かちてせさせ給ふ。ありがたき御はぐくみを思し知りながら何事につけてか、深き御心ざしをもあらはし、御覧ぜさせ給はむとて、父宮母御息所のおはせまし御ための心ざしをも取り添へ思すに、かくありがちに朝廷にも聞えかへさせ給へば、事ども多く留めさせ給ひつ。




十二月の、二十日過ぎ頃、中宮が、ご退出あそばして、今年最後の御祈願に、奈良の都の七大寺に、源氏の長寿を祈る御読経のため、布四千段、京都付近の四十の寺に、絹四百疋を分けて、納めあそばした。またとない、御養育のことは、十分に解っているのだが、何によって、深い感謝の気持ちをはっきりと、知らせることができるのか、この機会以外にないと、亡き父宮、母、御息所が、今もご在世であれば、きっとされるだろうと、その感謝の気持ちを添えて、と思うのである。このように無理矢理、殿様、源氏が、陛下にも、ご辞退されたほどなので、計画の多くを中止あそばした。




源氏「四十の賀といふことは、さきざきを聞き侍るにも、残りの齢久しき例なむ少なかりけるを、この度はなほ世の響きとどめさせ給ひて、まことに後に足らむことを教へさせ給へ」とありけれど、朝廷ざまにて、名ほいといかめしくなむありける。




源氏は、四十の賀ということは、先例を聞いても、余命の長い例は、少ないことです。この度は、やはり世間が騒がないようにして、いただきまして、本当に将来、五十、六十になるのを数えてください、とのことだったが、中宮の主催らしく、矢張り、実に堂々たるものだった。




宮のおはします町の寝殿に御しつらひなどして、さきざきにこと変はらず上達部の禄など、大饗になずらへて親王たちはことに女の装束、非参議の四位まうち君達など、ただの殿上人には、白き細長一襲、腰差などまで次々に賜ふ。装束、限りなく清らを尽くして、名高き帯、御はかしなど故前坊の御方ざまにて、伝はり参りたるもまたあはれになむ。ふるき世の一つのものと名ある限りは、皆集ひ参る御覧になむあめる。
昔物語にも物えさせたるを、かしこき事には数へ続けためれど、いとうるさくて、こちたき御仲らひの事どもは、えぞ数へあへ侍らぬや。




中宮のおられる、六条の院の西南の町の、寝殿に設備をして、今までとは、たいして変わらず、上達部の禄など、中宮の大饗に準じて、親王たちには、特別に女の装束を、非参議の四位や太夫など普通の殿上人には、白い細長一領、腰差などまで、一人一人お与えになる。装束は、この上なく贅沢で、名高い帯や、御はかしなど、亡き前皇太子の方から、相続されているものも、改めて、感涙を催すことである。
古来、第一のものとして、有名なものばかり、集まってくる、御賀である。
昔物語には、物を贈ったことを、立派なこととして、一々数え上げていることだが、今度の事は、特に大変で、立派な方々のお付き合いの数々は、とても、数え上げられません。




内には思し初めてし事どもを無下にやはとて、中納言にぞ、つけさせ給ひてける。
その頃の右大将、病して辞し給ひけるを、この中納言に、御賀のほど喜び加へむと思し召して、俄になさせ給ひつ。
院にも喜び聞えさせ給ふものから、源氏「いとかく俄に余る喜びをなむ、いちはやき心地し侍る」と卑下し申し給ふ。




主上におかせられては、思い立ちあそばした事を、中止には出来ないとの考えで、中納言、夕霧に、ご依頼あそばした。
その頃、右大将が、病気になり、辞職されたので、この中納言に、御賀に際して、更に悦びを加えてやろうと、思し召して、急に右大将を兼任させられた。
六条の院、源氏も、お礼を申し上げるものの、このような急な、身に余る昇進は、早過ぎる気がいたします、と謙遜して、申し上げる。




丑寅の町に御しつらひ設け給ひて隠ろへたるやうにしなし給へれど、今日はなほかたことに儀式まさりて、ところどころの饗なども、内蔵寮、穀倉院より仕うまつらせ給へり。屯食など朝廷ざまにて、頭の中将宣旨承りて、親王たち五人、左右大臣二人、中納言三人、宰相五人、殿上人は例の内、東宮、院、残る少なし。おまし御調度どもなどは太政大臣くはしく承りて、仕うまつらせ給へり。




西北の町に、設備を整えて、世間に知られぬようにされたが、今日は、矢張り普通と違い、儀式が上等で、あちらこちらの饗宴なども、内蔵寮、穀倉院から、調整させた。屯食なども、朝廷風の造り方で、頭の中将が宣命を承り、親王方五人、左右大臣二人、そして、大納言が二人、中納言が五人、殿上人は、例により、御所からも、東宮からも、院からも、参加しない人は、少ない。
御座所や、お道具類などは、太政大臣が、仔細に勅旨をお受けして、調整された。

ここでも、敬語の敬語の、文である。



posted by 天山 at 07:13| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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