2014年10月17日

もののあわれについて704

二十三日を御としみの日にて、この院はかく隙間なくつどひ給へるうちに、わが御わたくしの殿と思す二条の院にてその御まうけせさせ給ふ。御装束をはじめ、大方の事どもも、皆こなたにのみし給ふ。御方々もさるべき事ども、分けつつ望み仕うまつり給ふ。対どもは人の局々にしたるを払ひて、殿上人、諸大夫、院司、下人までのまうけ、いかめしくせさせ給へり。




二十三日を精進落ちの日として、六条の院は、どこも一杯住んでおられるので、上はご自分の私邸と思いの、二条の院で、そのご用意をなさる。御衣装をはじめ、一般の事も、すべて紫の上がされる。他のご婦人方も、適当な事を分担して、進んで奉仕される。二条の院の対は、それぞれ女房の局にしていたのを取り払い、殿上人、諸大夫、院司、下人までの席を、立派にされた。




寝殿の放出を例のしつらひて、螺鈿の椅子立てたり。御殿の西の間に、御衣の机十二立てて夏冬の御よそひ、御ふすまなど例の如く紫の綾の覆ども、うるはしく見え渡りて内の心あらはならず、御前に置き物の机二つ、唐の地の裾濃の覆したり。かざしの台は沈のくえそく、こがねの鳥しろがねの枝に居たる心ばへなど、淑景舎の御あづかりにて、明石の御方のせさせ給へる、ゆえ深く心ことなり。




寝殿の放出を、例のように作り、螺鈿の椅子を立てた。御殿の西の間に、御衣の台を十二たてて、夏冬のお召し物、御夜具などを、いつものように、紫の綾の覆の数々も、見事に並んで、しかし、中の様子は、はっきりしない。院の御前に、置き物の机を二つ、唐の絹の紫のぼかしの覆をしてある。かんざしの造花を乗せる台は、沈香木の花足で、黄金の鳥が銀の枝にとまる細工などは、淑景舎のご担当で、明石の御方が作らせたものだが、趣味深く、優れた意匠である。




うしろの御屏風四帖は、式部卿の宮なむせさせ給ひける。いみじく尽くして、例の四季の絵なれど、珍しきせんずい、たんなど、目慣れず面白し。北の壁にそへて置き物の御厨子二よろひたてて、御調度ども例のことなり。南の廂に上達部、左右の大臣、式部卿の宮をはじめ奉りて、つぎつぎはまして参り給はぬ人なし。舞台の左右に楽人の平張うちて、西東に屯食八十具、禄の唐櫃四十づつ続けて立てたり。




御座所の後ろに立てる、御屏風四帖は、式部卿の宮が作らせた。出来る限り、立派にして、お決まりの四季の絵であるが、目新しい山水や、たんなど、見慣れず、興味深い。北の壁にそえて、置き物を並べる、御厨子を二揃い立てて、お道具も、お決まり通りである。南の廂に、上達部、左右の大臣、式部卿の宮をはじめとして、それ以下は、まして参上されないはずはない。舞台の左右に、楽人の幕舎を作り、西東に屯食を八十具、禄の唐櫃を四十ずつ、続けて立ててある。




未の時ばかりに楽人まいる。万歳楽、皇じやうなど舞ひて日暮れかかる程に、高麗の乱声して楽そんの舞ひ出でたるほど、なほ常の目なれぬ舞のさまなれば舞ひはつる程に、権中納言、衛門の督おりて、入綾をほのかに舞ひて紅葉の蔭に入りぬる名残、あかず興ありと人々思したり。




午後一時頃に、楽人が参上する。万歳楽、皇じようなどを舞い、日が暮れかかる頃に、高麗楽の乱声をして、落そんが舞い出たところ、矢張り、常にはお目にかからない舞の様子に、舞い終わる頃に、権中納言、夕霧と衛門の督が下りて、入綾を少し舞い、紅葉の蔭に入ったその後の、名残の様は面白いと、一同が思うのである。




いにしへの朱雀院の行幸に、青海波のいみじかりし夕、思ひ出で給ふ人々は、権中納言、衛門の督のまた劣らず立ち続き給ひにける、世々の覚え有様、容貌用意などもをさをさ劣らず、官位はやや進みてさへこそ、など、齢のほどをも数へて、なほさるべきにて昔よりかく立ち続きたる御仲らひなりけりと、めでたく思ふ。あるじの院もあはれに涙ぐましく思し出らるる事ども多かり。




昔、朱雀院に行幸の際、青海波が見事であった夕べを思い出す方々は、権中納言や、衛門の督が、父君に劣らず後を継いだこと。父君の時からの評判、器量、態度まで、負けずに、官位は少し、父君より昇進していることなど、年齢まで数えて、矢張り、前世の因縁で、両家は昔から、このように後を継いで行く、御間柄なのだと、素晴らしく思う。主人の院、源氏も感激して、涙を流し、つい、思い出すことが、多かった。

衛門の督とは、太政大臣の息子、柏木のことである。




夜に入りて、楽人どもまかりいづ。北の政所の別当ども人々ひきいて禄の唐櫃によりて、一つづつ取りて、つぎつぎ賜ふ、白き物どもをしなじなかづきて山ぎはより池の堤過ぐる程のよそ目は、ちとせをかねて遊ぶ鶴の毛衣に思ひまがへる。




夜になり、楽人たちが、退出する。北の政所の別当連中が、下男を率いて、禄の唐櫃の傍に立ち、ひとつずつ取り、順に与える、白い衣をいくつか、それぞれ肩にかけて、築山のそばを通り、池の堤を行くところを、こちらから見ると、千年の寿を信じて遊ぶ、鶴の白い毛衣に、見間違えるほどだ。




御遊び始まりて又いと面白し。御琴どもは東宮よりぞ整へさせ給ひける。朱雀院より渡り参れる琵琶、琴、内より賜はり給へる筝の御琴など皆むかし覚えたる物の音どもにて、珍しく掻きあはせ給へるに、何の折にも、過ぎにし方の御有様、内わたりなど思し出でらる。「故入道の宮おはしませしかば、かかる御賀など我こそ進み仕うまつらましか。何事につけてかは心ざしをも見え奉りけむ」と、飽かず口惜しくのみ思ひ出で聞え給ふ。




音楽がはじまり、これもまた、実に面白い。弦楽器類は、特に東宮の方から、お揃え下さった。
朱雀院からお譲りされた琵琶や琴、宮中から頂いた、筝の琴など、いずれも昔を思い出させる音色で、久しぶりに、合奏なさると、どの曲につけても、昔のご様子や、宮中のことなどを、源氏は思い出す。
亡き入道の宮が、生きていらしたら、このような御賀など、自分が進んで、奉仕するものを。何事により、私の気持ちを、解っていただけたろうか、と、いつまでも、ただ残念に、思い出されるのである。

入道の宮とは、藤壺の宮のこと。



posted by 天山 at 07:16| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。