2014年10月16日

もののあわれについて703

東宮の御方は、実の母君よりも、この御方をば睦まじきものに頼み聞え給へり。いと美しげにおとなびまさり給へるを、思ひ隔てず、かなしと見奉り給ふ。御物語りなど、いとなつかしく聞え交し給ひて、中の戸あけて宮にも対面し給へり。




東宮の御方、東宮妃、明石の女御は、実の母君より、紫の上を仲良しの御方と思い、頼りにしていた。姫が大変愛らしく、以前より、大人びたのを、紫の上は、心から愛しいと御覧になる。お話を、とてもやさしく交わし、中の戸を開けて、宮にも、お会いされた。

宮とは、女三の宮である。




いと幼げにのみ見え給へば、心安くておとなおとなしく親めきたるさまに、昔の御筋をも尋ね聞え給ふ。中納言のめのとといふ、召し出でて、紫「同じかざしを尋ね聞ゆれば、かたじけなけれど、分かぬさまに聞えさすれど、ついでなくて侍りつるを、今よりは疎からず、あなたなどもものし給ひて、怠らむことはおどろかしなどもものし給はむなむ、嬉しかるべき」など宣へば、乳母「頼もしき御蔭どもにさまざまにおくれ聞え給ひて、心細げにおはしますめるを、かかる御許しのはべれば、ます事なくなむ思う給へられける。そむき給ひにし上の御心むけも、ただかくなむ御心隔て聞え給はず、まだいはけなき御有様をもはぐくみ奉らせ給ふべくぞはべめりし。内々にもさなむ頼み聞えさせ給ひし」など聞ゆ。紫「いとかたじけなかりし御消息ののちは、いかでとのみ思ひ侍れど、何事につけても数ならぬ身なむ口惜しかりける」と安らかにおとなびたる気配にて、宮にも御心につき給ふべく、絵などの事、雛の捨て難きさま、若やかに聞え給へば、「げにいと若く心よげなる一かな」と、おさなき御心地にはうちとけ給へり。




宮は、ただ子供っぽく見えるので、気が楽で、大人らしく、親のような調子で、親御同士の関係もお話し合いされる。中納言の乳母というのをお呼びになり、紫の上は、同じ血のつながりをお探し上げれば、恐れ多いことながら、切っても切れない御縁と申すものの、ご挨拶の折もございませんでしたが、これからは、親しく、東の対にもお出でくださり、不行き届きの点がありましたら、ご注意してくだされば、嬉しく思います、などとおっしゃると、乳母は、お頼り申す御方々に、お一方ずつお別れされまして、心細いご様子と拝しますが、このようなお言葉を頂きましたので、これ以上のことは、ございません。ご出家あそばした陛下の思し召しも、ただ、このように他人扱いにならず、まだ幼い宮様を、ご養育下さるようにと、いうことでございましたので。宮様も、お心の中では、そのように、頼りにされておりました。などと、申し上げる。
紫の上は、まことに、恐れ多いお手紙を頂きましてからは、何とかしてとばかりに、存じておりました。何事につけても、物の数でもない我が身が残念に思われます。と、穏やかに、大人びた調子で、宮様にも、御気に入るように、絵などの事や、人形遊びを、今もしております、など、若々しく申し上げるので、宮様は、本当に若くて、気立ての良いお方だと、子供心に、打ち解けるのである。




さてのちは、常に御文通ひなどしてをかしき遊びわざなどにつけても、疎からず聞え交し給ふ。世の中の人もあいなう、かばかりになりぬるあたりの事は、言ひ扱ふものなれば、はじめつ方は、「対の上いかに思すらむ。御おぼえ、いとこの年頃のやうにはおはせじ。少しは劣りなむ」など言ひけるを、今少し深き御心ざし、かくてしもまさる様なるを、それにつけてもまた安からず言ふ人々あるに、かく憎げなくさへ聞え交し給へば、ことなほりて目やすくなむありける。




そのようなことがあってから、常にお手紙のやり取りなどして、面白い合奏などの折々にも、親しくお話し合いされる。世間の人も、困ったことに、これくらいの地位になった方々の事は、噂したがるもので、初めのうちは、対の上は、どのように思いなのか。ご寵愛も、この数年のようではないようだ。少しは、落ちるだろう、などといったのに、前よりも、殿様の深い愛情が、こんなことで、かえって増したようで、そうなると、またそれで、どうも心配だという連中もいるが、お二方が、このように見た目にも、仲良くお付き合いされるので、噂も変わり、世間体もよくなった。

何となく、解るが・・・
当時の人々の、身分意識である。




十月に、対の上、院の御賀に嵯峨野の御堂にて薬師仏供養じ奉り給ふ。いかめしき事はせちにいましめ申し給へば、忍びやかにと思し錠てたり。仏、経箱、ぢすの整へ、真の極楽思ひやらる。最勝王経、金剛般若、寿命経などいとゆたけき御祈りなり。




かんなづきに、紫の上は、院の四十の御賀に、嵯峨野の御堂で、薬師仏を供養申し上げた。立派な催しは、院がたって禁じたので、上は目立たぬようにと、ご計画された。仏像や、経を入れる箱、経典を巻き納める、じすの整っていること、真の極楽は、これかと思われる。最勝王経、金剛般若、寿命経など、まことに、豊かなお祈りである。




上達部いと多く参り給へり。御堂のさま面白く言はむ方なく、紅葉のかげ分けゆく野辺のほどより始めて見物なるに、かたへはきほひ集まり給ふなるべし。霜がれわたれる野原のままに、馬車の行きちがふ音しげく響きたり。御誦経われもわれもと、御かたがたいかめしくせさせ給ふ。




上達部も、多く参上された。御堂の様子も、興深く、言いようも無い。紅葉の蔭を分けて行く、野辺の辺りからはじまり、見頃の景色ゆえに、それが一つの訳になり、大勢が競って、お集まりになるのだろう。一面に、霜枯れしている野原のまにまに、馬や車の行き違う音が、しきりと響いている。御読経を、我も我もと、六条の院の、ご婦人方が、立派にされる。

霜かれわたれる野原のままに・・・
何とも、風情のある、筆の調子である。
更に、この、若菜の巻きから、ものあはれ、という言葉が使われている。



posted by 天山 at 06:13| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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