2014年10月14日

整体15

心と体の結び付きは、脳と身体の諸器官との、結び付きとして、言い換えることが出来る。

日本の心療内科の、権威である、池見酉次郎氏の、身心医学の定義を見ると、
身心医学は「病は気から」というような諺を文字通りに受け取ろうとする医学でもなければ、心だけが原因で病気がおこるとする医学でもないということである。身心医学は、なんらかの体の異常や症状を訴える患者について、その原因を身心両方から、さらには気候、風土などの条件をも考えに入れて総合的に診断する、また治療にあたっては身体的なめんに重点をおくべきか、心理的な面に力を入れるべきか、あるいはその両方にたいする処置を行なうべきかなどをよく判断して、それぞれの症例に応じた適切な治療を行なうことを目的としている。
とのことである。

それは、医学の専門家だけではなく、保健衛生についての、一般的知識として、教養としても、心得たいものである。

さて、脳について・・・
約150億の神経細胞から成り立ち、その一つ一つの細胞から、四方八方に多くの突起が出て、互いに絡み合い、複雑微妙な配線を作る。
どんな精密な、複雑な思想、更には、感情も、生理学的には、150億の神経細胞の突起が、接触して、出来る無数の神経回路を、インパルス、つまり電気的刺激、脳波として捉えられ、どのように通るかという過程、脳内の化学的変化によるものと、言える。

脳細胞は、他の細胞と違い、生まれてから死ぬまで、増えることも、減ることもない。

ただし、最初は、単独であった細胞が、成長と共に、お互いに突起を出して、網の目のように、複雑に絡み合う。

ちなみに、新しいことを学んで、脳細胞に結合の様式が出来ても、それを放っておけば、間もなく消えてしまう。
学んだことを、反芻すれば、結合の様式が固定し、それが、記憶となる。

つまり、病の感覚も、その固定化に、原因すると、私は思う。

ただし、心を脳とするとき、それは、人間を周囲から全く切り離し、人体としてだけに、限ってしまうが、実際は、人間は、周囲の人々の中にあって、作られるものであるということ。

要するに、人間関係の無い、人間はいないのである。
その人間関係が、人間の喜怒哀楽を作り出す。
そして、病というものも、である。

神経生理、内分泌の研究が発達しても、それだけでは、解決しない、し得ない問題が多くあるはずだ。
それに関して、心というものを、広く大きく、捉える考え方が必要だと、思う。
また、心に関しての、アプローチは、様々にあって、当然なのである。

日本には、霊魂という言葉がある。
英語では、スピリットとなるが・・・
霊と、魂は、別物であるという、考え方もある。
そして、心、という存在も、である。

やまと言葉では、手を、たなこころ、と読む。
これは、心が、手に存在するという、意味でもある。

それは、手の動きによって、心の動きが解るという、考え方である。
手の所作を、日本の武芸は、特に重んじるのも、そのせいである。

更に、手足は、体の末端にあり、体の各所の、反射区が存在する。
手足を見ただけで、その体の状態が、解るものである。

西洋医学的には、体をそれぞれ別々にして、判断し、総合的に観ることは、していなかった。しかし、東洋の考え方は、身心一如という、考え方である。

共に、身心にアプローチする場合は、必要なことであるが・・・
現在では、欧米の医学の中にも、東洋的な発想を求める人たちもいる。

池見氏の、提言を見ると、
われわれは、現代医学が身体の面だけ偏っていることを矯正しようとして、今度はかえって行き過ぎた精神主義に陥ることのないよう、よほど慎重でなければならない。身心医学は、身体医学の今日までの輝かしい成果を否定して、精神主義を築こうというものではない。それは、体だけではなく心をも含めた立場から病気を見直すことによって、身体医学の成果をいよいよ高め、さらにすすんで、今までの身体医学的な治療だけでは想像もつかなかったような新しい治療の可能性を見出してゆこうとするものである。
と、のことである。

極めて、科学的な提言であり、更に、幅広く、医学、医療を考えるという意味では、素晴らしい意見だ。

体と心の、係わりは、医学、医療には、欠かせないものである。
だが、体をモノとして、扱えば、モノとしての見方のみに、偏る。

そうではないところの、もの・・・
何故、病、病に似た症状が、起こるのかが、問題である。

そして、病の手前の、未病の段階である。
それは、心というものを、抜きにしては、考えられないのである。

ここでは、心は、脳であるというだけではない。
更に深めて、霊、魂に至る、心の世界である。

東洋の気功などは、目に見えない働きにより、病に対処する。
その、目に見えない力というものが、何処から出て、そして、どのように、影響を与えるのかということも、研究するべきものだ。

霊も、魂も、目に見えないというのが、通常の考え方である。

それで、また、東洋の医学にある、経絡と、気の流れというものに、注目する必要がある。

更に、身心医学での、自律神経訓練法なども、整体施術の知識として、知るべき事になる。

一つの方法に拘ることなく、色々な方法が存在することを、知る事で、病、あるいは、心の病に、対処する事が出来る。

諸器官の病・・・それは、心の病にも、通ずるものだ。
体が病めば、心も病むのである。

そういう意味で、身心一如という東洋の考え方が、適切に思えてくるのである。



posted by 天山 at 07:06| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。