2014年09月30日

国を愛して何が悪い156

七世紀は、古代における最も偉大な世紀であり、古代日本人の精神の原型というものは、この時期に成立したと言っていいのではなかろうか。
亀井

藤原京時代を含めた、飛鳥朝の時代である。
奈良時代を最盛期と言う人がいるが・・・
それは、外見のみのこと。

飛鳥朝こそ、古代精神を決定し、基礎付けた、一大変貌期といえるのではいかと、亀井は言う。

奈良朝に至り、律令国家が整備され、中央集権の力が、強化された。
唐風の浸透は、氏族社会の全般に及び、文化の程度も、高まった。

その八世紀・・・
七世紀との、断絶がある。

亀井が上げる断層の一つは、歌の調べである。

万葉の、舒明天皇三代歌集、人麿、その歌集に見られる、大らかで、強い調べが、次第に消えて行くのである。

後半の万葉が、古今に近づくように。

七世紀の歌のもつ逞しい足音は、繊細なひびきに変わってゆくようである。
亀井

そして、仏像である。

天平仏は様式も複雑となり、技術的にも展開をみせるが、白鳳仏のような、単純明快で、しかものびやかな線は失われてしまう。豊頬も微笑も消滅する。
亀井

七世紀から八世紀へかけては、ちょうど人間交替期に当る。七世紀の皇族氏族は、すでに述べたように激しい血族相克をくりかえし、人間としての悲劇を露呈するが、強烈な野性と茫漠として鷹揚な気品と、野獣から別れてきたような強烈な欲望との、ふしぎな滑稽がそこにみられる。
亀井

しかし、
八世紀に入ると、逞しさも野獣も次第にかげをひそめて、文化によって洗練されたいわゆる大宮人なるものに変貌してゆく。
亀井

和歌の世界、歌の世界を見れば、一目瞭然である。

優雅で繊細な調べが現れ、情景、遊興歌の、新しい型が発生するのである。

飛鳥びと、初期万葉人とは、また違った、天平びとの、独自の魅力が生じた。
更に、それまでにはない、空虚感が現れた。

それは、一つの文化の成熟を経た、証しだと、私は思う。

続日本紀は、八世紀が舞台である。
七世紀は、日本書記である。

日本書記の特徴は、亀井が言う、
漢意による誇張、歪曲があり、時には途方もない荒唐無稽に伝説も含んでいる。

しかし、続記は、出来る限り資料を集めて、書紀には無い、宣命、せんみょう、なども、伝える。

日本書記には、それを記すに、悪戦苦闘した痕がある。
更に、何かとてつもない、意気込みである。
初めて、漢文で記すという、新鮮な好奇心など・・・

大陸の血を真っ向から浴びたような強烈な民族変貌期の人間像を描くには、漢語の強いアクセントは必至ではなかったか。書紀の執筆者はそれを自覚していたように思われる。
亀井

亀井が、続記についての、特徴を上げている。

その一は、思想の混乱である。
儒教、仏教をはじめ、多種多様な文献が伝来し、知識の範囲が広くなり、一種の異端が現れた。
つまり、それは、道教のことであろう。

亀井は、道教には一切触れていないが・・・

妖術、妖言が、しきりに行なわれたことが記してある。
それは、つまり、民衆道教の伝来である。

呪術が行なわれ、それが多様化して、民衆を惑わすということで、聖武天皇の天平元年四月に、詔が出されている。
一種の思想取締りである。

実は、大化改新前後にも、そのような思想の混乱というか、民を惑わすものが、多く存在していた。
道教である。

それは、儒教や仏教とは、別に、大陸からの人によって、伝播したものである。
つまり、正式な形ではなく、庶民的な形で、伝播したのである。

成立道教のように、専門家によって、伝えらたれのではなく、民衆道教と言い、素人によって、まことしやかに、伝えられた。

例えば、常世神である。
まさに、道教の神である。

後にこれが、平安期、陰陽師などにより、使用されることになる。

当時は、役君小角、えんのをづね、役の行者と言われた人物で、妖術を行なったということで、流刑に処せられている。

表に、儒教、仏教があれば、裏には、道教の存在があった。

大化改新の後にも、地方の豪族を、秦野河勝が、捕らえに行っている。
一種の教祖のようになり、人心を乱したという、罪である。


posted by 天山 at 07:05| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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